第零食 儀式
「くふふ……遂に…遂に完成したのじゃ」
おっとつい笑いが零れてしもうた。じゃがそれも仕方のない事。
なんせ長年の研究の成果がとうとう実を結ぼうとしておるのじゃからな……くふ……くふひゅひゅひゅ。
「おめでとうございます、お師様!」
背後で弟子の……なんじゃったかの? と言うか、そもそも此奴は何時から妾の弟子になったんじゃったか……あぁ、思い出した。
何年か前に研究費用が底を突き、グレイバール王国の国王に金の無心に行ったら、対価として仕事と此奴を押し付けられたんじゃった。確か公爵の末の息子でユーストス=テレスティア=なんちゃらかんちゃら=グレイバールとか言う名前じゃったはずじゃ。
「遂に異世界勇者召喚の魔術陣が完成したのですね!」
振り返ると弟子が瞳をキラキラとさせながらそんな事を宣うてきよる。
「何を言うておるのじゃ、其方は?」
「へっ?」
胡乱気に見やり答えると、奴めは期待に満ち満ちた表情のまま顔を引き攣らせると言う器用な真似をしよる。
「お師様は十数年前から再び台頭し始めた魔族軍と今代魔王を倒すべく、強き力を持つ勇者を召喚する為の魔術陣を作製するようにとの我が国の依頼を引き受けて、それが今、完成したのでは無いのですか?」
「そう言えばそんな依頼、受けておったのぅ……」
「まさか忘れておられたのですかっ!?」
「いや、忘れてはおらぬ。その依頼があったからこそ、妾はこの魔術陣を作る切っ掛けになったのじゃからな」
「では何が完成したと仰るのですか?」
「聞きたいか? では教えてやろう。この魔術陣はの……」
弟子のささやかな主張を見せる喉仏が上下する。期待しておるのか? 期待しておるのじゃろう。良いぞ良いぞ、その期待十二分に満たしてやろう。
妾は三拍は間を取ってから次の言葉を口にしてやった。
「異世界の美味なる食べ物を召喚する魔術陣なのじゃあ〜〜〜っ! ……? 何じゃその目は?」
狂喜乱舞とまではならぬとも、感涙にむせび泣くくらいのリアクションを見せると踏んでおったのに、それとは裏腹に弟子の目はあからさまに落胆の色を見せよった。
「お師様……それはあまりにも才能の無駄遣いですよ……」
「何を言うておる! 妾はこれまで誰一人として成し得なかった大魔術を今成そうとしておるのじゃぞ!?」
そう、あれは108年前――。
先代魔王と勇者の最終決戦の折、その強大な魔力と力の衝突に空間が割れ、時間が捻じれ、次元の狭間へと二人は飲み込まれおった。その二人の飲み込まれた次元の狭間の奥にこの世界とは全く異なる見たこともない風景が見て取れたとの話じゃ。
妾が自分の目で見た訳では無いので嘘か真かは解らぬが、生き残った勇者の仲間であった聖人や聖騎士共が嘘を宣うとは思えんから、恐らくは真なのであろう。
そこで人族も魔族もこの世界とは別の世界――異世界があるのでは? と言う話が持ち上がり、異世界への干渉の研究が行われ始めたのじゃが、今に至るまで一定の成果を収めた等と言う話はとんと耳にせん。
その100年掛けて誰もなし得なかった所業を、弟子の住む国の王の依頼から今回の魔術陣を思い付き、僅か数年で形にした妾に此奴は『才能の無駄遣い』等と宣うのか。
「だからその誰も成し得なかった偉業の使い道が何故食べ物の召喚なのですか!?」
「ユーストスよ、ただの食べ物ではない。『美味なる』食べ物なのじゃ!」
「くだらないのは同じじゃないですか! それに美食を堪能したいのであればグレイバールの宮廷魔術師になれば何時でも贅の限りを尽くした食事が食べれたでしょう!」
「あんな何百年経っても代わり映えせぬ宮廷料理なんぞ何度も食べとうないわ! 妾はもっと未知なる美味にめぐり逢いたいのじゃっ!」
