ミケ
ゴールデンウィークも終わり、若葉が輝きを増す初夏の気配が漂う5月半ばの午後。まだ肌寒さの残る朝とは打って変わり、柔らかな陽射しが肌を温めるような穏やかな時間帯だった。
その日も琴音は、何かしらの口実を作って葵の家を訪れ、月村家の縁側で飼い猫のミケと戯れていた。
庭には鮮やかな緑が広がり、そよ風が若葉を揺らして吹き抜けていく。庭の隅では早咲きの藤の花が淡い紫色の房を揺らし、その香りが風に乗って漂っていた。
三毛猫のミケは月村家に来たばかりの新入りだった。
葵によれば、近所の空き地で見つけた野良猫で、家族全員で話し合った末に引き取ることになったという。まだ1歳にも満たない若い猫だが、その静かな佇まいにはどこか大人びた落ち着きが感じられた。
ふわふわとした毛並みは白地に黒と茶色の斑模様で、美しく整った顔立ちにはどこか気品すら漂っている。その大きな琥珀色の瞳は好奇心に満ちており、周囲を見渡すたびに輝きを放っていた。
琴音はミケの柔らかな毛を優しく撫でながら、「かわいいね、ミケ」と話しかける。ミケは琴音の膝の上で丸くなり、小さな尻尾を時折ゆっくりと動かしていた。その仕草を見ているだけで心が和らぎ、琴音は思わず微笑む。
しかし、突然ミケが落ち着きなく体を揺らし、嫌がるように身をよじらせた。
驚いた琴音は手を止め、「どうしたんだろう?」と首をかしげながら小さく呟いた。
その時、庭の隅から陽太の声が聞こえた。
「おい、それじゃミケ嫌がるぞ。」
琴音は驚いて振り向いた。陽太は庭に出てきて、眉間に軽く皺を寄せながら近づいてきた。その姿に琴音は一瞬緊張して体が硬直したが、すぐに「そっか、ごめんね」と素直に頭を下げた。
陽太は小さく溜息をつきながら、「こうやって撫でるんだよ」と言い、ミケのそばにしゃがみ込む。
その手つきは慣れたもので、ミケの頭から背中へと優しく滑らせていった。ミケも気持ち良さそうに目を細め、小さな喉鳴りまで聞こえてくる。
「なるほど…こうするんだね。」
琴音は陽太の手元をじっと見つめ、その動きを真似してみた。すると今度はミケも嫌がることなく気持ち良さそうな顔になる。
「ほらな、簡単だろ。」陽太は軽く肩をすくめながら立ち上がった。その顔にはほんの少しだけ満足げな表情が浮かんでいる。
猫を撫でながら微笑む陽太。その表情にはこれまで見たことのない柔らかさがあり、琴音は思わずその姿に目を奪われた。
普段ぶっきらぼうで無愛想な態度とは違い、今の陽太の目は優しく輝き、唇の端にはほんのりと笑みが浮かんでいる。その意外な一面に触れた瞬間、琴音は胸が少し早く鼓動するのを感じた。
「こんな表情もできるんだ...」
胸の奥でじんわりとした温もりを覚えながら、琴音はその姿に見入ってしまった。陽太のこの新しい一面を発見できたことに、小さな喜びを感じる。
そして、その笑顔につられるように、自分も自然と微笑んでいることに気づいた。頬が少し熱くなる感覚に戸惑いつつも、それ以上に心地よかった。
「ありがとう、本当に助かったよ。」
琴音がそう言うと、陽太は「別に」と短く返事をしながら庭を後にした。その背中を見送りながら、琴音は胸の奥でじんわりと広がる温もりを感じていた。
「また話せたらいいな...」
密かな期待を抱きつつ、琴音はそっとミケを撫で続けていた。