何気ない学園生活
静まった教室に上靴底の当たる音が鳴り、鞄と髪を揺らしながら転校生は俺たちの前を歩き教卓のところで足を止める。その子は緊張の素振りを見せずこちらを向いた。
表情は柔らかく優しい顔で周りを見渡しニコリと微笑む。
「じゃあ黒板に名前書いて自己紹介を」
「はい」
黒板に名前を書きゆっくりチョークを戻す。
「みなさん初めまして、あたし 戸坂 璃音 て言います。急遽転校が決まって今でも戸惑っているんですけど、どうか仲良くしてください」
全員が温かい目で転校生の戸坂さんを迎える中、俺は彼女の名前を聞いた後すぐ違和感を感じた。
戸坂、いや苗字の方ではない下の名前。
りおん。あまり聞きなれない名前なはずなのに記憶の奥から懐かしさを感じさせた。
小さい頃そんな名前を口にしたことあるような、だがその子は女の子ではなく男の子だったような。思い出しそうなのに思い出せない曖昧な記憶がむず痒い。
別人の可能性もあるし話せる隙があれば出身校を聞いてみよう。
「お。話せるきっかけができた」
新たな悩みのタネが増えたが既存していた悩みのタネが消えた。
「詳しい自己紹介はホームルームが終わってから個人で聞け。戸坂の席は一番後ろの窓側だ」
指示された席に向かう戸坂さんがまるで俺の方に向かってくるかのように見え、気恥ずかしく目を合わせないよう視線を逸らす。
足音でわかる、徐々に近づいてくる。
やっぱ女の子は緊張するな。
………………
足音が止まった。もう席に座った?
『( ―――――― また会えた)』
…………え。
今何か聞こえた。
この声は戸坂さんの声……?
でも。
「今日はいろいろと連絡事項等があるから聞き逃すなよ」
横目で視界ギリギリ戸坂さんを見ても俺の方は向いておらずしっかり前を見ていた。
気のせい……なのか? 家帰ったら耳掃除しとこ。
*
「ねー戸坂さん。転校する前は部活何してたの」
「あ、えと。何もしてないよ」
「璃音ちゃん、趣味はなに?」
「お、折り紙だよ」
転校生と一番初めに話し始める人って大抵隣の席の人なものなのに、戸坂さんは合間休憩に次々生徒から話しかけられ、周りに人を集める今日の注目人気ナンバーワンに輝く。
授業中も前の席の女子が今習っている勉強を教えたり、隣の席の俺は彼女の人気に圧倒され、質問するどころか話しかける隙がなく諦めていた。
この注目度は明日も続くんだろう、質問はお預けだな。
やがて腹が空くお昼のランチタイムの時間になり戸坂さんはまた生徒に囲まれ屋上に連れて行かれ、俺は一時の落ち着きを取り戻す。
「貴方が心配せずともあの子楽しそうにしていてよかったですね」
「あの人気ぶりは凄まじい。恐るべし転生者」
「(転生ってなんなの?)」
「弘充。一緒食べようぜ」
「詩利華ちゃーん。お昼一緒に食べましょう」
大誠と留未がタイミングよく俺と詩利華を誘い、折角なのでメンバー四人でお昼を食べることにした。
「しまった… 弁当キッチンの上に置きっぱなしだった」
朝家を出る前鞄に入れるのすっかり忘れてた。しかも母さんから着信来てたのに気づかなかった。
学食に行かないと飯がない。手持ちは二千円、金額に問題ない。
三人に『学食で食べないか』と、お願いした。
学食は生徒だけでなく職員方もよく利用され人数が多く、特に人気のメニューはあっという間に売り切れになる。もし人気メニューが食べたければ誰よりも早くここに来なければ手に入れることは難しく、運よく売り切れになっていない時もある。
三人はテーブルに着き、俺は食券を買いに行く。
学食で食べるとなれば唐揚げかハンバーグ定食のどちらか。今日は何となくハンバーグ定食を選ぼうとお金を入れボタンを押そうとする。
「こ、こ、これはまさか」
一番左上の数量限定”メガ盛りドカン!超スタミナ定食”がいつもであれば売り切れと赤い文字で光っているのに今日は光っていないだと。
この定食はかなりボリューミーでお昼ご飯とは思えないほどで、相撲部や柔道部がよく食べている。ハンバーグ定食に比べて値段は張るが払えない金額ではない。
「あ~あ。今月は減量中でご飯は並のスタミナ定食とかマジ足りないっス」
そうか柔道部は試合が近いから体重を維持する必要があるから手を出せずたまたま残っているんだな。
またとない機会かもしれない、買うしかない! 完食できるかわからんが万が一の時は大食いの大誠に分ければいい!
