1話 風雲急を告げる
街を鐘を鋭く叩く音が、薄暮に煙る城下を叩き起こした。
ダーナは飛び起きると夜着を脱ぎ捨て、急ぎ戦闘服を身に纏い始めた。
――火事を知らせる鐘の音とは違う。戦闘警戒の音だ。
音の確認が終わると鎖帷子を着込みながら、窓から空を見上げる。――夜明けまで半刻(一時間)といったところか。女性隊員向けの騎兵詰め所を飛び出たところで、部下のターリアと鉢合わせた。
「隊長!おはようございます!一体何が――」
「私にもわからん。馬丁に小隊の馬を用意させよ。連絡次第詰め所の中庭に戻れ!――しかし、私より早く軍装を整えるとはやるな!」
「ちょうど……お手洗いから戻るとこだったんです!」
一瞬赤面し、恥じらう顔を見せた後ターリアは厩舎の方へ駈けていった。
詰め所の五十メルテン(約五十m)四方の中庭にダーナ麾下の小隊員が続々と集まりつつあった。厩舎に向かっていたターリアが合流したのを確認し、ダーナは自分に残る微量な眠気を吹き飛ばすように声を上げた。
「小隊点呼!」
「第二小隊第一分隊十名全員揃っております!」
「第二小隊第二分隊十名全員!」
「第二小隊第三分隊同様に揃っております!」
「第二小隊第四分隊――ただ今揃いました」
「第二小隊第五分隊!十名全員揃っております!」
各分隊の分隊長の顔を頷きながら見回しつつ、ダーナは「良し」と応答した。
第四分隊は夜の当直開けで寝入ってすぐに起こされた状態だろう。隊員もほかの隊に比べてぼんやりした顔をしている。状況はまだ不明だが第四分隊だけは、すぐの全力戦闘は不可能と判断した。
「各員馬の状態を確認しに厩舎へ。――私は状況確認のため城に向かう」
部下達と反対方向へ走りだしたダーナの背後で、第一小隊の点呼が始まっていた。
詰め所を出て右折し、城への坂道を駈ける。早鐘に起こされた城下の市民達が寝間着姿のまま不安そうに二階や一階の窓から顔を出し、早馬の伝令が通らないか声を潜めつつも興奮した出で立ちだった。そんな中ダーナを知るもの達がこれ幸いにと声をかけてくる。
「まだわからない!確認しに城に行くところだ!」何度同じことを言ったか?数え始めた頃に、城の跳ね橋のたもとにたどり着いた。
「軽騎兵第二小隊のダーナだ。状況確認のため入城する!」
念のための誰何の声より早く、ダーナはそう告げ城の門をくぐった。
落とし格子の持ち場に着く兵士の姿を確認しつつ、ダーナは歩みを止めずに考えをまとめていた。
(なぜ、この時期に。いや、この時期だからこそか……)
ダーナが所属するフォッセ子爵領の当主は、国王の呼びつけに応じて領地に不在であった。ランドレジア王国は三月前に王国南方の、アルゼス王国と大きな会戦をやったばかり。アルゼス王国の侵攻を撃退し、ランドレジアの勝利となっていた。
会戦において我がフォッセ子爵の重騎兵隊が活躍、いや大活躍したため。報償を取らせるとの命により、フォッセ子爵は不在にしていた。ダーナも軽騎兵の隊長として麾下の五十騎を率い会戦に赴いていたが、戦闘の機会なく重騎兵の活躍を見守るだけにとどまっていた。
(戦いに勝ち、子爵は戦勲第一と報償されたが、重騎兵はまだ先の会戦の傷跡を癒やせていない)
定数五十名の重騎兵隊もアルゼスとの会戦――シュペール・ディアタルゴス間の戦いにおいて、定数割れを起こしていた。
(だからなのかもしれないな……)
そう思索したときには、城の会議の間の扉を前にしていた。
「軽騎兵第二小隊ダーナです、状況確認のために参りました」
しばらくした後に、若い声の「入れ」との声がかかり、ダーナは会議の間に足を踏み入れた。
「軽騎兵、麾下五十名即応の準備が整いました」――まだ各員の馬の確認が終わっていないが、多少色を付けて報告する。
ダーナの報告に顔を見上げて応じたのは、フォッセ子爵嫡男のフィリッツ。重騎兵第一小隊隊長のクリス。重騎兵第二隊長でクリスの実弟であるダレン。そして城付きの魔術師であるマチアスの4人であった。それに重騎兵隊長の従者の4名。これは主人の武装を手伝っている。
「鐘の知らせから三十節(約30分)も経たんというのに、ずいぶん早いな」壮年から老境に入りつつあるクリスが目元の皺を笑顔の形にしてつぶやいた。
「重騎兵のものたちは、まだこれからだぞい」ダレン氏の言葉に、ダーナは胸をそらし答える。
「私たちもまだ早馬の一報を受け取ったばかりです」眠そうに魔術師マチアスが鼻をしごきながらぼそぼそと告げる。彼は非戦闘員のため眠そうなところは非難しがたい。おそらく知恵を借りるため文字通り叩き起こされたのだろう。
「――敵ですか?いったいどこの……」
「無論敵だ。そして我がフォッセ領はランドレジア国境の所領。ゆえに敵はラテルナだ」
ダーナにはお馴染みのフィリッツが答えてくれた。
(フィリッツ眠気はなさそうね……)ダーナは少しほっとして追加の言葉を待つ。
「時期が悪いのぉ。我が君は王都で豪遊中じゃ」
「まあ、それを見計らったんじゃろうな」重騎兵隊長の二人の言葉にダーナも頷く。
「虚を突かれたのは事実だ。しかもこんな時間だからね……。まだ敵の全容がわかっていないが、国境の砦が応戦可能と判断し戦闘に入った時点で大規模攻勢ではないと推測している」
「坊ちゃんの言うとおりじゃ。フォッセ子爵領と接するアトーヤの小せがれが欲目を見せたんじゃろうて」まだ壮年まっただ中なのに口調が兄のクリスとうり二つのダレンが、手甲に手を通しながら独りごちた。
「いかが対応しますか――」
「まあ、待たれい。まだ各小隊の隊長も揃っておらん。歩兵中隊長の坊ちゃんがおるから、軽歩兵は十二分だが」
「はい」
そう答え、ダーナはフィリッツを見やった。フィリッツも装備は整え会議の間に居る。
ダーナはフィリッツと歳が同じであったため、幼馴染みとして幼少から共に居た。ダーナは幼少から騎兵としての特性が見いだされ、馬と共に生きていたが、フィリッツはやがて嫡男として全軍を率いる立場に居た。昔ほどは馴れ合って一緒に居ることが出来なくなっている。
(子爵位なんて継がなければ良いのに……)ダーナの表情に暗い影が差したところで、扉の外から口上があり、遅ればせながら軽騎兵第一小隊のアレスが会議の間に入った。
「軍議をやりますか……」気乗りしないマチアスの声にフィリッツを除く四人が肩をすくめ目線を天井に送った。
