2話 THE WORLD AS SEEN BY OTHERS
遅刻を知らせる鐘の音。黒毛、赤目の少年は忍び足で教室へ入る。
「お、おはようございまぁす…」
クラスの視線が一斉に集まる。
桑は普段からあまり目立つタイプでは無かった。誰とでも仲が良いし、誰とでも話せる。
かと言ってそれ以上の関係の者がいるわけでは無い。だから、こうして注目が集まってなんだかドキッとしたが、気にせず駆け足で入ろうとしたその時。肩を掴まれる感覚がした。気のせいか、と背後へ振り返ると…
「おい。白百合、何をしてる?」
白く、毛先は薄緑の長いハーフアップに結ばれた髪。細いフレームで、丸メガネを掛けた、図体の大きい女が立っていた。168センチの桑よりふた周りも大きい。
その女の名前は___
「バーゲンス先生…」
バーゲンス先生、数学科の先生だ。顔立ちは日本人とは思えないほど整っていて、本人曰く日系アメリカ人らしい。どうやら視線は桑ではなく背後のバーゲンス先生に向けられたものらしい。桑は勘違いから来るの若干の恥ずかしさを堪えながら、颯爽と用意をして席についた。
しかし、このクラスの担任では無いバーゲンスがいるのか、桑は疑問に思った。
「白百合、今日はここの担任が体調を崩したらしい。フッ、私は優しいから、今回は見逃す。
次からは数学の成績を最低評価にし、まだ習ってねぇ、知らねぇ所までみっちり補修してやる。」
「うぇっ!?」
騒めくクラス一同。"目をつけられちゃったね、白百合くん"や"可哀想"などの同情の言葉がちらほらと聞こえる。
バーゲンス先生はそれを見ると、唐突に吹き出した。
「冗談だ、真に受けるなよ!ははははは!」
バーゲンス先生はそういった。
もとよりそもそも冗談を言うタイプでは無い。
過去に、"3回遅刻したら宿題を三倍にしてやる"と言われた生徒は、本当に三倍の宿題を課された。ほかにも、いろいろとあるが兎に角冗談を言うタイプではなかった。クラスの皆は若干引きながら作り笑いをして誤魔化す。
「はー、笑った笑った。それじゃ、朝STの時間だ。日直!」
こうして、白百合 桑の最悪な一日中と、最悪な人生がスタートした。
それは、2時間目の数学。
バーゲンス先生が問題を提示し、解かせている。問題を解き終わった白百合 桑は、窓際の席で校庭を眺めていた。
校庭に人がいるとか、暇だからただ眺めているというわけではなく、そこに"それ"がいたからだ。桑の脳裏に嫌な妄想が露わになる。"それ"が、先生や友達を殺す妄想。桑は、その妄想止まりの予想により不安でいっぱいになった。
バーゲンス先生は白百合が校庭を眺めているのに気づくと、白百合と同じく校庭を眺める。
そして、白百合に言った。
「白百合、あとで職員室に来い。補修だ、
知らない所まで補修してやる。」
「え、なんでですか!?」
桑はバーゲンス先生に理由を聞いた時は、部屋全体が一気に暗くなる。
窓には、"それ"は張り付き、こちらを見つめていた。そして…
「う、うわぁぁあ!?」
叫ぶ桑。
凄まじい轟音と共に、教室は崩壊した。
そして、目を覚まし、体を起こす。土埃や瓦礫で周りがよく見えない。
「あぁぁあぁ!なんでえぇ!?私の腕がぁぁあ!助け"て"!助け"て"ええぇぇ、ぁあぁあぁあ"ッ」
骨を咀嚼するような音とともに悲鳴は消え去る。今の声は、桑の同級生の声だった。桑は固唾を飲む。
「くそ、死にたく無い!」
今度はそう叫び走り出す音がしたが、鞭に打たれたような音と共に消える。そして、白百合の前に、同級生の胴体が、腸を撒き散らしながら風に吹かれた西部劇の丸い草のように転がってきた。
一瞬のことに、桑は呆けていたが脳がその事実を受け入れると、途端に吐いてしまった。
「チッ…出現したばっかりの死徒か…そりゃぁ対応も出来ねぇな。」
コツコツと聞こえる革靴の音。桑の目の前に現れたのは、あの白装束を着たバーゲンス先生。
背中には棺を、右手に拳銃を持っている。
「被害が広がる前におさえよう。華葬、供華焼香送棺」
そう言い棺を置くと、棺が開かれる。
中には、嘆く老人の姿があった。
老人はただ嘆く。
全てを奪われたように。
愛する何かを奪われ、空いた心の穴にもがき苦しむように。
自らのはらわたを引きずりだそうとするような、腹を這う手。
