41.お見舞い
「わぁ~!ゆづにいすごくおいしそう!」
キッチンに両手をかけてヨダレが垂れてきそうな表情をしているノワールと同じくキッチンに両手をかけて無言でじっと俺の手元を見ているルーチェを視界に入れつつ、たった今できあがったばかりのパイを包む。梱包したパイは、時間経過がなく今の状態のまま保存できる異空間へと入れる。
「これはお土産だから、2人には後で作ってあげるね」
異空間へと消えていったパイを残念そうに見つめていた2人にそう言い、出掛ける準備を促す。
今日は昨日マルスからグレンが療養中だと聞いたので、2人が滞在している酔い潰れた龍の宿にお見舞いに行く。
さっき作っていたパイは、レッドアップルを使ったパイで、グレンの好物だ。お見舞いの品兼お土産として持っていくつもりでいる。きっと喜んでくれるだろう。
ノワールとルーチェの準備ができたみたいなので、3人で手を繋いで家を出た。
酔い潰れた龍の宿は、俺たちの家からそこまで遠く離れていない。そのため、あまり時間がかかることなく着くことができた。
ノワールとルーチェと一緒に暮らし始めてからはほとんど行かなくなってしまったが、2人と出会う前までは何度もお世話になった宿だ。慣れ親しんだドアを開けると、昼時ということもあってか中にはたくさんの人がいた。
ドアを開けると同時に入店を表すチリンという音がなる。その音を聞いた店の人の「いらっしゃいませー!」という元気な声が聞こえた。
「あれ!?ユヅルくんじゃない!」
ドアの近くにいたのは料理がのっていたであろうトレーを手に持ったエミリさんだ。エミリさんはここ酔い潰れた龍の宿の女将で、アイラさんとレイラさんの母親でもある。
「エミリさん、こんにちは」
「もうユヅルくんてばなかなか来ないんだもの。寂しかったわ~」
「すみません。いろいろとあったものですから…」
「娘達から話は聞いてるわ。この子達がノワールくんとルーチェくん?」
「はい」
「そう。可愛いわね。私はこの宿の女将のエミリよ。よろしくね」
エミリさんは俺の後ろに隠れてしまった2人に向かって笑顔で声をかけてくれた。2人は初めて会う人には警戒心が高いのでいつも俺の後ろに隠れてしまう。そんな2人に向かってエミリさんは挨拶をしただけで無理に近づこうとはしなかった。エミリさんのことだ。いろいろと察してくれたのだろう。
「今日はグレンくんに会いに来たんでしょう?」
「はい。怪我をしたって聞いたので…」
「マルスくんから聞いてるわ。部屋は2階の左の角部屋よ。グレンくんすごくユヅルくんに会いたがっていたからきっと喜ぶと思うわ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「何かあったら遠慮なく声をかけてちょうだいね」
エミリさんは人好きのする笑顔を浮かべながら仕事へ戻っていった。
マルスは事前にエミリさんに伝えておいてくれたみたいだ。
俺たちはさっそくエミリさんに教えてもらったグレンとマルスが宿泊している部屋へと向かった。
———トントントン
部屋には専用のカードキーがないと入れないので、部屋のドアをノックし、訪問を報せる。
防音性になっているため中の音は聞こえない。暫く3人で待っていると、ガチャリと音を立ててドアが開いた。
「よう。待ってたぜ…」
そう言って顔を出したのは少し疲れた顔をしたマルスだ。昨日より少しやつれているように見えるのは気のせいだろうか?
「昨日ぶり。グレンの調子はどう?」
「おー……すこぶる元気だ。むしろ元気過ぎて困る。昨日からずっとユヅルに会えるからってうるさいんだ。相手してやってくれ…」
マルスはドアを大きく開けて俺たちを中へと入れてくれた。
部屋の中にはテーブルが1つとその周りに椅子が2脚、ベッドが2つ置いてあった。グレンは2つあるベッドのうち出入口近くのベッドに足を伸ばして上半身を起こした状態でいた。
グレンはずっとこっちを見ていたみたいで、すぐに視線が合わさった。
「グレン」
「ユヅルさ……っ!」
俺が名前を呼ぶといつものように俺に飛びついてこようとしたが、マルスがそれを制した。
グレンがマルスを睨みつける。
「マルス」
「そんなに睨まれても怖くねーよ。今ユヅルに飛びつこうとしただろ?自分の今の状態を考えろ。その状態で飛びついたら怪我が悪化するだろうが」
「むぅ~」
マルスが言ったことが的を得ているのだろう。いつもなら言い返すのにグレンは拗ねたように頬を膨らませてむくれているだけだ。
ベッドの上にいるグレンの足には包帯が巻かれていた。おそらく足を怪我してしまったのだろう。どのくらい回復したのか分からないが、マルスの言う通り完全に治った状態ではないのにいつものように俺に飛びついてしまっては怪我が悪化してしまう可能性がある。そう考えるとマルスの対応は妥当だ。
このままにしておくと喧嘩が始まりそうだったので、2人に近づき声をかけることにした。
「グレン、久しぶりだね。怪我したって聞いたけど大丈夫?」
「ユヅルさん!!!」
俺が声をかけるとグレンはパッと表情を笑顔に変えてこちらを向いた。そして、両腕を広げてうるうるとした目でこちらを見てくる。
ハグしたいってことかな?