◇
「現在ラテルナ帝国軍が、国境の砦を攻囲中と考えられます。兵力は不明です」
「全軍を挙げての出兵であれば、規模から落城必至と報告するじゃろう。……それがないということは多少持ちこたえられそうだとの判断じゃろうな」
「敵の先鋒を見てそのように思っただけかもしれません」マチアスが杖に顎を乗せながら前後に身体を揺らしつつ(――彼の考えるときの癖)発言した。
収まりの悪い髪をかき上げながら、「ラテルナ全軍というのは考えにくいな」フィリッツも考えるときの癖丸出しで言う。
「かの帝国は北に2つの戦線を抱えておる。停戦したとの話も聞かぬし、お隣のアトーヤ子爵またはその後背のシュレーゼル伯爵、その辺りの軍勢じゃろうの」ようやく重騎兵の重装甲に身を包んだクリスが香料を付きのワインのマグを置きながらフィリッツに目線を送る。
「時期だが――」促されるように発言したフィリッツはワインを口に含んだ。「――父上が王都に呼び出されたせいで領主不在だ。私が指揮を執る」それは当然と各人頷く。
「で、父上が城を出る際、各国に伝わるように――大騒ぎの行軍でもしたわけでもないのに。隣国とはいえラテルナに伝わっているのが気がかりな点ではある」
「間者の懸念ですかな?」頷くフィリッツ。
マチアスから間者と言われて、ダーナが不安そうに部屋を見回した。先ほどまで重騎兵兄弟の武装を手伝っていた彼らの従者は、軍議が始まる前には退出していた。
「あまり考えたくはないが、我が領か、王都か。その両方かだ。今すぐは考えないが後に考慮点とする」
「で、時期だが。先のアルゼス王国との戦いで重騎兵部隊に欠員が発生している。敵には追い風だな。その戦勲によって父上も報償とはいえ、王都に呼び出される羽目になっている」
フィリッツの言葉に兄弟二人がやや肩を落とした。
「勇戦しすぎたかの。新しく着任した荘園の小せがれどもを叩き直しておるが、順当にいくと1年くらいはかかりそうじゃ」
頷くフィリッツ。
『重騎兵』。戦場の決戦兵種。歩兵や軽騎兵の小競り合いも戦勝の一部に加味されるが、重騎兵同士の一戦によりほぼ戦敗は決する。男爵号持ちの貴族では重騎兵の小隊をそろえることは困難だった。――金がかかりすぎるからだ。
重い鎧に馬、多数の替えの槍に、替えの馬。最低二名の従者。装備を乗せ移動するための、従者の馬に荷車。決戦兵種であるが、かかる金から小隊に達する五十名を編制できるのは、相応の財政基盤がある領主だけだった。村や町、そしてその周辺の荘園を有するに過ぎない男爵位では困難で、『都市』を所領する子爵以上の貴族が定数をもたせ運用できている。
フォッセ子爵領は重騎兵小隊を二部隊も運用できていた。財政基盤としては子爵位としては上々といえるはずだった。
(けど、この間の会戦で第一小隊は8名、第二小隊は二十名の欠員が生まれている)
ダーナは勧められたワインを断り、水を口に含みつつ二人の重騎兵隊長の顔を見やった。運ばれてきた水は冷えており――ぬるいワインより酒場ではこの水のほうが高いだろう――、ダーナの思考が冴えてくるようだった。
(確かに、一年。少なくとも半年は第二小隊はかかるだろう。それを把握済みの敵の出兵だったということだろうか)
「しかし戦勲誉れ高い両名のおわす重騎兵隊。打って出れば勝利の女神が我が軍に微笑むこと疑いなしでありましょう!」
これまで沈黙していた軽騎兵第一小隊のアレスが目を輝かせながら言い放つ。
(アレス隊長はクリス師とダレン氏の信奉者だからなぁ……)ジト目のダーナの視線に目もくれず、アレスは自らの言葉に興奮気味だ。
「さらに我が軽騎兵第一小隊とダーナの第二小隊は先の会戦では戦闘機会なく健在です!我らも勝利の助力になること疑いなしです!」
(あ~こっち見ながら言わないでよね。確かにうちらは無傷だったけどさ)ダーナのジト目にようやく気づき、ひるんだようにアレスは前に向き直った。
「国境の砦を救援するのは、少し待つ」
フィリッツの言葉に一同の視線が彼に集まった。
「坊ちゃん、考えを聞かせてもらって良いかの?」
頷いたフィリッツが先を続ける。「アトーヤ子爵の嫡男であるナシウス・ラン・アトーヤ。私は彼を知っている」
フィリッツはワインの追加を給仕に命じつつ、「彼は一年半前フォッセ子爵領に取引にやってきていた。我が領の『鉄』を王国の取引所に回すことなく、直接アトーヤと取引してほしいと」
「――父上は断った。が、あの時のナシウスの去り際の顔はよく覚えている。我慢のきかない子どもの表情だ。さらに半年前だが、国籍を伏せて買い付けに来た商人の一団があった。取引前に相手の金の質を改めさせてもらったところ、ラテルナで鋳造した金貨だったと報告がきている。――ナシウスはまだ諦めていない」
「硬貨を出したのは爪が甘いですね。金の粒か砂金で応じるなりすれば良いものを」
マチアスの言にフィリッツも頷く。
「ラテルナの一子爵の現況まで伝わっていないが、家督を執るなり挙兵を考えたとしてもおかしくない」
「アトーヤの出兵は鉄山の権益。――それは出兵要因になりますね。ですが、砦救済を待つのはなぜなのでしょう?」
暖めた香料ワインが功を奏したのか、魔術師マチアスがようやく目が覚めたようだ。
「なぜこの時期なんだろうな、と」フィリッツは明るいグレーの瞳を瞬きもさせずつぶやく。
マチアスもおかわりのワインを給仕に頼んでいる。(あんまり飲み過ぎないでくれると良いんだけど……)ダーナの心配もよそに、マチアスはワインから立ち上る湯気に顎をさらしていた。
「時期は敵に好都合ではありませんか?子爵当主が不在な上、他国との会戦で重騎兵も定数割れ。奇襲で前哨戦も優位に進めることが出来るような展望。十分に敵が勝利とその後の権益獲得を夢見るには十分に思えますが?」
フィリッツはどんなに飲んでも顔色も口調も変わらない。口調が変わらないのは、別の要因なんだけども。
「戦勲おびただしく領主が王都で褒美をもらうような重騎兵隊。例え向こうが無傷の二小隊揃えていたとしても、負ける気がしない」
「だいぶ我らを高く買ってくれてるようだの、兄者?」
「坊ちゃんにはお世辞の礼をせねばならんかの」二人はそんな軽口を叩きつつも。ダーナから見るとフィリッツの評価は正しいと自負しているようだった。
