10:浅葱の目的
それから浅葱は月白に、普段専属籠守達が寝床にしている、恩寵を受けし者達の部屋に併設されている小部屋へと押し込まれる。
ベッドと机しか存在しない小さな小部屋。
少ない私物と、鳥籠の規則本や恩寵を受けし者達の情報が触れられた冊子。
報告書等で圧迫したその空間で、二人で過ごすのはやはり息が詰まる。
けれど、金糸雀の前でこんな会話はできない。
「浅葱」
「なんですか、月白殿」
「いや、その気が抜けた顔は…貴方が探していた人物に見当はついたみたいと思ってね」
「察しがいいことで」
「で、誰だったの?」
「…金糸雀ですよ。狙って配属したわけじゃないですよね」
「あら、私が今も籠守長であればそうできたかもだけど、貴方も知っての通り私はもう籠守長を白藤に預けているわ。それに白藤から聞いたでしょう?」
「…専属は金糸雀自身が選んだと」
表向きの理由かと思いきや、本当に金糸雀が選んでいたらしい。
まだ、覚えていて貰えたなんて思っていなかったが。
「ええ。ここの環境は分かっての通り、恩寵を受けし者の意見が優先されるわ。その中では早いもの勝ちだから…私がしたことと言えば、籠守長退任の際に「人事異動」を実施したこと、白藤には「最初に金糸雀へ聞け」と指示を出しただけ」
「手を回してありがとうございます」
「感謝して欲しいわ。白藤から、金糸雀と“もう一人”貴方を希望する意見が出たと話が来た時には笑っちゃったんだから」
「…で、結果的には金糸雀と」
「ええ。これに関しては早いもの勝ちだから、金糸雀様の要望を通してと白藤には伝えたわ」
「手回しが早いことで」
「これぐらいは当然よ。それから、そうねぇ…花鶏に露草が持って行かれるのは予想通りとして、もう少しどうにかしたかったわね。せめて月一で帰還するとか。今のところ、帰郷まで帰る予定はないと来たのよ…何の為に呼び寄せたか分からなくなるわ」
「私の時のように根回ししたらよかったのでは?」
「花鶏の権能は知っての通りよ。要望を叶えられる屈強な人間なんてそうそういない。それに貴方も露草から聞いているでしょう?花鶏の本名は蘇芳。貴方と入れ違いで未踏開拓軍を抜けた元副隊長。露草の相棒だった女よ?」
「ええ。話には聞いています」
「一年後には帰郷も控えている。念の為にいい思いはさせておきたいじゃない」
「…ですね」
帰郷の儀。
人々に授けた権能を失い、力を衰弱させた色鳥が「権能無しで生きられる期間」…十年を迎える前に、権能を色鳥へ返還する儀式。
権能は魂に結びついた力。
返還する際、恩寵を受けし者達は現世の身体を捨て、魂と権能を抱いて天上で待つ色鳥の元へ向かう。
そして権能を返還し、自らの魂を糧とすることで…色鳥の回復を促す。
最上の儀式と周囲は言う。
けれど、浅葱からしたらどこまでも、下劣。
権能を勝手に与え、今までの姿を変貌させ、生き方も名前も捨てさせて。
最終的には十年で返せ。ついでに魂も餌にさせろ。
この世界を機能させている神は、そう告げている。
こんな理不尽がまかり通って言い訳がない。
けれど、この理不尽を受け入れなければ、この世界は成り立たない。
権能を返さなければ、世界を機能させている色鳥は死に…この世界は、滅びてしまうのだから。
「さて、浅葱。貴方はここに来たいと進言していた時代からの夢……探し人を無事に見つけられたけれど、一年後には帰郷を控えているわ。どうしたい?」
「どうにかできるのであれば…もうとっくにしている」
「そうね。まあ、未踏開拓軍が頑張ってくれたら、可能性はできるかもしれないけれど…」
「色鳥の手が及んでいなくとも、生命が存在している土地がありますからね。魔物が沢山いますので、今は人が住むには不向きです」
「前線で戦っていた人間が言うと重みが違うわね。でも、人型生命体やそれに近い生物が見つかれば話は別でしょう?貴方たちが抜けた後の未踏開拓軍は、そういう存在を求めて今も未踏地を進んでいるわ」
「……そう、ですか」
「危険が伴う仕事だけど、未来の為よ。そう言いながら、彼ら彼女らの命を糧にしている私達も、色鳥に近い存在かもしれないわよね」
皮肉な話だが、それは今だけの話だ。
色鳥のように、何十年も何回も繰り返しているわけではない。
そう、言い聞かせた。
「あ、連れて逃げても私は怒らないわよ。他は知らないけれど」
「元軍人でも、誰かを守りながら逃げ、未踏地で暮らすのは不可能に近い。衰弱しきっている今なら、尚更だ」
「そういえば、金糸雀は他の九人に比べて異様に衰弱しているわね。理由はわかる?」
「今回の一件で、精神的なものだろうと」
「そこまでは到達したのね。じゃあ……」
椅子に腰掛けていた月白の顔が、浅葱の耳元に添えられる。
膝まで伸びた長い銀髪が全身を覆い尽くすように舞い上がり、ゆっくりと、この場に縛り付けてくる。
