39.マルスと手合わせ
5人で訓練所まで行き、ジェイドさんにノワールとルーチェを預ける。
「ジェイドさん。マルスと手合わせしている間、2人のことを頼みます」
「はい。ノアさんとルーさんのことは私が傍にいますので、ユヅルさんは安心して手合わせの方に集中してください」
「ありがとうございます」
ジェイドさんにお礼を言って、まだ俺の傍にいる2人に目線を合わせるためしゃがみこむ。
「2人とも、これから俺はマルスと手合わせするから、その間危なくないようにジェイドさんと一緒にいてくれる?」
「あぶないの?」
ノワールが不安そうな表情で見てくる。
「そうだね。本物の剣を使って戦うから、俺とマルスの近くにいると2人が怪我をしちゃうかもしれない。だから、少し離れた所でジェイドさんと一緒にいてくれる?」
ノワールもルーチェも目に不安を滲ませながらじっと見てくる。
きっとまだ俺と離れることが不安なんだろう。今までずっと近くにいたから。
「大丈夫。少し離れることになるけど、2人から見える所にいるから。それに、何かあったらすぐにノワールとルーチェのそばに行く」
2人が安心するようにゆっくり優しく話すことを意識する。
「ぼくたちがよんだらしゅぐきてくれる?」
「うん。すぐ行くよ。約束する」
「……わかった」
「ありがとう」
ルーチェも小さく頷いてくれたので、ありがとうと大丈夫という意味を込めて2人まとめてぎゅっと抱きしめた。
少しの間2人を抱きしめ、そっと2人から離れた。まだ不安そうではあるけれど、さっきよりかは表情が良くなった。
そんな2人を見て少し安心しつつ、安全を考慮して念の為に2人の周りに透明なシールドを張る。シールドはノワールとルーチェそれぞれを中心として円形になっている。
このシールドは向かってきたもの全てを弾くから2人が怪我をすることはない。そもそも2人がいる所へ危険が迫るようなことはしないけど、念には念を入れて、だ。万が一のことが起こったら大変だからね。
2人の頭を軽く撫でてから、訓練所の真ん中にいるマルスの元へと向かった。
「準備はいいか?」
「もちろん」
「なら、早速始めようぜ」
マルスが好戦的な笑みを浮かべながら手に持った剣を構える。
今回の手合わせでは、訓練所に置いてある剣を使用する。お互いに自分の剣を持ってはいるが特別な能力が付与されていたりするため、公平に訓練所に置かれている剣を使い、純粋な剣の技術だけで手合わせを行うことにした。もちろん、魔法を使用することも禁止だ。
正直、純粋な力だけでは俺よりもマルスの方が強い。いくら日本にいた頃武術を習っていたとはいえ、実践的に剣を交えるのは全然感覚が違うし、剣を使って戦ってきた歴もマルスの方が長い。それに、魔物と人を相手するという違いもある。
俺が剣を使う時は身体能力を上げる魔法をかけて戦うことが多い。その方が圧倒的に勝率が上がるからだ。使えるものは使える時に使う。この世界は日本と違って死が身近にある。戦闘において、油断や傲慢は死を近づける。だから、使えるものは使える時に使わなければ、すぐ死に直結する。
普段俺が相手するのは魔物が多い。冒険者をしていればあたりまえだろう。だが、中には人を相手に戦わなくてはならないこともある。主に護衛の任務中や盗賊に遭遇した時だ。
この世界に来るまで、俺は人も動物も殺した経験はなかった。日本にいた頃にそんなことをしたら犯罪になるのだからあたりまえだろう。普通に生活していれば、日本は平和だった。戦う力を身に付ける必要はなかったし、死が身近にあるなんてことはなかった。でも、この世界では死が身近にある。戦う術を持たなければ死ぬ。特に冒険者となればその必要性は高い。
魔法があっても日本のように科学や技術が発展している訳じゃない。法も一応存在はしているが、全てに行き渡ってはいない。犯罪を犯していても見て見ぬふり、気づかぬふりをされることは多いのだ。そのため、必然的に犯罪率は日本より多いし、魔物がいることや医療も発展していないため致死率も高い。
俺のこの世界での初めての戦闘はブラックウルフが魔物化したもの。この世界に来たばかりで、まだまだ知識も経験もなかった状態。でも、俺は殺すことを躊躇わなかった。
普通の人なら魔物とはいえ、生き物を殺すことに躊躇うことがほとんどだろう。けど、俺は違った。
