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ラストブリッジ  作者: かきざき うひょう
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3話 代理指揮再び


 ダーナはやきもきする気持ちで一杯だった。


 フィリッツと共に、王立図書館の片隅に居る。

 やきもきの対象は優雅と言っていいくらい落ち着いた素振りで本をめくっている。

 先ほどまではルーメイ伯爵家の家系図から伯爵に忠誠を誓う騎士、領内をまとめた『ルーメイ伯爵家』の本を読み、今は敵方となる『ウーリッヒ伯爵家』を読んでいる。


 王の『お願い』を聞いて、戦場に代理で指揮を執るというのに……のんびりしすぎじゃないだろうか。


 そう。王命とあらばと答えたフィリッツに、国王陛下は「命令と聞こえたか。いや、予の願いじゃよ。願いを聞き届けてくれるな?」と、狡猾にも言い直したのだった。


 失敗しても王としては責任は取らない。なんせお願いだから。

 あくまでもルーメイ家とウーリッヒ家の小競り合いに留めておく。王の意図は明白だった。


「御意にございます」――フィリッツ……受けちゃうんだ。ダーナも居合わせた王の家臣、貴族からも驚きの声が漏れてた。フィリッツやフォッセの人間が宮中でも支持されるような存在であれば、「陛下お戯れを。この者も困り果てておりましょう」などと言った国王の矛先をかわす援護が貰えたかも知れない。現実は人気のない彼は無言で見守られるままで孤立無援だった。


「……陛下。私めもお願いがございます」フィリッツは跪いたままだ。何を申し出るのか奇異の目が彼に刺さっていそうだ。


「なんじゃ?予の及ぶ範囲であれば、汝の願い聞きとげようぞ」鷹揚といった体で陛下の声が響く。


「ここにおりますダーナを副官に付けて下さいますよう願い申し上げます」


「此度はそちの旧知の手勢はおらぬ。副官の件許す」


「有り難き所存にございます。そしてもう一つ。宮廷魔術師ユーリヒ殿、そして配下の魔術師を一時的に拝借したく存じます」


 ダーナの耳には国王陛下の声から警戒の色が抜けた気がした。ユーリヒが途端に身を固くしただろうことは想像に難くない。副官の件でダーナも身を固くしたんだから、釣り合いが取れていいじゃない?と旧友の気持ちを無視してそう思う。


「……よかろう、存分に使うが良い」



 そんなやり取りの結果、ダーナはフィリッツのそばに居ることが許されている。

 すぐにルーメイ伯爵領に行くのかと思ったのに、可哀相なルーメイ家家宰ドゥメイを自領に戻した後。代理指揮官殿は貸し切りにしてもらった王立図書館で本を読んでいる始末である。付き合いの長いダーナでもこれには呆れてしまう。


 迷ったあげく、やっぱり聞かざるを得なかった。


「フィリッツ。勝てるの……?」


「まだ、なんとも。負けたとしてもフォッセ家には傷は付かない。私の一時的に高まった名声が、元に戻るだけだろうね」


 表情も変えずにそんなことを言う。まあ、フィリッツが演技以外で表情を変えるとかないんだけども……。

 確かにフォッセ家の軍勢に損害が発生するような戦いじゃない。……けれど、フィリッツの『名』が無茶な『お願い』で傷ついてしまうのも、ダーナは嫌だった。


「おいおいおいおいー。旧友殿二人は読書かよ。やる気あんのかねぇ……」


 旅装に身を包んだユーリヒが呆れ顔で入室してきた。謁見の間で身につけていた壮麗な衣装ではなく、魔術師らしい衣装に着替えている。やる気に関しては悔しいけどユーリヒに同意する気持ちがダーナにも確かにある。


「やあ。――配下の魔術師達も準備は整ってる?」

「やあ、じゃねえよ。まったく……」


 ユーリヒはダーナとフィリッツの向かいの椅子に座り込む。


「んで、俺らはなにすんだ?速い馬十騎と、俺の部下はいつでも行ける」革袋の飲み物、きっとワインだろう。ユーリヒは革袋を傾けながらフィリッツを見据える。本の沢山あるような場所での飲食はやめて欲しいと、ジト目をぶつけてみた。