妾の心の叫びは、しかし弟子の心には響かなかったようじゃ。恨めし気な上目遣いで妾の事を見よる。
「では、我が王の依頼はどうなさるおつもりですか」
「どうなさるもこうなさるも、グレイバールの小倅めもダメ元で頼んできただけなのじゃから、失敗しましたと報告してもさして気にも止めんじゃろうて」
「お師様は世界一の大魔道士ではありませんか! 我が王の期待も大きいかと存じます!」
妾が何と諭そうと弟子めはしつこく食い下がってきおる。いい加減儀式に移りまだ見ぬ美味なる食べ物を口にしたいのだがのう……。
「それはないじゃろ。依頼を受けてもう何年も経つが何の催促も無いのがその証じゃろ?」
「催促であれば僕の方に幾度となく届いております」
「何? そうであったのか?」
「ええ、大体半年に一度の頻度で、進捗状況を報告するよう手紙が届いておりました」
そんな手紙が来ておったとはとんと知らなんだ。ユーストスは何故、妾に言わなかったのじゃ? 早く儀式は始めたいのじゃが、それについては問い質しておかねばならぬかの。
「そんな事妾は聞いておらぬぞ?」
「何度も言いましたよ。『我が王の依頼の進み具合はどのようになっているのでしょうか?』と。その度にお師様は『ぼちぼちなのじゃ』としか言ってくださらなかったではないですか」
「む……そうじゃったかの?」
「そうですよ。その都度、僕がお師様の研究書を読み解きながら頭を捻って報告を上げていたのですよ?」
「そうじゃったのか。それは迷惑を掛けたのぅ」
「本当ですよ。それでもお師様は異世界勇者召喚の研究を日々行っておられるのだと信じ頑張ってきたのに……きたのに……」
ぐっと感情を抑え込むような表情をしておった弟子は、遂にはその大きな眼に大粒の涙を浮かべ、ポロポロと泣き出しおった。
「ああ、もう。泣くのはよすのじゃ。欝陶しい!」
「だって……だって……」
「何時までも欝陶しいのじゃ! そんな所で泣かれては何時まで経っても儀式を始める事が出来ぬではないか!」
「だって……ぐすっ、ぅぅ……ひっく」
「お主が泣いてる間は儀式は始められず、妾は異世界の美味なる食べ物を口にする事が出来ぬ。その時間分、異世界勇者召喚の儀式に取り掛かるのが遅れる事になるのじゃぞ」
その言葉に俯きぐずっておった弟子が顔を上げる。おわっ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃじゃ。ばっちぃのう。その弟子がグズグズの鼻声で確認してきおった。
「じゅるんっ……ぞ、ぞれば、いぜがいゆうじゃじょうがんのぎじぎをおごなっでいだだげるどいうごどでずが?」
「もちろん!」
出任せじゃ。
しかし、異世界から美味なる食べ物を呼び寄せる儀式陣は目の前に完成しておるのじゃ。それを強き力を持つ人を呼び寄せるよう術式を組み替えれば容易……くはないの。
情報量も人の方が圧倒的に多かろうし、何かあった時の為の送還の魔術陣も組み上げねばならんじゃろうし……今の魔術陣を基礎としてもやはり1年〜2年は掛かるじゃろうか? はぁ、やる気がでんのぅ……。
「ボンドにぼんどうでずね? やぐぞぐでずがらね!」
「これっ、そんな顔で妾に詰め寄るではない! 先ずは下で顔を洗ってくるのじゃ!」
「わ、わがりまじだ」
弟子めは大きく鼻を啜ると塔の中へと戻って行きおった。その姿が扉の向こうへと消えると、つい大きな溜息を付いてしもうた。これからの事を考えると頭が痛いのじゃ〜。
いや! 今はそんな何時とも解らぬ先の事ではなく、はっきり解るすぐ先の事を考えるのじゃ!
