第210話 将棋
「負けたぁ……」
景隆の問いかけを聞いているのかいないのか、柊は突然両手を上げて降参の仕草をしつつ、悲鳴を上げていた。
柊はなにやら信じられないと言った表情で新田を見つめていた。
「なにごと?」
「将棋を指していたのよ」
「お前ら、俺が真剣な悩みを相談しているのに、そんなことをしていたのか……」
さすがに景隆が怒る権利はあるだろう。
とはいえ、二人は自分の話をないがしろにしていたわけでもなく、景隆としては微妙な心境だ。
柊も新田も仕事中に遊ぶような人間ではないため、何らかの事情があるのだろう。
特に二人は効率を重視し、無駄を嫌うタイプだった。
「柊に頼まれて、将棋のソフトを作っていたのよ」
「へ? 将棋!?」
新田の回答は景隆の想像の斜め上だった。
「柊のことだから、業務上必要だから新田にやらせているんだろ?」
「まぁな」
翔動の人員を動かすうえで、新田に何をやらせるかは最も重要な決断になる。
彼女は少なく見積もっても、常人の千倍は成果を期待できる。
当然、柊もそのことは承知しており、それだけその将棋ソフトが今後の翔動にとって重要な位置づけとなるのだろう。
(柊じゃなければブチ切れて喧嘩してもおかしくないな……)
柊は景隆の性格を熟知しており、景隆も柊のことをこれ以上ないくらい信頼している。
そして、今となっては新田も同じくらい信頼を寄せていると言っていいだろう。
「な、なによ……」
景隆に見つめられていた新田はバツの悪そうな表情で言った。
「ん? ちょっと待て、新田は将棋の経験があるのか?」
「柊にルールを教わったばかりよ。まずはルール通りにソフトが動いているかを検証するために一局指したってわけ」
「……は?」
景隆は柊が愕然としていた表情の理由がわかりはじめてきた。
「ちょ……まさか……柊に勝った……のか?」
「二枚落ちよ、勝てて当たり前でしょ?」
「はああああああああぁっっ!!??」
「うるさいわね」
景隆は新田の恐ろしさに戦慄し、ワナワナと震えていた。
「柊がどんだけ将棋強いか知ってんのかよ……」
「さっき指したんだから、強いのはわかるわよ」
「いゃいゃいゃいゃいゃいゃいゃ」
景隆はアマチュアの有段者で免状も保有している。
その景隆をもってしても、柊には全然勝てなかった。
これは柊が景隆の知らない経験を積んでいたためであろう。
ちなみに景隆は囲碁のほうが得意であるが、将棋のほうが経験は長い。
「普通、ルールを覚えたてだったら、八枚落ちでも柊には勝てないんだよ!」
「そんなものなの?」
新田は自身の持つ特質性に全く気づいていないようだ。
ワナワナと震える景隆に柊は追い打ちをかけた。
「もう新田は目隠し将棋が指せるんだよ」
「は?」
目隠し将棋とは、盤と駒を使わずに頭の中で将棋を指す将棋を指す。
二十年ほどの経験がある景隆でも、手数の少ない将棋であればなんとか目隠し将棋ができる程度だ。
景隆はこれまで新田に驚かされてばかりだったが、大抵はIT分野に関してだった。
(まさか異世界から召喚されたチート的な存在じゃないよな……?)
「そんで? なんで将棋なんだ?」




