4話 重騎兵戦
ダーナは夕闇の中、今日起きたことを思い起こしていた。
幕舎が急ごしらえで二つ立てられており、その脇にダーナと彼女の愛馬が佇んでいた。幕舎には卓も椅子もなく、隊長や指揮官の姿を兵士の目から遮る程度の役割しか果たせてなかった。
幕舎をの前を行き交う伯爵麾下の兵士達が、馬に語りかけるダーナに奇異の目を向けてきていたが、こういう視線には馴れていた。
ダーナは愛馬とこうして語り合う時間が好ましく、激務の中にあっても僅かな時間を見つけて向かい合うようにしている。
「王都を出て。マイヤー卿に怒鳴られたでしょ?あれから南にわずか三騎で向かって、山登りしたよね。待機してる間に馬で下りられる崖を探してくれって言われて、探したよね。私とあなたなら行けそうな崖もフィリッツじゃ無理そうだったから、ようやく探したよね。そして水飲んで休憩して……」
話しかけながらもダーナは馬の毛を梳く手の動きを止めない。
「そしたらさ山頂のほうの岩が転げていってさ。びっくりしたよね。ね?あなたもそうだったでしょ。あんな音聞いたことなかったしね。そしたら、護衛の兵士を置いて崖を下りるなんてことやって。敵の眼前まで行くし。敵の指揮官に宣言するし。その後はベイスの町を突っ切って、追っ手の騎兵を全力で振り切って。ようやく休めてるけど。――なんなのこれ?」
ダーナの真剣な問いに答えはなく、夜目に光る瞳がじっと見つめ返しているだけだった。
「そうよね、あなたもわかんないよね」
ダーナ達が集結した本営にやってきたユーリヒも報告する顔が惚けて見えた。
たぶん言いたいことは一杯あるんだろうけど、ルーメイ伯爵の兵士達の目がある中、言い出せなかったんだろう。
「これ、後からユーリヒにフィリッツが詰め寄られるパターンよね。今までよく見たわ。――おい!、こんなん聞いてねえぞってユーリヒが憤慨するの」
よく分からないと首をかしげて見せた愛馬の頭を抱きしめる。
「変な戦争になったね。私もわかんないわ。副官になったのに、崖下りる場所を見つけるのと。フィリッツが宣言してる間、賢そうにかしこまって突っ立ってただけね。他はなーんもしてない!」
幕舎から漏れるマイヤー卿やフィリッツ、ユーリヒにドゥメイ家宰の声は無視して、ダーナは愛馬の毛を撫で回し続けていた。
『重騎兵戦』に赴く重騎兵の面々の闘気が横溢する様が目に浮かぶ。歩兵も軽騎兵も決戦前夜という形で野営の準備に勤しんでいた。
ダーナはマントに包まると、いつしかしゃがんでいる愛馬に身体を預けた。
明朝四の刻(六時)から敵も味方も平原に陣取り、互いににらみ合っている。
彼我の距離は五百メルテン(五百メートル)。騎兵のダーナには指呼の距離といってもよかったが、両軍大人しくにらみ合うままだ。登った朝日が快晴の中、場にうねる熱気をさらに加熱させていくようだった。戦うのは重騎兵だけであったが、軽歩兵も軽騎兵も完全武装のまま、固唾をのんで見守る。
重騎兵たちが試合う中心地はルーメイ家の歩兵により短く草が刈り取られており、闘う場も準備万端に見える。
ルーメイ家の重騎兵隊百三十一騎は、すでに万全の準備を整え横一列に整列していた。距離を開け重騎兵の従者と荷車も一列に並ぶ。
やがて、ウーリッヒ伯爵の重騎兵も横一列に並んだ。
「敵が多いな……なんでだ」そう漏らした横脇のユーリヒが首をかしげている。
ルーメイ家の家宰も同様の感想を抱いたのか、陣営と重騎兵の中間に立つフィリッツを凝視していた。
『敵を三十騎ほど落石に巻き込み倒しました。明日は五分五分より少しマシで行けるはずです』とフィリッツはルーメイ家の武官の重鎮達に報告していた。