「うん。ここの山頂を魔法で吹き飛ばせるかな?」


 ダーナも先ほどまで見ていたルーメイ領の地図の一点をフィリッツが指さす。食い入るように見ていたユーリヒだが、こめかみを指で掻きながらダーナの疑問と同じことを口にした。


「まさか、策は山の石吹っ飛ばして落石でどうにかするってのじゃないだろうな?」


「その通りさ」「おい!こんな山、魔法使い十人くらいで相手の軍勢全部どうにかできるもんじゃないぞ!」


「だろうね」「だろうねってさ!?」


「全軍押しつぶせるならそれに越したことはないが。一部でいいよ」


「どういうことだよ?」真顔に戻って少し乗り気になったユーリヒが身を乗り出す。


「うん」


 フィリッツが今回の作戦概要を語り出した――。



「――フィリッツ。お前今回負けた方がいいんじゃないか?」一連を聞き終わった後、ユーリヒが再び革袋を傾ける。


「――なぜ?」

「うん。もう国王も重臣もお前が負けること前提で動き出している。ここで勝つと目立つぜ?」


「早めに出た杭は打って潰そうとしてくると?」

「そうだ。――負けても今度はランドレジアからアルゼスに布告する。ルーメイ領失陥による喉元の槍はやっかいだからな。負ければ陛下がいたずらに思い出しでもしない限り、お前のことは忘れてくれるさ」


「我が国がまともで良かったよ。――陛下は忘れてなんてくれないと思うね。フォッセ家一同は嫉まれてるからさ。けれどアルゼスへの布告はさらなる戦乱を呼びそうだ」


「また、フォッセ子爵領にも軍の召集が来るだろうな」


「フォッセの重騎兵の奮戦もあって、アルゼスの侵攻を退けることが出来た。このまま再戦すればアルゼス一国であれば勝算は高いと思う」


「アルゼス一国であれば、か。アルゼスは周辺諸国に援軍を求めるか?いや、同盟国はかの国にはないはずだが」


「格別の譲歩をもって一時的な同盟を結ぶんじゃないかな。並みの周辺諸国であればいいんだけどね。ランドレジアにも友好国がある。諸国連合の大戦になるだろうけど、勝ち目は残ってる。……アルゼスがダイアスと組まない限りは」


「南方でだいぶ勢力を伸ばしているな、あの国」


「ランドレジアがダイアスと国境を接してなくて良かったと思ってるよ。アルゼスには間にあって健在であって欲しいと思っているぐらいだ」


 ダイアス王国はアルゼス王国より南西に位置し近年勢力を大幅に伸張させていた。ランドレジアの周辺国は犯罪を犯した者ぐらいしか奴隷には落とされない。しかしダイアスは生活にも戦争にも奴隷を使役していた。ダイアスに負ければ国民の大半が奴隷に落とされるという恐怖が周辺国家にはある。ランドレジアも彼の国に間諜を放っているとの噂を聞いた。ほぼ帰らぬ人となり、謎多き不気味な国という印象がダーナにはある。



「ここで国の先の話をしてもしかたないな。時間も惜しい出立するぞ。……まあ、お前には正直国の重鎮は期待してないってことさ。……陛下もな」


「じゃあ、ユーリヒも負けて欲しければ、山頂を吹き飛ばすのに失敗してくれ。――ユーリヒが成功する前提で立ててるからね」


 ユーリヒとフィリッツの視線が混じり合うのが見えた。ユーリヒも考え込んでる。

 かつての悪知恵担当と、実行犯二人。もうだいぶ年月が経過し、二人とも悪ガキな顔ではなかったが。


 どんな思いが交錯したのか窺い知れないが、ダーナの目にはユーリヒが決断したように見えた。


「……じゃあ、行くぜ」フィリッツは無言で頷く。「これを読み終わったら私たちも出発する」


 フードを目深にかぶると手を振りながらユーリヒは足早に図書館を後にした。


 ページをめくる音だけが支配する長い沈黙のあと。読了と共にフィリッツがダーナを見つめてきた。

 いつもと変わらない様子に見える。



「さて、私たちも行こうか――」



               ◇



 ダーナは自分の持ち馬。フィリッツは臨時で借り受けた駿馬で。それに僅かに遅れてフォッセ家から今回の王都召集の護衛にと、子爵から派遣された護衛の兵士の馬が一路、戦場に向かっていた。