そこには目眩く美味なる世界が手招きしておるのじゃからの!
妾は魔術陣の所定の位置に立つと、両脇に設置した魔力操作用の水晶樹に、懐から取り出した宝珠をセットして、妾の魔力と妾の築いた塔の魔力とを同調させる。
「では始めるかの」
続けて宝珠の中にある魔術式を駆使し、塔の中枢にある魔導動力炉の出力を弱力から中力に上げて同時に魔力変換炉を起動。最下層に鎮座する魔力貯蔵用の巨大人造魔石から魔力を魔力変換炉へと供給し、変換した属性を付加した魔力を足元に描いた魔術陣へと回路を繋ぎ注ぎ込んでやる。
すると魔術陣は淡く発光し始め、日が暮れて藍色に染まりつつある屋上の景色をボンヤリと浮かび上がらせよった。
妾は宝珠に込めた魔術式を適宜使用して魔術陣の要所々々へと必要な属性を帯びさせた魔力を流し込むと、魔術陣は徐々にその発光の度合いを強め、更に様々な属性に準じた色彩へと変わる。
「そろそろのはずなのじゃが……」
妾の呟きに呼応するように魔術陣の上空の空間が揺らぎ始める。揺らぎは魔術陣の色彩豊かな発光を絡め取ると、規則性を帯びて渦を巻き始める。そしてその渦の中心がこことは別の空間へと繋がりおった。
「これは……」
背後で呟く者がおるが今はそんな事にかかずらわっておる暇は無いのじゃ。ここまではまだ序の口。ここからが肝心要なのじゃからな。
今繋がっておる空間は世界と世界を繋ぐ亜空間――異界とでも呼ぶべき空間じゃ。そこから別の世界――異世界を探し出して空間を開き繋げる作業を行い、美味なる食べ物を招き寄せねばならん。
妾は宝珠の魔術式を操作して魔導動力炉の出力を強力まで上げ、人造魔石からの供給量を増やし魔力変換炉へ送り込みつつ、魔術陣中心へと変換した魔力を注ぎ込む。
それに呼応するように魔術陣が唸りを上げ始め、中央部から透き通った半物資のチューブを伸ばし異界の中へと突き入れる。
そうしてる間にも周囲は許容を遥かに超える魔力に曝されて空が軋み風が逆巻き、妾の長い金糸の髪を乱しよる。
「お師様……これは……?」
後ろから説明を求める声が聞こえるがそれも無視じゃ。妾は異世界を探すのに忙しいのじゃ。
暑くも無いのに額から頬へと汗が伝う。これはなかなか厳しいの。しかし、今異世界を見付けられれば、座標軸を記録して次からは異世界との空間を繋げるのがぐっと楽になる。ここが苦労のし処なのじゃ。
と、異界の中を粘液の海を泳ぐが如く突き進んでおったチューブの先に、これまでとは違う手応えが伝わる。どうやら目的の場所に行き当たったようじゃ。口の端が自然と持ち上がりよる。
妾は異世界の空間をこじ開ける為、魔導動力炉の出力を最強まで上げる。宝珠の魔術式を忙しなく操作し、魔術陣から伸びる半物資のチューブの先を捩じ込んで行く。
……おかしいの? 予想よりも魔力消費が激しいのじゃ。計算では人造魔石に蓄えてあった魔力の2割も使えば開く筈じゃったのに、既に4割も使うてしもうとる。
一体何処で計算を間違えたのじゃ? 再計算したいのじゃが、今はそれよりも目の前の事に集中せんといかんな。
妾はチューブを捩じ込む魔術式を送りながら、更なる魔力を供給するよう魔術式を展開する。
ビキッッ――――!!
「おおっ!?」
唐突に異界の奥から巨石が割れるような音が響き渡り、思わず感嘆の声を上げてしもうた。しかし、これでようやっと異世界の美味なる食べ物が手に入るのじゃ。後もう少しなのじゃ!