自分からは行きたくても行けないから俺の方からして欲しいってことだろう。いつものことだし、グレンだから全然構わないけど。
グレンがいるベッドへ近づき、ベッドに座っているグレンと高さを合わせるためにそのままベッドの縁へ腰を下ろして優しくグレンを抱擁した。視線の先にあるグレンの尻尾が嬉しそうに揺れている。
相変わらずグレンはハグするのが好きだなぁなんて思いながら、軽くグレンの背中をポンポンと叩いた後抱擁を解いた。グレンは残念そうにしていたけど、ずっと抱きしめ合ってる訳にはいかない。今日は俺1人できたわけではないからね。
「グレンが怪我したって聞いて心配だったけど、元気そうでよかったよ」
「うん!魔物討伐の依頼中に足を怪我しちゃったんだけど、ポーション飲んだし、もうほとんど痛みもないから大丈夫だよ!それより、ユヅルさんが僕に会いに来てくれたなんて嬉しい!」
グレンは俺の手を握りブンブンと嬉しそうに振る。
本当に元気そうでよかった。
冒険者として活動していくには怪我は付き物とはよく言うけれど、やっぱり親しい人が怪我をしたと聞けば心配になる。怪我の程度によっては二度と冒険者として活動できなくなる人も中にはいる。そんな人の辿る末路はあまりいいとはいえないから、本当に治らないような大きな怪我じゃなくてよかった。
怪我や病気を治すには二つの方法がある。1つは聖魔法、もう1つはポーションだ。
聖魔法は教会に行ってお布施という名の安くはない治療代を払って治してもらう。聖魔法を使えるものはあまり多くはなく、使える者のほとんどが教会に属している。ただし、教会に行って治してもらえるといってもとても治療代が高く、聖魔法をかけてもらっても必ず完治するとは限らない。聖魔法による治癒は医学的知識が重要なのだ。この世界では身体に関する知識が俺が地球にいた頃と比べてとても低い。俺も専門的に学んだ訳ではないから詳しい知識はない。身体の構造とかも基本的なことしか分からない。神様はイメージできればどんな怪我も病気も治すことができると言っていたが俺にはそのイメージができるほどの医学的知識がない。だから、いくら俺の力が神様から与えられたチートとはいえ、俺には怪我や病気を治すことはできない。万能書をもってしても前世の医学知識を学ぶことができなかった。多分、この世界の基準に合わさるようになっているのだろうと思っている。
こんなにチートな力を与えといて?と思わなくもないが、神様に聞くことも頼むこともできないので仕方ない。
まあ、そういうこともあって聖魔法による治癒は一般的にはあまり使われない。その代わり、この世界にはポーションが存在する。
ポーションは魔力を含んだ水と薬草を混ぜ合わせて作られたもので、たくさんの種類がある。怪我を治すのに特化したポーション、病気を治すのに特化したポーション、各状態異常に特化したポーションなど様々だ。ただ、ポーションにはランクがあり、効果が高い順にS、A、B、C、Dと分けられ、値段もランクによって変わる。効果が高いものは値段も高いが、ランクが低いものは比較的手に入れやすいため、怪我や病気を治すとなればほとんどの人がポーションを使用する。
飲んだりかけたりするだけですぐに効果が表れるのだから、現代医学を知っている身としてはとても便利なものだよなと思う。まあ、このポーションがあるからこそあまり医学的知識が発展しないのだろうけど。
「本当にお前はユヅルが大好きだな。でも、そろそろ解放してやれ。お前にユヅルをとられて困ってる奴らがいるからな」
マルスの視線の先には、グレンから距離をとるようにして部屋のドア前にいるノワールとルーチェがいた。俺からも離れているのは俺がグレンと近い距離にいるからだろう。
マルスとは昨日会っているし会話もしているけど、グレンとははじめましてだからね。
「ノワール、ルーチェ、おいで」
今日グレンに会いに来たのは2人を紹介するためでもある。
2人の方を向いて名前を呼ぶと、2人はおずおずとこちらに近づいた。
俺がベッドに座っている状態なので、ノワールとルーチェは俺の膝辺りをぎゅっと掴み、じっとグレンを見つめている。そんな2人をグレンも見つめていた。
しばらく見つめあった後にグレンが口を開いた。
「……このちびっこいの誰?」
「ブッ……!…っく………ふっ……」
「何だよ!」
「いや、だって……ふっ……くく……ち、ちびっこいのって……ふっ………おま、お前が言うか?…ふ、ははっ!」
マルスはお腹を抑えながら爆笑し、そんなマルスを睨みつけるグレン。
うん。まあ、マルスが笑っている理由は分からなくもない。グレンもまだ成人前で身長もそんなに高くないからね。
「別にいいだろ!ちびっこいんだから!」
「いや、だって……っ……お前だってチビだろ!…チビがチビにちびっこいって……ふっ、はは!……も、笑わせるんじゃ、ねーよ!…くっ……ハハハハッ」
「~~~っ、マルスのばぁーか!!!!」
「あはははは!!!」
爆笑するマルスをポコポコ両手で叩くグレン。全然力が入っていないこともあり、更にマルスの笑いを誘ってる気がするは気のせいかな?