 僅か三騎の騎行だった。


 フィリッツはルーメイ家の家宰に国境付近の鉱山の町ベイス北方の平原に、ルーメイ家の全軍を集結させるよう命じていた。


 ベイスの町は兵が集結する平原の北に山に囲まれるように存在する町で、「』」の字のような北と西に抜ける山道がある。北はルーメイ伯爵領都エルレーンに平原を経由し至り、山道の西はウーリッヒ伯爵領へ至る。

 鉱山は銅を産出し、この町をルーメイ家が騙し取るように侵略したことから、ルーメイ、ウーリッヒ両家の長く深い確執が生まれていた。鉱夫とその家族、そして彼らを対象として商売を行う者達、約八百人ほどからなる町――ダーナもフィリッツが目を通した『ルーメイ伯爵家』なる書物から、その知識を得ていた。もちろん騙し討ちしてルーメイ家が得たとは書いてはなかったけれども。きっとアルゼス側の書物にははっきり卑怯な騙し討ちを受けたと書いてあるに違いない。


(また、鉱石をめぐる戦いなんだね……)


 フォッセ領を狙ったアトーヤ、ラパンは鉄狙いだった。ウーリッヒ伯はルーメイの銅山を狙っている。ダーナには領地の経営は埒外だったが鉱石ってそんなに儲かるんだろうか、という思いに思い至らずにはいられなかった。


 伯爵家領都を通過し平原に差し掛かると遠目にもルーメイ家の軍勢が見えてきた。

 我が子爵領の軍勢よりもはるかに大きい。さすが伯爵家ね……一目でダーナはそう思った。


 伯爵家が常備すべき軍勢は定まっており、それは軽歩兵十二個小隊、騎兵六個小隊、重騎兵三個小隊であった。この大陸の各王国、ラテルナのような帝国も同様の定めだった。

 ルーメイ家の軍勢はほぼ定数であるように見える。フォッセ子爵領は子爵に定められた最低限の定数を超える兵力を常備していたが、伯爵家の最小限の定数にすら遙かに及ばない。複数の『都市』を領する伯爵家の威勢が窺い知れる。


 ルーメイ家は歩兵を最後段に置き、中段に軽騎兵、上段に重騎兵の三つの構えで南西にあたるウーリッヒ伯爵領に矛先を向けていた。


 フィリッツらの三騎が歩兵の最後尾に差し掛かる頃、遠くより誰何の声が上がり、歩兵の一隊が駆けてくる。


「フィリッツ・ラン・フォッセだ」とフィリッツが名乗ると、「貴公が!」と軽歩兵の分隊長らしき兵士が直立する。「さあ、こちらです」と誘われるまま、歩兵隊をかき分け、重騎兵一隊へ向かう。


 ダーナの目にも周囲が奇異の目で満たされているのが感じられた。兵士達が「ずいぶん若いな……」とも、「大丈夫なのか!?」と声を押し殺して周囲に感想を漏らすのが嫌でも耳に入る。


(随行する私も若いし、女だしなあ……)無理からぬことと、表情を殺してフィリッツに付き従う。



 やがて、革の鎧に身を包んだルーメイ家の家宰ドゥメイに迎えられた。


 この老家宰は一目にも鎧を着慣れていないのが見て取れる。おそらく初めて鎧を身につけ着剣したのではないか。暑くもない季節であるのに、しきりと汗を拭う老家宰の鎧姿に、ダーナは少し可哀相な気持ちになり、見つめる視線を緩めた。