三個小隊百五十騎の敵重騎兵に三十騎の損害が出ているならば、百二十騎。
ルーメイ家は定数を若干割り込んでいて百三十一騎。
確かにフィリッツの言うように五分よりマシな結果が期待できた。――十一騎ほど多いからだ。
それなのに相手は百五十騎まるまる健在に見えた。
目ざとい軽歩兵の一人が丁寧に数えたのか「おい、百五十騎いるぞ」と周囲に声を漏らすのが耳に入った。「どういうことだ?減らしたんじゃないのか?」「むしろ我が方が少ないではないか」「当家の家臣は実際に指揮官殿の戦果を確認できたわけじゃないからな、あるいは……」などと制する者が誰も居ないがゆえに、好き勝手に言う。
「そんなわけねえよ……」ダーナには小さくユーリヒが呟くのが聞こえた。渋面を作っている。彼の戦果が疑われている。こんな兵士達のざわめきはユーリヒには痛く突き刺さっているように見える。
ただの客将。そのまた部下という立場のダーナは何も言わない。戦いは軽騎兵の手から離れている。フィリッツも重騎兵戦はマイヤー卿に一任していた。どのような順番で試合うか、一切口を出していない。ダーナも見守るしかないのだった。
重騎兵戦の宣言を行ったのが昨夕。それまでに急ぎ自領から予備の重騎兵を召集することが出来たのだろうか。
ダーナはユーリヒの戦果を疑っていない。ダーナも間違いなく落石からの救助活動を行うウーリッヒ軍を目にしていた。ダーナの角度ではウーリッヒ重騎兵隊の端しか見えていなかったが、上から見下ろしたユーリヒが全く被害が出ていないのに、三十騎やったと言うように思えない。古くから知るこの男が、こんなところで見間違いや戦果の過大報告をするわけがない。王都で久しぶりに会ったこの男を、かつて悪ふざけの被害担当で酷い目に遭ったとは言え信頼していた。
「刻限です」静かに告げるドゥメイ家宰の声を受け、フィリッツがゆっくりと歩を進める。
並ぶルーメイ家の重騎兵の列を抜け戦場の真ん中まで進んだ。応対するようにウーリッヒ伯爵とおぼしき人物も進み出る。
両者が剣を抜き天にかかげる。
「両家の雌雄を決するべくルーメイ伯爵家より重騎兵戦の開催を申し入れる!」
「ウーリッヒ伯爵家はこれを受ける!」
この宣言により両家の重騎兵戦が始まった。
マイヤー卿は序盤から強き者を当て、全力で勝利に邁進すると彼の方針を話してくれていた。
マイヤー卿自身、並んだ重騎兵の横隊列の最も左翼で騎乗の人となっている。
ルーメイ家の第一戦目がマイヤー卿だった。彼がルーメイ家で最も強いのだろう。
両家の重騎兵が互いに進み寄り試合う相手が定まっていく。
そしてウーリッヒ家のこちらより余剰である十九騎が、敵の右翼、こちらからは左翼につけ、二騎が縦に並ぶ形で位置を取った。
こちらの強い騎兵に二騎が当たることになった。
(これはルーメイ家がどのくらい強いかわからないけど、苦しい格好ね……)
敵と味方が互角の数であれば、各騎士が一戦試合い、その戦闘結果の累積が多い方が最終的に勝ちとなる。
が、このように数に差が出た場合は、二試合連戦して勝たねば、その騎士は勝ちとならない。一戦目を勝利で終わったとしても二戦目で負けたら、その試合は負けなのだ。
二倍の重騎兵が敵に居たとするならば、各騎士全員が二連戦を勝ち抜けねば一勝とならない。
マイヤー卿の試合の組み方が読まれていたのかも知れないと、ダーナは苦い思いで想像する。
軽騎兵や歩兵からは不審や不安がる声が上がっていたが、敵を目の前にした重騎兵達は静かに待っているだけだ。この期に及んで不満めいたことを言う者はルーメイの騎士に一騎たりとて居ない。
連戦の定めとなった十九騎の騎士達も覚悟を決め、全力を尽くすだけという心境なのだろう。