「アトーヤの小せがれが軽挙したとしても、まあはじき返せるかな」ニヤリとし、マグの飲み物を飲み干した。二人ともワインではなく水だった。ダーナの好感度が少し上がる。
「もう一手。なにか勝利を確信させるようなものが敵にはあると思っている」
フィリッツが端正な顎を指先で撫でながら一同にそう告げた。
「では推測だけで敵の全容はわかっていないのですね?」
副官のフィオーレにダーナは無言で頷いて見せた。
「半刻(一時間)後に、城壁前に集合か」
忠実極まりない若き副官(といっても、ダーナよりはやや年上であるが)に「うん」とだけ、ダーナは短く答える。
準備に時間を要する重騎兵隊も城壁の外に集まってきていた。領内の戦闘だ。糧食などは最低限で済む。
フォッセ子爵領はラテルナとの国境にある川に沿って細長い所領だった。東に急峻な山があり、山の向こうには海に繋がる湖。ラテルナ内海がすぐにある。その山々に問題の鉄を産する山があった。鉄の鉱石の質が良いのか。加工する職人の腕が良いのか。フォッセ子爵領の鉄はランドレジアの市場でも人気だった。他国には名指しでフォッセの鉄が欲しいと市場に現れる商人もいると、伝え聞く。 細長い所領のため、国境の町から半日ほどの旅程――旅といいがたい時間ではあるが――で、東南に位置するウォルテン辺境伯の領地に達する。
(もう辺境伯に援軍を頼んでいるんだろうか?)ダーナは集結した第二小隊の面々の間を馬で巡りつつ思索していた。
残念ながらウォルテン辺境伯との間柄はけっして良好とは言えなかった。同国の義務感から、急襲の連絡入れてはいるだろうが、連絡を機に、すぐ援軍を出してくれるように思えない。
フォッセ子爵、この土地に来る前は所領からラトーゼ子爵と呼ばれていたが、本来国境に位置する辺境伯よりさらに外側に封ぜられた。ウォルテン辺境伯としては、領地拡大とともに狙っていた土地だったということは推測に難くない。――さらに、フォッセ子爵が鉄山の開発に成功し、その鉄が市場でも重宝されるようになってからは、さらに面白くないに違いない。
フォッセ子爵領の南西には小さな男爵領がある。ラパンという港町を中心にするラパン男爵領だ。こちらもフォッセ領との関係は良くなかった。ラパン男爵が子爵へと陞爵と共に領地の一部を狙っていたとも伝え聞く。
いずれにしても、この二人の貴族からは我が子爵領は邪魔な存在と思われているだろう。ラパン男爵領では最近軍船を建造したとの話を聞く。軍船は建造にも維持にも金がかかる。一男爵が所有するには重すぎるものだ。交易でそんなに潤うのかしら?とのダーナの思索は一頭の早馬の報に中断させられた。
ラパン男爵が寝返りフォッセ領へ侵攻中!……今まさにラパン男爵を思考中だったダーナは思わず鐙から足を外してしまった。同国の男爵の裏切りの報に城壁前の兵士達、そして指揮官達がざわめく。
大丈夫ですか?と無言で付き従う副官に、ダーナも無言で「大丈夫よ、もうかれこれ上手くやってきてるでしょ?」とばかりに目線を送る。無言で頷くフィオーレに「ね?」とばかりに首をかしげてみせる。
元々フィオーレが第二小隊の隊長であった。幾度かの模擬戦、そして机上戦闘の結果、ダーナのほうが指揮官として優秀と判断され、重騎兵隊の二人の隊長の推薦もあり、ダーナが隊長を務めている。
この人の良い副官はそれを不満とすることもなく、熱心に支えてくれていた。フィリッツを除くと、師にあたるクリスと共にダーナが信頼する男だった。
(まあ、副官だけでなく。隊員達全員が愛おしいけども)
ダーナが隊長となってから、領内を巡察する姿、模擬戦の姿に憧れて女性の隊員が3名入ってきている。無論憧れだけでなく、厳しい入隊試験やその後の試用期間に耐えた者達だ。だが、面談の場で自分に憧れて志望しました!と直球で言われた際には、その時どういう表情をしてたのか、同僚に聞く気も起きなかった。
軽騎兵第一小隊隊長のアレスが、「あれは試験官としてどうかとおもうぞ、お前可憐すぎたぞ?」とからかうことも無く真面目な表情で諭してきたからだ。
頼もしくも可愛い子達。半数以上がダーナより年上だが、ダーナはそう信じていた。
「敵の情勢がはっきりとわかった。敵の主力はラテルナ帝国。子爵領を先日継いだナシウス・ラン・アトーヤ。いや、継いだからナシウス・ヴァイ・アトーヤ」
「そして我が領南西の男爵であった、ラパンだ」
改めて男爵の裏切りが、フォッセ子爵の嫡男であるフィリッツから発せられると兵士のざわめきは大きくなった。
(フィリッツが感じていたもう一手ってこれかあ……)麾下の小隊員に向け無言で手をあげゆっくりと下ろしていく。騒ぐなとメッセージを送る。
裏切りの予測までついてなかったとは思う。でも半刻(1時間)前に出撃し、砦を攻囲する敵と接敵したあとに、後背から襲撃を受けていたら……と思うとゾッとする。領内の富を船に捧げているような男爵だから手勢の軍の規模は大きくないはずだけど。背後から襲われていたら、おそらく壊滅してたかもしれない。フィリッツが討ち取られていたりしたら、指揮官の判断のもと重騎兵による決戦にも持ち込めなかっただろう。
ざわめきが静まるのを待ってフィリッツが号令する。
「軽騎兵第一小隊アレス・マッガーフィン、第二小隊ダーナ・シャイアン。両名麾下軽騎兵はラパン男爵の軍を迎え撃て。男爵の首級を挙げれば良し。適わずとも追撃は不要だ。敵を潰走させたあとは砦へ増援へまわれ。来着後指示は追って行う。または、突撃の好機とあらば指示を待たずとも良い――出陣は今すぐだ」
「はっ!」
馬を巡らしすぐさま駈けていく二つの小隊を見送った後、フィリッツは落ち着いた声で全軍に告げた。
「我々は急ぎすぎず、砦に向かう」
◇
ダーナの副官のフィオーレは敬愛する上官のすぐ左後ろで、馬を疾駆させながら興奮していた。状況は良くないはずだったが、あの若き代理指揮官は、軽騎兵隊が負けるなんてことをまったく匂わせず送り出したのだ。快勝した後に合流せよ、としか言ってない。勝てるんだろうか?とかいう多数の兵士の不安も吹き飛んだか、薄くなっているに違いなかった。
朝日を背後に受けながら上官のダーナを見やる。(――美しくなった)フィオーレにもかつて気概はあった。それは第二小隊の隊長としての。