マルスはツボに入ったのかずっと笑っている。
そんな2人を仲良いなぁ~なんて思いながら、マルスの笑い声にびっくりしているノワールとルーチェの頭を撫でつつ落ち着くのを待った。
「はぁ~……笑った笑った。………フッ…」
「……………」
笑いすぎて涙目になってるマルスだがやっと落ち着いたらしい。また笑い出しそうになっているけど、グレンが睨んでいるからかどうにか我慢しようとしている。
仲がいいなとは思ったけど、口に出すとまた言い合いを始めてしまいそうなので心の中に留めておいた。
「落ち着いた?」
「あぁ、悪い。グレンに紹介するんだろ?ノアとルーも待たせちまって悪いな」
ノワールとルーチェはマルスを見ながら首を横に振った。マルスのことは昨日会って話したからあまり警戒はしていないみたいだ。
マルスの笑いが落ち着いたのでグレンに2人を紹介する。
「グレン。マルスとは昨日会ってるんだけど、紹介するね。兎獣人のノワールと猫獣人のルーチェだよ。いろいろあって俺が2人を引き取ることになったんだ。今は一緒に暮らしてる」
ノワールとルーチェにもグレンを紹介する。
「ノワール、ルーチェ。この子はグレンだよ。マルスと一緒に活動している冒険者で、2人と同じ獣人だよ」
3人は黙ってお互いにじっと見つめあっている。暫く様子を見ていると、意外にもルーチェが最初に口を開いた。
「……くま?」
どうやらグレンの種族が気になったらしい。俺は獣人としか言わなかったからね。
「違う。僕の種族はアライグマ」
「ふーん…?」
ルーチェは首を傾げながらアライグマは熊じゃないのかとでも言いたそうだ。
「くましゃん、かわいーねー?」
ニコニコしながらノワールが小首を傾げた。目線はグレンの耳にあるように見えた。
可愛いというのはグレンに対してなのか、グレンの耳に対してなのか…。
グレンの容姿はまだ成人前で成長途中というのもあるが、身長が低いのも相まって男としては可愛い部類に入るだろう。ただ本人は特定の人以外に可愛いと言われるのは嫌っている。可愛いと言ったノワールに対してどんな反応をするのか様子を見守っていると…。
「だから熊じゃない。アライグマだ!」
「あらい……?なにをあらうの?おしゃら?おしゃらきれいにするくましゃん?」
「…っ……」
まさかの返答に思わず笑ってしまいそうになった。マルスも肩を震わせ、口元を手で抑えながら吹き出しそうになるのを必死に堪えている。
ノワールに悪意はない。本当に純粋にお皿を洗う熊さんだと思って言ってるのだ。グレンもそれが分かったのだろう。怒るに怒れないという様子だ。
何も言わないグレンを不思議に思ったのか、首を傾げたままグレンを見つめるノワール。そんなノワールに隣にいたルーチェが話しかけた。
「ノア」
「うんー?なぁに?」
「アライグマはおさらをあらうくまじゃない」
「そうなの?」
「ん︎︎。”アライ”はきょうぼうっていみ」
「きょーぼー?」
「そう」
「そうなんだ~?」
よく分かってないけど分かったという顔をしたノワール。自分が間違っていたと分かったからか、ノワールはグレンに向かって「ごめんなさい」と謝った。
「別にいいけど…」
グレンの返事は素っ気なかったけど、ノワールは許してもらえたと安心したのか笑顔を浮かべている。
3人ともまだぎこちなさはあるけど、仲良くなれそうでよかった。これから会う機会も多いだろうし、徐々に仲も深まるだろう。
マルスとグレンは喧嘩することが多いですが、何だかんだでお互いを信頼しています。(そうでなければ2人で冒険者パーティーなんて組まないですね)
喧嘩するほど仲がいいとはまさに2人のこと。
いつか2人の話も書きたいですね。




