第234話 ヒント
「ううぅっ……全然勝てないぃ」
会議室では、大河原は雫石と将棋を指していた。
雫石は十枚駒を落として対局を始めたにも関わらず、大河原は全く歯が立たなかった。
大河原は物覚えがいいほうで、覚えたてにしては筋が悪くなかった。
雫石が大人げなかったということもあるが、初心者相手でも十枚落ちで勝つのは相当難しいはずだ。
「お前、もっと手加減しろよ……」
柊は呆れたように雫石に言った。
翔動の役員は休日関係なく仕事をしているが、それは芸能関係者である大河原と雫石も同様だった。
大河原と雫石にはユニケーションの仕事の関係でオフィスに来てもらっていた。
大河原は声優としてめきめきと頭角を現しており、多忙になったことから、なかなかスケジュールが合わなかった。
景隆は恐縮しながらも休日に来てもらうことを打診したが、彼女は「行きます!」とものすごい声量で即答し、今に至っていた。
大河原は休憩のときに雫石が将棋を指していることに興味を持ったようだ。
この二人は女子寮に住んでいるため、普段から交流があるようだ。
神代と雫石はプロの指導を受けていない時間は、柊が将棋の指導をしている。
とはいえ柊も仕事が忙しいため、雫石が柊にくっついてきたようだ。
(なんか、雫石がやたら柊に懐いている気がするんだよな……)
「菜月さんが覚えたてとは思えないほど強かったので、ついつい本気を出してしまいました」
今日の雫石は大河原と一緒にいるためか、オフィスにいるためか、本性は出していなかった。
「今日は船岡さんまで、ありがとうございます」
「いえ、私も翔動さんのオフィスには興味があったので」
大河原のマネージャーである船岡は、雫石のマネージャーの檜垣と将棋を指していた。
二人とも将棋は指せるようだ。
船岡は大河原のマネージャーだが、翔動は霧島プロダクションを通さずに大河原に仕事が発注できる。
本来なら大河原一人でもよかったのだが、船岡はここでの彼女の仕事ぶりを確認したいようだ。
檜垣は雫石の仕事の関係上、かなり将棋に詳しくなっているようだ。
生真面目に見える檜垣は、仕事に対してもストイックだった。
「うぅ、石動さん……仇をとってくださいぃ」
大河原はすがるような目で景隆を見つめた。
最近の大河原はどんどん大人びてきており、ドキッとするので手加減してほしいほどだった。
「よし! 雫石、俺と指すか」
今となっては、景隆も将棋が強くなる必要があった。
開発中のソフト相手に何度も対局しているが、たまには人間とも指しておくべきだろうと考えた。
「平手にしましょうか?」
パーフェクトヒロインモードの雫石は優雅に微笑んだ。
(くそぉ、余裕そうなのがムカつくな……ついこないだまで初心者だったのに……)
「なめんな、飛車落ちだ」
かくして、雫石との初対局が始まった。
ちなみに、柊は彼女と数え切れないほど指しているようだ。
***
「うぐっ!」
景隆は雫石の指し回しに一切の隙がないため、有効な指し手を見つけられないでいた。
「雫石、女優の仕事も忘れんなよ」
「はい、わかっています」
柊の指摘は、雫石が徹底した受け将棋になっていることだ。
女流棋士は棋戦の持ち時間が短く、攻め将棋になることが多い。
雫石の棋風は重厚な受け将棋で、相手に攻める隙を与えない盤石な指し回しだった。
柊は女流棋士の役作りとは対極であることを指摘しているのだろう。
「へえ、将棋のアプリっていろいろあるんですね……」
大河原は二人の対局を見ながら、携帯電話でいろいろと調べているようだ。
盤面に集中している景隆は、大河原がなぜ将棋に興味を持ったのか、気づいていない。
「将棋の団体が携帯電話のアプリを出したりしないんですかね?」
「……」
景隆は大河原の何気ない一言がなぜか気になった。
「それだ!」
「はにゃっ?」
景隆は思わず大河原の手を握りしめ、彼女の顔は紅玉のように真っ赤になった。




