生徒 林立
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーらくんは、学生を卒業したら何をしたい?
いや、もう君を受け持てる時間も、あとひと月で終わりだ。個人的に、少し確認したくなったんでね。
進路調査では「進学」とは聞いたけど、僕が聞きたいのはその先。モラトリアムから解放されてからよりの、夢なり目標なりさ。
ふふ、いきなりたずねられても、答えづらかったかな。
先生もね、若いころは漠然と「なにかすごいことをしたいなあ」と思っていた。それだけだったんだ。結局、今ではしがないいち教師として、毎日を食いつないでいる。
数十年前の先生がみたら、あきれると思う。「こんなチンケな暮らし、してんじゃねえ! もっとビッグなことやれ!」てさ。
くくく……さぞ元気だろうな。相手が自分と同じように動けると、信じて疑わない。あの時の自分こそ、ありあまる活力を、その日のドーパミンづくりにあてがっていたくせにな。
――何をいっているか分からない?
うん、それがいい。願わくは君が、こんな実感を抱かないまま天寿をまっとうしてほしいよ。エネルギーの限り、走り続けてさ。私たちは、存在しているだけでエネルギーを使うし、産み出す存在なんだよ。
こーらくん、前に物を書きたいと話していただろ? その機会が来た時の「燃料」のひとつにでもなってくれるといいな。
「誰もいないはずの体育館で、幽霊が集会をしている」
そんなうわさが流れたのは、中学校の学年末試験が終わって間もなくのことだった。
情報源は塾通いの下級生からだ。彼は自転車で通塾しており、家は学校の近くにあった。
塾では新学年に向けた勉強が始まっている。テキスト類も配られて、今日はリュックの中がいっぱいだった。膨らみすぎて前かごに入らず、背中にしょっていた。
気持ち前かがみになりながら、漕いでいく学校隣の細い道。敷地に寄りそう形で作られたここは、車止めのおかげで車にひかれる恐れはない。地元民ならよく使う場所だ。
以前、田んぼのあぜ道だったのが、数年前に家が建った際に田んぼが潰されて、道も整備されたらしい。
フェンス越しに見える夜の校舎。時刻は午後10時前で、職員室の一部以外に明かりが灯っていない。もちろん、今から通り過ぎようとする体育館も真っ暗だったが、なにげなくそちらを向いて、息を呑んだ。
体育館のドアが空いている。ひとつふたつじゃなく、すべてがだ。
外から光が差し込む。本来ならそこに浮かぶのは、様々な競技に合うラインが引かれたフローリング。舞台やバスケットゴールや倉庫の扉。そして向こうのドアからのぞく、校庭たちのはずだ。
それらのことごとくが、黒く塗りつぶされている。思わず自転車を停めて、中をのぞいてみた。
密集、林立……とにかく、人がいっぱい屋内にたっていた。それらが壁になって、床や向こう側をさえぎっていたんだ。
わけがわからなかった。体育館を利用する地域のクラブなどがあるのは知っていたけど、ならば明かりを盛大につけるはず。
それがこうして真っ暗にしているばかりか、ならんで立ったまま動かない。景色をさえぎるくらいだ。10や20じゃきかない人数がいる。
かといって壇上の幕は下りたまま。前に立つ人とかの姿もない。声を張り上げるでもない。ただじっと集まって、前を向いているだけだ。
更に、かすかな光と共に見える一番手前側の人は、自分たちの同じ制服を着ているように思える。
――幽霊?
そう思うと、この場にとどまる気が吹き飛んだ。
自転車を一気にこいで、命からがら逃げだしたらしいんだよ。
その話を聞いて、先生は興味をそそられたね。
友達がほとんどいない先生にとって、毎日が手持ち無沙汰だ。
――今晩にでも、確かめに行くか。
その日は5コマ授業の日で、最後の時間は集会。さっさと帰って、準備をしっかり整えるはずだった。
それなのに。
――おせえ。
5コマ目の集会が、ひどく長引いていた。厳密には集会のはじめの校長先生の話が、ね。
私たちは座ったままで、もう20分近くもじっとしている。校長先生の話は堂々巡りというか、長い論文のようだ。言い回しを変えているとはいえ、冷静に聞いていると同じことの繰り返し。
しかもこれが初めてじゃないんだ。今年に入ってもう4回は、この冗長な話がされる。
座ったまま、うずうずと身体を震わせる人が増えてきた。立っている教師陣の中にも、足踏みをしかけて落ち着かない。用を足したいけど離れるに離れられない、というところか。
私自身の尻も、むずむずしてくる。その日は特に暑くもないのに、やたらと汗をかいていた。下着どころかズボンの生地を通り抜けて、尻が湿っていくのを感じる。
結局、30分近くに及んだ校長先生の話が終わり、あとは簡単な説明があっただけ。何も得るもののない集会は終わった。
どれだけの人が話を聞いていただろう。かったるげに立つみんなの座った場所から、きれいな尻の形をした、汗の痕が見えたよ。