「よくぞ、お出でなさいました。この度は当家とウーリッヒ家の私的な抗争に、フィリッツ殿を巻き込み誠に……」

「この者が、当家の指揮を執るというのか!?」


 家宰の言葉は重厚な言葉により遮られた。フィリッツもダーナも声の主に向き直る。

 壮年の重厚な鎧に身を包んだ重騎兵だった。跳ね上げた兜から分厚い髭が覗いている。

 フィリッツもダーナも一喝で吹き飛んでしまいそうな堂々たる鎧武者だった。


「重騎兵隊長、当家の武官の長であるマイヤー卿にございます」言葉を遮られた家宰が補足してくれる。


 マイヤー郷は馬上のまま、同じく馬に乗ったままのフィリッツを上から下までなめ回すように見ている。子爵家の嫡男であることは名前からも知れているだろうに、随分と容赦の無い、はっきり言うと無礼な視線だった。

 副官を任じられたダーナが窘めようと馬を寄せようとしたとき、フィリッツが無言で手を上げダーナを制した。


「フォッセ子爵嫡男のフィリッツだ。この度は貴公等の指揮を執ることとなった、よろしく頼む」


 フィリッツの言葉にもマイヤー郷の目のつり上がりようは収まらなかった。

 言外にも「このような若造が!?」という罵りが聞こえてきそうな有様だった。


「――フィリッツ殿、状況を申し上げてもよろしいでしょうか?」家宰の言葉にもマイヤー郷は、胡桃の堅い実を今にもかみ砕かんとする形相のままだ。

「うん、頼む」鷹揚な感じまで受けるフィリッツの声だった。



「ウーリッヒ伯は我が領へ宣戦布告後、軽騎兵を先発させどうやらベイスの町へ向かうようでございます」

「本隊もベイスに?」とフィリッツが即座に問う。

「本隊は……申し訳ございませぬ。軽騎兵がベイスに向かう山道に入ったのは間違いないのでございますが、本隊がこちらに向かうかベイスに向かうかは不明にございます」


「ベイスの町が彼奴等の騎兵に蹂躙されようとしておる!指揮官の不在で我らも指をくわえて見守ることしかできぬ!」さっそくマイヤー郷が噛みついてきた。指揮官が遅れて合流したことを皮肉っているのがダーナにも伝わる。


「いや、蹂躙はしないのではないかな」フィリッツの言葉にも荒い鼻息で髭がめくれ上がりそうな形相だ。


「元々彼らの領地だったわけだし、鉱夫共々重要な労働力だろうからね。……町の破壊はあり得ないな」


 フィリッツの言もマイヤー郷にも老家宰にも何の慰めにもなっていないようだった。


「半刻(一時間)前にもなりますがど宮廷魔術師ユーリヒ殿と魔術師を後ろに乗せた騎馬が南に駆けていきましたが。当家の誰何には、指揮官フィリッツ殿の別命により作戦行動だと仰いまして――これは真に相違ないものでありますか?」


「ユーリヒ殿の言ったとおりで間違いありません。ドゥメイ殿」続けて、「策に応じて別行動を取ってもらっています」


「策じゃと!?」馬から身を乗り出しすぎて落馬しそうな勢いでマイヤー郷が凄む。「策がある」とのフィリッツの言葉にマイヤー郷の周囲の重騎兵達にもどよめきが広がる。


 ダーナはユーリヒが想定するより早く通過していることに、僅かな驚きをもっていた。

 ユーリヒの配下の魔術師達は馬には乗れない。きっと国王直属の騎兵が馬の後ろに魔術師を乗せ、ひた走ったのだろう。

 ユーリヒ自身は馬に乗れる。騎兵になったダーナへの対抗心じゃないだろうか?きっと馬ぐらい俺にも乗れるぜ!と多忙な中、折りをみて練習した成果に違いなかった。ダーナ騎兵小隊隊長に任じられたと耳にしてからは、なおさら熱心に練習しただろう彼の姿が浮かぶ。


「陛下は国軍を向けて下さいますでしょうか?」家宰の言葉に、フィリッツは首を横に振る。ユーリヒから聞いたアルゼスに布告をすべく準備中だとは言わないらしい。負けることを見込んでいるとはとてもじゃないけど言えない。言い出しそうだったらフィリッツのくるぶしを蹴飛ばして中断させるつもりだった。


「左様にございますか……」と老家宰は肩を落とす。家宰は早く領地に発ち、フィリッツが遅れてきたことから国王がなんらかの――ルーメイ家にとって嬉しい――動きをしてくれている報をもたらしてくれることを、僅かにも期待していたに違いなかった。



