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努力義務違反  作者: 弩祈 こん
第一部
3/3

[1-3]向上心は噛み合わない


確かに──というか至極当然の如きことだが、後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。先人の知恵だろうか、一説によれば江戸時代から語り継がれているという。身分や階級や、生活様式そのものが移ろっても、いつの時代にあってもなお人の業であることに変わりはなく、時に過ちを冒してしまうのがヒトの性なのだろう。先人達がどのような思いを込めて言い繋いできたのか知る由もないが、きっと過ちを過ちだったと悔いる頃には手遅れで取り返しのつかない過去の通過点に成り下がってしまっている、という道理を当てはめると教訓として得るには的を射ており恰好の比喩だったのであろう、なぞと僕は受け取るわけだ。

だが、あまりにも普遍かつ蔓衍しすぎている。波及するということは、誰もが気安く語れるようになることの裏返しでもある。定形の表現なのだから、その詞に何か特別な意向を込めることもなく消費している。自誓も教訓も、大した背景も無しに、日用消耗品の消費者であるかのように。語意が希薄になりすぎている。

言葉とは本来仕草の上では到底届き切らないであろう内情を他者に伝えるための数少ない手段であり方法でもあるはすだ。

ありったけの思いを最も近い言語表現に当てはめ、託することを以て自分でない他者へ伝えんとしている、一つ一つが意味のある自思考の集大成であるとするのが自然かと考える。

いくら初めは明確に強い意義を宿して放たれた言葉であったとしても、場数や単純に時間を重ねるたびに本来の意から逸して浮薄に成り下がってしまう。俗語自体にまで深い所以を探るのは野暮かもしれないので、論点はそれらの組み合わせの方、即ち言葉のチョイスという問題だ。大した情も念もなしに尻軽に目先の定形の言葉を消費しているのだとすれば、皮肉ではないがそれは少し薄情なのかもしれない。

言葉というものは自動車に例えることができる。クルマは個人の移動手段として革新的だが、ひとたびするとヒトを殺める凶器ともなりかねない。

まあ、非常にありふれた例えだ。耳に胼胝ができてしまった。むしろ逆に、タコにも耳ができてしまうくらいには一般論として通用するのではないか。蛸は生物学的に耳が無いとされているそうだが、ちょっとした笑いの種に使えそうかと思っただけで海に暮らすタコとは無縁だし、本筋と交わることはこの先もない。

と、比喩ばかりが先走ってしまったかもしれない。僕自身の話に戻して考えよう。


日々常々消費し、また受け取っては消化して生きている、言葉。

安易に投げ掛けているつもりはなく、自分としてはそれなりに吟味して口にしたり、文字に起こしたりしている。

それが僕にできるほぼ唯一に近い尊厳のようなものだと思っている。

けれど、それが他人に概ね正しく伝わるかといったら全くに別問題だ。先人達の戒め、教訓の結晶とも言えようことわざの風化、普遍化が著しいように、自分の発した言論もまた第三者には希薄にしか伝わらず、ひいては継承することができないのだ。


そして何より、ひとたび過ぎて遠ざかっていくだけの経験やその教訓は自身の内面においても風化してしまうものだ。かつては逆風のなか己の道を自ら切り開いてきた功績者たちが、いくらかの長い時を経て同じ境遇を辿りし者を頭ごなしに叱りつけたりもする。どんなに苦労して突破した事柄であるとしても、だ。

自身もかつて味わったはずの苦難を、時を経て傍観者としてするとまるっきりその内情が理解できなかったりするわけだ。


こう言うともっと悪者にされてしまうかもしれない。


だいたい僕だってそうだ。ちっとも学習しない。

僕は本来ここに居るべきじゃない、といったら何か安い脚色の予感がするが、その過去からなるだけ遠ざかるための手段の一節であるに過ぎない。

過去の失敗は取り戻すことができない。過去でない失敗などはない。一秒前が既に過去である以上、いくら挽回の猶予が設定されていようと一時の失態や羞恥、はたまた他者からの無用な呵責など、いくら一時の恥晒しで未来永劫それだけで済んだとしても、起こってしまった事実を抹消することはできない。

