第128話 鷺沼の覚醒
「こりゃたまげた……」
鷺沼はただただ脱帽していた。
鷺沼はグローバル企業であるデルタファイブの中でも屈指のエンジニアである。
幾多の重要なプロジェクトに参画し、リーダーシップを発揮していた。
鷺沼は海外からも高く評価され、全世界を対象としたアワードも獲得している。
社外でも、エンジニアのコミュニティ活動に積極的に参加しているため、業界内での知名度は抜群に高かった。
直近では、サイバーセキュリティのコンペティション『サイバーバトル』 ※1 にチームリーダーとして参加し優勝したほか、ウェブアプリケーションの技術イベント『Web Tech Expo』の座長を務めていた。
OSS (オープンソースソフトウェア)の活動にも活発に取り組んでおり、世界中で使われているソフトウェアのコミッター(ソースコードの修正や新機能の追加を行う権限を持つ開発者)の一人でもある。
このような幅広い活躍から、鷺沼の存在は世界中の業界関係者から認知され、彼女はトップクラスの技術者との交流関係を持っていた。
したがって、鷺沼はどの技術領域においても、優秀なエンジニアの名前を挙げることができた――これまでは。
鷺沼の強力なレーダーでも捕捉できなかった存在が目の前にいた――新田と柊である。
「柊、ここは基底クラスにしたほうがいいんじゃない?」
「そう? ちょっと、冗長じゃないかな?」
新田と柊はコードレビューを行っていた。
コードレビューはソースコードを開発チーム内でチェックし、品質を高める作業だ。
二人が作成したプログラムは、すでにユニット(単体)テストを通過しており、問題なく動作していた。
新田と柊はさらに品質を高めるために、一切の妥協を許さなかった。
「鷺沼さんはどう思いますか?」
「そうですね、私なら――」
新田と柊は高い技術力を持ちながらも、第三者の見解を求める謙虚な姿勢を持っていた。
技術を愛する鷺沼にとって、二人との会話はいつも刺激があり、興奮を覚えるほどだった。
「じゃあ、柊、これはCIにまわしておいて」
「はいよ」
鷺沼を驚かせたのは、継続的インテグレーション(CI)という仕組みだ。
これはプログラムのソースコードを自動的にテスト、ビルド、デプロイなどを行う仕組みで、鷺沼も概念としては知っていた。
翔動ではCIのツールを実装・運用しており、存分に活用していた。
鷺沼にとっては未来の開発環境のあるべき姿を、タイムマシンで見せられているようだった。
(きっと柊さんの仕業だな)
鷺沼にとって柊は謎だらけで、興味が尽きない存在だった。
鷺沼は最先端の技術を追いかけている自負があったが、柊はその先を見据えていた。
そして、その柊の知識を具現化しているのが新田であると鷺沼は踏んでいた。
新田の技術力は凄まじく、世界トップレベルの技術者と比肩するほどであった。
あまりにも高い水準であるため、鷺沼だからこそ、新田の真価を理解していた。
「鷺沼さん、テストが前倒しで進んだので、竹野くんをどこかで使おうと思っているのですが――」
「ふむ、そうですね……残っているテストはモックを作るのはどうでしょう」
「たしかに、いいですね。そうなるとタスクの組み換えを――」
下山は鷺沼のアドバイスに従って、プロジェクトを上手く管理していた。
プロジェクトは鷺沼が見たこともないようなツールで管理されており、これも柊が発案したものだろうと推測した。
(なんか、石動くんを十年くらい修行させたのが、柊さんって感じなんだよなぁ……)
鷺沼は以前から、景隆と柊に何らかの共通点があるように思えたが、それが何であるかは漠然としていた。
「鷺沼さん、データベースとAPIをどうドキュメントにまとめたらいいかを相談したいのですが」
「どれどれ?」
鷺沼は景隆と白鳥、二人の後輩の相談に乗っていた。
彼らはデルタファイブの中核を担うエンジニアに育っていくと思っていたが、このままだと――
「鷺沼さん、どうかしましたか?」
「石動くん、ごめんよぉ」
「は? なんかやらかしました?」
景隆は怪訝な顔をして、鷺沼に問いかけた。
「んにゃ、ちょっと謝りたかっただけ」
「??」
おそらく景隆は理由を言っても、本気にはしないだろう。
鷺沼は景隆から優秀な人材がそろっていると聞いてはいたものの、小規模の事業者で出来ることは限られると思いこんでいたのだ。
今、鷺沼が目の当たりにしている光景は、彼女の常識を根底から覆した。
僅かな期間であるが、翔動で得られる経験は、鷺沼のエンジニアとしてのキャリアにおいて、転換点となるほど大きくなる予感があった。
「私も、本気でいくよ」
※1 「芸能界に全く興味のない俺が、人気女優と絡んでしまった件」 97話 https://ncode.syosetu.com/n8845ko/97/