14:逃避先は思考の海
部屋に戻った先は闇。
いつもなら明かりが灯っている筈の廊下は真っ暗なまま。
一人で僕の帰りを待ってくれている白藤は、扉の開閉音が聞こえると、何をしていても作業を切り上げて…僕の出迎えをしてくれていた。
でも、今…それはない。
一昔前の金糸雀の部屋のような、誰からも照らされない暗い道を歩いた先に、何もせず、ただ座るだけの白藤が待っていた。
「ただいま、白藤」
「…おかえりなさい、鳩羽」
「君の方は、何事もなかったかい?」
「ええ…それよりも、あの…召集の鐘」
「大丈夫。既に解決している」
「…そう?」
立ち上がろうとした白藤を、とっさに抑えつける。
今、彼女に動かれるわけにはいかない。
彼女は鴉羽のように、割り切れている訳ではない。
あの二人を見たら酷く狼狽えて、あの二人と会えばまだ酷く罵られる。
何があろうとも、それだけは阻止しなければならない。
「ねえ、白藤」
「…なにかしら」
「君は一人の間、何事もなかった?」
「…ええ、なにも。私がいなくても、案外どうにかなるのね」
「…今は月白が臨時で籠守長の任を回してくれている。彼女だってかつて籠守長を務めていた存在だ。君より長い間籠守を務めた過去もある」
「それなら…」
「今、彼女の状況は籠守長を行う程の余裕はない。一時しのぎならともかくね」
「相手が、朱鷺様だものね…どうして彼女を希望したのかしら。一度引退して、私への引き継ぎが済んだら鳥籠を出る安全圏まで行ったのに…」
「金糸雀の専属を勤め、今回の人事編成で朱鷺の専属を引き当てた抹茶が即日殺害されたからだろう。籠守は万年人員不足だ」
「優秀な人だったのにね…」
優秀だったけど、彼女は卒がなさ過ぎて誰からも選ばれなかった。
唯一運がなかったと言えるのは…浅葱が来てしまった事ではないだろうか。
浅葱さえいなければ、金糸雀は少なくとも良好な関係を築けていた抹茶を選んでいただろうから。
椋は妥協して新橋を選び続けるだろう。
だけど金糸雀の容態は悪化して、帰郷を待たずして死に至る可能性が高くなる。
…その点においては、浅葱が来てくれてよかったのだ。
彼女がいたからこそ、金糸雀は救われたし…椋の支配も下火になった。
人一人の命が失った結果としては…上々なものだろう。
それとも、東雲の方に原因があるだろうか。
瑠璃とは専属就任時代から犬猿の仲だ。専属が変わるかもと予想されていた唯一の組み合わせ。
しかし、瑠璃は東雲を選んだ。
彼女自身、難しい病を煩っている。
東雲が専属についてから、最初に叩き込まれたのはその療養に使う設備の使用方法や薬の管理方法。それを行うスケジュールだ。
東雲は「追われるぐらいなら籠守になってのんびり暮らそうと思ったけど、空きがあのお嬢様だったのが運のツキだね。ま、豚箱暮らしするよりマシだけど」と述べていたし、やる気も全然見せていなかったが…覚えてはいたらしい。
残り一年。一から教え込むよりは覚えている存在を選んだだけ。
東雲がもっと不真面目なら…いや、こんなかもしれない話はもう考えずにいよう。
籠守になれるような優秀な人材が明日には恩寵を受けし者の裁量で死んでいるなんて、当たり前のことじゃないか。
余り物になってしまえば、今の籠守全員同じ末路を辿っていた可能性がある。
「でも、あれはちょうど人事編成が行われたタイミングでしょう?月白さんなら、誰でも好きな存在を選べただろうし…」
…ああ、流石に白藤には伝えていないか。
月白が朱鷺を選んだのは、名目上…純粋に他の籠守に任せるわけにはいかないから。
朱鷺には、椋の専属である新橋のように嬉々として危険人物の専属に名乗りを上げる存在はいない。
だから抹茶のように必ず誰かが貧乏くじを引く必要がある。
今回は、月白が大義と共に引き受けただけ。
全責任と共に、彼女の罪を精算するために———。
「月白にも何か考えがあるのさ」
「…貴方にも、共有されていないの?」
「ああ。どの情報を提示するか、彼女も結構気まぐれでね」
「変わった人ね…だからこそこんなところに十年以上もいられるのでしょうけど」
「それはまあ、言えている」
最も、彼女は逃げられないだけだ。
先の一件…僕も噂程度にしか聞き及んでいなかったのだが、月白が朱鷺の専属に就きたがった理由、彼女の大義を理解した。
整備士時代を含めたら、月白と同じぐらいここにいる新橋からも、当時に関わる証言を得ている。
◇◇