フィリッツもウーリッヒ伯爵も元いた場所まで戻り、抜いた剣を地に刺し、剣の柄に両手をそえたまま直立姿勢となった。
一戦目のマイヤー卿と相手の騎士の一人が中央付近に進み出る。
「ルーメイ家が騎士、シグルド・マイヤーである!」マイヤー卿の堂々とした名乗り。
「ウーリッヒ家が騎士、ハンス・ウィルダーである!」ウィルダーなる騎士も負けない名乗りを上げる。
軽歩兵と重騎兵は盾を木槌で打ち鳴らし、軽騎兵は槍の石突きを地に叩きつける。
相手の打ち鳴らす音に負けじと大きな音をたたき出す。
バラバラなリズムがやがて揃っていき、両軍がそのリズムに声を乗せていく。全軍の目が二騎だけを凝視する。
マイヤー卿の闘志が湯気となり天に立ち上るかのようだ。ダーナも遠く離れたマイヤー卿の気迫がここまで届くようで息をのむ。
ほぼ同時にマイヤー卿もウィルダーも駆けだした。
両者の槍の刺突はお互いが身をよじり躱したたため、不発に終わった。
すぐに馬を返し再度の刺突を試みる。お互いがぎりぎりまで馬の進路を変えない。マイヤー卿の槍は相手の騎士の肩を突く、相手の槍はマイヤー卿の左脇を僅かにかすめただけだった。
落馬を踏みとどまった相手に向け、槍を捨てたマイヤー卿は鞍から戦棍を引き抜き兜に叩きつける。空を切ることなく相手の騎士の兜を直撃する、兜とそしてその内蔵する頭部もひしゃげたに違いない。ウィルダーは重い音を立て落馬した。
マイヤー卿がゆっくりと戦棍をかかげる。
ルーメイ家からどっと歓声が上がった。思い思いに盾を打ち鳴らす。軽騎兵も槍をかかげ我らがマイヤー卿の勝利を讃える。
マイヤー卿は自身の従者の元に騎を進めると、槍の交換を行った。兜も脱いでいないためその表情は窺い知れない。
マイヤー卿は勝ったとは言え、まだ半分だった。もう一戦彼は勝たねばならない。
マイヤー卿は再び名乗りを上げた。相手の二戦目の騎士はボッツと名乗った。
戦場に再び両軍の兵士が武具を叩きつける音が舞い戻る。
二戦目のマイヤー卿は最初の突撃と刺突において馬のコースを全く変えなかった。人馬一体となり騎士ボッツに突入する。ボッツはマイヤー卿の進路を見誤った――身をよじりマイヤーの居ない空間めがけて刺突を行おうとしていた。こちらからは見えないフェイントをマイヤー卿が僅かに入れたのかも知れない。ボッツが慌てる挙動を見せ、彼の馬が主人に不審の嘶きを上げるのが戦いの場に響き渡る。
(突貫しかない!)ダーナが食い入るように見守る中、マイヤーの人馬が一瞬小さくなり力を溜め、そして一気に解き放った。
マイヤーと槍と馬という鋼鉄の塊が、ボッツが晒した脇腹に突き刺さり、そのまま槍の穂先はボッツの身体を突き抜けた。
鎧袖一触。マイヤーは引き抜いた槍を掲げ、先ほどよりも大きな味方の歓呼に応える。
(マイヤー卿のフェイント……馬も彼の動きに添っていた。相手の騎士はきっと馬の目線にも騙されたのかも知れない。……今のは技術は盗もう)
感嘆と興奮でダーナは愛馬に視線を送った。
「ルーメイ家の一勝とする」フィリッツがこの試合の勝利を宣言し、ウーリッヒ家も沈黙によりこれを受け入れた。
幸先の良い一勝を得たルーメイ家であったが、その後の戦果は振るわなかった。
マイヤー卿のように二連勝できた騎士は四名に過ぎなかった。
相手に連勝しなければならない十九試合は僅かにルーメイ家は四勝したのみであった。マイヤーのように相手を圧倒できた試合はやはり希有で、槍も折れ、馬も失い地上での剣の応酬でようやく勝利できた騎士も、二戦目で命を落とすか重傷により気を失い敗北を喫した。
試合数が多いため、初戦の十九試合で日没を迎え中断された。