今いるこの瞬間までも地獄のようだ、といわんばかりの苦痛の表情。
男性か、女性かも分からない。
「あぁ…ぁぁあアアアアアアアアアアアア!」
嘆きとも、怒りの咆哮ともとれる声を上げながら、地面へ沈んで行く。
途端、一筋の黒い鞭のような物がバーゲンス先生に波を立てながら、高速で迫った。
バーゲンス先生は身を翻しながら躱し、桑の横へ着地する。外れた鞭は、無慈悲にも逃げ惑う生徒達を巻き込みながら、土埃の向こうへ消えて行く。
「チッ…クソ…」
「バーゲンス先生、これは一体どう言うことなんですか!?」
「?、白百合、お前…やはりか」
桑は、お前は何を言っているんだ、と思った。
だが周りの状況を見なくとも分かる通りの、悪い状況。何が何だかわからない。
「とにかく白百合、右後ろ先に出口がある。生き残りを集めながら、そこから廊下に出ろ。出たらすぐに職員室側へ迎え!」
「え!?、は、はい!」
そう背中を押されて、走り出した。
何も見えない土埃。
体に巻き付くように吹く風。
砂だらけの体。聞こえる悲鳴。
時折り、転がってくる同級生達の肉片。
何処となく、何処となくだが桑は旋風を想像した。この桑のいる学校では、よく夏に旋風が発生する。今から10年ほど前だったか、その旋風が原因で、体育祭中に大事故が起こり、多数の死傷者を出したそうだ。
土埃の向こうにうっすらと見えるドア。
すぐ近くには、瓦礫に挟まれた同級生が居た。
「だ、大丈夫?」
「…」
随分とぐったりとしている、反応が無い。
血のわだかまりは少しずつその輪を広げていた。もしかして彼女は助からないんじゃないか、そう思った。
足を止め、同級生の血を見る桑。
頭の中の何かが引っ掛かる。
その頭の中の何かが桑の目的を、脱出から救助へと切り替えさせた。
すぐさま近づき、桑の下半身ほどの厚みと大きさをもつ瓦礫を、すぐさま退ける。
「ふん!、ぬぅ!」
「ぅ…」
小さく苦しみに喘ぐ同級生に肩を回して支えると、すぐにドアを出た。
行き先は職員室。
この良く分からない状況も、きっと、職員室へ行けば大丈夫、助かるんだ。先生が言ったのだから違いない。桑はそう、緊張の糸をほどきながら歩みをすすめると、担ぐ同級生の胸ポケットから、生徒手帳が落ちる。
生徒手帳の名前欄には
「花常 張鳴」
そう記されていた。
桑は張鳴を担ぎ直し、進もうとしたその時。
「うぎゃっ」
上半身と下半身に分かれたバーゲンス先生が、壁を突き破りながら飛び出してきた。間一髪の所で当たらなかったが、きっと桑に命中すればただではすまない。
「ば、バーゲンス先生!?」
バーゲンス先生は虚な目をしていた。
そりゃぁ、当然じゃないか。上半身と下半身が泣き別れになってしまったのだ。死んでいるに決まっている!
そう思った途端、
「クソが…手こずらせやがって…」
バーゲンス先生の体は、引き寄せられるように素早くくっつき、立ち上がる。
それと同時に、運動場の"それ"が触手のような物をバーゲンス先生に向かって伸ばす。
「うわぉっ」
巻き上がる土埃、弾け飛んできた肉片。
桑は、また吐きそうになったが、それをなんとか堪えた。この道はダメだと、反対の道へ必死に動く。背から、またあの触手の風切り音が聞こえる。
銃声も3発ほど聞こえた。人の悲鳴も幾度と無く聞こえた。
ただ、恐ろしい。
それでも桑は無我夢中で歩み続ける。
きっと、その先に希望があるのだから。
桑はそのまま、自身達のいた3階から2階へ移動する。
花常さんはぐったりとしたまま、意識が無い。頭を打ってしまったらしい、頭部から若干の出血があった。
職員室はもうすぐだ。
廊下には、多数の生徒と教員がいた。
教員は桑に声をかける。
「そ、そこの生徒、大丈夫か!」
「に、逃げて!すぐそこに、すぐそこに化け物が!」
「は?何を言って______________」
凄まじい轟音と共に後ろから砂嵐が吹き荒れる。桑は花常を守るように地面に伏せた。
振り返ると、薄ら見えるのは、小さくなった運動場の"それ"と、"それ"に銃を何発も打ち込み、黒い鞭のような攻撃を何度も躱すバーゲンス先生だった。
"それ"の攻撃の1部が天井に加わり、天井の1部が崩れ落ちる。それが桑に当たると、桑はあまりの激痛、痛みに襲われ、気を失ってしまった。