僕は女ではないが、例えば人の多い市街地を歩いていてふとした瞬間に強風に煽られてスカートが捲れたとしよう。はっきり言って自身の意思が招いた失態ではないが故に不憫だが、風がそよ吹いたのは過去であるから、現在より溯ってその羞恥を避けることはできない。ただ、その場合の不幸中の幸いはエンカウントしたのが親しい仲柄の人やこの先も長らく顔を合わせるであろう知人ではなく、もう二度とすれ違うこともないような名も無き通行人達だったと考えられるところではないだろうか。

通行人なんてはよくてAとかBとか、アルファベットの識別名がつく程度に過ぎない。であれば、もう同じ道を通らないようにすればその場所の通行人の層からは距離を置けることだろうし、以後通りかかることがあったとして狙い澄ましたかのように同じ人物に出くわす状況もそうそうないだろう。取り戻せないなりにも転び方次第で一時の避難程度にはなる。

と、比喩ばかりが先走ってしまった。

つまり僕自身の話に戻して考えると、この店に常連として居着いていることの主たる理由は「逃避行」だ。

ただ、繰り返すようだがそれは一時的な上書きに過ぎず、それ以上でも決してそれ以下でもない逃避行為であるから、上書きをする必要のあった過去の心の傷、もとい事由そのものを操作できるというわけではない。

事の大小はあれ一度起こってしまった確定的事象が覆ることはないですよ、といった具合に、清々しいほどに冷ややかで堅く揺るぎない山の如き現実だけがただただそこに君臨しているのだと認識し、頭のどこか片隅にでも刻んでおかなくてはならない。怖気づいて内股の一歩しか踏み出せないかもしれない。

あるいは相対する見方もできる。振り切りたい過去から少しでも遠く立ち去るために我武者羅に分岐路を駆け出そうとするかもしれない。


例えどちらになろうとも、今はそれでいい。


どこへ行っても嫌われ者だったから。

それに比べれば、別に──



『──よもぎちゃんはさぁ』


ワゴンセールで手にした安い樹脂の腕時計の時針は二の目盛を指している。

机の対面に座る天野は今日も鼻の下を伸ばしていた。


『呼び捨てされるの好きじゃないらしいんだよ』


まるで口を開けばよもぎちゃん、よもぎちゃんと連日彼の主語はよもぎちゃんだ。人間何に対してもそういうところがあるが、特に対人物の場合では関わり始め、関心を持ち始めて間もない右肩上がりの時期に対象へ注ぐ熱量は目を見張るものがある。それが雲の上のモデルやアーティスト、声優や著名人に興味を寄せることだったり、端的に言えば恋の始まりも道理は寸分違わない。伸び代があって追い風の吹く上向きな高揚は、実のところ少し羨ましくもあった。

「……へー」

そんな羨望を含んだ素っ気ない相槌をして差し上げておいた。


『おいおい素っ気ないな、フユのクセに』

「はぁ……、ちなみにどんな俺なら満足なんだ?」

『うんうんって目を輝かせながら聞いてくれる君』

「……女のコか」

『どっちが?』

「お前がだよ」

……別に、僕だってノリツッコミをしたくてしているわけではない。そこに呆けてくる天野がいるから、いつもの定型のくだりをするべくしてしているだけ。必然の定めに他ならない。


