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奈々が次に目を覚ましたのは、天蓋付きのベッドの上だった。
自分の手足に感覚があることを確認してから、奈々はゆっくりと床に足をつける。床が、信じられないほどにふかふかであった。床だけでなく、それはベッドも同じである。まるで、早く寝なさいと宥める母のように身体を包み込むベッドを全身で感じながら、奈々は魔性の寝具だと一人納得した。
寝ぼけた頭でそんなことを考えていると、唐突に窓がノックされた。
ドアではなく、窓である。
恐怖より好奇心が勝った奈々は、思い切って窓を開け放つ。
「……誰?」
窓を挟んだ目の前に、10歳ぐらいの見た目の少年がいた。ちなみに、窓の外を見下してわかったことだが、私がいた部屋は2階らしい。
つまり。この少年、浮いてる。
「お巡りさんこいつです。花も恥じらう女性の部屋を——」
「ばっ!ちょ、静かに!」
呆れた表情を浮かべていた少年は、奈々が叫ぼうとすると慌ててそう言った。ついでに、図々しくも窓枠に腰掛けている。
反応の薄いタイプかと思いきや、わりと反応が良いタイプらしい。
フリを終わらせ、奈々は少年と向き直る。
「で、ボクは誰かな?」
「俺、そんな年齢じゃないんだけど」
「ママとはぐれちゃったの?」
「聞いてる?」
「お姉さんが一緒に探してあげようか?」
「今の自分の格好見て?俺より幼いってば」
疲れたようなため息を漏らしながら、少年は奈々を軽く見やった。釣られて奈々も自分を見下ろす。
ふむ、確かにその通りかもしれない。
奈々自身の姿とも、リュエストと顔を合わせた時の姿とも違うこの姿は、社畜の様でも美女の様でもなかった。
要するに幼かった。
もちもちのおてては、以前の奈々の半分程しかない。頬をつねってみると、柔らかいのでよく伸びた。
宮坂奈々の頃と今の幼女、女の象徴と言える胸部のサイズは同じぐらいだということは黙っておこう。少年は微妙な顔をしている。
無視を決め込み、奈々は少年と向き合った。
「で、君は?私は元 宮坂奈々。今は知らない」
「知らないってなんか聞いてて複雑……」
知らないものは仕方がない。奈々は少年に肩をすくめて見せる。気を取り直し、少年は手を胸に当てた。これは格好つけてるな。
「まぁ、とりあえず。俺は……リル、とでも呼んでくれたらいいよ」
あからさまな偽名に、思わず奈々は顔を顰める。少年——リルは、さも楽しそうに言葉を続けた。
「フルネームを言ってもいいんだけど、君たち人間では聞こえない仕様になってるからさ」
聞きたい?とリルは奈々に問う。別に、と答えようとしたが、あまりにリルが顔を輝かせるので、奈々はつい頷いてしまった。
得意げに、リルは言い放つ。
「————だよ」
「ごめん何て?」
「だから!————!」
「だから!ごめん何て!」
「〜〜っもういい!」
自分から言い出したくせに、リルはそっぽを向いて拗ね出した。そんなリルを前に、奈々は自然と笑みを浮かべていることに気がついた。
楽しい。
ブラック企業に勤めていた頃は、忘れ去ってしまっていた感情だ。
(死ぬのも割と悪くなかったのかもしれない)
そう考えた自分は罰当たりだな、と奈々は小さく自嘲した。
「…な?ナナ、聞いてる?」
どうやら、自分の世界に入り込んでしまっていたらしい。
「ごめん聞いてなかった」
正直に奈々はそう答える。
相手が誠実に話していたことに対し、誠実に答えるのが筋だろう。聞いていなかったことは置いておいて。
「時間がないし、頼むから聞いて……」
リルは疲れてしまったのか、大きなため息をつく。
「寝不足?ダメだよ、小さい子が夜更かししちゃあ」
「誰のせいで疲れたと思ってんの」
「身に覚えがございません」
「じゃあ話の腰を折らないで」
注文の多い少年だ。仕方がないので、奈々は黙って聞くことにした。
「まず、幼体化においての注意点。精神年齢がかなり肉体年齢に引っ張られるから、そこは注意して」
現に俺もそうだし。
暗い表情で、リルはそう言った。なかなか苦労人気質があるようだ。
エールとして、奈々は可愛いよ!と言っておく。綺麗に無視された。
「また、無茶な運動はしないこと。わかった?」
「はーい」
素直な奈々は、元気よく右手を上げた。心配そうな顔をしながらも、リルは頷いて見せる。
(苦労人気質だけでなく、オカン気質も持ってるねこれ)
聡明な奈々は、そう思ったことは口に出さないでおこうと決めた。
そうこうしているうちに、どんどん次へと進んでいく。本当に時間がないようだ。
「次!いきなりだけど、防災のおはしも、知ってる?」
「押さない、走らない、喋らない、戻らない、だっけ?」
うろ覚えの頭で奈々が絞り出すと、リルは小さく頷いた。
「そうそう。基本はそれだね。ってことで、ナナの役目バージョンのおはしもいきます!」
お、大袈裟に笑え!は、激しい性格で!し、静かにしない!も、もうこれ以上ないほどに我儘に!
