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青司と真白と料理タイム

 翌日。

 わたしは気まずい思いをしながら、川向こうの青司くんの家に行った。


 今日はバイトがお休みなので一日中お手伝いができる。けど……昨日のキスのこともあり、なんとなく顔を合わせづらかった。

 玄関には鍵はかかっておらず、手をかけると普通に開く。


「おはよう、ございます……」


 声をかけながら中に入ると、青司くんはすでにキッチンで何か作っていた。

 かちゃかちゃと泡立て器で何かをかき混ぜている。


「あ。おはよう、真白」

「う、うん……おはよう。青司くん。今日は一日手伝うね」

「ありがとう」

「……」


 そのままちょっと無言になる。


 青司くん、昨日のことどう思ってるんだろう。あんなキス……してきたりして。

 そう思っていると、青司くんは視線をわたしに合わせないまま言った。


「昨日は、ごめん」

「え……?」

「真白の気持ちも考えないで。俺が突っ走っちゃったことで……いま真白が気まずい思いをしているんなら、ごめん」

「や……別に、大丈夫……」

「そう?」

「うん。むしろわたしの方こそごめん。未熟なままで……」

「未熟?」


 ようやく青司くんが手を止めてわたしの方を見る。


「そう。わたしが、人として未熟だったから……。きっと人間的に成長できてたら、きちんと青司くんの気持ちも受け止められてた気がする。でも、そうじゃなくて。ごめん……」

「……」


 青司くんはじっと考え込むと、真面目な顔で言った。


「真白は自分のこと未熟って言うけど……俺は逆に再会した時、あまり変わってなくて良かったって思ったよ」

「えっ?」

「ごめん。こんなこと言うと『ひどい』って思うかもしれないね……。でも昔とそんなに変わってないからこそ、俺は真白に対して昔と同じ気持ちでいられたんだ。それは、良かったって思うよ。真白は? 俺のこと変わったって思った?」

「えっと……。うん」


 そう。わたしは変わってない。

 でも、青司くんは変わった。


 十年の間に立派な水彩画家になってた。

 海外に行って成功して、その上、急に日本に戻ってきて喫茶店を開こうなんて行動力のある人になっていた。

 それから……昔と違って、わたしに好意を伝えてくるようになった。


 変わった。

 変わりすぎてしまった。


「そっか。じゃあやっぱり別の人間として、また一から知ってもらうしかないな……」

「え? 別の、人間?」

「うん。真白が今の俺を『変わった』って思うなら……きっとそうしたほうがいいんだ」

「えっ……ど、どういうこと?」


 思いがけないことを言う青司くんににわたしは戸惑う。

 言っている意味が、よくわからない。


「昨日の夜、考えたんだ。どうして昨日真白は『怖い』って言ったんだろうって。たぶん、真白は……今の俺の向こうに、まだ昔の俺を見てる。昔と同じだって思おうとしてる」

「あ……」


 青司くんが真剣な瞳でこちらを見ている。

 わたしは恥ずかしくなった。

 未熟にもほどがある。過去の幻影にずっと囚われていたのを、青司くんに見抜かれた。


「真白がずっとそれで俺に違和感を覚えつづけるんだとしたら、嫌だよ。だから、俺はもうちゃんと別の人間としてふるまうことにする。真白も、そういう風に見てもらえないか? 今の俺をちゃんと見てほしいから……」

「青司くん……」


 違う人間。

 昔の青司くんと今の青司くんは違う人間。

 同じ人じゃない。

 まったく違う人として、接する。


 できるかわからないけど……でも、前に進むためにはやってみようと思った。


「うん、わかった。違う人だと……思うようにしてみるよ」

「ありがとう。じゃあ、改めて言うよ、真白」

「え?」

「これから、また改めてよろしくお願いします。同じ店で働く者として、俺のことをまた一から知っていってください」

「は……はい……」


 胸に片手を当てて、青司くんが仰々しくそんなことを言う。

 実際まだ戸惑っている。でも……。


 違う人間……。

 そう思うだけでなぜか心が軽くなった。

 昔の青司くんを想うのとは、また別の気持ちでドキドキしてくる。 


 こんなにわたしのことを考えてくれて。

 そしてギクシャクした関係も、なんとかしようとしてくれている。

 それは昔から変わらない、優しい青司くんだった。でも、なんというかさらに大人の包容力、みたいなものも感じる。

 