『──仲いいんだね』


『どこがだよ!?』


間髪入れずに天野が異議を唱えに回る。こういう時だけやけに俊敏だこと。

どうやら一瞬の不意をつかれたようで、天野の背後には本日の絶世の美女こと神様仏様、羽成あおい様が降臨なさった様子だ。

本日の──というのはまあ少なくとも天野の脳内での話であって、実際いやそんなことはない。前から思っていたけどいつだって可愛いよ。いやこれホントに。


『どこがって、どっからどう見ても惚気けてるでしょ』


なおも事実無根のカマをかけてくるが実態は美少女のあおい。

そして口を揃えて否定する僕達。


『それはない』

「本気でそう感じるなら眼科、耳鼻科、精神科とあらゆるところを診てもらえる総合病院にかかることを強く勧めるぞ」


『はは──まあそんなことはどうでもいいんだけどね』

『……どうでもいいのかよ!?』

己──自ら展開した話を畳んできやがって……と内心荒立っているに違いない天野が素っ頓狂な声を上げると、たちまち広くない店内にそれは反響した。

「フッッ……いや、どうでもいいのかよ」

呆気にとられた天野の様が面白くてつい頬が緩んでしまったが、僕も拍子抜けして思わず反復してしまった。

『そう、どうでもいいの。で、聞いてほしいの』

『何ですかあ?いいですよお、何でも聞きますよ?』


あおいの姫君的な要求に一変して素早く猫なで声で問いかける天野は切り替えが早いというかなんというか、それだけでも鼻で笑えるくらいの破壊力があるので、コイツは人を笑かす才能だけはあるんじゃないかと思う。


『今日ここに来る途中ね、歩いてたら風が吹いたの』

『風?うんうん』

『その風のバカめが、スカートをめくっていったの』

『スカートを?へえ?』

「……お前、頭働かせて聞いてねーだろ――」

軽く小突く程度の力で、天野の肩を片手で鷲掴みにしてみせる。


『──っえ、スカートがめくれた!?!?なんで俺をその場面に立ち合わせてくれなかったの!?』

「なんでって……そりゃ、行動を共にしてないからだろ」

『そうそう、当然でしょ』

こんな、実にしょうもない茶番劇のようなお下劣なコメディを繰り広げている我ながら一番輝いていると思う。つまり、自負している。


「ちなみに言うと、俺はその風──そう、ウインドになりたいぞ」

『……ウィンドウ?』

「それは窓だぞ天野」


唐突に放たれる脱力リキッド系の横槍を交わすようにあしらいながら……。


『……ふゆきくんって結構キモいよね』

「え……、いやーそれほどでもー」

『誉めてない!』

「あらま、こりゃ失敬」


はっきり言って、コンセプトカフェは一人で来るものではない。こうやって悠長に阿呆の集合体を更にまた濃縮還元したような面子、といっても天野と僕しかいないのだが、とかく雑談を展開できる相手、即ち断然友人や知人達と連れ添って賑やかな空間をもって楽しむのがよい。

事実、僕が気にかけているひかげちゃんはあまり健気に回ってくるわけではない。一飲食店のテーブル席でふんぞり返っている分際で、また他のお客もいる状況を考慮した上であまり言ってよいことでもないが、今まさにこうしてあおいが律儀に僕らの席の元へ会話をするために足を向けてくれていることを考えても複数人で一つのテーブルにかぶりつくのが賢明であり、聡明といえるだろう。

なぜだかは言うまでもない、即ち独りは途轍もなくつまらないからだ。


『コイツはいつも気持ち悪いだろうよ』

「よく言うよ」

隙あらば減らず口を叩くのが天野というものだが、敢えて同じ挑発に二度も三度も乗ることはない。


『俺は事実を言ったまでだ』

『……三日くらい前にもそんなこと言ってたわよね?』

「……うん、言ってた」

『まあいつもとは言わないけど、三分の二くらいは事実だから仕方ないでしょ』

「……おーい!」

『ま、言ったじゃない。どっちも相応に気持ち悪いって』


平穏で温和な日常ほど長くは感じない。時の流れは実にいたずらで、時空の歪みでも生じているのかと全く見当外れな勘繰りを入れてしまうほどにそれが顕著だ。


『──不服だ……』

「──Oh......」


男二人の悲壮を感じる感嘆がさして広くない店内に共鳴し反響する。まるでそれ自体が不協和音である。

天野との掛け合いでこれほど対抗心を剥き出しておいて何だが、イジられるのが嫌だとか、不必要な茶番に割く時間はないとか、僕は別にそうは思わない。

特に、初っ端すでに何度この言葉を出したかわからないがアイドルやメイド、もっと深入りして言うとキャバクラなどと──まあ、その前提で話しているのだが、いかんせん無限に会話を交わすことができるかと言ったら否だ。例え会話をする時間が与えられても相応の金銭を湯水のように注がなくてはならなかったり、そもそも繁盛しているアイドルなら分単位での接触手段が存在しないこともザラという険しさである。

