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こいゆび、ひみつ  作者: 地熱スープ
月村陽太の章
9/21

陽太と琴音

それから数日後。陽太は悩みを抱えたまま自室でゲームをしていた。画面に集中しようとしても、胸の奥にはまだあの日の出来事へのざわつきが残っている。


そんな中、階下から玄関が開く音が響いた。続いて、葵の聞き馴染んだ声と、琴音の控えめな声が重なって聞こえてくる。


「ただいま~!」「お邪魔します!」


その声に、陽太は思わずゲームの手を止め、コントローラーを強く握りしめた。琴音の声が耳に届いた瞬間、胸の奥で何かが強く跳ねる。鼓動は急に速くなり、手のひらにはじんわり汗がにじんでいた。


湯気で曇った浴室。その中で慌てて体を隠そうとする琴音。その記憶は鮮明すぎて、頭から追い出すことなど到底できなかった。


「くそっ…」


陽太は小さく呟きながら壁にもたれかかった。最近、自分でも理解できない感情に振り回されていることに困惑していた。原因が琴音だと思うたび、胸の奥で苛立ちが募り、それをどう処理すればいいのかわからなかった。


そんな中、階段を上がる軽快な足音が響いた。陽太は緊張して身構えたが、ドアをノックしたのは葵だった。


「ちょっと陽太、たまには自分から出てきて挨拶くらいしたら?琴音も来てるんだからさ。」


葵の言葉に渋々立ち上がった陽太は、リビングへ向かった。そこで琴音と目が合う。彼女は少し照れたような笑顔を浮かべていて、その柔らかな表情に一瞬視線を奪われた。


しかし陽太はすぐに視線を逸らし、「…ああ」と短く返事をする。その声には隠そうとしても隠しきれない動揺が滲んでいた。


葵は二人の様子には特に気づいていない様子で、「ちょっとお菓子買ってくるから、その間陽太は琴音の相手しといて」と言い残し、玄関へ向かった。


「え?」


陽太は思わず声を上げそうになった。琴音と二人きりになるなんて――そんな状況は想像すらしていなかった。


***


葵が出て行った後、リビングには妙な静けさが広がった。玄関のドアが閉まる音が遠ざかると、部屋の中には時計の針が刻む音だけが響く。


テーブルの上には飲みかけのジュースとお菓子の袋が残り、カーテン越しに差し込む午後の日差しが、二人の影を淡く床に落としている。


陽太はソファの端に座り、手持ち無沙汰に指をいじっていた。琴音は膝の上で手を組み、視線を落としたまま時折陽太の方をちらりと見るが、すぐに目を逸らす。


外からは遠くで遊ぶ子どもたちの声や、車のエンジン音が微かに聞こえてくる。しかし、リビングの中はまるで時間が止まったかのような沈黙に包まれていた。


その沈黙が、二人の間の距離をより強く意識させていた。


琴音は小さく息を吸い込みながら口を開きかけたものの、視線は揺れ、結局言葉を飲み込んでしまった。


一方で陽太は内心で激しい葛藤に揺れていた。琴音を見るたびに、湯気に包まれた浴室での光景が鮮明に蘇る。あの日感じた胸のざわつき。そして、それから起こった「白い染み」のこと。それらすべてが頭から離れない。