「時間との勝負だ。これより私も独自の作戦行動に入る」



 落ち着いている――と、ダーナには聞こえる――フィリッツの言葉に周囲が色をなすのが良く伝わった。これまで押し殺して同僚と話していた声が次第に大きくなっているのをダーナは感じた。

 マイヤー郷に至っては跳ね上げた兜を目深に下ろし、表情が窺い知れない。渋面を作るだけでは足りずに、一喝するのを耐えようとする彼なりの自制が見える。

 

「……それで我が軍は、フィリッツ殿の密命の間、何をしておればよろしいので」老家宰が周囲の声を彼なりに柔らかくし代弁した。 ダーナにも家宰が落胆し、フィリッツに棘をぶつけてきているような声に聞こえる。



「――重騎兵戦の準備を」とフィリッツがその声に応える。


 マイヤー郷がゆっくりと兜を再び上げ、目を露わにした。その目には蔑むような光はない。


「……誉れある重騎兵戦は我ら重騎兵にとっては重畳なことである。前哨戦――ベイスの町を取られる失点を挽回できるのであろうな?」


「最終的にはマイヤー郷、貴公等重騎兵の活躍如何によりますが――挽回はしたいと考えていますよ」


 フィリッツがこちらに目配せしてきたので、ダーナも馬を走らせる心構えをする。


(――こんなに針のむしろ気分を味わったのは久しぶりかも……)


 不気味な無言で、取り囲んでいた重騎兵が道を開け、再び三騎が南へ馬を走らせたとき。

 マイヤー郷の呻るような叫び声が聞こえた。


 遠のく声――「我が君がこの場に健在であれば!あのような……」と風が運んでくる。



 続く叫びは――「あのような若造に好きにさせなかったものを!」であったに違いなかった。



               ◇



 魔術師ユーリヒは眼下に蛇行する山道を見下ろす山の頂にあった。



 先刻敵の軽騎兵が山道を駆け、ベイスの町に向かうのを見送ったばかりだ。


「先発する部隊が軽騎兵であった場合これは見逃す。重騎兵なら見逃すこと不可」策を語るフィリッツの言に従った形だ。


(まあ、ここに着いたばかりの時だったからな。こっちも準備も何もなかったから見逃すしかなかったが……)


 山頂でさらに待機していると軽騎兵が二騎山道を西へ急行していった。これは余裕を持って見逃した。戦争にはやや疎いユーリヒにもこの二騎がベイスに無事騎兵隊が入った旨を本隊に伝える伝令であるのは想像が付く。


 部下達に振り返ると、彼ら十名が緊張のまま佇んで、彼らの上司を見守っているのが伝わる。

 彼らをここまで送り届けてくれた国王直属の軽騎兵十騎が手持ち無沙汰のように、魔術師達からも離れ、休息している。

 彼が給金の中から少なからず割いて購入した馬も、穏やかな様子で騎士が手にする塩らしき物を舐めていた。


(無理もねえな……普段街の生活魔法器具の維持や研究やってる連中だしな。戦争に引っ張られるなんて思いもしてなかっただろう)

 ユーリヒが卒業した魔法学院が存在する都市を抱えるラテルナ帝国は、戦闘専門の魔術師部隊を揃えているという。そんなことが出来るのはこの大陸で三カ国しかない。他の王侯貴族は宮廷魔術師を抱えるくらいしか余裕がなかった。ランドレジアのような大国でもユーリヒを長とする魔術師団があるにはあるが、王都の市民の生活を便利にする支援が主だった。

 

(本隊は本当にこっちに来るんだろうな?フィリッツ……)


 ここに着いて何度もした旧友への問いかけだった。


「ウーリッヒ伯の第一戦略目標は銅山並びにベイス確保だ。これを確たるものとすべく重騎兵戦での勝利を狙っているだろう。両家の比較的新しい情報が記されたこれを読む感じでは――重騎兵の数で勝るウーリッヒ伯の勝算は高い」


