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紫織さんと菫ちゃんと、ぶどうのムースケーキとジュース(2)

 二杯目の紅茶を淹れ直しながら、青司くんが口を開く。


「そういえば、旦那さんからは連絡が来たんですか?」

「いいえ、まったく。メールも電話も何もないわ。ほんとに、こんな風に家出されても変わらないなんて……どうかしてるわ」


 憤慨しながら、紫織さんはまた熱い紅茶を飲む。

 わたしはそんな紫織さんに質問した。


「あの……紫織さんと旦那さんは、なんで喧嘩したんですか? あ、いえ、差し支えなければなんですけど……良かったら教えてもらえませんか」

「ああ、真白ちゃんにはまだ言ってなかったわね。理由は……あの子よ」

「あの子? (すみれ)ちゃんですか?」

「ええ」


 遠くを見つめるような目つきで、紫織さんは語る。


「あの子、いわゆる発達障害なの。普通の子よりも言葉が遅くて、他人の考えにあまり興味を持てないみたい。だから、コミュニケーションがとても難しいの」

「発達障害……」


 それは、近年よく聞かれるようになった障害の名だ。

 たしか生まれつきの脳の特性の違いによって、健常者との考え方にズレがあるとかなんとか……だった気がする。大人になっても、社会生活が困難な人が多いらしい。


「私はあの子のために、早くからいろいろな支援を受けさせようとしているの。だけど……私の両親も主人の両親も、そんなわけない、菫が障害者なわけがないって頭から否定してくるのよ。主人も、最初は理解してくれてたのに……最近はだんだん親たちの意見に染まってきちゃって」

「そう、だったんですか……」


 自分の身内が障害者だったと知らされて、ショックを受けない人はいないだろう。

 でも、否定したってその事実は変わらない。

 問題を解決するどころか、さらに悪い方向へ行ってしまいそうな気がする。


 そんな祖父母たちの態度を、諌めようともしない旦那さん。

 それは、とても辛いことだろうと思う。


 紫織さんは菫ちゃんを一番に思って行動してるのに。

 旦那さんは、親たちの方を優先して行動してるんだろうか。


「さすがに我慢の限界が来て、もう知らないって、出てきちゃった。行き先を告げずに来たから、ここにいることをきっとあの人は知らないわ。でもそれっきり。さっきも言ったけど、心配すらされてないみたい。ほんと……あんまりよね」

「これから、どうするんですか?」

「そうね、しばらく距離を置いて……っていうか、私たちがいなくなったことであの人が目を覚ましてくれればって思ってたんだけど、どうやら難しそうね」

「そんな……。ご家族に、どうにか理解してもらう方法はないんですか」


 否定するだけなんてひどすぎる。

 家族だったら、理解して支え合わなきゃいけないのに。

 その反対のことをするなんて。


「あ……」


 そう思った所で、気が付いてしまった。


 それはわたしも同じだった、って……。

 わたしは、今の青司くんを否定してしまっている。昔と変わってしまった青司くんを、まだ受け入れられないでいる。

 同じだ……。


 そう思ったら、紫織さんにこれ以上何を言っていいかわからなくなった。


「どうしたの、真白ちゃん」

「い、いえ……」


 わたしは……ちゃんとできているのだろうか?

 青司くんに対して。

 良き隣人として。


 幼馴染だったら、好きな人だったら、否定なんかしてないでちゃんと支えようとしなきゃいけないんじゃないの?

 いつまでも、昔のことを引きずってないで。

 今の青司くんを早く、受け入れなきゃいけないんじゃないの?


