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こいゆび、ひみつ  作者: 地熱スープ
来栖琴音の章
3/21

葵に相談

次の日の登校路。琴音は足取りこそ重かったものの、昨日より少しだけ心が軽くなっていた。桜の花びらが舞う坂道を上りながら、制服のスカートの裾を無意識に押さえる。スクールバッグの肩紐が食い込む感覚とともに、新しい生活への緊張感もまだ残っていた。


「おはよ、琴音。」


振り向くと、自転車を押しながら月村葵がゆっくり近づいてくる。肩は前かがみに傾き、制服のリボンは少し歪んでいる。

目元には薄っすらと隈が浮かび、あくびを噛み殺すように口元を手で覆っていた。その姿はまるで夜から抜け出してきたようで、朝の日差しすら彼女には重そうだった。


「あ、おはよう...葵ちゃん。」


「ふぁ~あ…眠む…今日もよろしく~…」


葵は気だるげな声で言いながら琴音の横に並ぶ。その足取りはだらだらとしているけれど、不思議と自然体だった。


歩きながら鞄から飴玉を取り出した葵は、それを軽く手渡そうと琴音に差し出した。


「この辺りさ、朝露が光ってて綺麗なんだよね。葉っぱとか花びらについてる水滴とか見るとさ…まあ、それでも朝起きるの嫌だけど。」


その飾らない言葉につられて、琴音も自然と笑みを浮かべた。親しみやすい笑顔と気取らない態度。それだけで、この新しい町で感じていた緊張感が少しずつほぐれていく気がした。


***


昼休みの教室。生徒たちの賑やかな会話と笑い声が飛び交う中、窓から吹き込む春風がカーテンを揺らしている。その風にはほのかな花の香りが混ざり、生徒たちの日常と穏やかな季節感が溶け込んでいた。


葵は椅子に深く腰掛け、背もたれに寄りかかりながら紙パック飲料を片手で持ち、もう片方の手にはおにぎり。だらしない姿勢ながら、その様子にはどこか自由な雰囲気が漂っていた。


「で、琴音。」


机を合わせた葵は紙パック飲料のストローを咥えたまま、鋭い視線で琴音をじっと見つめてきた。その目には眠そうな光と鋭さが同居している。


「さっきからモジモジしてるけど何かあった?」


琴音は弁当箱を開けていた手を止め、視線を落とした。胸がざわつき始める。言葉にならない感情と昨日のできごとの記憶。それらが絡み合い、喉元で詰まってしまう。


その瞬間、小さなミニトマトが弁当箱から転げ落ちそうになった。

葵は紙パック飲料を机に置き、一瞬で手を伸ばしてそれを掴んだ。その俊敏な動きは普段の気だるげな姿勢からは想像もできないものだった。


「ほら。」


軽く笑みを浮かべながらミニトマトを琴音に渡す葵。その飾らない態度につられて、琴音も思わず口元に笑みが浮かんだ。


「机が傾いてるよ。」


「あ、ありがとう…」


琴音は弁当箱を机の上に置き直した。その手は少し震えている。


「実は...昨日、ちょっとびっくりするようなことがあって...」


葵は眉をぴくりと動かし、紙パック飲料を机に置いた。その目には興味と少しの驚きが浮かんでいる。教室内では賑やかな声が飛び交っているけれど、その瞬間だけ二人の間に静けさが広がったようだった。


「昨日ね、初めて公衆浴場?温泉かな…に行ったんだけど、その…男の子が入ってきちゃって…」


「男の子?」


「小さい男の子っていうか…わりと大きい男の子なんだけど…」


「あ〜、それねぇ…」


葵は軽く肩をすくめながら言った。


「この辺りだと、小学生くらいまでなら男湯でも女湯でも自由に入れるんだよ。」


琴音は目を丸くして驚いた。「えっ!?そうなの?」


「最近じゃ、6歳くらいまでしか異性のお風呂に入れないみたいだけど…」


葵は紙パック飲料を手に取りながら軽く肩をすくめた。その口元には微かな笑みが浮かんでいる。


「琴音、動揺しちゃった?」


琴音は顔を上げることができず、スカートのプリーツをぎゅっと摘んだまま、小さな声で答えた。


「だって…その…男の子っていうか…初めて見るものだったから…」


「初めて見るものねぇ~。」


葵は目元にいたずらっぽい光を宿しながら言葉を繰り返した。その声にはどこか楽しげな響きがある。


「まあ、それはびっくりするよね。仕方ないって。」


葵は椅子に深く腰掛けながら紙パック飲料を手に取り、軽く肩をすくめた。

その口元には微かな笑みが浮かんでいる。


「琴音が前に住んでたところと比べると、この辺りってちょっと雑なのかもね。」


紙パックからストローで飲み物を吸いながら、葵は窓の外へ視線を向けた。

教室内では賑やかな声が飛び交っているけれど、この会話だけは二人だけしか知らない秘密めいた空気で包まれていた。


琴音は耳元まで熱くなる感覚に気づきながら、机上のお弁当箱に視線を落とした。指先で蓋をそっと押しやるように触れながら、一瞬迷った末につぶやく。


「葵ちゃんって…そういうの、見たことある?」


「えっ?何が?」


わざと目を丸くしてみせる葵。その仕草には明らかなからかいが込められている。


「…男の子の体…だよ。」


琴音は恥ずかしそうに言葉を絞り出した。その瞬間、自分でも心音が早まるのを感じた。


「あるよ。裏も表も知ってる。」葵は楽しそうに答える。


琴音はそれを聞いて「どうゆうこと?」と頭をフル回転させ固まってしまう。



葵は笑みを引っ込めて真顔になり、紙パック飲料を机に置いた。

その目には少しだけ真剣さが宿っている。


「実は私、弟がいるんだ。」


「へ?」


「陽太って言うんだけどさ。」


葵は窓の外へ視線を移しながら続けた。


「今度さ、うちに来てじっくり『観察』してみる?」


その瞬間、琴音の脳内で時間が止まった。体育館から聞こえるボールが床を弾く音や教室に漂う埃っぽい空気。それらすべてが一瞬遠ざかり、この言葉だけが鮮明に響いていた。


「ど…どういう…」


「あはは!冗談だよ冗談!」


葵は高笑いしながら椅子にもたれかかった。その声につられて、一瞬だけ教室内の視線が二人に集まる。しかし、生徒たちはすぐ自分たちのおしゃべりへ戻っていった。


「でも琴音、本気で悩んでるみたいだからさ。」


葵は紙パック飲料を手に取りながら軽く肩をすくめた。その飾らない態度につられても、琴音は顔を上げることができない。


「葵ちゃんは軽く言うなあ…」


琴音は弁当箱のふたを閉じると、それを机の上で無意味に回し始めた。


「だからさ。」


葵は椅子から立ち上がり、窓際へと歩いていった。窓枠に腰掛けて外を見るその姿には、不思議な余裕が漂っている。そして振り返りざまに言った。


「気になるなら確かめてみたらいいじゃん。私が協力してあげる。」


その言葉に琴音の手元が止まる。弁当箱から滑り落ちた箸が机に当たり、小さな音を立てた。


「でも…どうやって…?」


「じゃあさ、今日の放課後うち寄ってみる?陽太、多分サッカー帰りで汗だくだと思うけど。」


葵はひらりと席へ戻りながら軽く笑った。その無邪気な提案とは裏腹に、琴音は胸の中でざわつく感情をごまかせない。



黙って弁当箱を片付け始める琴音。頬が熱くなる感覚をごまかすように前髪で顔を隠しながらも、その赤みだけはどうしても隠しきれなかった。


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