なんと型破りな。避難のおはしもを定めた人が泣くぞ。
先生に続いて復唱してください!とリルが言うので、つい奈々は真似をしてしまう。
「お、お腹いっぱいご飯を食べる!は、歯磨きは丁寧に!し、食材への感謝は忘れない!も、もうお腹いっぱい!」
「一体ナナはどれだけ食い意地が張ってるんだ?!」
お腹も覚醒してきたのか、空腹で鳴き声をあげている。
(青春真っ只中の女の子なら、ここで顔を染めるんだろうな……)
奈々は空腹の主張を生理現象と片付けているため、恥じらい一つとして感じられない体となってしまった。これは全て、あの忌々しいブラック企業のせいだ。
「そろそろ限界かも」
オムレツとケチャップご飯がワルツを踊っている。ついでにカップラーメン軍が行進してる。皆笑顔だ。美味しそう。
あ"ーー!と叫びながら、リルは頭を掻きむしった。
「大丈夫?髪、洗ってあげようか?」
「その変な踊りやめて!あと俺、ちゃんと洗ってるし!」
どうやら、身体が勝手にご飯召喚の儀を舞っていたようだ。
腹が減っては戦ができぬ。さあ、ご飯を食べよう。
リルに背を向け、奈々はふらふらとドアへ向かおうとする。慌ててリルは奈々の手を掴んだ。
「ちょ、もう一つだけ話させて?」
「10秒以内にお願い」
「無理無理無理!せめて3分!」
仕方がない。聞いてやろう。
奈々はリルに向き合った。リルはどこからともなくたくさん付箋のついた分厚い本を取り出して、パラパラとページを捲る。
「あ、あった。これこれ。ナナは——」
「ちょっと待った。え、それ何?」
奈々の見た限り、リルが手に持つ分厚い本はいわゆる『攻略本』と呼ばれる類のものだと思われる。
「ん、ああこれ?予言書。神様から借りてきた」
軽く言わないでいただきたい。奈々は自分の生死をわけるものかもしれない本を前にし、肉食獣のように目を細めた。
「それ、どの神様から借りてきたの?リュエストさん?」
「いや、 地球の創造神から」
つまり、奈々を転生させ、『遊戯をしよう』と持ちかけた張本人からではないか。彼は、どれぐらい奈々にハンデを授かるつもりなのだろうか。
奈々は試しに、リルへ手を差し伸べてみた。
「え、何その手」
嫌な予感がする。とでもいうようにリルは顔を顰めている。
奈々はニッコリと花も恥じらうような笑みを浮かべた。
「ねえ、その本。私に貸して?」
どこまでも傲慢に、命令慣れしている風を装って。奈々はリルに『お願い』をした。
(うん、意外に悪くない。というか、楽しい?)
思わぬ自分の嗜好に奈々は鳥肌が立ったが、気にしない気にしない。
リルは、引き攣った顔で首を振った。
「え、もちろんダメに決まってるよ?俺は一応天使に属するから見れているだけであって、本来人が見るのは厳禁なやつだから。俺の立場がまずいからそれ」
「自称天使さん自称天使さん、哀れな子羊にお恵みを与えてください」
「自称じゃなくて事実です、神様に言ってください」
融通の効かない奴め。奈々はケッと横を向いた。リルがきぃきぃと騒ぎ立てているが、気にしないことにする。
「って言ってる間に時間が!本当にまずい、手短に言うよ」
現実はシビアである。こうして、会社や時間に縛られるのだ。
リルと軽口を叩きながら紙とペンを手に情報をまとめていた奈々は、手を止めて顔を上げた。
「奈々、君は今日から『ステライト・エストレリア』だ。エストレリア公爵の一人娘で、年齢は8つ。幼い頃に実母は病死、と見せかけた毒殺で、犯人は実父。理由は本当に愛する者と結ばれたかったから」
「嘘、え待って待って重いよ」
「続けるよ。実母が亡くなった後、実父はすぐに後妻を娶り、ステライトには継母ができる。継母はステライトを邪険に思っていて、実父は関心を抱いていない。おかげで、ステライトは愛を求める我儘娘に育った。このぐらいかな、『ステライト・エストレリア』については……」
パラパラとページを捲りながら、リルはひとつ頷いた。
「よし、質問はない?」
「質問よりも驚きの方が大きい」
なら大丈夫!とリルは笑っているが、絶対に大丈夫じゃないと奈々は思う。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。あ、その前にこれ、付けておいて」
そう言いながらリルに渡されたのは、綺麗な水色の石がはめ込まれたペンダントだった。
色的に、おそらくブルートパーズだろうか。朝日に反射して、どこまでも透き通っている。
「何か聞きたいことがあったら、その石に俺の名前を呼びかけてくれたらすぐに行くから。まあ、すぐに必要なくなると思うけど」
お洒落な通信機代わりの品らしい。少々複雑な思いを抱えながら、奈々は小さくありがとう、と言った。
「あ、最後に。奈々、役目を実行するのはいいけど、自分の命は大切にすること。これ、重要な!」
そう言って笑顔を見せた後、リルは窓枠から外へ飛び降りた。奈々は慌てて下を覗き込んだが、跡形もなくリルは消えている。
「一体、何だったの……」
重い『ステライト』の境遇といい、自分の『役目』といい、本当に頭を抱えることばかりだ。
(充実してる、と思うしかないかなぁ)
空腹が鳴りを潜め、代わりに睡眠欲が円を描いて踊り出したので、奈々は再び魔性の寝具ことベッドへ戻ることにした。