だが幾度もの隊を半数に分けた模擬戦。そして机上戦闘において完敗だった。隊長から副官に降格となっても、全く不満はなかった。部下や第一小隊の副官が落ち込んでいるだろうと見舞いの酒を奢ってくれても。「落ち込んでなんか無いさ、絶対この隊はよくなるぜ」と、本音で答えたものだ。
朝日を受け、騎乗のダーナも馬もひときわ輝いて見えた。実際輝ける娘に違いない。隊長に着任したてのころは、そばかす痕が僅かに残る小娘であった。今や艶やかな黒髪にほっそりとした身体。ぴっちりとした無骨な革鎧が、この娘が着ると専用の防具であるかのような一体感があった。持久力ではフィオーレも負けてないと自己評価していたが、そこまでの持久戦に持ち込めることも希だった。
丘を登り切る前に、ダーナがすっと手を挙げた。副官である自分がダーナの意図を隊に伝える。
「一同小休止」
城塞都市を出立して南西へ一路半刻(約一時間)全力疾走してきたために、馬にも小休止が望ましかった。敵が放った斥候――二騎からなるペア――の集団を三つ討ち滅ぼしていた。剣だけを帯刀し槍を持たない敵の斥候より、この二つの小隊は速かった。
我が第二小隊は馬と一緒にいる時間が第一小隊の面々に比べてはるかに長い。
「絶対必要よ、後悔はさせないわ」
と、ダーナが隊員を前にして言い放ったのを覚えている。彼女が率先して馬と話す時間を多く取った。馬丁に任せず隊員自ら馬のブラッシングをしたり、共に食事をしていた。ダーナから特にそうせよと言われてないが、愛馬と共に寝るものも隊員の中には居る。
彼女を深く敬愛するターニャ隊員やミレナ隊員は厩舎から出勤する姿も目立つ。
そして、赴任したての小娘の言うとおりになった。馬は速く、よく耐え、そして人の友の死にすら殉じようとする……このような馬に巡り会いたい。そう夢想したような馬を間違いなく隊全員が獲得していた。
ダーナの馬に自分の馬を並べると、ダーナが見つめているものを自分でも目をこらして見ようと試みる。
「軽騎兵五十、歩兵百。二列縦隊」
フィオーレにはまだ、何らかのうごめくものにしか見えていないが、ダーナの目にははっきりと見えているらしい。
(目の良さは天賦のものだな……)軽く嫉妬を覚えながらフィオーレも敵の陣形を頭に入れる。
「高速迂回し、背後を急襲しますか?」
ダーナはまだ無言で考えていた。
「ううん。朝日を味方にする。アレスに伝えてくるね」にっこりと笑う上官の美しさにフィオーレはしばし時を忘れた。
ラパン領男爵ブラウ・ヴァン・ラパンは勝利を確信し行進していた。アトーヤの若き領主から裏切りの話を持ちかけられた時には半信半疑であった。
しかし、彼が予測したとおり、フォッセの当主は王都に呼び立てられる羽目になった。
彼の男爵領は建造したての軍船により財政が逼迫していた。無論彼も当主の放蕩の末、建造した船ではないと確信していた。ランドレジアの王国には海軍が存在していなく、南方との海上交易で海賊船に襲われ積み荷を失う羽目になる事件が何度もあった。王国に先んじて海軍を整備し、その重要性を説くと共に、率先して整備した海軍により王国内で立場を強化する、そんな目論見があった。
こんな国境の辺境に押し込められたと、男爵に封じられたあとは、まずい酒に酔う夜が続いていたが。手薄な海上交易に活路を見いだし、一隻目の船が出来上がったときには、旨い酒の夜に変わっていた。
フォッセ子爵領から良質な鉄が産出されるようになってからは、多少酒に苦みが増えた気がする。
あの子爵領は狙っていたし、視察で鉄を産しそうだと、見当をつけたのもラパン男爵が最初であった。なのに、あの国王は国境の細長い領地に、現フォッセ子爵を封じた。
あの鉄があれば……何度も男爵は夢想した。ランドレジアの中央市場に船で乗り付け、鉄を売りさばく。他の国にだって海路なら自在にどこへでも。実際は鉄の鉱石を付加価値の高い鉄に仕上げているのは、フォッセお抱えの鍛冶師集団なのだが、ラパンはそこは見なかったことにして忘れた。
財政は火の車だった。狭い男爵領とその配下の騎士たちの荘園からあがる税では、軍船一隻の維持もギリギリだった。軍の維持も王から男爵に封じられたときには誓約している。
――そこは定数以上に満たしていた。上位の貴族から目を付けられない程度に定数も超えていた。その軍勢の維持も財政にはきつい要因だった。
軍勢の維持に喘ぐラパンであったが、王国のアルゼス戦では、我が男爵領には声すら掛からなかった。勝手にライバル視しているフォッセの子爵は勲功を認められ王都に呼ばれ報償されるというのに!
男爵領の税を中央に納める担当官を捕まえて声が掛からなかった理由を聞いたところ、「船などにうつつを抜かさず、荘園の管理にもっと精を出されては?」などと嫌みを言われる始末である。我が夢の塊である船に対してのなんたる皮肉!男爵のランドレジアへの忠誠心は急激に冷えていった。
――フォッセの鉄山はアトーヤが取っても良い。が、産出される鉄のその半分でも我が領から海で売りに出せれば!軍船も商船もやがて充実するだろう。ラパンの名を知らぬ商人もいずれこの大陸から居なくなるかもしれない。あのような嫌みを言われることもなくなろう。ラテルナでの市場開拓も楽しみだ。
若き当主の夢も自我も拡大していった。
うねうねと田園を縫うラパン領とフォッセ領を結ぶ街路を朝日が真っ白に染めていくようだった。朝は冷えるがよい季節だ。ラパンも馬上から、丁寧に管理されているのが見て取れる荘園の畑を見ながら、そう思った。
ラパンがのんびりと馬上から見渡すと、馬で駆ければすぐたどり着くところに村落があり、いくつかの朝餉の準備と見える煙が上がっていた。
(この辺りにはまだラテルナの来襲も我が進撃も伝わっていないようだな)ラパンは混乱もなくいつも通りの朝を迎える村落を見て、満足げであった。
今のところ奇襲は順調だ。砦周辺で互角になるであろうラテルナとフォッセの戦を背後から突く。裏切りは不名誉であるが、我が領を不当に扱った王国が悪い。ラパンの脳裏には、もうすでに戦後処理をどう優位に進めていくかそんなことしかなかった。
村落を通過し、流れる川を左手に進むラパンの軍勢を不意に連続する地響きが襲った。
何の音だ?周囲の歩兵が不安げに前方を見やる。
前方を進む騎兵の小隊から叫び声が上がった。「て、敵襲だ!騎兵だぞ!」
