第139話 学閥
「豊岡くん、新しい会社を始めてみないか?」
エンプロビジョンの社長としての一歩目は、大学時代の先輩である品田の提案から始まった。
1990年代、日本はバブル崩壊後の経済停滞に直面していた。
失業率は上昇し、特に若年層の就職難が深刻化した。
企業はコスト削減を求め、柔軟な雇用形態を模索する中で派遣労働の需要が高まっていた。
その中で、アクシススタッフは着々と成長を重ねていた。
労働者派遣法が改正され、派遣業務の範囲が拡大したことと、1990年代後半に発生したドットコムバブルにより、ITエンジニアの需要が急増していた。
アクシススタッフは、就職難を追い風に人材を安く雇用し、IT企業へ大量供給していた。
加えて、人材のコストをさらに削減するため、非正規雇用を拡充していた。
この非正規雇用の人材を獲得するため、アクシススタッフはいくつかの子会社を設立した。
当時専務だった品田は、後輩の豊岡に白羽の矢を立てた。
「はい、やります!」
当時、アクシススタッフの営業であった豊岡は、すぐにこの話に飛びついた。
豊岡の営業成績は芳しくなかったものの、学生時代からの先輩である品田が便宜を図ってくれることを期待していた。
豊岡は自分の大学の後輩であり、営業の後輩でもある綾部を巻き込んで、エンプロビジョンを創業した。
豊岡は気心の知れた綾部を重役兼営業に据えたが、これが誤りであったことに豊岡は気づいていなかった。
***
エンプロビジョンの事業は、アクシススタッフから転籍し人材採用を担当していた高津の貢献により、順調であった。
高津はアクシススタッフの人事部の中でも、特に優秀な人材であったことを豊岡は知らなかった。
しかし、エンプロビジョンの業績は徐々に低下していた。
その原因は離職率の高さであった。
エンプロビジョンは高い専門性を持つ人材を売りにしており、高津は優秀な人材を次々と採用していた。
この人材のほとんどはアクシススタッフ経由で派遣されていたが、親会社の言い値で単価が設定されるため、従業員の給与を低くせざるを得なかった。
高津からは再三、給与の引き上げを要請されたが、豊岡は頑として受け入れなかった。
アクシススタッフでは、人材を安く調達するというDNAが受け継がれており、豊岡はこれをエンプロビジョンにも忠実に踏襲していた。
加えて、品田の不興を買いたくない心理が働いていた。
優秀な営業がいれば、アクシススタッフ以外のIT企業に目を向けることができたはずだった。
しかし、豊岡は先輩である品田を完全に当てにしており、営業も自分の後輩で親しい間柄という理由で綾部に任せていた。
転機が訪れたのは、翔動という聞いたこともない会社からの買収提案だった。
***
「アクシススタッフさんの取り分は多いみたいですけどね」
田代と名乗った女性の発言に豊岡は驚いた。
この時、副社長となっていた品田からは、「顧客からのコスト要求が厳しくて」と言われていたためだ。
豊岡は学生時代から付き合いのある品田に対して、絶大の信頼を持っていた。
しかし、品田のうろたえ方は尋常でなかったことから、田代の指摘が正しいことが察せられた。
「しゃ、社長!」
「なんだ?! 今は重要な会議中だぞ!」
さらに、綾部から下山が退職するとの一報が入った。
下山はエンプロビジョンの稼ぎ頭であり、象徴的存在であった。
アストラルテレコムで勤務する下山は、顧客にとっても、求職者にとってもアピールできる存在であったためだ。
そのことを品田も承知しており、彼はあっさりとエンプロビジョンを手放した。
かくして、豊岡はアクシススタッフに入社以来、頼りにしていた品田とのつながりが絶たれた。