 でも、こういうのって人によるはず。

 すぐに受け入れられる人もいれば、ものすごく時間がかかる人もいる。

 頭ではどんなにわかってても、無理して相手に合わせようとすれば自分がひどいダメージを負ってしまうことだってある。


 今のわたしが、そうであるように。

 きっと旦那さんも、その他のご家族も……その受け入れる時期がまだ来てないだけなんじゃないだろうか。


「あの。たぶん、なんですけど……」

「ん?」

「たぶん皆さんも……怖い、んだと思います」

「え、怖い?」

「はい。旦那さんも、それぞれの御両親も……その……菫ちゃんの発達障害がどんなものかっていうのが、まだよくわかってないんじゃないですか? だから、怖くなっちゃったんじゃないでしょうか。未知のものを人は恐れます。だからきっとご家族は……その恐怖からただ逃げたかっただけなんだと思います」

「あ……」


 紫織さんはハッとしたようにわたしを見る。

 次いで、窓の外の菫ちゃんを振り返った。


「そっか。それは……そうかもしれないわね。私は初めから否定されるばっかりで……きちんと周りに説明する機会が得られなかった。だから、ずっとわかってもらえないままで、不安な状態にさせつづけてしまったんだわ。主人も主人で、親たちよりは理解できてると思ってたんだけど、本心は違ったのかもね。あの子の将来はいったいどうなってしまうんだろうとか……そういう心配をしていたのかも」

「紫織さん……」


 紫織さんはさきほどからティースプーンをカップの中に入れて、くるくるとかきまぜ続けている。

 きっと今気付いたことを吟味しているのだろう。


 ふと気が付くと、青司くんがわたしをじっと見つめていた。

 さっきの「怖い」という言葉で気付かれたかもしれない。

 わたしが、自分の状況を紫織さんたちのことに重ね合わせてる、って――。


 青司くんは自分の分の紅茶を淹れると、こちらを向いて言った。


「真白、じゃあその恐怖をなくすには……いったいどうしたらいいと思う?」

「……」


 わたしは少し考えたあと、きちんと青司くんの目を見て言った。


「それには……怖いと思う対象をもっとよく知る、しかないと思う。知ればたいていのものは怖くなくなるはず……だから紫織さんももう一度、ご家族にイチから障害のことを説明……したらいいのかも」


 紫織さんはわたしの言葉に大きくうなづいた。


「そうね。私、もう一度ちゃんと向き合ってみるわ。一度は逃げ出してしまったけれど……もう逃げない。菫のためにきちんと理解してもらえるよう、頑張るわ」


 にっこりと笑って、わたしたちにそう誓う。

 紫織さんは本当に真面目で、努力家だ。わたしはそんな彼女を素直に尊敬した。


 きっと、青司くんが憧れたのもこういうところだったんだと思う。

 ダメなことはダメってすっぱり諦める決断の速さだったり、目標に向かってまっすぐ突き進む意志の強さだったり。

 こんな素敵な人を大事にしないなんて、本当に旦那さんはもったいないことをしている。

 菫ちゃんのためにも、早くこの夫婦には仲直りしてほしいと思った。


 そうこうしていると、突如店のドアが開く。

 現れたのは背の高い眼鏡の男性だった。


「紫織! 菫!」


 突然、その名を男性が叫んだので、紫織さんは弾かれたように席を立った。


「あ、あなた!? どうしてここに……。てか私たちのこと心配してなかったんじゃ……」

「バカッ、そんなわけないだろう! 今まであちこち探し回って、ようやく……紫織のおばあさんにここにいるって訊いて、それで飛んできたんだ」

「だって連絡……。し、仕事は……?」

「そんなのお前たちの方が大事だ! 菫は?」

「そ、外で遊んでるけど……」

「はあ~~~」


 旦那さんは長いため息を吐くと床にしゃがみこんだ。


「ほんと、どれだけ心配したと思ってるんだ! 急に書き置きだけ残していなくなるなんて。たしかに、最近親たちがいろいろ言ってきてうるさかった。けど、菫の件は僕たちだけでどうにかしていこうってそう話してたじゃないか」