一度でいいから買ってみたかったんだよな。
「メガ盛りドカン超スタミナ定食お待ちどさん」
「(うわ重ッッ!!)」
見た目だけじゃなく実際重みもあるし、近くで見るとなおボリューミ―。すでに食える自信なくなってきた。テーブルまで持っていくだけでも地味にキツイぞこれ。
腕つかれた…… 一旦置くとしよう。
「チッ」
俺の前方、券売機の前でボタン上半分オープンシャツ出し服装乱れる不良生徒が舌打ちしている。赤の他人であれば気にせずスルーする。でもあいつは赤の他人ではなく、なんと俺のメンバーである。
悩んでいるようだが基本集団行動を拒む一匹狼の彼だからここで話しかけるのはやめとこう。
「おやおや困ってますね 隼」
「弘充!? なんでここにいんだよ!」
そう思ったが活動出席日数の少ない彼に借りを作り出席させるという作戦を立てた俺はチャンスと思い隼に声をかけた。
「今日は学食で済ませようと来たのさ」
「そーかよ」
「隼もお昼学食なのか」
「いや別に。腹減ってねーし昼抜きでいいやとか思ってたところだ」
「へー」
「なんだその疑う目は」
本当は腹を空かしているのに、朝ポケットに財布を入れ忘れて食券が買えなくて残念がってるくせに意地を張る狼。
どうにかここで借りを作っておきたい。けど俺の財布の中身に奢る余裕の金が無かった。だがな、借りを作る手段は持っている。あとは、
『グウゥゥ~~~』
「(今だ) お腹鳴ってますけど?」
意地を張っていただろうが身体は正直なんだよ。これで腹空いてる証拠ができた。
「腹減ってるんだったら正直に言いな。財布忘れたんなら俺の分わけてやんよ」
「いるか馬鹿野郎。腹減ってねえってさっき言ったろ」
「そっかー」
喧嘩は鬼強く物理耐久力はウルツァイト窒化ホウ素級の硬さを持つと呼ばれた男が三大欲求の一つ、食欲を抑え空腹に耐えれるか空腹耐久力チェックをさせてもらう。
「あ~この唐揚げ、醤油だれに漬け込んであるから醤油の匂いが食欲そそるわ~」
「んなッ」
「お~この肉分厚いけどまさか牛ですか! デカいから食べるの大変だな」
「やめろ」
「ソースが染み込んだ玉ねぎも格別で柔らかく美味しいんだぜ」
「や……、やめ」
「これ見てくれ! 肉汁ブシャー!」
「……か」
「普通のウインナー Simple Is Best」
「……借りは……返す」
「交渉成立」
こうして空腹に耐えられなかった隼には飯をわける代わりに次の活動は必ず出席してもらうとの約束を果たした。
作った借りは必ず返すのが彼のプライド。約束を破ることはほぼない。
「よっと」
三人が着いたテーブルに定食をのせると巨大さとボリュームに三人とも目を開かせ驚く。
「今日はガッツリ食う気まんまんではないか」
「凄い量ですね。私見てるだけで胃もたれしちゃいそうですよ」
「しかし全部食べれるのか?」
「無理だと思う」
「じゃあなんでそれ選んだんです」
「が、問題ない。これを二人で食べきる」
「「「二人で?」」」
三人ピッタリ声を合わせ『誰のこと?』と留未が付け加え、遅れて紙皿と割りばしを持った隼が姿を現す。
「マジかよ、お前らまでいたのか」
学食に来ていたのは俺だけだと思い込んでいた隼は露骨に嫌そうな顔で椅子に座る。
「全員で飯とか俺は聞いてねぇぞ」
「みんなと一緒に食べた方が楽しいだろう?」
「そうですよ。こうして集まって食べる食事はとても賑やかでいいと思います」
「うむ。その通り」
「つーわけで、ほら食いな」
適当に振り分けたおかずをのせた紙皿を手渡す。
隼は紙皿を受け取り、みんなと食べることに対し少し不満げだったが彼の心情は嫌ではく単に照れ臭いだけでいわゆる照れ隠ししている。
中学三年生からの短い付き合いではあるが、彼の様子を見続けていればある程度読み取れる。
「詩利華ちゃんの卵焼きおいしそう」
詩利華の手作り弁当の中身は健康バランスのとれた色とりどりのおかず。その中にひときわ目立つ黄色い食べ物。好きなおかずを入れれるのであれば是非とも入れておきたい定番にして無難、そう卵焼きである。
甘い、しょっぱい、だしを染み込ませるだし巻き卵、作る人の好みによって味を変える。