繰り返しになるようだがここはカフェシステムなので、幾分境遇に恵まれている方ではあるが尚又、いつどれだけ話せるかも不透明な状況下では一見余計に思うやり取りも視覚、思考、そして聴覚を通して吸収される貴重な感覚情報でありコミュニケーションの原石に他ならない。数打ちゃ当たる、とはまたかなり相違が生じるが、やはりは重ねた数だ。

一つひとつの会話のキャッチボールが先に繋がり、やがて未来を拓き、さながら甲子園球児を育むと。何の功績も収めていない万年鉱石のような僕が言うと非常に胡散臭いようだが、それなりに本気で思っている。

積み重ねた会話の数だけ打ち解けることができる。それがどんなに理想論であるか、重々でなくとも掻い摘んでは理解しているつもりだ。

けれど、信じていないとやっていられないってなわけだ。


『──結局お前はどう思ってるんだ?』

「……何が?」


押し寄せる波の満引きのようにキャストが周回する店内で、生まれる一時の静寂を切り裂くのはだいたいいつもコイツだ。……いや僕かもしれないが、まあ、気持ちの匙加減でそう思うだけなんだろう。


『言ってたでしょ、ふぁぼ(お気に入り)が来ないって』

「……あぁ、それは言ったね」


結局も何も、気になってしまうことに揺らぎはない。一般の尺度からみて考えすぎであるのは十に承知の上で。

ふぁぼ──というヤツは、説明するまでもないかもしれないが、タイムラインとは別にお気に入りのつぶやきをキープしておく機能だ。


『……お前はそれでいいのか?』


刻は平成28年。西暦的なヤツで言うと2016年。SNS依存の著しいご時世、まあそれも全盛期からすると少しばかり寂れてきているように僕なんかは思うのだが、行政の最新情報発信がSNSにより行われる時代だ。情報のやり取りという観点からも重宝されているわけだ。当然、個人間のちょっとしたぼやきやちょっとした会話は盛んに行われている。

もっとも、フレンド承認制の閉鎖型ツールはこの国ではあまり流行っていないというか既に衰退して過去のトレンドになってしまったので、今言うところのSNSとはハトさんマークのスーパーマーケット……ではないが似たような空色の紋章を掲げるツールを指すことになるだろう。

ちなみに余談だが、そこは厳密にはSNSの定義には入らないと公式に見解を示しているそうだが、この際SNSであるかどうかなんてのはかなり瑣末なことであって、利用者にとって知りたい情報では特にない。それこそ気の持ちよう、匙加減に他ならない。

完全に無駄な知識をひけらかしてしまったが、この世界も例外でなく現にはネットツールを多用することで成立しているわけで。


「ま、気になっちゃうものから目を背けろってのは──難しいよね」

『……ふむ』

「推し、ともまだ言ってないしねぇ」

『難しいけど、いずれは結論を出さなきゃいけない』

「そのうちいつかは言えってことか」

『そうだねえ』


「てーかお前の話もしたいねぇ、よもぎちゃん」

口角を釣り上げて悪戯な眼差しを天野へ向けてみる。


『……なんの話だ?』

「よもぎちゃんなのかあおいちゃんのままなのかって話しだよ」

『──あおいちゃんはママ……?』


店内なのでいくらか小声で話すが、こうして近況を交えて互いの“旬”を掘り下げたりもする。

まあなんだ、オタクは毎日が超現実主義の生々しいセミナーみたいなものだから。


『俺はいつだって、これからだってあおいだよ』

「はいはい出た出た、出ましたよ」


『──で、で、出たぁー!』


「……ワァオ!」

『──いっ……で、こっちの台詞だよ!』

唐突に登場なさった背後よりの刺客。いや正確に言うと客は僕らの方なのだが……結構不意打ちでしたですね。

ひょっとすると、どこからか聞かれていただろうか?


