復唱
あきひこさんと「ちよ」ちゃんの話
突然で、申し訳ないのですが、私には想い人がおります。名は「ちよ」と、申します。「ちよ」はちよであり、ちよは「ちよ」であります。特に、これといった、関係はなかったのですが、省きますが、ひょんなことから仲良くなり、私たちは「友人」として、共に過しておりました。
「おはよう。ちよちゃん。」
「おはようございます。あきひこさん。」
ちよちゃんは必ず、私を「あきひこさん」と呼びます。年の差は、あまりないのですが、ちよちゃんは私を「あきひこさん、」と呼ぶのが好きなようで、私もそれに合わせて、敬称を付けています。何が好きなのかは、長くいますが、わかっていません。
私が、ちよちゃんへの、好意に気づいたのは、初めて出会って、しばらくしてからでした。ちよちゃんは、私を見ると、笑顔になり、手を振り、私めがけて走ってくるのです。それが堪らず、愛おしく、私は胸を痛めておりました。様々な文献で、調べたところ、それは恋という病であることが、発覚いたしました。
嗚呼恋か、と。
私たちが、一緒にいるようになり、十年程経った頃、ちよちゃんが、私の家に来たいと、申しました。
「どうしたの、ちよちゃん。」
「申したいことがあります。」
「言ってみなさい。」
「私、結婚致します。」
「・・・」
「なんと、申しましたか。」
「結婚をすると、申しました。」
「結婚するのですか。」
「そうです。」
「そう、なのですね。」
はっきり申し上げて、動揺を隠せませんでした。ちよちゃんが、結婚をするなど。
ちよちゃんの目は、嘘をついていませんでした。私の心には、結婚という文字が、刻まれたのです。
「式はいつですか」
「明日になります」
「明日」
突然のことが重なり、よくわかりませんでした。脳が追いつくことが出来ず、私はただ呆然と、ちよちゃんの晴れ姿を考えておりました。
翌日になり、私は、何年かぶりに、黒い背広を着ました。こいつを、想い人の結婚式で、着ることになることは、思ってもおりませんでした。私は、そいつを身に付ける前、そいつと顔を見せ合いました。こいつを着たら、私は笑ってちよちゃんを送り出せるのでしょうか。誰も答えはくれませんでしたが、溜息をつきながら着ることに、決めました。
きっと、外国の音楽であろう、晴れやかな音と共に、「ちよ」ちゃんは、階段を登ってきました。男が、「ちよ」ちゃんの前に立ち、そっと、顎を持ち上げます。
白い服に包まれ、顔も知らぬ男と、接吻を交わす「ちよ」ちゃん。
その瞬間、ちよちゃんは、私の中で、「ちよ」ちゃんでは無くなりました。
つい昨日まで、「ちよ」ちゃん、は、ちよちゃん、であり、ちよちゃん、は、「ちよ」ちゃん、であったのに。
難しいことかもしれません。私にもよくわかりませんでした。何が「ちよ」で、ちよ、なのか。私にはわかりませんでしたが、嬉し涙か、悲し涙か、私はいつの間にか、泣いていました。
全ての式が終わり、庭でたたずんでいると、ちよちゃんは、私の元に来ました。
「あきひこさん。」
「お綺麗でしたね。」
憎まれ口を叩く私。なぜか、ちよちゃんに、冷たく当たりたくなったのです。ちよちゃんは、少し寂しい顔をして、少し口角を、上げました。ちよちゃんが、いつも私にする、返事に困った時の顔でした。
「ちよちゃん。」
「はい。」
「私は、十年前ほど前から、」
「はい。」
「ちよちゃんを、慕っていました。」
「・・・」
なぜか、そう伝えてしまった、私。ちよちゃんは、目を見開き、空気と共に、息を吐きました。ちよちゃんの吐息が、空気となり、私の酸素となり、私の命となっていくのを、実感しておりました。
「あきひこさん。」
「はい。」
「それは、もう少し前に、伝えて頂きたかった。」
ちやちゃんはそう言い、踵をかえし、館の中へ、歩いて行きました。
あとから、風の噂で知った事ですが、ちよちゃんは、親の決めた、無理な縁談でした。ちよちゃんは「自分には想い人がいるから」と、断っていたようでした。
想い人は、一体、誰だったのでしょうか。
あの時言った言葉は、一体、なんだったのでしょうか。
ただ、私は、なぜか、時々ちよちゃんの言葉を復唱し、ちよちゃんが、「ちよ」ちゃんであったことを、思い出すのです。
あきひこさんとちよちゃんの話