2 傭兵と馬車と商人と
鬱蒼とした深い森の中を、白糸のような輝く軌跡が流れる。木漏れ日を反射する髪を持つエアリーが、枝を蹴り、木々を縫って移動していた。
「へっへ~、結婚相手探しっても、旅ってところはワクワクするなあ」
腰元に備えた、大型のナタのような刀を振るって邪魔な枝を払いながら、エアリーは満足げだ。
枝から枝へ飛び移るごとに、彼女はぐんぐん速度を上げる。すさまじい出力で、彼女はあっという間に森を抜けだした。
森を抜けると、地平線まで続く平野が彼女を出迎える。里のある山から吹き下ろす風が、短いながらも艶のある銀髪を揺らした。
「……さて、近くの町はどっちだっけな?」
山で魔物を狩るなどはしたことこそあれ、エアリーは生まれてから一度も里の外を見たことがなかった。両親から持たされた紙を見れば、森を抜けて更に西へ向かえば、メロウという交易都市に着くらしい。
とはいえ、彼女には西も東も判別がつかないのだが。
「えーっと……西ってどっちだ?この世界も太陽は東から昇るのか?あー……ちゃんと話を聞けばよかった」
里の年長者や両親に「人の多い街に行くほうが良い、おすすめは交易の盛んな町や領土の大きな国で~」など、色々な街を地理情報含めて教えてもらっていたが、求婚の旅に対する反抗心を燃やすエアリーの記憶には全く残っていなかった。
半ば呆然としてしまい、当てもなく歩くか、町らしいものにぶち当たるまで、全速力で走ろうか、などと考えていると、遠くからの物音を耳が拾う。
振り向けば、どうやら少し離れたところに街道が通っており、荷馬車が停まっているようだ。エアリーはいくらか払って乗せてもらおうと、荷馬車のほうへ駆け出した。
ーーー
港町デフナから交易都市メロウに続く街道は、日ごろから往来が多く、轍も深く刻まれている。おかげで中型の荷馬車であっても、気を付けなければ車輪がはまり込み、抜け出せなくなることが多い。
頻繁に領主が国に再舗装を嘆願するも、往来を止めて生まれる損失を商人らが訴え、なかなか実現しないのが、この街道の常である。
「あぁ~クソ!軍人さんが無理やりにでも工事を始めてくれりゃあ、俺もこんな思いをせずに済むのによ」
そんな街道の道半ば、小太りの中年商人マッカは立ち尽くしていた。先月納車したばかりの荷馬車が、深々と抉れた轍にはまり込んでいるからだ。すでに彼の愛馬は荷馬車を引くことを諦め、3度目の糞をしていた。
「なあお兄さん、そんなとこで寝てないでさあ!手伝ってくれよ」
マッカは恨めし気な低い声で、荷馬車の上に寝転がる男に声をかける。使い込まれた革の小手やブーツ、そして使い込まれたショートソードを見るに、男は傭兵のようだった。
男は破落戸とも言うべき傭兵にも関わらず、案外すっきりとした顔立ちをしていた。体つきはがっしりとしていたが、手足はすらりと長く、赤みがかった黒髪に青い目を持ち、目鼻立ちも悪くはない。
しかし、睨みを利かせた険しい表情を常に浮かべており、親しみやすい人間ではないだろう。
「マッカさんよう」
「あ、あぁ」
男は寝転んだままマッカに顔を向ける。足は組んだままで戯れに剣を弄んでおり、鞘に包まれた剣先が、荷の壺をカツカツと叩いていた。
「俺はあくまで魔物や盗賊からの護衛でついてきてるんだ。今もこうして周囲への警戒は怠ってない。なのにそれを手伝えと?」
「なっ、何言ってやがる!この荷を売らなきゃあ商売できねえんだ、市場の開いてる時間までにメロウに着かにゃ、報酬は払わねえぞ!」
「それは契約に反するだろ!」
男の物言いにマッカが唾を飛ばして怒る。男も負けじと言い返し、場は一触即発の空気を流し始めた。
「すみませーん!」
「「あん?」」
そこに響く涼やかな声。二人して声の方を向けば、頭に角を生やした銀髪の女が走ってきていた。
言わずもがな、エアリーである。
「あのっ、この馬車はどこに行きますか?」
男二人が睨み合っていたというのに、エアリーは構わずマッカに話しかける。マッカはぐいと顔を近づけてくるエアリーに鼻の下を伸ばした。
「これはこれはお嬢さん、この場所はメロウに行きますよ」
エアリーはホッとしたように息をつき、懐から革の袋を取り出した。じゃら、と音を立てたそれはエアリーの財布であった。
「すみません……運賃は払うので、メロウまで乗せてくれませんか?」
マッカは「それはもちろん……」と言いかけたが、すぐに言い淀む。マッカに促されてエアリーは馬車の状態を見、「ありゃあ」と言った。
「すまないね、この通り轍にはまり込んで……」
「これくらいなら、オレ出せますよ!」
「へ?」
エアリーは背負った荷物を路端に置いて腕まくりをした。マッカは慌てたように引き止めるが、彼女はずんずんと荷馬車に近づいた。
ふと、荷馬車に乗る人物と目が合う。
「危ないですよ?降りてください」
エアリーは気遣わしげに声をかけた。男はやはり体制を変えずに、足だけ組み替えた。
「よう姉ちゃん、教えてやるよ。騙されたくなけりゃ、先に報酬を取り決める契約を結ぶことだぜ」
「別にこんくらいいーじゃん、人助けだしさ」
荷馬車のフチを持ち上げ、エアリーは再度男に「どかないなら掴まってて下さい」と声をかけた。
「お、お嬢さん?さすがに力持ちの亜人種族でも一人じゃあ……」
「せい!」
マッカは困惑しきった声色で現場を見ていたが、すぐさま目をまん丸に見開いた。
細腕の少女が、軽々と荷馬車を持ち上げてしまったのだ。宙に浮いた荷馬車の上の男も、同じく目を丸くしていたが、すぐに鋭い目つきに戻った。
「魔術師だろうにもったいねえ、損なやつだな」
満足そうに荷馬車を降ろすエアリーの耳には届いていなかったが、男はやれやれと肩をすくめた。
「――そんでもって龍人族ねえ……」
目ざとい男はエアリーの角にも注目したが、やはり呑気なエアリーは、でへでへと礼を言うマッカと話していて、男の声は聞こえていなかった。
せっかくだから二個目も更新。
次は明後日とかそのあたり……かも