第5話 誘拐
「───は?」
俺は、「恋人のカスミが犯罪者組織であるSMクラブに誘拐された」ということを京子さんから聞いて、思わず通話途中のスマートフォンを床に落としてしまう。パタンと落下した音がなり、俺は自分の体に意識を取り戻した。
「大丈夫ですか?純浦廉さん」
電話の向こうで、焦ったような声を出している京子さん。きっと、彼女も場先で仕事をしていた合間での通話だろう。
「レン、どうしたのかにゃあ?」
「ほのか、そっちは頼む」
「わ、わかったにゃん...」
俺は、目の焦点が定まらないまま、ほのかに指示をする。ほのかも、俺の焦り具合を感じ取ってくれたのか、俺にダル絡みすることはなく、田村花さんの解放と、長縄丈の捕縛を行おうとしてくれていた。
俺は、落としたスマートフォンを震える指で取り上げる。そして、正座───というよりかは、半ば女の子座りをしながらスマホにふれた 。
「すみません、びっくりしちゃってスマホを落としました...それで、それでカスミは?」
「多分...ここから一番近いSMクラブのアジトにいるのかと思われます。これはれっきとした誘拐事件なので、私達も行動を開始しましょう。そっちは、大丈夫ですか?」
「あぁ、ほのかに全部を任せて俺もそっちに向かう。合流は...合流はできそうか?」
「私がいるところも鑑みると、東京8支部のアジト近くで合流した方がいいでしょう」
「了解した」
「それでは」
通話が切れる音がして、俺はすぐに今いる倉庫の外へ走り出した。
「───ちょ、レン!花さんへの聞き込みは?」
「ほのか、プリンでもなんでも買ってやるからそっちは任せた!」
「わかったにゃん!」
俺は、倉庫を出る時にほのかの姿を見る余裕などなかった。もしかしたら、尻尾を振っていたのかもしれない。だが、俺はそんなことを気にする暇もなくその場を後にした。
俺は、そのまま俺の所属している『正愛』の第8支部のアジトまで移動する。
俺がいつも勤めているのは、第12支部だけど今回は第8支部の方が近かったのだ。だから、そこで集合して車を借りるという算段だろう。
犯罪者組織であるSMクラブが誘拐事件を起こしたとなれば、『正愛』の他の支部のアジトの車だって借りれるし、第8支部にいる人物だって借り出せるだろう。
それほどまでに、犯罪者組織SMクラブは強大で凶悪で兇暴な相手であり、協力が必要なのだった。
───20分後。
俺は、タクシー等を駆使して『正愛』の第8支部のアジトまで到着する。
「純浦廉さん、こっちです!」
俺は、メガネをかけたスーツの見知った女性───京子さんに手招きされて、社用車の方へ駆け寄った。
「京子さん!カスミは...カスミはッ!」
「大丈夫───いや、誘拐されてしまいましたから大丈夫ではないですけれど、まだ取り返しがつかない事態ではありません。まだ、アナタの彼女さんを───藤原香澄さんをSMクラブから取り返すことができます!」
京子さんも焦っているのか、饒舌になっている。彼女は、知り合いの悲劇を自分の悲劇のことのように悲しめる人間だ。仕事ができて、人の痛みもわかる完璧超人に思える彼女は、社用車───警察で言うパトカーの助手席に乗り込む。
運転席ではないんだと思いつつ、俺が後部座席に乗り込んで初めて、運転席にタバコを吸った中年の男性がいることが気が付いた。
「アナタは...」
「斎藤国重だ。急いでんだろ、シートベルトとお口は締めておけ」
窓枠に右肘を起き、その手でタバコを吸いながら左手でハンドルを操作して運転を開始する斎藤国重さん。
「斎藤国重さん、運転中にタバコはお辞めください。体に良くないですし、危険です」
やはり、正しいことを何より愛し正しくないことを何よりも嫌う京子さんは、彼の運転の仕方を注意した。
「うっせぇ、俺の運転に文句があんならお前だけ置いて行くぞ」
「ですが……」
「文句があんなら、お前だけ置いて行くぞ」
「───わかりました。我慢します」
「あぁ、そうしろ。なにか無いかぎり、事故することはねぇ」
斎藤国重さんは、そう口にして、プハーッと灰色の煙を口から吐き出した。
───そして、俺達は斎藤国重の運転する車で、俺の恋人であるカスミがいるであろうSMクラブのアジトに移動する。
───と、その時だった。
「斎藤さん!」
京子さんが、運転している斎藤国重の名前を呼ぶ。「フルネーム+さん」のいつもとは違い、今回は名字だけだった。
───これは、京子さんが性癖である[メガネ]の影響で、数瞬先の未来が見える故の声かけであり。
直後、ブレーキが踏まれることもなくそのままのスピードで俺達の乗る車は赤信号にツッコむ。
そして、俺達の乗る車は右へ左へと移動していく大量の車の間に入り込むことになり───。
”ドンッ”
そんな鈍い音が数回聞こえた後に、俺達の乗る車は停止した───否、大破したのだった。
右から、左から、何度か衝突されて、大きく大破した社用車。俺と京子さんが、怪獣の口から吐き出されるようにして車の外から見ると、そのボンネットに奴はいた。
───カスミを誘拐した人物はいた。
「夢のような現実にさよならを」
カスミを左手で担いでいる、ピエロのような顔をして、紫色のパジャマを着た人物はそう言葉にしたのだった。