「厳しゅうございますな……」
傍目にも落胆ぶりが伝わるドゥメイ家宰が独りごちる。
更に何かを喋ろうとした気配を感じたが、幕舎の暗がりで直立不動のまま休もうとしないマイヤー卿の圧力を感じて黙ったようだった。
家宰も不安や不満を垂れ流しているだけでなく、重い傷を負った騎士の後送や命を落とした騎士の遺族への手紙の記述などやるべきことをやっているのをダーナは目にしていた。
全ての試合が終わってから手紙など書けば良いと思うのだが、当日に気の重い仕事をやり抜けるあたりに家宰の人柄が知れるようだった。
フィリッツは全く何も話さなかった。
マイヤー卿は自身の戦いが終わったあとだというのに兜をかぶったまま、その表情は窺い知れない。
ダーナは愛馬の傍らで休息を取ったが、翌朝も同じ位置で直立不動の姿勢を崩さない岩のようなマイヤー卿を見つけることになった。
昨日とは打って変わって雲の多い朝だった。
同じ刻限に両軍が隊列を美しく並べ、本日の試合に臨む。
戦果を反映してかウーリッヒ伯爵家の気勢が高いように感じられた。無理もない。
ダーナはまとわりつく気配を打ち払うように、槍の石突きを地面に叩きつけた。僅かな時を置いてルーメイ家全体がそれに和していった。
二日目と三日目を終えてこれまで累積された勝利はルーメイ四十四勝に対し、ウーリッヒ五十六勝であった。
三日目はルーメイ家はルーメイ家は僅かに勝り二十六勝。ウーリッヒ家は二十四勝に終わった。
五分の戦いにまで戻せているが、やはり初日に四勝しかできなかったことが効いている。
ルーメイ家もウーリッヒ家も序盤に強い騎士を当てる試合の組み方だったようだ。三日目になると気勢のわりには単調な試合が多くなってきた。
家宰もマイヤー卿も幕舎の中で沈黙を守るのみだった。
幕舎の中でフィリッツもユーリヒも黙って割り当てられた食事を口に運んでいる。
外で食べたいなと思ったダーナだったが、二人に黙って付き合った。
外は外でルーメイ家の兵士達のささやき声が気になるようで居心地が悪かった。客将というのは、やりづらい物なのだとダーナは初めての経験で思い知る。フォッセ家のみだったら、こんな思いをしなくてすむのに。例え負け戦であっても窮屈さは無いだろう。
「……馬の所に行くね」
ダーナの言葉にフィリッツもユーリヒも無言で頷いた。
幕舎を出た瞬間、歩哨の好奇の目に晒された。無視して愛馬に向かう。
毛を撫でつけ、梳いていく。この時間は何も考えず忘れることが出来るので好きだ。
「今日のウーリッヒ家の騎士。馬を軽やかなステップで操ってた。右に左に槍を躱してたよ――やってみようか」
愛馬に跨がり感嘆した人馬の動きを真似ようとしてみる。フォッセの騎兵でこの人有りとされるダーナであっても上手く真似ることは出来なかった。
「相手の馬も槍も飛んでこないからねえ。想像だけじゃ伝わらないなあ。国に帰ったら練習しようね」
(ステップだけじゃなくて跳躍とかも試してみようかな)
愛馬の脇で自軍での演習をイメージしながら、ダーナはその日の眠りについた。
朝から幕舎の空気が重い。
どこからか汲んできた冷たい水が入った桶で顔を洗いさっぱりしたダーナだった。
家宰にマイヤー卿、フィリッツにユーリヒの輪が作る空気が重い。
「本日が最終日ですな」
家宰の言葉にマイヤー卿は「……託すのみ」と短く答え、本日の試合に臨む部下の督戦に幕舎を後にした。
「陛下の『目』が居たな」と不意にユーリヒが言い、家宰が短く驚く。
「当家が敗戦……万一敗戦した場合、国の境が変わりますからな。陛下も無関心では居られないと言うことですかな……」
であれば、国として事を構えて欲しかったという家宰の思いがにじみ出ている。
