4:旅立つ前に
「ところで鳩羽」
「何かな」
少し話した間に、割と失礼で敬う精神を知らないことは理解したので、鳩羽も恩寵を受けし者として露草の呼び方を咎めることはない。
勿論、一緒にいる花鶏も白藤も諦めている。
上の立場にいる人間でも、こんな態度でやれる。
この世界の常識を破れる存在。
月白は招集時面談の際、彼女達に「貴重だ」と述べた。
その気になれば、恩寵を受けし者でも容赦なく害を与えられる覚悟と経験を持ち合わせるものを、月白は招集した。
全ては、ある目的を成し遂げるために。
「白藤籠守長ってさ、今の今まで人事異動しなかったわけ?ずっとお前相手に籠守やってんの?」
「当然さ!僕は白藤と相思相愛だからね!」
「マジですか?」
「…一緒にいて落ち着くのは事実ですから」
「ちなみに、他の連中から白藤の専属希望が出ても全部僕が突っぱねているからね」
「へぇ。引く手数多なんですね、籠守長」
「別に。あの子は欲しがっていると言うより、寂しがっているだけなんです」
「…どういう意味で?」
露草の問いに、一瞬言葉を詰まらせる。だが、隠すようなことではない、と白藤は静かに口を開いた。
「私の妹が恩寵を受けし者の中にいるんです」
「恩寵を受けし者って、権能を授けられたら容姿が別人みたいになるんだろう?双子とかならともかく、わかるものなのか?」
「今代の恩寵を受けし者の方々が決まった時、顔会わせ会をするのよ。その時に、私を見て「お姉ちゃん」って、駆け寄ってきて…。本当はダメなのよ。恩寵を受けし者になる前の…人だった時期の話を他人にするのって…はぁ」
「籠守長は今代の初期から籠守やっているのか?」
「ええ。鳩羽とはその時からの腐れ縁です」
「うちの白藤は歴代最年少の十四歳で籠守に就任した才女であるぞ!控えろ〜!」
「腰巾着板についてんなぁ、鳩羽ぁ」
「立場逆転してるね〜」
「僕の相方である彼女を褒め称えるのも、立派な仕事だからね」
今代の十人で、唯一人事異動が成されていない組み合わせは鳩羽と白藤だけである。
一緒に過ごした時間は長いが、互いに不満を抱いたことはない。
自慢げに告げるだけはあるのだ。
「それから、腰巾着」
「何かな」
「金糸雀様だったか。そいつも花鶏の持久力みたいな“権能”があるんだよな。勿論、お前も」
「あるねぇ」
「どういう代物なんだ?」
「僕は周囲に溶け込む権能。恩寵を受けし者でも、周囲は一般人みたいに接してくれる」
「なんか地味だな…」
「地味だけど、結構使えるよ。情報収集とかね」
「へぇ…」
「で、金糸雀だけど…確か、万物を導く権能だよ」
「なんじゃそりゃ」
「金糸雀の声を聞いたら、彼女に必ず従わなければいけなくなるんだ。だから金糸雀は有事の際以外で声を出すことを禁じられているんだよ」
「それ、浅葱は大丈夫なやつなのか?」
「さぁ…そればっかりは。関わりは少ないけれど金糸雀がこの九年、声を出す姿を僕は見ていない。彼女も権能を発動させないように頑張っているのではないかな」
「それに、恩寵を受けし者であろうとも…かつてはどこかの村に住んでいた普通の女の子なんだから。浅葱が心配なのはわかるけど…うちみたいな特殊な環境で生き抜いた存在ならともかく、そんな子に怖い思いはさせちゃダメだよ、露草」
「…わかっている」
最終的には花鶏の言葉で、露草は引くことにする。
露草としては、十歳の頃から面倒を見ている浅葱が、どれほど面倒な権能を持った存在といるのか知っておきたかっただけだった。
鳩羽のように大人しければよし。
けれど現実は、恩寵を受けし者の中でも厄介な位置づけをされている権能保持者。
今後、自分が側にいて守れる生活はできない。
せめて、一目だけでも。