 町も取られ、決定打の重騎兵戦でも負ければルーメイ家は大いに譲歩せざるを得ないことはユーリヒにも分かった。


「重騎兵戦の戦果が著しければ、『都市』の割譲も要求してくるだろうけど、これは重騎兵戦の趨勢次第かな……」とも。


 鉱山の町ベイスには王国の軍勢を支えるほどの補給能力も輸送能力もない。都市まで取られると兵站が繋がり、アルゼス王国にとっては大きな一打になりそうだった。ウーリッヒ伯爵の背後のアルゼス国王がこの戦にどこまで期待しているかは、フィリッツにも予測の範囲外だった。


「――伯爵本隊がベイスの町に向かうかどうかだが、これは正直賭けの部分が大きい。ただね、銅山を確保しかつて自国民であったベイスの住民を撫民する一環で伯爵自らベイスに入るのではなかろうかと。――これは予測というより期待だね」と回想の中のフィリッツは曰った。



(本隊がこっち来ること祈って準備するか――)


 ユーリヒは山の頂をつぶさに観察する。


(少なくとも地の精霊を八体召喚――いや、部下の数に合わせて十体。まず山頂になっている岩をぶん投げる前に、岩と岩同士の結束を解くところからだな……)


 歩きながら見積もっていく。

 山頂から山道まで約百二十メルテン(百二十メートル)。横幅四十メルテンほどを突き崩す。岩一つでは重騎兵一騎が倒れるだけだろうが、この大きさの塊であれば、相応の人数を巻き込めると踏んだ。さらに腰まてくらいの大きさの岩も個別に転落させていけば追撃には十分であろう。


(まず、この山頂の岩だな。結束を解いたら俺自身の地属性魔法で持ち上げるイメージでいくか、それとも部下の風魔法で押し出すか。これだけ大きい頂の岩の塊を連続して持ち上げるイメージに俺自身が耐えうるか……)


 転送イメージが容量オーバーして昏倒してしまっては話にならない。安全策で一旦、部下にも風魔法で押し出してもらう。そう決めた。

 部下に向かって、岩の結束を俺が外すから頃合いを見て、岩を十カ所十人で押し出すよう担当を割り振っていく。ユーリヒの魔法発動――詠唱の完了をもって各人の魔法に移れと指示する。


(十人中、七人くらいが成功してくれりゃ、崖から滑り落ちてくれると思うが……はてさて)


 ユーリヒが革袋を傾けて水を傾けた。

 そんな彼の耳に馬蹄の響きと思われる物が入ってきた。山道にあって、その響きが不気味に木霊している。騎兵の移動というのはこんなにも腹に響くのか。味方なら全く違う感想だっただろうが、敵とはっきり分かってる以上不気味なものでしかなかった。


「おいでなすったな。本当に来てくれたぜ」一応安堵の息を漏らしたユーリヒだったが、部下達に緊張が走るのが伝わった。出番が確定になったからであろう。部下にも平等に敵の馬蹄の音は腹に響いている。


 急いだ騎行ではなかった。並足程度で山道を抜けようとしている。ユーリヒにはそう見えた。

 町を確保したとの伝令により急ぐ状況ではないと指揮官が判断したのかもしれなかった。先行していた軽騎兵の集団を見逃したため山道の危険は少ないと思っている――ユーリヒはそう期待した。


 敵の先頭小隊が山道をゆっくりと進んでいく。眼下に重そうな鎧を身に纏いユーリヒの身体をいとも簡単に貫き通すであろう槍の持ち主を、喉を鳴らして凝視する。開いた口がすぐに渇いていくのも感じる。

 

(三個小隊のはずだ。先頭小隊は見逃して真ん中の小隊をやる)


 よし、やるぜと背後の部下を振り返る。彼に忠実な魔術師達が一様に頷く様をみて満足する。

 俺が失敗すれば……出来ないな。あいつが策を立てて、俺が実行するのが昔からだったじゃないか。今回ダーナは怒られ担当じゃないが……。

 成功を祈ってくれよ、とも。



(ライブラリア――接続)


 ユーリヒの意識が途端に黒い何も見通せぬ闇の空間に向かって収束され、僅かの時を経て解放された。

 彼ら魔術師に用意された漆黒の不可思議な個人空間(パーソナルスペース)

 