「我々も見守ることしか出来ません、刻限です参りましょう」
フィリッツの言葉に幕舎に残った三人も決戦の場に向かった。
曇天から晴れ間が短く覗く四日目。
フィリッツが中央に進み出て本日の開催を宣言しようとしたときであった。
終盤の三十一戦に移ろうとするルーメイ家に対し、ウーリッヒ伯爵が再び戦場の中心に進み出る。
ルーメイ家全体が、敵の司令官の言葉を固唾を飲んで待つ。
「このまま重騎兵戦を継続してもよい。されど我が方有利で終わるであろう。両家の重騎兵の損害。これを埋めるには長き時を要することは明らかである。ベイスの町に加え、シューメルの割譲を条件とするならば、この場で矛を収めても良い。返答や如何?」
事実上の降伏を迫る講和の申し入れがウーリッヒ伯爵自らなされた。
ルーメイ家が静まりかえる。現在の指揮官はフィリッツだった。彼に全ての視線が集まる。
前例の無いことでは無い。領主が忠誠と軍務の代わりに荘園を与え、騎士とし。武装にも金のかかる重騎兵。重騎兵を運用する子爵以上の者達ならばその損耗を極力小さくしたいというのは、当然の思いだった。
「しばし待たれよ」とだけフィリッツは言い募り、マイヤー卿をはじめとする重騎兵隊隊長、家宰、そして副官を任じられたダーナまで呼び寄せられた。
「どうします?これに応えるのは敗北宣言となりますが、私は戦場の代理指揮官でありルーメイ家の領土や経営にまでは口は出せません」フィリッツの言葉に家宰は頷く。
「圧倒的に不利ではありませぬが、このままの勝敗で推移した場合当家の敗北が確定しましょう。その場合は先ほどウーリッヒ伯が提示した条件より過酷なものが提示されるでしょうな……」
ウーリッヒ伯爵が要求したシューメルは歴とした都市であり、ルーメイ伯爵家の経営を支える重要な三都市の一つだった。鉱山の町ベイスとは比較にならない。重騎兵戦を継続し最終的に負けた場合は、領都エルレーンまたは三都市の一つであるカザーヒのいずれかを要求されるだろう、家宰はそう推測している。
当然領都を失う影響は甚大だったし、領都でなくともシューメルに加えカザーヒの二都市を失った場合、ルーメイ家は全く立ちゆかなくなる。伯爵家としての軍勢の維持も不可能となり、やがて国王から伯爵家の取り潰しの命が下ることになりそうだった。
「重騎兵隊はどのような考えですか?」フィリッツから話を向けられたマイヤー卿は、表情に影を落としながらも強くフィリッツを見返した。
「重騎兵戦の継続を望む」と。返答をマイヤー卿に譲った他の二名の隊長も一様に頷く。
沈黙を保ったままのフィリッツとマイヤー卿の視線が長く交錯した。
「分かりました。拒絶します」とフィリッツが伝えた際にはマイヤー卿の瞳に光りが差したようだった。家宰はかぶりを振りながらも、ルーメイ家の行く末を重騎兵戦に全てを賭けることに同意したようだった。
「待たせた――ルーメイ家は先の提案を拒絶する」
フィリッツがそう高らかに宣言したあと、両家からどよめき起きた。講和を蹴られた形になったウーリッヒ伯爵は長い間フィリッツを睨み付けていた。
「ベイスの町だけでも良い。シューメル割譲は取り下げ――」「――重ねて拒絶する」伯爵の譲歩を皆まで言わせることなくフィリッツが拒絶した。
やがてルーメイ家からは歓呼の声が上がり、大きくなった。勝利を!勝利を!と不利な状況にありながら叫びがやがて木霊するようになった。
長い長い伯爵とフィリッツの対峙であったが、ウーリッヒ伯はやがて自陣へと踵を返した。
フィリッツも元いた定位置に戻る。
(わざわざ譲歩した……?そんなに重騎兵の損耗を回避したいの?でも都市を諦めるほどの?)