「全部…コイツのせいだ…」


怒りとも恥ずかしさともつかない感情が胸を締め付ける。それでも、それをどう言葉にすればいいかわからず、陽太はただ視線を逸らすことしかできなかった。


突然、陽太は椅子から勢いよく立ち上がった。


「ちょっと、来い。」


琴音は「えっ?私?」と驚いた表情を浮かべながらも、おずおずと陽太の後についていった。二人は無言のまま陽太の部屋へ入り、ドアが閉まると重たい静寂が広がった。


「お前のせいだぞ!」


陽太は振り返りざま声を荒げた。その声には怒りだけではなく、どこか説明しきれない戸惑いも滲んでいた。


「えっと…何のこと?」


琴音は目を見開き、一瞬何を言われたのかわからない様子だった。しかしすぐに眉を寄せ、真剣な表情で陽太を見つめた。


陽太は顔を真っ赤にしながら、言葉を絞り出すように口を開いた。


「夢にお前が出てきて…朝起きたら変なものが出たんだよ!白い…おしっこみたいなやつ。」


琴音は一瞬固まった。しかしすぐに「あ…」と小さく声を漏らした。その表情には理解と戸惑いが交じっていた。


「それって…どういう意味?」


琴音は真剣な眼差しで陽太を見つめた。そして少し考え込むように首を傾げた後、「ちょっと調べてみようか。」と言いながらスマホを取り出し、画面を操作し始めた。


「えっと…『白いおしっこ』『夢』『男の子』…」


琴音は小さな声で呟きながら検索ワードを入力していく。その様子に陽太は顔が熱くなる感覚をごまかそうと視線を逸らしたが、結局琴音の指先がスマホ画面を操作する様子から目を離すことができなかった。


胸の奥で広がるざわつき。それが何なのか自分でも理解できず、ただじっと待つしかない。


リビングには時計の針が刻む音だけが響き、二人だけの静けさが広がる中で、琴音はスマホ画面に視線を落としながら情報を読み進めていった。時折「うん」「なるほど」と小さく呟きながらスクロールするその姿は、どこか落ち着いていて頼りがいすら感じさせた。


***


数分後、琴音は顔を上げた。


「へえ、そうなんだ。男の子ってこうやって成長していくんだね。」


その柔らかな笑顔と言葉に陽太は一瞬戸惑った。「え?」


琴音は優しい眼差しで説明を始めた。


「これは『精通』っていうんだって。男の子が大人になっていく過程で起こる自然なことなんだよ。」


陽太は言葉を失った。自分が悩んでいたことが普通のことだと知り、一瞬胸の奥に安心感が広がった。しかしその直後、琴音への苛立ちや自分自身への恥ずかしさが押し寄せてきた。


「そうなのか…」


陽太は小さく呟きながら琴音の言葉を頭の中で反芻した。そして顔をしかめながら突然言い返した。


「高校生なのにそんなことも知らないわけ?バカじゃねえの?」


その言葉に琴音は目を見開き、一瞬言葉を失った。その眉間には小さな皺が寄り、視線は揺れているようだった。しかしすぐに照れ笑いを浮かべながら返した。


「うん…私、そういうこと全然知らなくて。ごめんね。」


琴音は困ったように頭を掻きながら、小さく笑みを浮かべた。その仕草にはどこか申し訳なさと優しさが混じっているようだった。


陽太は琴音の反応に少し戸惑った。自分が投げた言葉に対して怒るでもなく、むしろ素直に受け止めている彼女。その姿に何とも言えない気持ちが湧き上がる。


琴音の困り眉と照れ笑い。その素直で優しい表情が、陽太の胸にじんわりと温かさを広げていく。それは怒りや苛立ちとは違う、不思議な感覚だった。


そのやり取りを通じて、二人だけが共有する小さな秘密が生まれた。それは言葉にはできないけれど、不思議と心を繋ぐような感覚だった。


陽太は恥ずかしさと苛立ちが少し和らぎ、琴音への見方が少しずつ変わっていく自分に気づいていた。その変化は微かでありながらも確かなもので、胸の奥で静かに広がっていくようだった。


***


それ以来、陽太は琴音を「琴音」と呼び捨てで呼ぶようになった。それまで素っ気なかった態度も、琴音と接するたびに少しずつ柔らかさを帯びていった。


月村家の廊下ですれ違う時も、以前なら目も合わせず通り過ぎていた陽太だったが、今では小さく頷いて挨拶を交わすようになった。その仕草にはまだぎこちなさが残っていたものの、それでも琴音には嬉しかった。


一方で琴音も、自分でも説明できない感情に戸惑っていた。胸が高鳴るたびに顔が熱くなり、陽太の姿を無意識に目で追ってしまう自分に気づく。そのたびに、「この気持ちは何だろう」と心の中で問いかけることが増えていった。


二人の間には少しずつ変化が生まれ始めていた。それはまだ言葉にはできないけれど、お互いへの意識が確実に変わり始めている証だった。


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