表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こいゆび、ひみつ  作者: 地熱スープ
募る思い
19/21

満たされた帰り道

試合が終わると、グラウンドには夕方の風が吹き始めていた。


西の空は茜色に染まり、芝生の上には長い影が伸びている。


両チームの選手たちは汗だくのまま控え室に戻り、帰り支度を始めていた。陽太のチームは惜しくも引き分けだったが、みんなが肩を組み、泥だらけの顔で笑い合っている。その達成感に満ちた声が、グラウンドに心地よく響いていた。


観客席も少しずつ人が減り、琴音はベンチに座ったまま、まだ余韻に浸っていた。


(陽太くん……本当に一生懸命だったな)


「琴音、これから私たちファミレスだけど、みんなで集まって打ち上げするけど、一緒にどう?」


葵がタオルで首筋を拭いながら、明るい声で誘ってくる。髪の毛の先からも汗が滴っていて、今日一日を全力で過ごしたことが伝わってくる。


「……ううん、今日はこのまま帰るね」


琴音は小さく首を振り、視線をグラウンドに残したまま答えた。指先でタオルの端をいじる。


「そっか、用事でもあるの?」


「ううん、特にないけど……今日は、なんだかこのままがいいの」


「ふーん、まあ今日も良いもの見れて満足したのかな」


葵は冗談ぽく笑い、琴音の肩を軽く小突く。


「葵ちゃんはすぐそういうことを言う」


琴音は唇を尖らせて言い返すが、その頬はほんのり赤い。


「まあ私も琴音との約束果たせて良かったよ。で、どうだった?陽太の裸は」


「もう……」


琴音はさらに膨れっ面になり、タオルで頬を隠す。


でも本当は、陽太の裸ではなく、ピッチで輝いていた彼の姿を見られたことが、何より嬉しかった。


葵はニヤニヤしながら手を振る。


「じゃあ気をつけて帰ってね!」


「うん、ありがとう」


夕暮れのひんやりとした風が、汗ばんだ琴音の首筋を優しくなでていく。グラウンドの向こうで、陽太の笑い声がまだ微かに聞こえている。


琴音は胸の奥に小さな灯りを抱えながら、ゆっくりと帰り道に歩き出した。


***


市民グラウンドを離れ、住宅街の静かな道をひとり歩く。夕焼け空が西の空を茜色に染め、アスファルトの上に伸びた自分の影が、ゆらゆらと揺れていた。蝉の声が遠くで響き、どこかの家からカレーの匂いが流れてくる。


(あの笑顔だけで、十分――)


琴音はふと立ち止まり、そっと空を見上げる。頬に夕風が触れ、汗ばんだ肌がひんやりと冷えていく。

陽太がゴールを決めた瞬間、仲間たちと肩を組んで見せたあの笑顔。


汗と泥にまみれた顔が、今までで一番まぶしくて、胸の奥に小さな灯りがともるような温かさが広がる。


今日、陽太に話しかけたわけでも、特別な出来事があったわけでもない。それでも、ピッチで全力で走る陽太の姿や、仲間と笑い合う無邪気な表情を、遠くから見守ることができた――そのことだけで、胸がいっぱいになるほど幸せだった。


「好きな人を応援できて、その笑顔を見られるだけで、こんなに満たされるんだ……」


小さくつぶやきながら、鞄の中の応援タオルをそっと撫でる。指先に残る布の感触と、昨夜の自分の頑張りが重なって、自然と頬がゆるむ。


「好きな人……」


自分の声が思いのほか大きく響いて、琴音ははっとして立ち止まる。


でも、胸の奥にぽっと小さな灯りがともるような、静かな幸せが広がっていく。


家までの帰り道、琴音は何度も夕焼け空を振り返った。オレンジ色の光が髪や制服をやわらかく染め、影が長く伸びていく。


胸にあふれる幸福感を抱えながら、静かな足取りで歩き続ける。けれど、心の中はどこか軽やかだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