 そう思ったら、またさらに胸が高鳴ってきた。


「……」


 青司くんはまたボウルの中のものを混ぜはじめた。

 わたしも少し心に余裕が出来て、口元に笑みを浮かべる。


 ふとサンルームの方に目をやると、庭に森屋園芸さんがいた。


「あ、もう来てたんだ、森屋園芸さん」

「……うん」


 わたしがつぶやくと、青司くんは小さな声で返事をした。

 森屋さんと青司くんのお母さん、桃花先生とのこと。

 それをまだ引きずっているのかもしれない。

 わたしもまだ動揺している。


 きっと……森屋さんも……ずっと桃花先生のことを忘れられなかったんだろう。

 わたしと同じように。

 ずっと思い続けてきたんだと思う。


 もし、桃花先生がひょっこり帰ってきたら、そしてまるっきり違う人間になっていたら、森屋さんはどうしただろう。

 わたしみたいに、相手に対してギクシャクした態度をとってしまっていただろうか。

 昔の桃花先生を投影しつづけて、新しい桃花先生を受け入れられなかっただろうか。


 わからない。

 森屋さんはわたしよりもずっと大人だから、もしかしたらどんな桃花先生も受け入れられていたかもしれない。


「わたしも……何か手伝うよ」


 そう。せめてわたしは。

 できることをしないとと思った。

 できないことを、できなかったことを悔やんでもしかたない。

 今を生きるなら、今できることをやらないと。


「そう? じゃあ、これ砕いてくれる?」


 そう言って渡されたのは、密閉できる袋の中に入ったクッキーと綿棒だった。


「その綿棒で、袋ごと中のクッキーを粉々にして」

「わ、わかった」


 カウンターでやるわけにもいかず、わたしはキッチンの方に移動する。

 この洋館のあらゆるものはだいたい外国製だ。なのでここも広い。

 コンロは業務用でゴツイし、その下は本格的なオーブンが内蔵されている。大きなレンジフードに、調理台は二人が悠々と作業できるぐらいの大きさだった。


 わたしはさっそく、青司くんの隣でバンバンと袋の上に綿棒を振りおろしはじめる。

 みるみるうちに中のクッキーが粉々になっていく。

 でも青司くんはあわててわたしの手を止めた。


「あ、真白。あらかた砕いたら今度はこうやって……ゴロゴロ棒を転がして。そうするともっと細かくなるから――」


 わたしの手を取って、その上から青司くんが手を重ねて実演してみせてくれる。

 でもそれにわたしはまたドキドキしてしまった。


「あっ、ご、ごめん。じゃあ、そうやって細かくなったらこれを入れて……」


 青司くんがハッとして離れていく。

 触れてしまった事をごまかすように何かを後ろの電子レンジに入れた。数十秒後にそれはチンと鳴る。

 取り出してみると、小皿の中に溶けたバターがあった。

 それをさらに砕いたクッキーの袋の中に入れる。


「よく揉んで。それはムースケーキの土台になるから」

「え? これ、ムースケーキになるの?」

「そう。午後になったら、紫織さんたちも来るらしいから、彼女たちにふるまおうと思ってるんだ。あ、もちろん真白にも試食してもらうけど……」

「ふーん」


 なんだ、これは紫織さんたちのためのものだったんだ。

 なんだか面白くなくなって、真顔で袋を揉む。


「え、何? 焼いてるの? もしかして」

「へっ?」


 すぐ近くで青司くんがそんなことを言ってくる。

 わたしは首から上がカッと熱くなった。


「ち、違うよ! あー、これ美味しいムースケーキになるといいねー」


 やけになってそう言うと、くすくす笑われた。


「嬉しいな。真白が焼きもち焼いてくれるなんて。でも……昨日も言ったろ? 紫織さんのことは憧れだったって。俺は真白だけが……」

「あー、もういーから! はい、次は何をするの!?」


 これ以上恥ずかしい思いをしたくなくて、わたしは話題を強引に変えた。

 混ぜ終わったクッキーの袋を青司くんに返して訊く。


「ふふっ。じゃあ、これをこの丸いケーキの型に敷き詰めて。その上からこっちのムース生地を入れる」


 青司くんが混ぜていたのはムースの素だったようだ。

 わたしは大きめのスプーンで、今丁寧に砕いたクッキーを型の底に敷いていく。そしてそれが終わると、今度は青司くんがムース生地を入れた。

 いったい、何味のムースなのだろう。薄い紫色をしている。


「この上からあともう一層入れなきゃいけないから、またあとで調理するけど……これを冷蔵庫で一時間ほど冷まして固める。その間、メニュー表とか作ろうかな」


 青司くんはそう言って型を冷蔵庫にしまうと、手早く使った器具を洗ったり片づけたりした。

 わたしはそんな青司くんの後ろ姿をじっと見つめる。


 別の人間……。その言葉が頭の中でリフレインする。


 よく見ると、もうあの時の高校生だった青司くんじゃない。

 顔つきも体つきも、仕草も、もう大人の男の人だ……。


「どうした? 真白」


 手を洗い終わった青司くんがすぐ近くで首をかしげていた。

 わたしはハッとして首を振る。


「あ、な、なんでもない」

「そう? あ、ちょっと待ってて。今納戸から画材持ってくるから」


 そう言ってパタパタと奥へ走っていってしまう。


 あ……焦った。今妙なこと考えてたから。

 もし今考えてたことも見抜かれてしまったら、死ぬ、と思った。


 でも、さっき一瞬だけ、青司くんの顔も赤かったような気がした。

 はー、とか言っていまも頬に手を当てている気がするし。


「え?」


 もしかして……わたしが今じっと見てたから?

 そう思うとわたしも首から上が熱くなってきてしまった。

 

 青司くんはわたしのこと……やっぱり好きなのかな。

 そう思うと、ものすごく恥ずかしくなる。


 しばらくして青司くんは鉛筆と、水彩紙と、水彩絵の具を持って戻ってきた。


「お待たせ。メニュー表には、一応俺が描いた絵を載せたくてさ。一緒にどういうのがいいとか、構図も考えてよ真白」

「うん」


 そうして、わたしは十年ぶりに青司くんが絵を描くところを見ることになったのだった。

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