浅葱が穏やかに過ごしていて、金糸雀が横暴な存在でないことを確認しておきたいのだ。
金糸雀の部屋前に到着し、白藤がノックしてそのまま部屋にぞろぞろと入っていく。
その先には…。
「すみません、白藤籠守長。お出迎えができなくて…」
「…い、いいのよ。お眠りになられていたのかしら?」
「いえ、絵本を読んでいました。「いたずらねずみのグルとグレ〜金庫爆発〜」です」
リンリンリンと、心地よいハンドベルの音が鳴り響く。
普段から呼出で使用しているそれは、金糸雀にとって全力の力で鳴らされている。
「金糸雀様、抱きかかえさせていただいても?」
「……」
「嫌なんですか!?」
白藤からしたら、こんな短時間で懐かれたな、と感じた。
こんなに感情表現が豊かな金糸雀を見たのは、この場にいる全員初めての事だから。
そんな金糸雀の様子に面食らう面々の中で、露草だけは異なる動きをする。
「どうも、お姫様。私は露草。浅葱の元上官だ。今は花鶏の籠守をしている」
「……」
「…顔つきは似ていないな」
「あ、露草。こちらにいたんですね。お会いできて嬉しいです。金糸雀様、こちらは露草。私の家族のような人です」
家族、という言葉に反応して金糸雀は不機嫌そうに目を細める。
ハンドベルを抗議するようにリンリン鳴らし、部屋中に響き渡らせた。
このままでは会話にならない。
どうしたものかと狼狽える浅葱の横で、露草はあることを確認するために金糸雀へ近づいた。
「確認したいことがある。簡単な質問に答えろ、金糸雀。肯定は一回。否定は二回」
「…」
ベルを一回。質問には答えてくれるらしい。
「まず一つ。お前は真紅か?」
一瞬で、その端正な顔が歪められる。
恐怖、憎悪、そして拒絶を浮かべたまま、金糸雀はベルを二回鳴らした。
「じゃあ、お前…二回目に連れ去られたって言う…」
金糸雀は不機嫌な顔を押さえ込み、無表情のままベルが一回鳴らされる。
露草の欲しい答えは、彼女の手の中に収まった。
「これで一つ、疑問が解消された。お前は大丈夫な方だな。今後も浅葱を頼む。お前が連れ去られてから、あいつは私が育てたんだからな。もう寂しい思いはさせてやるな」
「……」
強く肯定するように、ベルを振る。
あの日果たせなかった約束を果たすために、金糸雀は浅葱を自分の元へ来るよう希望したのだ。
もう、手放してなるものか。
「質問への報酬だ。浅葱を指名したのはお前ともう一人。先代籠守長からの情報だから確かだよ」
金糸雀は何も答えない。
ただ、心の中で「だろうな」とは思った。
この場で浅葱を側に置きたい人間なんて、かつて浅葱と関係があった存在だけ。
立場からして彼女の方が優先されると思ったが、権能が危うい自分が優先されたのだろう。
今まで憎いばかりの力だったが、最後に役立ってくれたらしい。
それから、場が混乱したのを見かねて白藤が浅葱を支え、鳩羽が場を取り仕切ってくれたおかげで、本来の流れに持ち直すことができた。
浅葱と金糸雀、露草と花鶏の顔合わせを終えた後、花鶏と露草は鳥籠を出発して、一年の旅へ繰り出す。
二人にとって、特別になる旅だ。
金糸雀に許可を貰い、浅葱は二人の見送りに門まで出てきてくれた。
少しの間だが、生き生きと働いている姿を見て…露草が安心したのは言うまでも無いだろう。
「露草、嬉しそうだね」
「まあな。側にいる奴の素性も分かったし、安心して旅立てる」
「露草は、浅葱の目的を知っていたの?」
「知らないわけがないだろう。毎日聞かされていたし」
けれど、一つだけ心残りがあると言えばある。
金糸雀の表情が歪んだ、あの問いかけ。
浅葱が知らない何かが、まだ残っている気がするが…彼女が立ち入れるのはここまでだ。
できることと言えば、浅葱が無事に一年を終えられるよう…願うことだけなのだ。