ラパンも前方の道に目を凝らすが何も見えない。登る朝日が逆光で黒く染める丘に目を細めたところで、ようやく疾駆してこちらに向かう騎兵の一団があった。
ランドレジアの騎兵か?まさか、アトーヤが裏切りこちらに兵を向けたのではあるまいな?自身が裏切る行為をしたばかりのため、まずそんな危惧が脳裏に浮かんだ。
「迎撃せよ!」ラパンの口からはそれしか出なかった。
ラパンの騎兵隊が指示に従い動き出したところを確認し、朝日に目をやられながら丘に視線を戻したところ、もうすでに敵が迫っていた。
「馬鹿な、速すぎる!?」
そう叫んだ時には敵の指揮官と思える――なんと女性だろうか。「突入!」の凜とした号令がラパンの耳に入った。
うろうろと辺りを見渡し、配下の歩兵隊に槍で応戦を命じようとしたときには、敵の騎馬が恐ろしい速度で駆け抜け。駆け抜けるついでにラパンの歩兵を槍で串刺しにした。別の敵の指揮官が「抜刀!」と指示する声が耳に入ったが、まるで別の世界のように思える。
ラパンの目前に迫った騎士。だいぶ細身の騎士がラパンの右肩を槍で貫いた。指示を出すどころか、自身が落馬し受け身を取る間もなく地面に叩きつけられる。
押し殺した息を吐き出し――彼としては最速で身を起こしたが――、見上げた朝日の中。彼が惚けて見守る中。漆黒の影が剣らしきものを横凪に振るっていた。
鎧袖一触だった。フィオーレはダーナに従順に付き従っていた。突入を命じて五呼吸目には敵を目前にしていた。朝日を背に丘から逆落としする用兵が順当に上手くいった。突入を指示した直後、不意にダーナが馬速を緩めたため、何事と思いつつフィオーレも一瞬緩めた。
が、一拍の後、最大戦速で指揮官に向かっていた。
部下達は突入ですれ違いざまに敵の歩兵に槍を叩き込んでいた。軽騎兵の悲しい習性で、槍の替えはない。第一小隊アレス隊長の指揮のもと、抜刀する。ダーナが何者かに槍を突き刺すのが目に入った。槍に馬の速度と彼女のささやかな体重が乗った一撃となり、敵が後方に吹っ飛んでいく。
フィオーレの目には重傷、すなわち戦闘能力を奪うにとどまり、殺傷までは至っていないように見えた。フィオーレは槍を敵の歩兵にぶん投げた後(この戦果は確認できていない)、剣を抜き放つとすり抜けざまに落馬し起き上がった男の首を跳ねた。
敵の歩兵を剣で蹂躙せず、そのまま歩兵の集団(6割方は死体ではあったが)を突き抜け、敵の後背で再集合を企図する。馬足は最大戦速を保ち、敵の軽騎兵集団に向かうべく大きな円を描くように機動する。
何度も模擬戦でやった動きだ。小隊の足並みは訓練と同じくらいに揃っている。
敵の騎兵は歩兵と共に進軍しており、こちらに速度を上げ向かっているが巡航速度にやっと達したであろうところだった。おまけに足並みは見事に揃っていない。
敬愛すべき指揮官の姿を探すと、こちらをジト目で見ていた。(え?なんで?)なぜ拗ねた目を見せるのか。自分の失策を理解する暇も上官殿はくれなかった。
「勝ち鬨をあげよ、副官殿。貴官が討ったのは男爵その人だぞ」
(あの者が!)フィオーレは驚いたが、重要な局面であるのも自覚した。あの馬速を落とした瞬間には探していたのか。フィオーレは手綱を引くと、浪々と響くことを祈って声を張り上げた。
「フォッセ子爵領、軽騎兵第二小隊のフィオーレが裏切り者のラパンめを討ち取ったり!」
こちらに向かう騎兵集団に明らかに動揺が走ったのが見えた。敵の歩兵は指揮官の死に指示を待つべく右往左往している。我が軍からは快哉を叫ぶ声が上がる。
槍は失われたがこちらの速度は最速に近い。
勝ち鬨のせいでフィオーレはダーナからずいぶん置いて行かれたが。彼女と麾下の騎兵、そして第一小隊がやや遅れて敵の先鋒と切り結んだとき、彼は勝ちを確信した。
◇
フィリッツの行軍はゆっくりとしたものだった。何度も心配し、先行する重騎兵隊のクリスやダレンが入れ替わり立ち替わりゆっくりと進む本隊を見舞いした。
「まさか、私の足に合わせて進軍してくれてるんじゃないでしょうね?」旅装の旅人としか見えない格好の魔術師マチアスがフィリッツにぼそぼそという。身体を鍛えてない彼でも十分に追従出来るほどの速度だ。
「あの砦は硬く守れば簡単には落ちないさ」淡々とフィリッツが何度目かの返答を口にする。
「しかし、そのお。救援は早ければ早いほどよいように、小官には思えますが」
今度は返事が貰えずマチアスは残念そうだった。
重騎兵の二隊が停止しておりそこに合流すると、丘の下には敵の姿がようやく見えた。
「おや、砦は抜かれてますね」
フィリッツは頷きつつ辺りに聞こえるようつぶやいた。「だが落ちてはいない」
敵は砦の攻囲を背後で続けつつも、砦を背に大半の軍勢をこちらに向けていた。
「抜いた勢いで城塞に進軍してくると思っていたのですが……」
「それは敵の意図じゃないさ」
「なかなか来ないので焦れているとは思うが……」
敵は歩兵を前面に置き、槍先がずらりとこちらを向いていた。
川沿いの砦を背に南北に延びる街路からやや引っ込んだ平地。生い茂る草は靴先を僅かに隠す程度で兵も騎兵も阻害されることはない。
「騎兵の突進に備えてますな。歩兵は三小隊、百五十名、重騎兵がその後ろに約百騎。軽騎兵が同数で百といったところですな。こちらの軽騎兵は出払っておるが……」
川がそのまま国境線になっており、川を背にして敵は布陣していた。魔術師マチアスも敵を望みつつ感想を述べる。
「ふむ、妙ですな。抜かれたとは言え、まだ生きている砦からは――ほら、あのように矢も届くところで布陣とは」
「敵は待っているのさ。男爵をね」
「なるほど、南西から側面を突かせる意図ですね」
「こちらとすでに本隊同士が交戦中が最高だったんだろうけど、我々がのろのろ向かったから、待ちぼうけで砦からの格好の射的になってるな」
クリスが兜を跳ね上げ顔を見せてこちらに馬を巡らせてきた。
「重騎兵同士でケリをつける気かの?あの教本通りの槍衾を潰せと言われたらそれもやるがの」
「いや、それはないな。時機を逸している。それをやりたいなら砦を抜いた後、わが城に攻め寄ってるはずさ。あの槍は抜けても重騎兵への損害を無視できないからそれもやらない」
「……指揮官殿の指示を待ってますぞ」クリスは兜を下ろすと持ち場に戻っていった。
「そろそろ頃合いかな」登りゆく朝日を見上げ、自身に出来た影を交互に見やりつつ、フィリッツはそう独りごちた。