元々の性格か、素質か分からないけど、1番は師匠の言葉があったからだ。多分その言葉がなければ俺も生き物を殺すことに躊躇っただろう。
冒険者として活動して、初めて人を殺した時。その時でも俺は躊躇うことはなかった。それは相手が盗賊で、俺の命を狙っていたから。殺らなければ自分が殺られる。俺は自分を守るために初めて人の命を奪った。躊躇わなかった。けど、気分が良かった訳ではない。自分の命を守るためとはいえ、やはり人を殺すというのは気分がいいものではなかった。寧ろ、不快だとさえ思った。
この思いは決して忘れてはいけない。
人を殺すこと、生き物の命を奪うことに何も感じなくなってしまった時、それは俺が人をやめた時だ。
命を奪うことへ快感を覚え始めたらそれはもう人間ではないし、何も感じないというのは感情をなくした時だろうから…。
いずれノワールとルーチェも経験することになるだろう。この世界で生きるには必要なことだ。一生街中で暮らしていくならば必要はないかもしれないが、2人はきっとそうはいかない。剣や魔法に興味を持っている様子だったからね。
まあ、それは追々理解してもらえればいい。今は純粋に今を生きることを楽しんでくれればそれでいい。
—————と、今はマルスとの手合わせ中だというのに別の方向に思考が逸れてしまった。今は目の前のことに集中しないとね。
マルスは剣の扱いに長けているし、力もある。そのため、純粋な力だけでは勝つことができない。身体能力を強化すればできないことはないが、今回は魔法を使うことができないため無理だ。力を上手く流しながら、マルスの隙をつく。それでいこう。
「お2人とも準備はよろしいですか?」
ジェイドさんの問いかけにマルスと視線を合わせたまま頷く。マルスも同じように頷いた。
それを確認したジェイドさんがスタートのかけ声をする。
「それでは……始め!」
ジェイドさんがスタートの合図を出したと同時にマルスが正面から突っ込んで来る。そのままマルスの剣を正面で受け止め、剣の角度を変えて流れるように横へと流す。
でも、マルスはそうなるのが分かっていたかのようにすぐに体勢を直し、再度斬りかかってくる。
マルスの剣は一撃に加わる力が重い。剣を受け止めただけだと力で押し負けてしまうため、すぐに受け流さなければならない。そうしなければ、剣を持つ手や腕への負担が大きくなってしまうのだ。
最初は良くても何度も受け止めていてはすぐに手と腕に限界が来てしまう。これでマルスが大剣使いであったら更に重量感が増して大変だった。
体勢を変えながら何度も剣を受け止めてはすぐに受け流すというのを繰り返す。マルスからの攻撃を受け止めるだけでなく、マルスの攻撃を受け流したその流れで、体を回転させてまだ体勢が整っていないマルスへ攻撃するがすぐに塞がれてしまう。隙ができたと思って攻撃をすれば、すぐに対処されてしまうためなかなか思うように攻撃が入らない。
それはマルスも同じようだ。
お互いがお互いに一度距離をとる。
「ほんと受け流すのが上手いな!」
「マルスも一撃が重すぎるよ。そのせいで手が痛い」
「そりゃどーも。…そういうお前こそ、優雅にに躱すよな。見てる分には舞ってるみたいで綺麗だが、実際にやるとやりずらいったらねぇなあ!」
お互いに息を切らしながら言葉を交わす。
マルスと剣を交えるのは楽しい。それはきっとマルスも同じだ。
だって、疲れてはいるはずなのにお互いに笑みを浮かべているから。
マルスと距離をとって少し息を整え、またすぐマルスの元へ向かう。マルスも俺が動き出すと同時にこちらへ向かってきた。
訓練所には俺とマルスの剣がぶつかる音が響く。
何度も何度も剣を受け止め受け流す。体を捻り、姿勢を低くし、隙を狙うがすぐに対応される。
手合わせを始めてどれくらいの時間が経っただろう。
お互いが体力に限界がきていた。多分、次で勝負が決まる。
マルスから距離をとって、一度息を深く吐き、吸い込む。そして、姿勢を低くしてマルスの元へ走り込み、剣を振りかざし攻撃すると見せかけて、マルスの背後に回り、首元へ剣先を突き出す———
「そこまで!」
ジェイドさんから終了の声がかかった。
マルスの首元には俺の剣先が、そして、俺の首にもマルスの剣先があった。
結果は、引き分けだ。
俺がマルスの背後に回って剣先を突き出した、その一瞬にマルスも上半身だけを後ろに向けて俺の首元へ向かって剣を突き出した。