『でさ、何がって話だったの?』


否だろう。まあ、何やら聞かれて深刻な問題が生じるような話でもないし、仮にそうであればその話題を口にする場所に物怖じが無さすぎる。


『……よもぎちゃん』


片眉をピクピクと痙攣させた天野が唖然と彼女の名前を儚げに呟いた。


『なに? 声色、犯罪者みたいだよ』


「間違いない」

とんだ失態だが、不覚にもクスっとしてしまった。

まったく、間髪入れずにテンポよく進行する会話に織り交ぜるのは人を笑かす罪で摘発でもしてもらいたいくらいだ。


『……通年犯罪者予備軍で悪かったな』

「既に予備軍ではない」

『──こんな店に来てる時点で犯罪者みたいなもんでしょ』


……フム、聞き捨てならない発言がさも華奢なその口からよく飛び出したもんだ。

常日頃の思考を素直に表意してくれるのはこちらとしても良いことだ。ということにしてお……くわけにはいかなかろう。


『いくらなんでも暴論すぎるだろ……』

さすがの天野も渋い顔。まるで、青汁でも飲んだか?といったような。……拙いっ!


「あとこんな店って自分で言いなさんな」

『プレステスタッフがそんなこと言ってたらさすがに人間不信なるわ』

プレステというと言わずもがな一家に一台は常備されていて何らおかしくない国民的遊技とも言えよう黒い箱、ちょっとばかり恰好をつけてつたないイングリッシュでスピークするとブラックボックス、を連想するのがごく自然の道理だと思うが、僕らが言うところのそれは“PREステージ”

──そう、即ちこの解説するに不可解なコンセプト・カフェのことである。


『オタクと接してたほうが人間不信になるよ』

「……どういうところが」

『すぐ別の子になびくじゃん?』

「そりゃ少なくとも一部の人間だろ」

オタクたるもの、というか生きていれば多かれ少なかれ目移りするというものだが──まあ、自分がというよりは周囲のオタク同胞各位を見渡して否めない点である。

……が。


「……おい天野」

『んぁ?』

「お前はこんな子に好き好き言ってたのか?」

今しがた至近距離で会話に加勢していたよもぎの耳に入らないように前傾で、眉をしかめながら対面の天野へ小声で呟きかける。


『……まぁ、そんなもんじゃね』

「……寛容なのか単にチョロいだけなのかわからんな」

主にここは後者であろうと、大いにチョロいじゃないかと言うところだが、実のところ奴には前者の要素も入っている。


推しメンを持ちオタクをしているということは、何をどの程度どこまでを気にするか、結局を言ってしまえばどこまで許容できるかというところなんじゃないだろうか。

サービスプロバイダとサービスユーザの垣根を越えて何をされても、どんなことがあっても忠実に着いていくオタク(ファン)もいれば、目につくところだけでも人情や誠実な姿勢を重視するオタクも、実務以上のところでレスポンスを要求する人だって存在する。

当然、両極端になってもオタクとして大成しないのだが、特にコンカフェキャスト(メイドさん)が人間であるように、ひとつ言えるのは当たり前にかつ一丁前にこちらも人間であるということだ。

何を良しとして何を悪しきとするか、そこは既に心理戦の領域ということになる。

まあ、応援なんて任意でやっていることで、強要や義務ではない、努力義務だ。実しやかに、それは押し売りでもない。

よほど多方面を思慮して真剣にファンと向き合っている業界の女神のような眩く輝かしいアダム方にはいささか失礼な話かもしれないが、オタクはリアル世界のオタクとして生きていこうとする時点で器の度量が試される。


おそらくはオタク文化にほぼ干渉することのないライトな一般人層が持っているであろう印象からは相反して、遥かに上下関係の激しいディープな世界だ。それが年功序列ではないにせよ、資本主義感が色濃い。

……色恋だけに?