アトーヤの侵攻軍を任されたイルシュは大層焦れていた。
フォッセの軍勢がすぐに危急にある砦に騎兵を差し向けてくる算段であったが、全く外れてしまった。砦の門は早々に抜いたが、砦本体の守備隊が頑強に抵抗しており、未だ落城には至ってなかった。が、砦を抜きフォッセ領内で布陣する意図は達せられたため、時間の経過により砦の守備兵も殲滅できるはずとし、背後から散発的に降ってくる矢に関しては許容していた。
本隊が来ない。まもなくラパン男爵と主のアトーヤ子爵で取り交わした合流の時間であるのに。
ようやく敵の重騎兵と歩兵隊が丘の上に現れた。何をノロノロしておるのだ。窮地にある砦を放置するとは!フォッセ子爵の小倅は準備に随分手間取ったようだと結論づけた。
(まあ、初陣ならやむを得んか)イルシュは寒さに歳で節ばんだ手を揉み合わせながら敵軍を見据えた。フォッセの小倅が戦勲を立てたという話は聞いたこともない。
両軍は対峙していたが、フォッセ軍の後背から幾筋もの湯気らしきものが立ち上るのがイルシュの老いた目にもはっきりとらえられた。何をしておるのかと訝しんでいると、敵の歩兵前列に椀が配られ、敵の兵が口にしている。
(朝飯じゃと!悠長にもほどがあろう!)イルシュの常識を超える動きを敵兵がしている。かっとなり、敵の布陣を見て感じた違和感がどこかに行ってしまった。そしてイルシュらが放った斥候が一騎も戻らぬまま敵の本隊が現れたことも。
椀が回収され敵の後背から突撃の笛の音が響き渡る。(ようやく来るか)イルシュにおいても待ち望んだ戦闘の開始合図であった。
フォッセの軍はラテルナと同様に歩兵を前列に置き、緩やかに前進してくる。四列目の歩兵隊が弓を番えたのを目にし、イルシュは歩兵に盾を上面に構えるよう指示した。
――ほぼ防げているが、わずかに矢で負傷するうめき声が四方で聞こえた。なおも敵は矢も交えつつ平押しで押してくる。
不意に敵より突撃の笛の音とは違う調子が響き渡った。
背面が騒がしくなり何事かと視線を向けると、砦から打って出た敵兵が攻囲している兵士と戦闘に入っている。
(まだあんなに残っておったか。軽騎兵を向けるか。しかし、これで策も打ち止めであろうの。いったん交戦すれば男爵めも安全似攻撃できるであろう)
イルシュは手を挙げ、軽騎兵に対処するよう命じた。その後は面白くもなんともなさそうなむっつりとした表情で、ようやく槍を交わし始めた歩兵の交戦に目をやった。
騎行するダーナの右手前方に布陣する歩兵隊から砦からの出撃を意味する大笛の音が聞こえた。笛の音に呼応するように砦から兵士が飛び出し攻囲中の敵と切り結び始めているのが目に入った。
間もなく戦場に到達するが、ダーナの頭には出立前のフィリッツの指示がグルグルと巡っていた。
『来着後指示は追って行う』そして『突撃の好機とあらば指示を待たずとも良い』ダーナには突撃の好機としか見えなかった。幸い敵は遮蔽物のない場所で布陣しており、騎兵の突撃を妨げるものは何もなかった。
わずかに後ろを走るアレスの第一小隊に向け声を上げる。
「突撃したい!」
「え!あ、あぁ。殿下からの指示は待たないんだな?」
「待ってたら、もう奇襲じゃなくなるよ!」
「そうだな。よし。どこを狙う。俺なら、うん――」
「あの動き出しそうな、後ろ見せてる軽騎兵!!」
「おうよ、それがいい!」
ダーナはわずかに馬を左に寄せ、突入角度の調整を始めた。麾下も意図を汲んで速度も落とさずダーナに従う。
『槍はない』
この奇襲の一撃で最大限の効果を出したい。ダーナは戦場を目をさらにして見つめた。
騎兵指揮官を見つけた。わずかに手を上げ振り下ろす動作。あれが隊長の一人でなくて誰が隊長であるというのか。
さっきは副官が敵指揮官を討ち取る手柄を上げたが、今度は自ら仕留めるつもりだった。
ラパン男爵の一軍を蹴散らした後、わずかに馬に水と塩をやり、ほんの短時間をおいての騎行強襲だった。二名の負傷者を念のため城に帰している。
同数でかつ槍を持つ敵の軽騎兵を相手に回して、長い時間疾駆してやり合う余裕はない。自分達の最大の敵になりそうな存在を一気呵成で屠る。重騎兵は師匠がなんとかしてくれる。
敵の歩兵の最後尾から、急襲を告げる報が四方に散っていたがもう遅い。先頭を走るダーナは敵の軽騎兵全員が前だけを見ていることに満足し、号令した。
「抜刀!蹂躙!」
一方的な殺害の嵐が敵の軽騎兵を包み込んだ。為す術もなく後背から襲ってきたほぼ同数の騎兵に狩られていく。前面の砦の歩兵に突入すべく馬も停止していた。敵の軽騎兵にとっては最悪のタイミングで。フィリッツからすると最高のタイミングでダーナの軽騎兵が突っ込んでいた。丘の上からも綺麗に突き進んでいくダーナが見える。その狙いもフィリッツからは明らかだった。
敵に突入後、一度も剣も振るわずダーナは一直線に一人の男に向かっていた。フィリッツからも敵の指揮官の一人と確認できた騎士。男が振り向きもできないまま、ダーナの一閃した剣で、名も知れぬ男の首のない胴体が落馬するのが見えた。
「クリス、ダレン。お待たせした。重騎兵の出番だ」
「どう揉んでやろうかの?指揮官殿」
「敵重騎兵の介入を遅らせる。歩兵陣に突入後なるべく敵陣中央でじっくり揉み上げてくれ」
「心得た。聞いたかの?弟よ」
「じっくりコトコトじゃの?ワシの嫁さんの得意技じゃわい」
イルシュの眼前で。そして背後で悪夢のような事態が展開されていた。我が軽騎兵は為す術もなく討ち取られ、余勢を駆った敵の軽騎兵が砦の守備兵と呼応して攻囲する歩兵を刈り取っている。
そして目の前では敵の恐るべき重騎兵が側面から突入してきて、柔らかいパンを切り分けるように我が歩兵を蹂躙している。
こちらの重騎兵の指揮官は、指示を仰ぐべく、今まさにイルシュに詰め寄ってきたばかりであった。
「重騎兵戦を!指揮官!」血走った目で叫ぶ重騎兵第一小隊の指揮官を睨み付けたが、イルシュにも当然その頭はあった。
が、『重騎兵戦』という一騎打ちを連続で行うセレモニーといってもいい戦いは、厳かに司令官が進み出て、戦の頃合いを見て開始を宣言するのが慣わしだった。重騎兵戦を開始する宣言をすべく、指揮官が単騎で槍を交わし合う歩兵達を抜け、敵の指揮官の姿が確認出来るところまで進み出る?