 相変わらずよく分からん不思議な空間だせ、と独りごちる。自分が卒業した魔法学院に残り研究を続けることが可能な身分であったら、他の魔術師達と共同でこのライブラリアと彼らが呼ぶ空間の研究に人生を捧げていただろう。


 ユーリヒは彼が得意とする地の魔法に必要な魔術の部品を意識する。


 音もなくいくつもの『羊皮紙』に囲まれる感触がする。これも俺の場合は羊皮紙の紙切れだが、魔術師によっては別のイメージで現れるとのことだった。それは無数の『本』であったり、本に挟む『栞』のようであったり。テーブルに並べる『木皿』であったり、まちまちだそうだ。ユーリヒの場合は『羊皮紙』であり、それは彼の部下とも共通の認識で、多くの魔法使いが羊皮紙のイメージであると――彼の師匠から聞いている。

 

 岩と岩が自然に結びついている状態を地の精霊を使役し結束を解く。

 これに適した部品はすでに彼の目の前に存在していた。部品を構成する術式の中で、精霊に対価として支払う地の魔素の項目。これを今回は多めに修正する。そして意識内で保管した。

 今回と全く同じ状況が将来発生するとは思えなかったが、保管して損はない。部品のイメージである『羊皮紙』は限界なく保管できる。戦場に引っ張り出さされることなんて無く、市民の生活に寄与する魔法を生業とするユーリヒだったが。この種の魔法は河川の流れを変えるべく突き出た土手を突き崩す時に使っていた。火と風の精霊を用いた爆裂の魔法より効率よく少ない魔素で周囲への被害も軽減出来る。

 以前使った土塊とは異なり岩は結束が堅固なため、魔素の増加注入は必須だった。


 十枚の羊皮紙の選択と修正が終わったため、ユーリヒはライブラリアから、彼が元いたランドレジア南方の山頂へ戻ることを意識する。


 雑多な、彼のライブラリアへの思索――魔法学院に残れたら研究を続けてたに違いないというような雑多な思念――、そして魔術の部品の選択と修正。こんなことに時間を費やしていても、彼が元いた世界では時はほとんど進んでいない。一拍(一秒)も進んでいないであろう。


 (まったく出鱈目な空間だぜ)――意識が収束され山頂の彼に開放されるまでの僅かな間、ユーリヒは独りごちた。



 身体をめぐる魔素が全身から飛び出んばかりの勢いでめぐっている。


 魔素に加え、ライブラリアより転送された魔法のイメージも共に頭の中にある。後は解放するだけだったが、今回は柄にもなく詠唱を行うことにしている。部下への合図が必要だったからだ。――ほんと柄に無いことをしようとしている。



「我、ユーリヒが命ずる。大地の精霊よ、彼の岩の結びつきを解き崩せ!」



 彼の言葉に応えるように目に見えぬ力(彼ら魔術師も精霊は目視できない)が駆動していくのが感じられた。巨岩にヒビが入り、それが大きくなり、やがて岩の向こうが見通せるほどまで大きくなった。――持ち上がった!と成功が確認出来る間もなく、彼の部下達が使役する風の精霊の魔法が岩にぶつかる。


 風と言うより大気の塊が押し出され奔流となって巨岩にぶつかる。


(なんだよ、押し出されねえ!一押しが足りない)即座に追撃が必要と決断した。今度はライブラリアに繋ぐまでもない、得意とする地の精霊術式でそれは彼の中にある。


(突き上げろ!)詠唱もなく放たれた魔術は十本の岩の槍なり巨石に下から突き刺さる。


 突き上げられ大気の奔流により押し出された巨岩が、僅かな抵抗の後、山頂を轟音を立てて滑り落ち、谷間へ落ち崩れていった。


 綺麗に削り取られ平らになった山頂をユーリヒは崖に向かって駆ける。

 戦果を確認したかったが、目を凝らそうとしても舞い上がった土煙により目を開けていられない。


 轟音でやられた耳がやがて、混乱と苦痛の叫びをあげる複数の人間の声を拾うまでには、思いの外時間を要した。

 

 巨岩は意図通り山道の途中の崖まで滑り落ち、そこからは落下の勢いを加速して敵の二番目の小隊の横腹にぶち当たったようだった。

 うめき声まで聞こえないが、救助を求める悲痛な叫びが彼の耳にちゃんと聞こえる。


(成功だが――何騎やれたか!)