新橋の動向は、腕を折る前と比較して割とわかりやすくなっていた。
「今回も助かった。萌黄」
「いいっすよ、これぐらい。腕、大変なんすから。頼ってくれるのはすげぇ嬉しいっす!」
「頬をもにょるな萌黄…」
「もちもちっすねぇ」
片腕が使えず、家事雑務も不便を覚えている新橋が頼るのはいつでも萌黄。
二人は同時期に鳥籠に来た間柄だ。
浅葱と撫子のように、小豆と山吹のように彼女達も非常に仲が良い。
そんな彼女達の行動を追っていれば、ある程度のルーティーンを把握し、別行動を始め、部屋に戻る前に接触することは容易だった。
後は部屋に戻る前に引き留めるだけ。
「話をしたい」———その程度の願いは、拒否できないのだから。
…常々、この立ち位置が憎くなってしまうよ。
何でも出来る。何でも叶えられる。何でも用意される。
だけど僕が一番欲しいもの———白藤の安寧は、どんなにお金があっても、権力があっても…叶えられない。
でも、彼女の負担を軽くする為に出来ることはある。
これは、その一つ。
「それで…鳩羽様は何を私に?」
「月白のこと。特に僕らが知らない先代時代のね」
「先代時代の月白のこと、ですか」
「ああ。少し気になることができてね。教えてくれるかい、元整備士長殿?」
その役職名で呼ぶと、新橋は怪訝そうに僕を睨み付けてくる。
「…前の役職で呼ばないでいただけますか?それは今、私の部下だった者の肩書きですからね」
「ごめんよ。それで、本題のほうは」
「…答えない理由はありませんので、何が聞きたいのですか?私は整備士だった時期なので、籠守の動向までは知りませんからね?」
「勿論だとも。まずは、月白は先代時代、誰に仕えていた?」
「金糸雀様ですよ。出身地は今代の方の金糸雀の出身地と同じなんですよ。山奥の村なので印象深く、よく覚えています」
「へぇ…」
「貴方が欲しがっているのは、先代の専属任期中に月白が子を一人産んだことですか?」
「…そう。その情報が欲しい。君は何か知っている?」
「確か…秘色、でしたかね。当時の椋様の籠守をしていた男なのですが、そいつが月白へ無理に手を出しだのですよ。あの女が抵抗しないように、何度も暴行を加えたそうです」
「…それはどうして?」
「さあ。恋慕を受け入れて貰えなかったとかそういう単純な理由かもしれませんけど、月白は当時最年少ながら優秀すぎましたからね。他の籠守から見て面白くない理由でもあったのではないですか?」
「…なるほどね。月白はその事件で、後遺症とか」
「骨折とか打撲痕は完治していますが…片目を失明しています」
「そこまでの暴行が起きたのかい…?」
「私は現場を目撃していませんし、現場回りの設備損傷もなかったので…噂程度にしか聞き及んでいません。ただ、彼女が失明しているのは断言できますよ」
「その理由は?」
「月白の目は片方潰れていましたからね。義眼を作成しています。あれは私が作っているので」
「…生まれつきかと思っていたが、片方偽物だったのか」
失明したと聞いた時は、見えないだけかと思いきや、眼球自体を失っていたとは。
「わかりませんでしたか?そう見えるように作りましたからね。自信作です。ちなみに、青の方が本物です」
「じゃあ義眼は赤の方か。どうして色を変えたんだい?」
「本人の希望ですよ。でも、私の予想が合っていれば、赤にした理由も自ずと辿り着けますがね」
「…」
「鳩羽様もそれを追っているのでしょう?具体的には、消えた月白の赤子の行方を探っている」
「…ご明察。流石、勤続二年目の十六歳で鳥籠の整備士長に上り詰めた逸材だ。技術力も当然ながら、頭が回るね」
「お褒めいただき、恐縮です」
「今でも元部下が君を頼りに来るだけはある」
「…不出来な部下ばかりで困ったものですよ。教育を怠った私も悪いですが、鳥籠の設備はとにかく複雑すぎる。素人が下手に改造できないものですから、選りすぐりの技術者でも触るのに躊躇してしまうほどのものがあります」
鳥籠の設備は廃村地区で暮らしていた僕からしたら最新の代物で仕方が無いと思っていたのだが、技術者である新橋達でさえも悩ませる代物のようだ。
確かに、鳥籠周辺街の設備を確認しても、鳥籠には遠く及ばない。廃村地区のそれをまともにしたような印象を抱いた。
…色鳥という超常的な存在が関わっている場所なのだから、異常なのは仕方が無いのかもしれないが。
本当に、九年暮らしていても…何もかもが分からないことばかりだ。