殺してくれと言わんばかりの状況だ。「出来ぬ!」短くイルシュは重騎兵指揮官に応答するのみだった。
そのようなやりとりをしてる間にも、敵の重騎兵が歩兵という柔らかいパンの仕分け作業を終え、歩兵隊を突き抜けるところだった。イルシュが見るに、敵の重騎兵は突破後、再度の突撃を敢行しようと再集合している。
「まずあれをなんとかせい!」ガシャガシャと音を立てながら自分の隊に戻る隊長に舌打ちを送りながら、イルシュはふと両軍の槍の応酬による喧噪が止んでいることに気づいた。
「いかん!盾防御、矢が――」命令が終わるのを待たずして、重騎兵の突破に呼応して距離を取った敵の歩兵から矢の雨が注いだ。
歩兵は潰乱状態になった。すでに敵歩兵の半数にも満たない数まで討ち減らされている。元々、軽騎兵兵力は互角、敵の重騎兵は他国との戦闘で敵は数を減らしておりアトーヤが優勢、歩兵兵力は一個小隊分負けていた。
もう単純な歩兵の平押しで押し切られる。重騎兵は重騎兵同士の戦闘にすべく敵に向かっているが、敵の重騎兵が再突入してくるほうがわずかに早かった。
いったん歩兵を下げようと決意するイルシュの眼前に、重装備で絢爛豪華な鎧武者が大きな馬体と共に現れた。
彼が構えた槍がゆっくりと。
不気味なほどゆっくりと自分にまっすぐ伸びてくるのを、イルシュは見つめることしか出来なかった。
◇
天を回る日が昼を過ぎ、夕刻が迫る頃。川岸まで追い詰められた敵の重騎兵隊が続々と降伏した。
フォッセの歩兵の矢は重騎兵の全身鎧にはまるで歯が立たなかったが、寸分隙間無く武装した主人と異なり、馬にはわずかに有効だった。
馬を失った後も重騎兵は頑強な抵抗を続けていたが、川向こうに展開していた彼らの従者、そして替え馬と荷車が敵の軽騎兵に捕捉され降伏下のを確認したあと、彼ら重騎兵の士気がようやくくじけた。
クリスとダレンが撃ち込む剛弓による矢も士気喪失に功を奏していたに違いなかった。矢が重い全身鎧を貫通し、射られた騎士が雷に打たれたように硬直し斃れる姿は味方にも衝撃的だったようだ。
クリスとダレンの弓は何度も見知っていたのでフィリッツには慣れた光景であったが、麾下の軽装歩兵には二人の弓の威力は初めての光景であった者も多かった。
フィリッツは二人の他に剛弓を引く一人の重騎兵の姿が新鮮だった。このまだ若き騎士は弓だけであれば、クリスとダレンを凌駕してそうだったからだ。
投降した騎士に後日聞いたところ、矢でジリジリ射られるのはもちろん堪えたが、いったん後方に下がった弓兵が遅まきながら昼飯を食べている姿が衝撃的であったとのことだった。朝飯に引き続き昼までも。彼らは砦を攻囲中に簡易な戦場食を口にしたが、早朝にそれだけだったため、緊張の糸が切れてしまった同僚が多かったと告白している。
しつこい遠矢による攻撃でようやく降伏させるに至ったものの、やはり敵重騎兵を剣や槍ですり潰すには、相応の被害が出ることが予測できた。
――馬から下りても彼らは強いのだ。昼から夕方に至るまでに攻撃を耐え、まだ四十名近くが残っていた。
小隊長が討ち取られ、代わりに指揮官となった分隊長からの降伏を受け入れたフィリッツは、西に傾く日を顔の左に受けながら、踵を返した。
戦勝に沸く自軍の兵士を横目に暗い顔をしているフィリッツの元へ、彼の幼馴染みが寄ってきた。
「お願いがあります、司令官。殿」
なんだい?言ってみてとばかりに無言で促すフィリッツに、ダーナは後を続けた。
「朝の戦闘でラパン男爵の軽騎兵を倒したんだけど。かなり馬が健在だったのね。……もちろんここに急行したから、あの場所にから散ってるくらいなんだけど。……回収してきてもいいかな?主人を失う戦いからしばらく経ってるから、多少落ち着いてると思うんだけど」
「ああ、良い馬がいるといいな。詳細は事後報告でいいからな」
「ありがとう!日が沈むまでになんとか回ってみたい。一瞬しか見られなかったけど、何頭か。うーん五頭くらい?とても速い馬はいたわ!」
隊の元へ駆け足に戻っていくダーナを見送って、フィリッツは砦の兵士達の元へ歩を進めていく。
「元気ですなあ。早朝からラパン男爵撃破で活躍して。ここでも活躍して。――軽騎兵隊長としてクリス殿が推薦してきたときにはどうなるかと、心配したものですが」
フィリッツに追いすがって歩幅を大きくするマチアスに気づき、フィリッツはやや歩幅を小さくした。
「しかし、重騎兵は堅固ですな……まるで戦場に生えた一枚の岩のようでした」
「まったくだ。ダーナは槍の補給が済み次第、突撃を具申してきたが。却下して良かったと思う」
「軽騎兵は死者もなく重傷者一名、軽傷者十一名で済んでおりますが。重騎兵への突撃を敢行していたらどうなっていたことか」
砦の麓に到着した二人を熱い歓迎が待っていた。「よく耐え抜いてくれた」と労うフィリッツに守備隊長は「ですが、抜かれてしまいました。申し訳ありません」と応じる。
「我が領内であったからこそ、軽騎兵が縦横に機動できたのだ。国境を守る門は早急に修繕することを約束する。念のため国境の警戒は引き続き頼む」
こちらの負傷兵の状況がわからないため、まずここから治療に当たります、とマチアスは砦に残り、さっそく担架に乗った兵に声をかけていった。魔法の治療は各人が持つ自然治癒を促進させるくらいだが、状態が持ち直す兵も中にはいるだろう。
砦の隊長と握手を交わしたフィリッツは城塞への引き上げを全軍に通達した。
フィリッツに馬を並べてきた両重騎兵の隊長に、「クリス。共に城に戻ってくれ。ダレン。疲れていると思うが一仕事ある。第二小隊でラパン領に向かってくれ。男爵の居城の制圧と筆頭執事の拘束だ。こちらの尋問に協力的であれば拘束はしなくともよい。主にアトーヤ子爵、ラテルナ帝国とのやり取りを残した文書を押さえて欲しい。抵抗があった場合は――途中で通過するはずだがダーナの隊が馬を捜索している。ダーナに応援をもらって欲しい」
了解と、短く馬上で敬礼したあと、ダレンは夕日の中、隊と走り去っていった。
「この期に及んで悪あがきせねばよいですな」クリスの言葉にフィリッツも無言で頷いた。
◇