流石の反射神経だとしか言いようがない。いけたと思ったんだけどな。
お互いの首元から剣を引く。マルスが振り向いて手を差し出して来たので遠慮なくその手を取って立ち上がった。
「ありがとう。今回は引き分けになっちゃったね」
「今回こそは勝てると思ったんだけどな……最後のやつはヒヤッとしたぜ」
「マルスこそ、流石の反射神経だったよ」
「ギリギリだったけどな」
立ち上がった状態でマルスと言葉を交わしていると、後ろから腰下にドンッという衝撃が来た。
「ゆづにい!」
「ゆづる…」
どうやらノワールとルーチェがジェイドさんがいた所から俺の所まで走って来たみたいだ。
ノワールは俺の右足に両腕を回して抱きつき、ルーチェは左足のズボンを両手でギュッと掴んでくっついている。
まだ手に剣を持ったままだったので、危なくないようにマルスに剣を持っててもらうように頼み、両手で2人の頭を撫でた。
「ノワール、ルーチェ」
2人の名前を呼ぶと、2人共顔を上にあげた。そのおかげで見えていなかった2人の顔が見えるようになった。
2人の顔、正確には瞳がとてもキラキラと輝いていた。
「ゆづにいしゅごい!!バッとやってシュッてなって!しゅごかった!!!」
「ん。きれい。かっこよかった」
ノワールはまだ言語化することが難しいのか抽象的な表現だったけど、それでも、2人とも俺とマルスが戦ったのを見てとても興奮しているみたいだった。
ノワールは両手を上げて「しゅごい!しゅごい!」と言いながらピョンピョンと跳ねて、ルーチェはフードの下にある耳がピクピクッと動き長くてふわふわの白い尻尾は機嫌が良さそうにゆらゆら揺れている。
きっと喜んでくれるだろうとは思ったけど、ここまで興奮するとは予想外だ。2人の様子が嬉しくて、思わず笑ってしまう。
そんな俺達を傍で見ていたマルスが話しかけてきた。
「まるで自分のことみたいなはしゃぎようだな」
「ふふ、可愛いでしょ?」
「……親バカが」
親バカか。まあ、否定はしないかな。俺は2人のことが大好きだし、可愛くて仕方ないから。
きっとマルスだって俺と同じポジションになったら、2人が可愛くて仕方なくなるはずだ。
「ノワールもルーチェもありがとう。2人が喜んでくれて嬉しいよ。結果は引き分けになっちゃったけど、マルスの剣はどうだった?」
「かっこよかった!ちゅよいのにシュッてはやくてしゅごかった!」
「ルーチェは?」
「ん…すごいつよかった」
2人の視線がマルスへと向く。ルーチェは俺の傍にいたままだけど、ノワールはピョンピョン跳ねながらマルスの方へ近づいていった。マルスの近くでマルスを見上げて、キラキラとした視線を送っている。
そんな純粋な2人の視線と言葉にマルスは珍しく狼狽えているみたいだ。
「なっ…!…………ん"ん"……ありがとよ」
そう言って、マルスは自分の近くへ寄ってきたノワールの頭へ手を伸ばした。人に触られることに慣れていないノワールが怖がるかもしれないと思ったが、杞憂だったみたいだ。マルスの少しぎこちない手に頭を撫でられながらえへへ、と嬉しそうに笑っている。
「お前も……えっと、ルーチェだったか?…ありがとな」
「……ん」
マルスはノワールの頭を撫でた後、ルーチェにも声をかけてくれた。それに怖がる様子はなく、ルーチェは軽く頷いて返した。
ルーチェもマルスに近づきはしなかったけど、マルスをそこまで警戒しているような様子はない。
俺とマルスの手合わせを通して、マルスは大丈夫な人と認識してくれたのかもしれない。
「ルーでいい」
「ルーって呼べってことか?」
「ん」
「わかった」
マルスとルーチェの話を聞いていたノワールも「ぼくはノアだよ!」とマルスに向かって言った。
「わかった。ノアとルーな。そう呼べば良いんだろ?」
「うん!」
マルスとのやりとりを見ていたけど、2人とも大丈夫そうだ。マルスとは親しいから会う機会も多いだろうし、仲良くやっていけそうで安心した。よかった。
マルスは小さい子とどう接したらいいのか分からないといった様子ではあるけど、徐々に慣れていくだろう。
「ノワールとルーチェ、可愛いでしょ?」
マルスにさっきと同じく問いかけた。
「まあ、否定はしねーよ…」
少し呆れも入ったような答えだったけど、マルスも2人の可愛さを分かってくれたようで何よりだ。