「…………」


つまらん。実に。


そして、まあそれは追々語らずとも表面化してくるであろう。


「……そもそも、応援というのは」


『──は? 応援?』

「あぁ、そうだ」

『急にどうしたんだ』


特にどうかしたということはない、言うなればかねてからの心の声が口に出てしまった形だが、向き合う天野は奇怪そうな顔をする。

──十人十色、なんていう四文字熟語に丸め込みたくはないが、それくらい人が表れるところだ。それこそ丸め込んだ呼称にすると、個性とでもいったところだろう。


「俺ら、世知辛いよな」

『……そりゃ間違いないな』

「肩の力抜いてこうぜ、同士よ」

コイツだって決して順風満帆な推し事をしてきたわけではない。僕と密接につるんでいる時点で、むしろオタクとして苦労を重ねてきたイケていない敗け派閥の方だ。

掘り返せばいくらでも苦い、実にビターよりも深く苦い記憶の断片が思い出へと昇進することもできずに佇んでいるはずで。コイツも、僕も。

ただ振り返りたくもないが。


『お前、今日シリアスな日か?』

「俺が、じゃなくて俺の人生はいつもシリアスと相場が決まっている」


そうは豪語してみたが、一体何を味わい、経験してきたんだろう。


『……元気そうだな、今日も』

「元気だったらこんなこと言ってないでしょ」


著名な成功者、上に立つ功績者はやはり順風満帆とはいかず、人並み外れた苦悩を強いられてきたということは多いだろう。

それに比べたら、僕の身の上の苦悩に対する尽力なんてものは何でもない、微々たるものに過ぎない。

ただ人間関係が思わしくなく、少しやさぐれただけ、それだけのことだ。

まあ、僕を始め僕の友人達も、ともすれば名も知れぬ戦士たちも、オタクは皆そんなところだろうか。


『ま、目の前の境遇を目一杯楽しむことだな』

「……それがオタクの責務だな」


明日こそは推しメンと話したい。

いや、今日もチェキオプションを注文してあるのだからまだ話すこと自体はできるはずだ。

ただ、カフェ形式の強みである客席で時間の厳格な制約に縛られずトークに花を咲かせるという、この空間ではある程度自然に行われている定例行事に臨むのは率直なところ絶望的だった。


腰掛けるだけで支持部が悲鳴を上げる、パイプ椅子に毛が生えたというくらいには廉価なイスの背もたれの薄っぺらな一枚板に強く体制を預けては差し込む午後の日差しの陰、申し訳程度に灯る天井の蛍光灯を振り仰ぐ。


──と、まるで俊敏な方ではない僕は思いがけず一瞬硬直してしまった。


僕からして上空から、僕の顔を覗き込んできた顔に目の焦点が合った。

……見覚えのある顔だった。

いや、見覚えがあるどころじゃない。それが僕の待ち望んでいた、この場所へ足を運ぶ理由そのものだった。


『──ふゆくん、チェキ』


「……あ、ああ」


『撮るよ』


さあ、今日は何の話しをしようか。何を話せばいいんだろうか。果たして会話は続くだろうか。苦手な沈黙さえしなければ。

でも、話しが続かなくなっても、沈黙が続いても。それでも、色々な場面を重ねていって。

それは後にきっと大きな糧となるはずだから。


オタクの組長、教えてください。

僕は踏み外していませんか?

まだこれでいいですか?


……だめですね。


緊張の拭えない面持ちでステージの段に片足のつま先を預け、少し後ろ隣を歩むひかげのもとに振り返ってはあくまで穏やかにその尊顔を見据える。

胸は高鳴り、同時に鼓動が早まるのを等身大で胸辺りに感じた。

そんな青くさい感情は早く払拭してしまいたいのだが、自分の性格上定められ非常に限られた言葉を交わせる貴重な尺を無駄にすまいという緊張感から余計に力んでしまい、まるで話すべき言葉、話したかったはずの言葉が口をついてこない。

どうしようもありそうにない。


ストロボが発光し、使い捨てカメラとも似つかわしいチェキカメラのシャッターが壇上のみに聞こえる浮ついた小さな音で鳴動する。


おっと、そういえば大層な理屈を並べておいて何だが、まだ言っていなかった。

推しメンに、推しメンであると。

どうしようか。いつ伝えようか。

はっきりいって伝える必要があるというわけでもない。自分の気の持ちよう、主に気分の問題だ。

けれど、程近い将来いつかは胸を張って表意できるようになりたいと思う。だって、その方がいいじゃないか。

フユキは三ヶ日ひかげのオタクであると周囲からも広く認識されて。


「──今日も、君に出会えました」


『何ぃ?どうしちゃったの?』


「……いや」

いい。


まだもう少し、核心は引っ張っておこうか。


……時が満ちたら。

そう、その時に。

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