2:対面
「……」
ふらりふらりと立ち上がった金糸雀は、ゆっくりとした足取りで光の下へ向かってきた。
「白藤籠守長。部屋の明かりはどこに」
「私が探すわ。貴方は金糸雀様を」
「お願いします」
白藤が照明の電源に向かう中、浅葱は薄明かりの中を覚束ない足取りで進む金糸雀を抱き留めた。
その瞬間、照明が室内を照らした。
「金糸雀様」
「……」
声をかけても、ただ彼女は震えるだけ。
それもそうだろう。彼女の身体は浅葱が想像していたよりも細い。
精巧な硝子細工の様な肢体に、透き通るような白い肌。
声をかけても、ぼんやりと浅葱の顔を覗き込むだけ。
その見てくれは、俗世を知らない崇高な姿と言えば納得せざるを得ない。
しかし浅葱の目に映った金糸雀の全貌は、かつて毎日見ていた死にかけの病人の様に映った。
「椅子にお運びします。お体に触れますが、どうかお許しを」
「…!」
ふらついているのは、歩くことや立って過ごすことに慣れていないからだろう。
疲れを見せた金糸雀の身体をひょいと持ち上げて、腰掛けていた椅子に運ぶ。
高級感のある布地越しに感じるのは、肉ではなく堅い骨。
これも、少し力を込めたら砕けてしまいそうな脆さを感じた。
「……」
金糸雀は、腕の中で呆けた顔を浮かべる。
「金糸雀様、降ろしますね」
その瞬間、金糸雀の首が全力で横に振られた。
「嫌、なのですか?」
「…」
瞬時に首が縦に揺れる。意思疎通が難しいと聞いていたが、会話は通じるらしい。
今度は震える指先をベッドに向ける。
小さいが身振り手振りで自分の思うことを伝えてくれる。
「ふむ。ベッドに移動ですね。そこで降ろすようにしたらよろしいでしょうか」
金糸雀の頬が、餌を大量に詰め込んだリスの様に膨れ上がる。
会話の流れからすると、多分これは彼女なりの怒り…なのだろうか。
「私も、腰掛けてよろしいですか?」
頬がシュッと元に戻り、再び首が縦に振られる。主人の寝床に腰掛けることが許されたらしい。
「浅葱」
「はい、白藤籠守長」
「本来であれば、私の紹介後に設備等の説明をして任務開始となるのだけど…」
「……?」
金糸雀は白藤の視線を感じ、浅葱の胸の中で軽く小首を傾げる。
彼女は知らない。浅葱と白藤———籠守達にとって、恩寵を受けし者の言動は何よりも優先させるべき事象だ。
金糸雀が浅葱に興味を抱いている行動をしている今、白藤はそれを邪魔することはできないし———浅葱もまた、白藤との仕事を優先させることはできない。
例え金糸雀が「いつも通り」に進むだろうと思っていても、二人は本来の流れを再開することはできない。
「併設してある小部屋に、今後の生活に必要な資料一式を置いておくわ。後で一読して頂戴」
「承りました」
「では。私はここで失礼いたします」
「…?…?」
「金糸雀様、如何なされました?」
「……」
口を何度かパクパクさせつつ、金糸雀は上手く回らない頭で思案する。
浅葱の問いに答えるのは簡単だ。自分の疑問を浅葱に伝えるだけで終わる話。
けれど、金糸雀にはできない。
この世で一番手っ取り早い意思疎通方法が、彼女には禁じられているのだから。
「……」
疑問を飲み込んで、浅葱の身体に力なくもたれかかる。
分かっている。これも金糸雀にとって「いつも通り」の事なのだから。
いつも通り、最初は友好的で。
いつも通り、意思疎通ができなくて。支障が出始めて。
いつも通り、自分の世話を任された籠守は不安を覚え、心を病んで…姿を消す。
でも、浅葱は。
昔から変わらない浅葱だけはきっと、最後まで一緒にいてくれるはずだと金糸雀は信じている。
白藤の退出を見送った後、浅葱はゆっくりと、安定した姿勢を崩さないままベッドの方へ向かってくれる。
その間、金糸雀は浅葱の制服をただぎゅっと握り締めたまま…俯いていた。
「ええっと、金糸雀様。ベッドに到着しましたが…」
「……」
短い時間ではあるが、浅葱の中で何となく「金糸雀とどう会話すべきか」か…何となく、答えは出ていた。
後はそれを実践するのみ。
「このままで、よろしいですか?」
再び首が縦に振られる。小さい動作だが、見落とすような動作ではない。
自分が仕える事になる主人は会話ができない。
仕方が無い。権能が関わっていれば、そういうことも自然と存在している。
浅葱は金糸雀を抱き上げたままベッドに腰掛け、彼女が一日の大半を過ごす場所の様子を確認した。
ふわふわで、布団やシーツはとろとろ。間違いなく最高級品だ。
彼女の脆く、衰弱しきった肌には…きっと優しい。
高そうなもので構成されたその場所には、異質なものが三つ置かれていた。
一つは鍵付きの小箱。金糸雀が大事にしているものをしまっているのだろう。
もう一つはボロボロになった鳥のぬいぐるみ。
額に「弐」と書かれている。子供時代に、同世代で流行っていた「カラーバード戦隊」のバードブルーのぬいぐるみのようだ。
随分大事にしている様子が窺える。
しかし、それは浅葱が知っているそれとは色が異なる。
随分色褪せてしまっていたのを見かね、誰かが染色したのだろう。
しかし、間違えた色でそれを染めてしまったらしい。
バードブルーのぬいぐるみは、設定通りの鮮やかな青ではなく浅葱の髪色の様な、青と緑が混ざり合った色をしていた。
そして最後に、まつぼっくり。
なぜかまつぼっくりがぽつんと枕元に置かれている。
しかも小箱やバードブルーより丁重に扱われている。
浅葱もこればかりは動揺せざるを得ない。
一見したら何てことはないそれはきっと、金糸雀がここに来る前に大事にしていたものなのだろう。
丁重に扱うことに心に誓うと同時に、浅葱の制服が引かれる。
それを行った本人は、心配そうに浅葱を見上げていた。
否、どんどん制服をたぐり寄せ…身を持ち上げては浅葱の顔と距離をつめてくる。
「……」
金糸雀が楽しそう、そして嬉しそうなのは、気のせいではないようだ。
「あの、金糸雀様。何かご用命でしょうか?」
問いかけても、金糸雀は首を横へ振るばかり。何もないらしい。
しかし、彼女は楽しく浅葱の顔へ手を伸ばしてくる。
何度も冷たく、細い指先が頬を撫でた後———髪へ手が伸びた。
浅葱の、青緑色の髪を何度も掬う。
揺れている光景が楽しいのだろうか。
バードブルーと同じ色だから、見ていて楽しいのだろうか。
浅葱は見当違いな事を思案するが、金糸雀はそんな事は何一つ思っていない。
「当たり前だけど、十年前より髪が伸びている」としか———思っていない。