「…金糸雀様、週一ぐらいの頻度でお呼び出しを食らっているのよ。そこで、貴方との関係を何度も糾弾されているみたい。親友風情が、とか」
「…姉さんか」
「ええ。名前はあの時教えた方よ。貴方をご指名したもう一人にも相当するわ」
「いい加減にして欲しいですね。全く」
「気持ち悪いわよねぇ。妹の人生を自分好みに操作できると思っている馬鹿さ加減とか」
浅葱の全身に走る、身の毛がよだつ感覚。
あんなことをしておいて、まだ私に執着するか。
気持ち悪さと怒りの両方が心の中で入り交じるが、浅葱の顔は何一つ動かない。
そう、されてしまったのだから。
「専属が決まった時も一度呼び出されていたわね。私の所有物を奪うなとか…滅茶苦茶だったわよ」
「……ちっ」
「そろそろお呼び出し、あるんじゃない?」
「心穏やかに過ごさせて欲しいものですが、あの女相手だと無理でしょうね」
「そうね。これ以上の精神攻撃が金糸雀様に影響を及ぼすと判断したら、手を下しなさい。露草と貴方には、恩寵を受けし者達の越権行為を収め、時には殺害する役を担って貰う代わりに、露草には花鶏との再会を、貴方には目的を果たす機会を与えたのだから。きちんと働いて欲しいわ」
「…御意」
「それでいい。貴方達は未踏開拓軍の中でもなかなかに容赦が無かったと聞いているもの。期待しているわ」
「…何も感じなかった訳ではないのですがね。まあ、分かっていますよ。それが取引ですもの」
あの日からずっと、思い描いていた光景を手に入れられたのは…目の前にいる月白のおかげだ。
真紅と浅葱が産まれた直後に、母親が恩寵を受けし者として選ばれた。
母を失った父「淡藤」と姉「真紅」と共に、浅葱はこの世の理不尽を受け止めながら成長した。
九歳の時、恩寵を受けし者に真紅が選ばれた。
帰郷の意味を知り、娘を守ろうとした父に…真紅は「不審者!近寄らないで!」とほざいた。
冗談だったのか、それとも今まで父に対して鬱憤が溜まっていたのかは知らない。
ただ、浅葱の知る父は料理が下手で、優しくて。
仕事が忙しくても、休みを確実に取ってきて。
給金を上げたいからと、夜遅くまで勉強して。
怖い夢を見たと言ったら、勉強を切り上げて一緒に寝てくれた。
浅葱にとって自慢の父だった。
それを、あんな台詞一つで見限り…挙げ句の果てには自分を連れて行く色鳥社の連中に殺させた。
浅葱の、目の前でだ。
その瞬間、真紅への同情は消え失せ、今すぐでも目の前から消えて欲しいと願った。
勿論それはすぐに叶った。
真紅は浮き足で、色鳥社の馬車に乗り…鳥籠へ向かったのだから。
「浅葱」
「ああ、よかった。お前は…ぶ…じ…」
父は血ぬれの手で浅葱の無事を確認し、頭を撫でた後、すぐに絶命した。
父の命を返してほしいという願いは、叶わなかった。
それから、遺体の側で座り込んでいた浅葱の手を引いたのが…彼女。
両親と共に、天涯孤独の身となった浅葱を引き取り…家族として育ててくれた、大事な親友。
彼女は父親のことで揶揄われ、いじめられる浅葱をいじめっ子達から守ってくれた。
表情が昔のように動かなくなっても「変わっていない」「あーちゃんの考えていることなんてお見通し」と言ってくれた。
そして、浅葱の代わりというように、表情をコロコロ変えていた。
そんな彼女にも欠陥があった。
…字だけは、壊滅的に汚かった。
「あ、あーちゃんの字は綺麗だし、一生あーちゃんが代筆してよ!?」なんて言い出していた。
浅葱自身も、そんな生活もありかもな、なんて思う程には幸せだった。
彼女もまた、その一年後に恩寵を受けし者に選ばれた。
浅葱の大事な存在は、皆色鳥へ奪われた。
母、父、そして親友。
けれど浅葱は一つだけ、彼女との約束だけは奪われなかった。
またいつか、必ず生きて会おう。
彼女と交わした約束は浅葱を生かし、ここに来る原動力となってくれた。
その約束は、目の前にいる女との取引に利用されているが、彼女が帰郷を果たす前に、再開する目的は果たせたのだ。十分な成果と言えよう。
「今日はここまでにしておきましょうか」
「…ですね」
「一応、貴方が正体を突き止めたことは金糸雀にバレるまで話さないように。知らないフリをして過ごしなさい」
「はい」
月白は立ち上がり、金糸雀の部屋を出て行く。
浅葱はそれを見送った後、金糸雀の元へ踵を返し…彼女の寝息が正常であるか確かめた。
穏やかに繰り返すそれに安心し、顔にかかる髪を手で払いのける。
そして、手を握り締めた。
「…会いたかった、琥珀」
絞り出した声は聞こえないように、か細く、溶けるように響き渡る。
今はまだ何も話せない。
だけど、やっと見つけたのだ。
何も言えずとも、側にいる。
今度は心も守ってみせる。かつての貴方が、私にしてくれたように。
誰も知らない一時の再会と誓いは、今、果たされた。