ダーナは強い違和感を覚えていた。問いかけをしたいフィリッツは直立不動のまま背を向けたままだった。
ユーリヒも同様だったらしく、首をかしげる彼と目線が交錯する。フィリッツは重ねて拒絶した。これまでと同じようにダーナ達も見守ることしかできないのだ。
再び重騎兵戦が再開となった。夕刻となり日没と共に重騎兵戦は中断となる。残り三十一戦を本日中に終えるのは困難になってきていた。四日目で勝敗が決するだろうかと、辺りから声が漏れる。
再開後の第一戦にルーメイ家が勝利し歓呼の渦に包まれた。
降伏を言い渡され拒絶した直後の一勝。ルーメイ家全軍が勝利した騎士を讃える。
そしてそれは起きた。
「ルーメイ家が騎士、リルケ・マグナスである!」これまでと同様にルーメイ家の騎士が名乗りを上げる。
「ウーリッヒ家が騎士、ワイズ・メイヤースである!」ウーリッヒ家も名乗りを上げそれに応える。
二人の勇戦を盛り上げるために再び両軍が武具を打ち鳴らす。
場の熱が徐々に高まり試合の火ぶたが切られそうなとき、フィリッツの声が両軍を圧して響き渡った。
「この試合異議あり!」
両軍が驚愕の視線で若き代理指揮官の姿を見つめる。ダーナもユーリヒも釘付けになった。
勝利を指揮官が讃えることはあっても、試合前に異議を挟むなど聞いたこともなかったからだ。
「ワイズ・メイヤース殿は軽騎兵分隊長と認識している。いつより重騎兵となったのか。ウーリッヒ伯爵に返答を求む」
しばしの沈黙の後、自陣よりウーリッヒ伯がフィリッツに負けない声で返答をする。
「……メイヤースは昨日より我が重騎兵となった。当家の叙勲がルーメイ家に口を挟まれる謂われはあるまい!」
「……承知」とだけフィリッツは応じた。ルーメイ家全軍が再び武具を打ち鳴らし始める。
やや遅れてウーリッヒ家も武具と声を張り上げていく。
ダーナの目にはウーリッヒ伯爵の騎士が萎縮しているように見えた。重騎兵の鎧を身につけたのも初めてなのではないだろうか?そのように観察する。投擲にも適した軽騎兵のジャベリンとは異なる重い刺突専門の槍。馬も重い鎧に身を包んでおり、彼が慣れていただろう軽騎兵のものとは全く異なる。
この騎士じゃ勝てない――そうダーナは確信した。
戦いは一方的なルーメイ家騎士の勝利で終わった。長く重騎兵をやってきた騎士と成り立ての重騎兵。一撃の下勝敗は決した。
ルーメイ家が後半戦を二連取した。
後半の三戦目にもフィリッツの異議の声が挟まる。再び停止される重騎兵戦。
渋々と重騎兵に取り立てた者と言い募るウーリッヒ伯。――おかしな重騎兵戦となってきた。
「なるほど。やはり俺が落とした岩はウーリッヒ軍に打撃は与えてたんだ。領地の荘園から重騎兵見習いを連れてくる間もなく、伯爵は軽騎兵から繰り上げたんだな」血色を取り戻したユーリヒが独りごちる。
「フィリッツのやつなんであんなに敵の伯爵家に詳しいんだ……」それにはダーナも答えられる。
「出立前に念入りに『ウーリッヒ伯爵家』って本読んでたでしょ?見てない?」
「あぁ……読んでただろうが。全部覚えてるのかよ、あいつ……」賞賛と嫉妬が混じったような眼差しに見えた。
(うん。フィリッツは全部覚えてるよ。絶対に)