 大地に衝突した衝撃で四つ程の大きな塊に割れてしまった巨岩に押しつぶされた騎馬の片鱗が見える。真下で潰された人馬はさすがに分からない。敵の複数人がこちらを見上げ、「上だ!」「敵襲だ!」などと今更ながらに叫んでいる顔が見える。

 

 さらに追撃で兵士並みの大きさの岩でもあれば転がしてやろうと思いはしたが、山頂は思いの外綺麗に削られており、追撃に向きそうな岩が手近にはなかった。身体をめぐる魔素が大きく削られているのを感じ、先ほどと同等のことをやりきるのは無理と判断した。 彼と同じく崖の下を身を乗り出して見下ろしている部下達なら、まだ余力を残しているが、追撃があった場合抵抗出来た方が良いだろうと、追撃の指示は見送ることにした。



(三十騎ってとこだな)ユーリヒは彼の戦果をそう確認した。

 人馬が揃っているのは――今は全員下馬し狂乱一歩手前の馬を落ち着かせているように見える――彼の目には二十騎ほどだったからだ。遅れて救護にはいった後続と先発の重騎兵小隊により、それも徐々に区別が無くなっていく。さらに後続から歩兵の一団が駆け寄ってくる。


 西からも東からもユーリヒがいる山頂に彼らは追っ手を出せそうではある。ここに来るまで時間は要するだろうが長居は無用だなと、彼の部下達に撤収の声を掛けようとしたとき。――新たに視界に入るものがあった。



 それは二騎の騎兵であり。ユーリヒが見下ろす山道の左手の崖を、緩やかな傾斜を選び巧みに下りていく。


(金髪の男の騎士と……黒髪の……)なんとか識別しようとするユーリヒの脳裏に既知である二人の肖像が像を結んだ。


(フィリッツとダーナじゃねえか!あいつ等そばにいたのかよ!)


 一体何をする気だ、と彼が驚愕の面持ちで見守る中、フィリッツとダーナを乗せた馬は、するすると歩を進める。今まさに巨岩の落石被害から救助を行っている敵から五十メルテン(五十メートル)あたりのところで、馬の足を止めた。

 

「ルーメイ伯爵より指揮を委譲されたフォッセ子爵が嫡男、フィリッツ・ラン・フォッセである。ウーリッヒ伯爵は存命か。」


 山道に浪々とフィリッツの声が鳴り響いた。

 敵の反応はない。声もなく彼らからしたら降って湧いた異様な物を見つめるような面持ちであろうか。敵の表情までは見て取れないが、自分も彼らと似たような顔をしているだろう。


 敵の応答のないまま、フィリッツは言葉を続ける。


「翌朝五の刻(朝八時)にて重騎兵戦により雌雄を決する!汝らの覚悟や如何?」


 フィリッツに向けて敵襲と駆け寄ろうとする者とそれを押しとどめる者の動きが見て取れた。

 やがて人馬をかき分け、フィリッツに対峙するべく進み出た鎧姿が目に入った。ランドレジアの貴族とは異なる装束。それでも相手が貴族であることが窺い知れた。

 男はしばらくフィリッツと対峙していたが、やがて絞り出すように「承知」とだけ告げる。


 相手の貴族の返答を受け取るや、フィリッツが遠目にも分かる程度に頷くのが見えた。

 馬を返すと、山道を東へ。徐々に騎足をあげ全力疾走に近い速度で遠のいていく。

 

 ウーリッヒ伯爵軍が蜂の巣を突いたがごとく騒がしくなるのを聞いた。このまま奴らの反応を見てやりたいという誘惑を振り切るようにユーリヒは部下達に振り返った。「撤収だ」と短く告げる。


 ユーリヒは馬に乗り、部下がここまで連れてきてくれた騎兵の後ろにまたがるのを確認すると、北へと馬首をめぐらせた。

 

(巨石で敵に被害を与えて野戦を有利に進める腹づもりかと聞いていたが、重騎兵戦かよ!)



 西日が騎行する十一の影を細く長く形作っていた。




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