第2話 恋人、そして猫とメガネ
『正愛』のアジトから電車に揺られて数十分。俺は、最寄りで降りた後に徒歩で家に帰った。
俺の家は、住宅街の一角にある小さな一軒家だった。でも、東京で1LDKで暮らせているだけでも、十分に満足した方がいいのかもしれない。
俺は、彼女───藤原香澄が待っている家に帰ってきたのだった。
「ただいまー」
俺は、寝ているかもしれないカスミが起きないように、細い声で家に入る。
「あ、おかえりなさい」
俺が玄関の鍵を閉めていると、リビングのドアから出てきたのはカスミだった。
「カスミ、起きてたのか?」
時刻は11時を過ぎている。今日は、『正愛』に帰るまでの途中で、一人の女声を助けていたからその処理などもあったので遅かった。本来ならば21時30分までに帰るようにしているのだけど、今日はそういうわけにも行かずこんな時間に帰宅することになったのだけど、起きててくれたようだ。
俺は、思わず口角を上げてしまう。
「当たり前だよ。レンに何かあったら嫌でしょ?ほら、お仕事で大怪我しちゃったりしたら。だから、待ってた」
「そっか、ありがとう」
「それに、今日の朝は顔を見れてなかったから夜は見たかったから……さ?」
「はは、そっか。そうだね。俺も寝顔しか見れてないし、声が聞けてよかったよ」
「───ねぇ、ギューしよ?」
「多分、汗臭いぞ?」
「いーの」
俺は、カスミと抱擁を交わす。
肩甲骨辺りまで濡烏色の髪を伸ばしている、柔らかい目をした彼女こそが、俺の恋人であるカスミだった。
「───ありがと。ご飯、温めるから待っててね」
「あぁ、ありがとう」
───俺は、幸せだった。
この愛を死ぬまで貫く。いや、愛を貫いて死ぬ。
そう、決めていた。
───翌日。
5月13日金曜日。今週の出勤も、何もなければ最後だった。
あ、『正愛』の仕事は基本的に人数が一定になるように決められている。
俺が所属しているのは、『正愛』の東京第12支部なのだが、そこには俺が含めて6人程の人員がいる。まぁ、そんな堅い名前は嫌いだし、外見が「アジト」と言った感じなので、俺は「アジト」と呼んでいる。
───と、俺が朝の一連の準備を終えて、家を出ようとしたその時だった。
”ガチャッ”
そんな、小さな扉が開く音がして、ダイニングルーム兼物置から出てきたのはカスミだった。
「おはよー、レン。もうお仕事?」
「あぁ、そうだよ」
「そっか、頑張ってね。今日の夕飯はレンの好きなカニクリームコロッケだから」
「本当?やった」
俺がそう返事をすると、カスミはニコリと笑みを浮かべた。少し寝ぼけ眼で俺を見ているところもまた可愛かった。
「んじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
カスミに見送られて、俺は最寄りの駅まで向かう。そして、電車に乗って30分ほど揺られた後に到着したのは『正愛』のアジトであった。
「おはよーございます」
”グゴゴゴゴゴゴ”
「……」
「あ、おはようございます。純浦廉さん、昨日はお疲れ様でした」
「おはようございます」
この、いかにも堅物そうな女性が、ここのリーダーである共鳴京子だった。
彼女は、いつもメガネをかけており、黒髪黒スーツ。髪型としては、前髪をピンで止めて、後ろの長い髪はっ条でお団子にしていた。そして、彼女の性癖は[メガネ]だ。
その能力は「ガラスに数瞬先の未来を映し出す」という内容だった。
「あ、すみません。今、叩き起こしますね」
京子さんは、そう言うと俺の机の椅子を使って寝ている人形の猫───猫又ほのかを叩き起こした。
「痛い!にゃ、にゃにをするにゃ!」
「もう時間です。起きてください」
「にゃに?にゃあの方が年上だにゃ!」
「私の方が役職上は上です。従ってください」
「じゃ...じゃあパワハラだって訴えてやるにゃ!」
「小賢しいですよ、大人なのに」
「ぐぬぬぬぬ...」
いつもこうやって、だらしないほのかのことを、京子さんが叩きのめしている。どうせ、論争で京子さんに勝てる訳無いのだし、対抗しなければいいのに───などと思っていると、ほのかは冷蔵庫からプリンを取り出した。
「……こんな時はご褒美プリンを食べるに限るにゃん」
「おい、それ俺のだぞ」
「にゃあの名前を書いといたにゃん」
「おい、人のプリンに名前を書くな!ややこしくなるだろ!」
「人のものを勝手に取ってはいけません。窃盗罪ですよ?それに、働かざる者食うべからず。ご褒美なのなら働いてから食べてください」
「にゃー!?叩き起こした挙げ句、プリンまで取り上げるにゃんて!人の所業じゃにゃいにゃん!」
俺のプリンを取り返してくれたのは、京子さんだった。本当に、京子さんに助けられている。
「働けばいいのですよ。しっかり、あなたの仕事は残っています。今からお伝えする住所に、先日起こった田村一家殺害事件の犯人がいるようなので、行ってきてください」
ほのかに渡されるのは、一枚の資料。ほのかは、俺と京子さんに挟まれるように立たれたので、その場に座り込んだ。
「えー、にゃあは別に戦うのはそんなに好きじゃにゃいにゃん...」
「行きなさい」
「でもぉ...」
「行 き な さ い」
「…………はい」
京子さんは強かった。
「───そうだ、誠に申し訳ないのですが、純浦廉さんも付いていってくれませんか?」
「え、でも俺も仕事が...」
「私がこなします。コイツに仕事をさせる方が大事です」
どんな相手にも敬語を使うような京子さんに「コイツ」などと言わせるほのか。
「わかりました。ほのかを見守っておきます」
「ありがとうございます」
「にゃあは働かないにゃー!」
そう、俺と京子さんの間でガバリと立ち上がって、四肢が「X」のような感じになるよう立ち上がったほのか。俺と京子さんの双方の顔に、その手が当たった。
「……純浦廉さん」
「わかりました。おいこら、ほのか。とっとと行くぞ」
「ギャー!尻尾を掴むにゃー!」
俺に、尻尾を引っ張られるようにズルズルと引きずられていくほのか。
俺は、ほのかの貰っていた資料の住所まで、ほのかを片手で担いで向かっていくのだった。