フィリッツは自室で父である子爵への報告書を、書記官に記述させていた。
「――領地の。田園、市街への被害はなし。軍の被害は後日別便で報告する。緊急で領地に戻る必要は――無し」そのように報告を結んだ。
都市への沿道、沿道の荘園にまで戦場を遠望した野次馬から戦勝が伝わっていたのだろう。フィリッツ達の戦いっぷりを讃え喜ぶ市民が多かった。城下の騒ぎが城にまで聞こえてくる。おそらく城下の酒場は夜通し店を開けることにしただろう。幸い暗い知らせが昨今無く、沈鬱なムードとは無縁だったフォッセ子爵領だったが、今夜の明るい知らせはしばらく酒場を中心に皆に格別の酔いをもたらすに違いなかった。
書記官が子爵への報告の早馬を手配するのが終わるや否や、主計官のミシェイルが香料入りのワインで想いに耽ろうとするフィリッツを遮るように――目線をフィリッツに合わせたまま、机にバサッと書類を投げ出した。
フィリッツの部屋には重騎兵隊長のクリスと、この数字マニアと部屋の主人の三名だけが残っていた。
「軍の被害を聞かせてもらいますよ!新たな未亡人となった女性方は幾人なのでしょう?」
ミシェイルの端正な顔立ちから喜色を隠せない。この年がら年中、数字と格闘している優男は、物騒ながら新しく加わる数字の群れが楽しみでしょうがないのだ。
「変態め」と鋭く刺さるクリスの視線にも気づかず、羽根ペンを握りしめながらフィリッツと書類の束を交互に忙しく目を這わせている。
「今のところ被害は軽微といっていいかな。砦の兵員被害が一番大きい。マチアスが治療に早速当たっている。裏切りの男爵領がどうなるかは国王の沙汰次第だが、収支はプラスで終わりそうだよ」
「同じ子爵同士で奇襲を受け、そして身内の男爵が裏切って攻め上ってきたのにですか?」
「うん」と勢い込むミシェイルを言下に押さえ込んで、ようやくワインを口に含んだ。
「重騎兵戦はやらなんだ」クリスの言に、「え?」と首をかしげたものの、やがて得心したのか「なるほど」とだけ口にしフィリッツの言葉を待っている。
「敵の重騎兵37名を捕虜にしている。今後子爵に身代金を要求することもできる。――もっとも向こうが望めばだ」
「アトーヤが軍を立て直すにしても、重騎兵から。となるじゃろうしな」
ほぼ全員が騎士からなる重騎兵の捕虜であるため、相応の身代金が積まれることが予測できた。
「アトーヤが申し入れてこなかった場合――どうなる?」
「全員騎士ならば虜囚としてもそれなりの待遇。長期に及ぶと食わせるだけでも大変ですね……」うーんとミシェイルは呻りながら無造作に束ねた髪をいじくり回す。
「男爵領は我が領に編入という前提であれば、確保したラパンの荘園をこちらに新たに忠誠を尽くす捕虜に与えるのも策だと思う。もっともアトーヤ子爵に忠誠を尽くす一代限りの騎士は応じないだろうが。アトーヤ領に荘園を持つ騎士達は揺らぐだろうな」
「主君から見捨てられておるでの。効果は大きかろう」
「同じ重騎兵同士、クリスとダレンで懐柔と人選は任せたい。父上の判断次第だが先に動いておいても問題は無いと思う」
「任せられよう。一代騎士の一人に荘園を与えたりすると。荘園持ちも危機感を覚えて我先にと靡く者が増えそうじゃが」
「なるほど。それも考慮しておこう」
「――今回の戦勝の大きな要因はなんですか?」キラキラと夢見る乙女のような瞳で、ミシェイルが聞く。
「ラパンにしてもアトーヤにしても軽騎兵の動きを完封出来たのが大きい。うちの軽騎兵の功績だね。そして砦は抜かれたものの落ちずに済んだ。これは砦の守備兵の功績。そして重騎兵戦に移る決断を敵から奪えたことかな」
「アトーヤ子爵が自ら出向いておれば、多少違った結果になっておったかもしれんのお」
「敵が重騎兵以外の戦闘でなるべく領地を押さえた後、重騎兵戦でも勝利して完勝を狙ってそうだったからね。重騎兵戦はちょっと遅れるとは推測できていた。派遣された代理指揮官もその命令には忠実だった。こちらは重騎兵の数で劣っていたから重騎兵戦にはなるべくしたくなかったな。……重騎兵戦とその他で二勝されてたら、こっちは全面降伏だったね」
「まあ、重騎兵戦で連戦となっても最終的には負けてはおらんと思うが。ワシが十人抜きしてもよいのだし。が、――勝った後の立て直しが恐ろしく時間が掛かったじゃろうなあ」
「男爵領はフォッセに組み込まれることは濃厚ですか?」二人のやり取りを黙って聞いていたミシェイルが勢い込む。
「慣例的に我が領になると思うよ。他家の助力も幸か不幸か得られなかったから、我々の独力だし」
「ふむふむ、長期的には我が領には好材料ですねえ。鹵獲した武装などはございますか?!」
うっとりした表情で顔を近づけるミシェイルの視線を無理に外しながらフィリッツが答える。
「馬に荷車、予備の槍や矢などはかなりの量になりそうだね。ミシェイルは各隊を回って被害の詳細から被害額を算出し報告してくれ。その上でラパン領に赴き、ダレンを共同で男爵家の資産をまとめてくれ」
「はい!喜んで。では早速参ります!」
再び「変態め」というクリスのジト目が刺さるのを気にせず、ミシェイルは退出していった。新しい数字に胸をときめかせながら、夜通しで眠そうな隊長に追いすがって聞き取りをやるに違いない。
扉が閉じたと思ったら、またすぐにミシェイルがにょきっと顔を覗かせた。「軽歩兵と、重騎兵第一小隊は――」
「軽歩兵は死者六名。重傷者九名。軽傷者は二十一名だ」「重騎兵両隊は死者なし。重傷者一名。軽傷者六名。負傷者は全員第一小隊じゃ!」皆まで言わさず二人が早口に答える。
「はい~。かしこまりました」
パタンと扉を閉じ、今度こそ足音が遠のくことに耳を澄ませながら、クリスがやれやれと椅子に座り込む。
「あれはあれでも、城下の娘達にはやたら人気らしいぞい。黙っておったらそりゃ美男子じゃしのお……が、優秀じゃがうるさくてかなわん」
同感だと肩をすくめるフィリッツにもようやく休息の時が訪れた。
街はまだ戦勝の乾杯騒ぎで、今夜の市民も寝不足が予想された。魔法で灯る街灯の明かりを眼下に収めつつ、フィリッツはゆっくりと、一時の休息を得るべく目を閉じた。