王立図書館の蔵書にはさすがに負けるが、フォッセ子爵もかなりの蔵書を誇る図書室を自前で持っていた。フィリッツもダーナもほぼ読み切っている。フィリッツほどの記憶力はダーナは持ち合わせていなかった。
「敵の騎兵の萎縮が大きい。そりゃ昨日まで軽騎兵だったんだしな、緊張もあるだろう。試合開始前にあんなにイチャモン付けられたらたまらんだろうな……よし、フィリッツもっとやれ!」
三戦目もルーメイ家の勝利と終わった。
後半四戦目に至っては、ルーメイ家の騎士が名乗りを上げた後のウーリッヒ家の名乗りがおかしい。
「ウーリッヒ家の騎士、ノアである」
家名を持たない騎士の登場だった。
これにはフィリッツが異議を挟むまでもなく、ルーメイ家がどよめいた。
平民!門地も家名も持たない平民!栄誉ある重騎兵戦であるというのに!各方面から声が上がる。
「軽騎兵分隊長の騎士も弾切れみたいだな。あとは全員平民から重騎兵に取り立てられたばかりの者か?こうなっちゃウーリッヒ伯爵は勝てないぜ……なるほど前半戦で講和を持ちかけてくるわけだ。ウーリッヒ伯爵は勝った後どうするつもりなんだ?軽騎兵を繰り上げて叙勲して失われた重騎兵の補填をしても、領地の重騎兵見習い達が黙っていない気がするが……」すっかり興奮したユーリヒの感想にダーナも同意する。
勝ったら勝ったでウーリッヒ伯爵家は混乱しそうだった。新たに得た領地の荘園を新米重騎兵に与えるつもりだったのだろうか。
平民と槍を交わし試合うなど!騎士の誇りにかけてできぬ!と言い放つ騎士もいた。ウーリッヒ伯爵の『この者も当家の騎士である!』との言葉に不承不承納得し開始された試合となった。
ルーメイ家の重騎兵は全員が騎士なのだろう。それも代々続いているような。我らこそが選ばれし騎士という誇りを感じる。
ノアと名乗った騎士の奮戦及ばず、ルーメイ家の騎士が横に払った剣が兜を直撃し、ノアなる騎士は落馬した。
命はあるかも知れないが、全く動けずルーメイ家の騎士の勝利が確定する。
ユーリヒの予測通りウーリッヒ伯爵の成り立ての重騎兵達は一勝も出来ず、ルーメイ家が仕切り直しの後半を全勝した。
十の刻(十八時)を過ぎ、日没に至るまでに全百三十一試合を終えた。
ルーメイ家七十五勝に対し、ウーリッヒ家は序盤と中盤で稼いだ五十六勝で重騎兵戦は幕を閉じることとなった。
◇
重騎兵戦が終わり、ルーメイ家は興奮の最中にあった。
再びダーナはフィリッツに呼ばれる。
喜色と安堵からか、今までに無くドゥメイ家宰の顔色が明るい。
「さて、急ぎ敵への要求をまとめねばなりません」全く表情の変わらないフィリッツが召集の意図を告げる。
同じく安堵の色が隠せないマイヤー卿であったが、何も口を出さず沈黙している。
武官の役割は終わったという潔さを感じて、ダーナはマイヤー卿への認識を改めることにした。
「まず、撤兵を!」家宰が勢い込んで言う。「それは要求します」短くフィリッツが答える。
「向こう五年の国境を侵さぬというのはどうでありましょうか?」家宰がようやく思いついたように述べる。