「そ、そうだけど……あなた最近、全然菫の支援のこと考えてくれてなかったじゃない。そう思ってるんなら、もっと協力してよ!」

「……」


 旦那さんは周囲をちらと見回すと、青司くんとわたしに軽く頭を下げてくる。


「すみません。その……お騒がせして」

「あ、いえ。いいんですよ。紫織さんとはお互い昔馴染みなので」

「そうですか。でも、こんなことむやみに人に聞かせるお話じゃないですよね。お恥ずかしい」

「……」


 旦那さんの弁に、紫織さんはムッとして言った。


「お恥ずかしい? だったらこんなこと私にさせないで。周囲に理解されないからって、今まで諦めてきすぎたったわ、私たち……。さっき、ようやくわかったの。一回ダメでも、何度でも諦めないで挑戦するべきだったって。ねえ、もう一度、それぞれの親にちゃんとした説明をしない?」


 旦那さんは眉根を寄せながら、それはとても難しいこと、だから諦めた方が早いことを訴えた。

 それでも、紫織さんはなかなか引き下がらない。

 言い合いが十分ほど経ったその頃。


 ようやく娘の菫ちゃんが戻ってきた。

 仕事がひと段落したらしい森屋さんとともに、サンルームの方から出てくる。


「あ、お父さ……?」


 父親の存在に気が付いたのか、そうつぶやくとすぐに菫ちゃんは森屋さんの後ろに隠れてしまった。

 紫織さんの旦那さんは、ガーンとわかりやすくショックを受けている。


「あ、ああぁ……菫~!」

「菫、どうする? もうお父さんが私たちを連れ戻しに来ちゃったみたいだけど、もう帰る?」

「……う、ううう~~~っ!」


 菫ちゃんは森屋さんの後ろで、ぶんぶんと首を真横に振っていた。

 顔がどんどん赤くなっていって、今にも泣きだしそうな表情になる。 

 場は、しばらくそのままのこう着状態となった。


「えーと……みなさん、一旦休憩にしませんか?」


 そこに、低く穏やかな青司くんの声が通る。


「あ、ええと……」

「……そうね」


 戸惑う旦那さんに、しぶしぶうなづく紫織さん。


「じゃ、じゃあ、そちらのテーブル席へどうぞ!」


 わたしは席を立って、うろたえている一同をフロアのテーブル席へとご案内した。

 こういうのは普段やってることだからだろうか。

 ウェイトレスとして、ついつい体が動いてしまう。


 カウンターに一番近いテーブルには、森屋さんと菫ちゃん、紫織さん、そして紫織さんの旦那さんの四名が、ちょうど顔を突き合わせるかたちで着席した。


 青司くんを見ると、ちょうど彼もわたしの方を見ていて「よくやった」とばかりににっこりしている。

 わたしは無言になりながら、またカウンター席に戻った。


 青司くんはすぐに冷蔵庫を開ける。

 先ほどのムースケーキを取り出して、お湯で温めた包丁で綺麗に八等分に切り分けていく。


 今日はお客さんがたくさんだった。

 青司くんがこの家に帰ってきてから過去最多の人数だ。

 わたしも青司くんも、たぶんこのとき同じくらいワクワクしていた。


「はい。まずは真白の分」


 わたしの目の前に、とん、と紫色のムースケーキがひとつ置かれる。

 続いて同じケーキが四つ載ったお盆と、セットの飲み物が四つ乗ったお盆がカウンターに置かれた。


「真白。そっち、ケーキの方、運ぶの手伝ってくれる?」

「うん」


 わたしは嬉しくなった。

 今度は青司くんの方から、ちゃんと仕事を振ってくれたからだ。

 どうせやるなら自発的にじゃなく、やっぱり青司くんに必要とされてから動きたい。


 わたしはケーキの乗ったお盆を持ち、青司くんと共に意気揚々とみんなの待つテーブル席へと歩いていった。

あと二話くらいで紫織さん回は終わると思います~。


いつも読んでくださり、ありがとうございます!◝(⁰▿⁰)◜


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