まだ見ぬ美味なる食べ物を夢想し悦びに膝が震え、我知らず宝珠を掴む手にも力が入ってしまう。
じゃが、その夢想も次の瞬間には粉々に打ち砕かれてしもうた。
パリーーーーーーンン…………
薄氷が割れるかの如き音が鳴り渡ると同時に、魔術陣から伸びた半物資のチューブが朽ち果てるかのようにボロボロと中空に溶けて行く。魔術陣が光と音を失い水晶樹と共に崩れ去り、それに繋がった魔導動力炉も魔力変換炉も力を失う。そして半拍遅れて周囲が嵐に吹き荒ぶ。
「な、なんじゃ? 一体何が起こったのじゃ!?」
周囲の魔力が荒れ狂いまるで暴風の直中におるようじゃ。腕で顔を庇わなければ目も開けてられん。
しかし、一体どうしてこうなったのじゃ!? 眼の前では荒れ狂う魔力が異界へと濁流が如く飲み込まれて行きよる。
それだけに留まらず、なんと異界めは妾まで飲み込もうと、その猛威を奮い始めよった。いくら妾が足を踏ん張っても身体がズリズリと中空に裂けた穴へと引き寄せられて行く。
くっ…妾の身の小ささ故か……。
「お師様……」
絞り出すような声に振り返ると、弟子が階下へと繋がる扉のノブを握り締め、必死に妾へともう片方の手を伸ばす姿が目に入った。暴風に翻弄されそうになりながらも、その手を掴むべく妾も何とか手を伸ばす。
「お師様、も……少し……」
弟子が擦り切れた声を出し限界まで手を伸ばす。妾も魔力の奔流に逆らうように必死に手を伸ばし、爪の先が微かに弟子の指先に触れた。
よしっ! 後もう少しなのじゃ!
と――。
足元の石畳の床がバキリと割れて持ち上がった。
「あっ……」
弟子が目を丸くして間の抜けた声を上げる。
「あっ」
妾も目を丸くして間の抜けた声を上げる。そしてそのまま身体がふわりと持ち上がり、凄まじいまでの勢いで異界へと飲み込まれてしまう。
「のじゃぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っっ…………」
「お師様ぁぁぁーーーーーーーーっっ!!!!」
弟子の姿と声が一気に遠退き消えて無くなると、そこで妾の意識もプツリと途絶えてしもうた。
妾が意識を取り戻した時、先ず初めに感じたのは頬や手にチクチクと刺さるこそばゆい感触じゃった。次いで言い様の無い臭いに眉を顰める。そして最後に目を開けると薄暗くも明るい中、青々とした草花じゃった。
「ここは……何処じゃ……」
起き上がろうとするとフラフラと目眩が起こる。空気が汚れているせいか息も苦しい。妾は一度目を瞑り、ゆっくりと呼吸をして肺腑の奥へと空気を送り込む。空気の臭いが気になるがここは我慢するのじゃ。そしてそろそろと身体を起こし再び目を開いた。
妾の周囲には手入れされた芝生が生い茂り、脛丈程の高さのレンガとアーチ状に曲げられた金属の柵で石のような道とを隔てておった。初めに目を開けた時、辺りは暗いのに妙に明るいのは月明かりの仕業かと思うたが、どうやら道の端に等間隔で立ち並ぶ屋外灯のせいらしい。炎のような揺らぎは無く、煌々と真っ白な光を放つそれ等は魔術の光かそれに類する物のようである。
ひょっとしてここは何処ぞの貴族の庭園であろうか?
その向こうには見慣れぬ木々が立ち並び、それ等を見た事も無い四角く高い塔のようなシルエットが幾棟も天を突いておった。
そしてその天を仰ぎ見て妾は確信する。妾は異世界へと来てしまったのだと――。
そこには妾の記憶に無い小さな半月が淡い光を放ち一人ぼっちで浮かんでおった。
「まさか異世界の美味なる食べ物を召喚するつもりが、妾自身が異世界へ飛ばされる羽目になるとはのぅ……」
妾はただただ深々と溜息を吐き出したのじゃった。