実行(1)
次の日曜日の朝。琴音は鏡の前で髪を整えながら、胸の高鳴りを感じていた。今日は陽太との特別な約束の日。家族には友達と映画を見に行くと嘘をついて家を出た。
一方、陽太も家を出る前に深呼吸を繰り返していた。父親には友達の家に遊びに行くと伝えたものの、胸には期待と不安が入り混じったざわつきが広がっていた。
二人は近所の温泉街で待ち合わせた。石畳の通りには、大正時代から昭和初期に建てられた木造旅館が軒を連ね、その古めかしい佇まいがレトロな雰囲気を醸し出している。
通り沿いには土産物屋や食事処が並び、浴衣姿の観光客たちが行き交っている。湯煙があちこちから立ち上り、硫黄の香りが鼻腔をくすぐる。その香りはどこか懐かしく、この場所特有の穏やかな空気感を作り出していた。
***
人混みの中で目が合った瞬間、二人は一瞬だけ視線を絡ませた。その後すぐにお互い照れくさそうに微笑むものの、視線はすぐ足元へと逸らされた。
「ここで大丈夫かな?」
琴音はスマートフォンを取り出しながら、小さな声で言った。
「家族風呂って書いてあるけど…どうかな?」
陽太はスマホ画面を見るふりをしながら、小さく頷いた。
「…まあ、それならいいんじゃないか。」
スマホの画面には貸切温泉、貸切露天の情報が表示されていた。その施設は、大正時代から続く木造建築の趣を残しつつ、現代的な設備が整えられた家族風呂を提供している。
家族風呂は完全貸切制で、広々とした浴室と露天風呂が付いており、プライバシーが十分に守られた空間となっている。
さらに、浴室からは緑豊かな山々や渓流が望める設計になっており、自然に包まれた静寂の中で心身ともに癒されるという特徴も書かれていた。
その情報に琴音は目を留めながら、この場所なら二人だけで過ごせる特別な時間を持てるかもしれないと感じていた。
陽太は頷きながら、胸の奥で鼓動が速くなる感覚を抑えきれず、顔を赤らめた。
「ああ…行こう。」
そう話しているうちに目的地に着いた。
施設の門をくぐると、歴史を感じさせる木造の外観と、手入れの行き届いた植栽が出迎えてくれる。
玄関を入ると、畳敷きのロビーには檜の香りがほんのりと漂い、壁には地元の風景画や温泉街の写真が飾られていた。大きな窓からは緑豊かな山々と渓流が望め、窓際のベンチでは湯上がりの客が静かにくつろいでいる。
受付へと続く廊下には柔らかな照明が灯り、赤い絨毯が足元に敷かれていた。廊下の途中には温泉の効能や観光案内の掲示も見える。二人はその落ち着いた空間に包まれながら、受付へと向かった。
受付に立つ琴音は、小さく息を吸い込みながら緊張した声で話し始めた――
「あの…家族風呂を2人でお願いしたいんですが。」
「ご家族ですか?」
受付の女性が柔らかな声で尋ねる。
「はい…兄妹です。」
琴音は即座に答えたものの、その声には微かな震えが混ざっていた。陽太は驚いた表情を隠しきれず、一瞬目を見開いた。しかしすぐに視線を逸らし、ごまかすように小さく咳払いした。
料金を支払い、二人は案内された家族風呂へ向かった。廊下には柔らかな照明が灯り、静けさが漂っている。その静寂が二人の緊張感をさらに際立たせていた。
更衣室前で立ち止まった二人は、一瞬だけ視線を絡ませた。その視線にはお互いへの戸惑いと期待が揺らめいていた。
「じゃあ…入る?」
琴音は小さな声で尋ねた。その言葉には不安と期待が入り混じっている。
「ああ…」
陽太も同じように小さく返事をした。その声には隠しきれない照れくささが滲んでいた。
***
二人は同じ更衣室のドアを開け、中へ入った。木目調の壁と簡素なベンチだけで構成された狭い空間。その静けさがかえって二人の緊張感を際立たせていた。
これから起こることへの高揚と戸惑いが、それぞれ胸の奥で渦巻いている。
琴音と陽太はお互い背中を向けて立ち、服に手を伸ばしていた。しかしその動作はどこかぎこちなく、手元には微かな震えが感じられる。
琴音はカーディガンのボタンに手をかけながら、胸元で鼓動が速くなるたび、自分でも抑えきれない緊張感が広がっていることに気づいた。
「私、こんなこと提案しておいて…」と心の中でつぶやきながら、背後から聞こえる陽太の服を脱ぐ微かな音に耳を傾けた。その音は琴音の耳に直接響くようで、胸の奥でざわつきを引き起こしていた。
同時に――好奇心と期待感も胸中で渦巻いている。「陽太くんの体、どんな風なんだろう…」という思い。それは恥ずかしさと入り混じりながらも、琴音自身でも抑えることのできない感情となって広がっていった。
一方、陽太もTシャツを脱ぎながら頭の中が真っ白になる感覚に襲われていた。「俺、琴音にどう思われるんだろう…」という不安が次々と頭をよぎる。
普段は気にならない体型や肌の状態が急に気になり、自意識過剰になっていく。それでも――琴音の姿を見ることへの期待感が、その不安を少しずつ押し流していった。
更衣室内では二人とも服を脱ぐ動作がぎこちなくなり、その静けさがかえって二人の緊張感を際立たせていた。琴音はカーディガンのボタンを外しながら、「やっぱり無理かも…」と思い始める。
しかし同時に、「でも、陽太くんも同じように緊張してるんだ」という安心感も胸中で広がっていた。その矛盾した感情に思わず苦笑してしまう。
陽太も背中越しに琴音の様子を気にしながら、「俺だけじゃないんだ」と少し安堵した。しかし――下着を脱ぐ段になると再び戸惑いが襲ってきた。
「これで本当に大丈夫なのか…」という迷いと、「でも、琴音と一緒なら大丈夫な気がする…」という期待。それら相反する思いが胸中で交錯し続けていた。