「五年というのは良さそうですね。まあ、三年はウーリッヒ伯爵も重騎兵の立て直しにかかるでしょうから。三年は大丈夫でしょう。その先はもう二年という刻限であれば守ってくれそうに思えます」フィリッツがそう評価する。なるほど、と家宰も納得したが、それ以上の案はないらしい。
「領地ですが、今回紛争の起因となった鉱山の町ベイスはしばらくルーメイのものとして揺るがなくなるでしょう。ウーリッヒ領で国境に近い砦。そこまで重要ではない砦となるとどこかありますか?」
「であれば、彼らがベイジと呼ぶ砦がある。街道より引っ込んだ位置にあり、さして脅威ではないが。八年前に我らからウーリッヒへ侵攻した際には邪魔な存在になっておった」沈黙していたマイヤー卿が口を開く。
「砦を抜かねば後背が心配になる程度には邪魔でしたか?」
「うむ」
「では、そこをもらいましょう。ウーリッヒ家の町や都市まで要求しますか?」
「……我が君の判断を頂戴したいところでありますが、そのような時間はないのでしょうな?」家宰に短く頷くフィリッツ。
「我が君はしばしベイスの鉱山を盛り立て、領内に資金を回す心積もりを私めにお話ししておりました。その意を受けますならば、ウーリッヒ伯爵領で新たに町や都市を得るというのは新たな禍根を生み、我が君の想いに反するものになると思われまする」
「分かりました。全軍撤兵に加え、五年の領土侵犯は無しという確約、そしてベイジという砦の割譲。これでいいですね?」
「十分と存じます」と家宰。ただもうこの戦を早く終え、解放されたいという気持ちが滲んでいるようにも見える。
「――受け入れられなかった場合、再度の重騎兵戦は可能ですか?」フィリッツの言葉に家宰が蒼白になる。無理もない。またあのハラハラする戦いが続くことに思い立ったからだ。
「――無論である」即答するマイヤー卿。
これにはダーナは賞賛の視線を送り続けるしかなかった。生き残った騎士達は身体的な回復はできているだろうが、精神的な緊張は続いているはずだった。なお、重騎兵達はまだ戦えるというのだから。
フィリッツから出された講和の条件は、ウーリッヒ伯爵の「承知した」という短い応答により報われることとなった。
ルーメイ家から歓声が上がり、ウーリッヒ家は静まりかえった。
奇妙な重騎兵戦になったが、勝ちは勝ちだった。
ダーナの周囲の兵士が安堵し、重騎兵達の敢闘を讃える声が四方から聞こえる。
ウーリッヒ伯爵軍は潔く撤兵した。
ベイスの町はわずかに一日ウーリッヒ軍が入り、すぐに撤兵したことで住民達は目を丸くしたようだ。
元々はウーリッヒ伯爵領だった町だ。領主が元に戻った程度の認識だったのかも知れない。
ウーリッヒ伯爵が兵を完全に撤兵させるのを確認するまでルーメイ家は国境付近に滞在した。
戦い抜き大きな損害を出した重騎兵と異なり、ルーメイ家の歩兵も軽騎兵も無傷。休息に移った重騎兵を除き、夜を徹して皆が国境を守備した。
朝靄の中ダーナは前を行くフィリッツとユーリヒの馬が近づき、馬上にあってユーリヒが小さく突き出した拳に、フィリッツが短く拳をコツンとぶつける仕草を見た。
無言であったが、昔から悪童二人が大人を出し抜いた作戦が終わる度にやる儀式。懐かしく思う。
フィリッツが一言だけ、「やはり重騎兵戦は出来るだけやりたくないね……」と漏らした言葉がダーナの胸に深く刻まれた。