留未も毎日自作の手作り弁当で、唐揚げ、ミートボール、ミニトマトなどなどお子様が好むおかずが入っていた。
「二つありますし、お一ついかがかしら?」
「いいの? やったー!!」
食べる前に卵焼きを移し、留未の喜ぶ顔を見て詩利華もクスッと嬉しく笑う。
「卵焼きとトレードですよ」
今度は卵焼きを貰った留未からミートボールを箸でつまむ。
「でしたらいただきます」
「はい詩利華ちゃん、あーんしてください」
「まって留未!? 手渡しなの!?」
予想外なお返しの仕方にほんのり頬を赤らめる詩利華。
この百合絵図を大誠はちっとも気にせず食べ始め、隼は目をつむって黙々と食べていた。
俺は詩利華の辱めの受ける姿をチラチラ見ながら口にウインナーを運ぶ。
留未の優しさに断れず辱めを我慢してパクッと一口ミートボールを頂き呑みこむ。
「うん、おいしいわ」
「よかった」
反応を気にする詩利華は半目で男性組へ視線を送る。
二人は普通に食べ、俺は素早く二人の真似をして見ていなかったフリをした。
心の中はゲスな顔で『メシウマー!!』と叫ぶ。
「ごちそうさん」
先に食べ始めていた隼が早く完食して席を立とうと椅子に手をかけた時、留未が何かを気にして話しかける。
「隼君今日は食べるの早いね。でも急いで食べたら身体に良くないんですよ」
「お前らより先に食べてたからな。大してこんなもんだろ」
「嘘。いつも食べるの遅かったのに。それにさっきムスッて顔してました」
「何が言いたいんだお前」
「とっても不機嫌そうだった」
「ちげーよ」
「もしかしてですが」
友達思いの留未。この場からすぐ逃げようと早食いしていた行動に勘付いたのか彼女から寂し気な雰囲気を出し、周りの空気が重い。
恥ずかしい心情を明かすことができない隼は誤魔化すにしてもいい訳が思い浮かばず言葉が出せず、俺と詩利華で何とか留未を悲しませぬフォローしようとするが彼女の口が先に動く。
「お腹ペコペコすぎて早食いして、それでも足りないから機嫌悪かったでしょうか?」
「寝不足でイライラしてたっていうかよ…… は?」
「よかったらスパゲッティ食べますか」
早食いした理由を勘違いして、弁当に入ったおかずの銀紙に包んだ少量のスパゲッティを快く差し出した。
「はは。気が利くじゃねーか」
都合のいい勘違いのおかげで誤魔化す必要がなくなった隼がそのまま話に乗っかりスパゲッティを紙皿の上に乗せ換える。
「男の子は消化するの早いもんね。いっぱい食べて元気出して!」
「ハッハッハ! 食いしん坊になったな隼! 俺のエビフライも食うがいい!」
「さ、サンキュ……」
「仕方ないですね。私からもこの栄養満点のパセリをあげましょう」
「テメーのパセリは飾り付けで合わせただけの余りもんだろうが。ゴミは自分で処理しやがれ」
「あらあらそんなことありません。パセリには豊富なβカロテンが含まれ、ビタミンC、E、Kを多く含んでいるとかで野菜のトップ。らしいですよ」
詩利華は片手に持っていたスマホでGaagleアプリの検索欄に パセリ 栄養 と打ち込み検索結果の一番上の記事を朗読する。
「堂々と検索して答えんな。説得力ねーぞ」
留未+大誠の勘違いと犬猿の仲である詩利華がクスクス面白がって、話に乗ったことを隼は酷く後悔していた。
「エビフライじゃ足りんだろう、ミニハンバーグ食うか?」
「油ものが多かったのでお口直しにミルクチョコでもどーぞ」
「ありがてぇな!」
最終的に紙皿の上にはエビフライ、ミニハンバーグ、小サイズホイルケースに入ったスパゲッティ、ミルクチョコ、パセリが追加され食べる羽目になった。
胃袋はすでに十分満たされ入るスペースが殆ど残っていない彼が次に行動する事を俺は予測した。
「そうだ弘充! 俺に分けたんだからお前も腹減ってんだろ! 分けてやるから皿よこせ!」
「弘充君ならさっきお手洗いに行きました」
「(あんのクソ野郎逃げやがった)」
活動をサボったペナルティーと、普通に面白い展開だったから、隼に巻き込まれるのを避けるべくトイレに逃げた。
本当にトイレには行きたかったんだけどな。
フウ~~、スッキリ爽快。用を足したし外の自販機寄って戻るか。