その晩、9時近くに私は適当な用事をつけて、家を抜け出した。
学校から出てくる先生たちに見つからないよう、敷地の裏手に身を潜めていたよ。
ずっと前からこの地域で暮らしていたけれど、両親の話で聞くような田園風景も今ではだいぶ削られている。
先に話したような家と舗装された道ばかりじゃない。車止めを通り越したところにある交差点に、今度はコンビニが建つらしい。すでに店と駐車場のスペースが確保され、セメントで固められている。もともと、畑か何かであったスペースが。
当事者間で、どんなやり取りがあったか分からない。でも、潰してしまったあのスペースで、そこにできる作物で、どれくらいの命をまかなうことができたのだろう。
私とて、このころにはもう、コンビニにならぶ食べ物が加工食品であることは知っている。田畑から採れる食料を、食べやすい形に変えたもの。
その元となる土地をつぶして、手をくわえたものを蓄える店を設置する。なんだかなあ、と中坊なりにやりきれない気持ちを抱いていたさ。
その時だった。見張っていた体育館の閉じ切っていた扉が、いっせいに開いた。
人が開ける時のように、とろとろギイギイじゃない。スパンとだ。そこで私は、中でうずくまっている、無数の人影があるのを見たよ。
聞いた話では立っているとのことだった。もしやと思い、私は引き続き足の長い草の中に身を隠し、様子をうかがう。
その動きはゆっくりだった。昼間の私たちと同じように体育座りをしている無数の影。それが1時間をかけて、緩やかに立ち上がり始めたんだ。
舞台の幕は下りたまま。私たちの校長先生のように、前に立って話す人の姿もない。やがて室内の全員が立ち上がった。
――ここから、先へ行く……!
私はフェンスに足をかける。多少の音は立つが、身軽さには自信があった。3メートル近い金網を一気に越えて、開いているドアのひとつに肉薄する。
中の人たちは、なおもこちらを見やらない。だがドアから入る光に照らされる横顔は、私の見知ったもの。
私だ。それだけでなく、クラスメートたちもいる。別のクラスの友人たちの姿も。
――ドッペルゲンガー?
思わず身を退く私。
自分と全く同じ容姿で現れる怪異。そいつが現れるのは、当人にとっての死が迫る予兆なのだとか。
それがおそらくは、全校生徒ぶん、いる。
――死ぬ? 俺たち全員が、死ぬ?
もう駄目だった。逃げるしかない。
思考があっという間にネガティブにとらわれる。
――全員が死ぬとしたら、いつだ? やはりここでなのか? 学校で全員、となれば大地震? 火事もあり得る。いや、更にすごいことが……。
ぐるぐると、思考が渦巻く。想像する未来に、足が震えてくる。
ようやく一歩、二歩と後ろへ下がったが、目の前の光景はそれを許してはくれない。
私が消えた。もちろん、体育館の「ドッペルゲンガー」がだ。
いや、厳密には刈り取られた。目にも止まらぬ速さで走った銀色の光が、私の足首より上を切り離したんだ。
他の生徒たちも同じだ。足首を残し、身体がわずかに上へ浮く。
それらが空中で一瞬止まったかと思うと、体育館の天井へと勢いよく上っていった。もっと近づけば、どうなっているかが見えたと思うが……すまない。腰を抜かして動くことができなかった。
身体を切り取られた私たちの足は、転がることなく立ったまま。上履きを履いた足を揃えたまま、床にはわずかな血さえもこぼれていない。
向かいのドアが見える。校庭が見える。幻じゃなかった。彼らは確かにここにいて、たった今、切り離されたんだ。
どうして、こんなことを?
私の問いに答えるより早く、残った足首に変化が起きた。
そのかかと、そのつま先からツタのようなものが生えだしたんだ。初めこそ斜め上に伸びていたが、すぐに足の真上へと身体を傾け、互いに絡まっていく。瞬く間に私の胴体ほどに太くなったそれに、肌の色が付き、そこへ紺色が上書きされ……再び、制服姿の私たちが立っていたんだ。
それから夢中で家に帰って布団をかぶり、がたがた震えたよ。
あのツタは「ひこばえ」だ。切り株などに生える若い芽。樹の新しい生命を宿し、新しく立っていく子供たちだ。彼らのおかげで伐採した樹も再生し、緑が回復する。
あの銀色の光――おそらくは刃物――は、人間を刈り取るためにあったのだろう。そして足の部分は切り株。新しいひこばえを生やす苗床だ。また、あの「ドッペルゲンガー」を作るための。
ひょっとすると、昼間の校長先生の長話もこれを用意するための布石かもしれない。きっと私たちの染み込んだ汗をエネルギーに、あの「ドッペルゲンガー」が産まれるんだ。
そしてあの刃物の主に刈らせる。人を作物のように刈り取る何者かに、私たちの身代わりとして。
だから集会に参加し、腰を下ろさなきゃいけないんだ。もしあのドッペルゲンガーが出なくなる時があれば……それが本当の死の予兆。本物が刈られて、死ぬ。
学校を無事に卒業するまで、私は気が気じゃなかったんだ。