第165話 伝家の宝刀
「これで直らなかったら、どう責任取ってくれるんですか!」
激昂した明石は「バンッ」と机を叩いた。
それに驚いた鷹山はビクッと体を震わせていた。
(しまった、連れてくるのが早すぎたか……)
アストラルテレコムの会議室で景隆と白鳥、そして鷹山はOSの不具合の報告をしていた。
いつもは景隆と白鳥の二人で仲良くサンドバッグになるパターンだったが、今回は経験を積ませるために鷹山を同行させていた。
鷹山はデルタファイブの次期エース的な存在となることを柊から聞かされていたため、メンターの景隆としてはできるだけ彼女に場数を踏ませようとしていた。
しかし、明石は気性が激しく、今日は特に機嫌が悪いようだ。
デルタファイブでは不具合に対するパッチを提供しているが、明石はこれを受け入れなかった。
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14:36 明石課長が机を叩いて叱責
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景隆はラップトップPCで議事録を取りつつ、明石の行動を時刻とともにメモとして記録していた。
係争が起きた場合、詳細な記録を残している方が有利になると学んだためだった。
「弊社の環境では問題が再現し、当該パッチで解消できていることを確認しております」
白鳥は報告書の内容を丁寧に説明していた。
この内容に、明石以外のアストラルテレコムの社員は納得しているようだ。
「こちらは1000万円の損害が出ているんですよ! 万が一解決しなかったらどうするつもりですか!」
明石は敬語を使うものの、高圧的な態度で怒鳴っているため、鷹山はますます萎縮していた。
『――』
「えっ!?」
景隆がボソリと聞こえないように言った独り言が、白鳥には聞こえたらしく、ぎょっとしていた。
その白鳥の様子を鷹山は不思議そうに見ていた。
「これ以上の損害を出さないためにも、弊社としては万全を期して解決策を用意したつもりです。
どうかご検討をいただけないでしょうか」
「うっ」
景隆が僅かな怯みも見せずに堂々と言い放ったことで、明石は珍しくたじろいだ。
景隆は明石の不興を買っている要因として、デルタファイブ側から責任者や営業がここにいないことに誠意を感じていないと推察した。
もしこの仮説が合っているのであれば、これ以上論理的な説明は意味をなさなくなる。
「こちらは損害が出ているのだから、訴訟も検討しますよ!」
「「!!」」
明石は伝家の宝刀を抜いてきた。
大抵のエンジニアは法廷闘争には無縁のため、脅しとしてはかなり有効である。
現に、白鳥と鷹山は真っ青になっており、明石はその様子を満足げに見ているようだった。
しかし、ベンダー側の責任を問うための訴訟は、余程のことがない限り起き得ない。
今回の件については明石の勇み足であると言えるだろう。
デルタファイブの製品の問題で起こった障害ではあるが、システムの停止時間はSLA ※1 の範囲内であり、仮に訴訟を起こされてもデルタファイブが敗訴する可能性は限りなく小さいだろう。
しかし、一般社員にとっては訴訟を起こされる事自体が大問題と認識される。
裁判沙汰になることが顧客との関係性を悪化させるばかりか、ほかの顧客にも影響する可能性があるためだ。
したがって、明石の発言は脅しとして一定の効果がある。
「「……」」
「カタカタカタ」
明石が大きく踏み込んだことで、会議室は静まり返った。
その中で景隆は情報を取りこぼさないよう、PCへ入力していた。
景隆のタイピング音だけが響き渡っている。
景隆は今回の落とし所が見えている。
景隆の上司である烏丸か、その上の上司と営業が一緒になって謝罪することで、明石は矛を収めるだろう。
白鳥も同様に考えているようだ。
――しかし、景隆はそのような無駄な時間が惜しかった。
「承知いたしました。契約書の十一条では、第一審の専属的合意管轄裁判所は東京地方裁判所で間違いありませんね」
景隆はこの場でケリをつけることにした。
※1 Service Level Agreementの略。事業者と利用者の間で結ばれるサービスのレベルに関する合意




