第137話 直接雇用
「エンプロビジョンの人材をデルタファイブによこしてほしい」
似鳥は直球をど真ん中に投げてきた。
「私なら、デルタファイブにふさわしい人材の基準を把握しているからということですか?」
「理由の一つはそうだ」
どうやら正解を引き当てたらしい。
「ん、ほかに理由があるんですね」
「知ってのとおり、中間採用が芳しくない」
就職氷河期とはいえ、ITエンジニアは売り手市場だ。
デルタファイブは米国などの海外では知名度が高い会社であるが、国内の知名度は今ひとつであった。
景隆の部署でも、人材派遣企業から派遣されたエンジニアが常駐しており、その割合は徐々に増えていた。
人材派遣企業の中には、かつて柊が所属していたアクシススタッフの人材も含まれている。
現在は上田がアクシススタッフの人材の引き抜きを精力的に行っており、景隆が知っているアクシススタッフの人員もエンプロビジョンの社員になる可能性がある。 ※1
デルタファイブの求めるスキルレベルは高く、景隆であればその水準を見極めたうえで、その人材を提供することを期待しているのだろう。
(俺もそれなりに評価されているってことかな)
似鳥を前にして、デルタイノベーションで発表した内容が評価された可能性はありそうだ。
「中間採用ということは、まさか――」
「そのまさかだ」
二回目のまさかだった。
「エンプロビジョンの人材がデルタファイブに値する人物であるならば――」
「デルタファイブに社員として迎え入れたい」
似鳥の発言は業界の倫理的に問題となる場合がある。
一般的に派遣元の会社からの引き抜き行為は、派遣元企業との信頼関係を損ない、業界全体の評判に悪影響を与える可能性が考えられる。
加えて、派遣元の会社との契約次第では、契約違反や損害賠償請求などの法的リスクが発生する可能性がある。
似鳥はそれらを理解しているうえで、景隆に提案をしていると推察した。
「派遣期間を短くし、契約満了後にデルタファイブが直接雇用しても、問題が発生しない契約がしたいということですね」
「さすが経営者だな。満点だ」
似鳥は感心していた。
「エンプロビジョンにとっての利点はなんでしょうか」
景隆はデルタファイブの社員モードから、経営者モードに切り替えた。
相手が会社の重役とはいえ、この場では対等な交渉をする必要がある。
「エンジニアには教育が必要だ。デルタファイブが提供しているトレーニングを無償で提供しよう」
デルタファイブでは外部向けの教育事業を行っている。
特に自社製品のコースはその専門性から、顧客から一定の需要がある。
ベンダー認定試験のコースなどもあり、デルタファイブのトレーニング費用は高めに設定されている。
(ふむ、悪くないな)
エンプロビジョンの人材は、ユニケーションを利用した自己学習を推進しているが、これをどこまで実施するかは各人の自主性に委ねられる。
対面のトレーニングを行うことで、強制力が働き、全体的なスキルの底上げが期待できる。
いつもであれば、持ち帰って柊に相談するところだが、ここは景隆が自身で決断すべきところだと直感的に感じた。
「わかりました。加えて、デルタファイブへの雇用が確定したら、リクルーティングフィーと同じ金額をいただける契約なら受けます」
「む、そう来たか……」
リクルーティング会社に支払う費用は、その人材の年収の二割から三割が相場といわれている。
採用側からすると大きな出費であるが、景隆はこの条件を飲むと踏んでいた。
リクルーティング会社経由で採用するエンジニアに比べて、実績がある人材を雇用したほうが、はるかにリスクが低いためだ。
「わかった、それで行こう」
似鳥は景隆とがっしりと握手した。
「ちなみに、石動が断ったら、ほかにこの話をするつもりだったんだぞ」
景隆が即決したのは正解だったようだ。
※1 「芸能界に全く興味のない俺が、人気女優と絡んでしまった件」166話 https://ncode.syosetu.com/n8845ko/166/