だから心が動いた
*
「一つ訊いて良い?」
「なんだよ」
「さっきの演劇部の内容なんだけど」
「なんにも聞こえない」
脚本やら台本云々を終わらせてから、もう自分には関係無い。文化祭でも自分一人で鑑賞する分にはなんの問題も無いはずだった。
「あれ、私をモチーフにしているような気がしないでもないんだけど」
「気のせいだろ」
遠くを眺めながら、決して視線は合わせずに答える。ここで目と目を合わせるようなことがあれば、嘘だとバレてしまう。そんなことになったら、俺は一体、どう取り繕えば良いのか分かりゃしないのだ。
「私って言うか、私たち?」
「だから気のせいだ」
「目と目が合う設定とか、あとは同じ中学だったとか、ラブコメにして笑いを入れているけど、根本的なところは、私たちだよね?」
「知らねー」
なにもかも見抜かれている。脚本担当の俺を隣に置いておけば、その裏側を知ることが出来るからと彼女は言っていたけど、そもそもの時点で俺という存在は必要無かった。だって、彼女の言っていることは当たっていることだから、俺が居なくても彼女が一人で観賞してもすぐに分かるような内容が散りばめられていたからだ。
「最終的にくっ付いていたけど」
「だから知らねぇって」
「こっち見て言ってよ」
「なんで見なきゃならないんだよ」
追い詰められている。墓穴を掘ったわけじゃないはずだが、物凄くヤバい気がする。凄く嫌な予感がする。
だって、気持ち悪いだろ。物語の登場人物に自分がモチーフにされているなんて。本人の許諾を得ずにそんなことをすれば、激怒されてもおかしくはなく、更には気持ち悪さで話し掛けることさえ拒絶されかねない。
俺と彼女のやり取りには常々に攻守があるわけだけど、今後はそれすら無くなってしまうかも知れない。それどころか、目と目を合わせることさえ、そんな機会さえ失われるのではないだろうか。
俺はそれをとても怖れている。とても怖いと思っている。それだけは勘弁してくれと願っている。
「はぁ…………白瀬君、私とは中学の頃からだと思っていたでしょ?」
「なにが?」
「実際は小学校も同じだったんだけど」
「マジで?」
それは……思い返してみても、どこにも黒井との記憶は見当たらない。
つまり、小学生の頃の俺にとっては当時の黒井のことなんて考えることさえない、ただの一個人でしかなかったということだ。
「小学五年生の時、一緒のクラスだったんだけど」
「まるで憶えていない」
「私、その頃はあんまり友達とか作らずに、休み時間があれば図書室に行くぐらいだったから」
「図書室…………」
いや、ちょっと待て。なんだろうな、図書室だったら一つだけ強烈な記憶が残っているような気がしないでもない。ただの夢というか、勝手に自分が脚色した思い込みみたいな物だと思っていたけど、違うんだろうか。
「図書室で眠りこけていたことがあった。昼寝するには丁度良かったんだよな」
「そういう子は結構多かったけど」
「先生や友達に起こされることが毎回だったんだけど、一回違うことがあった」
「……あー」
「肩をトントンと叩かれて、目を覚ました直後に凄い申し訳なさそうな顔をした子が……居て……それ、黒井?」
「それは多分、違う」
目と目を合わせる。
「……いーや、絶対に黒井だ。あの時の瞳は、忘れていない」
目を覚ました直後で、まだ俺は夢でも見ているんじゃないかと思ったくらい、澄んだ色をしていて、どこまでもどこまでも遠くを見ているような、綺麗な輝きを放っていた。
「子供の頃の想い出を美化しているだけでしょ」
いつからというわけではないんだ。
俺はいつの間にか、その瞳を探し続けていた。追い掛け続けていた。そして、気付いたらその瞳に、辿り着いていた。
「私、寝ている誰かを起こしたことなんて一回も無いよ」
「へー、そっか」
なら当時に抱いた俺の嘘偽りの無い言葉をぶつけよう。
「俺、あの子のことが好きなんだけどな」
「え……」
「黒井じゃないなら、一体誰なんだろうな。図書室に通い詰めていたんなら、知っているか?」
「それはその、あの、えっと」
「黒井じゃないんだろ?」
「……あ、ぅ」
「言っておくけど、これが最後のチャンスだからな。なにか隠しているんなら、さっさと白状しないと色々と手遅れになるから」
別にそんな気は丸っ切りないのだが、ここまで追い詰めないと黒井はきっと素の感情を露わに出来ない。
そういう奴だってことは、知っている。
「馬鹿みたいにグッスリ寝ていて、起こすのもかわいそうかな、なんて思ったりしながら、それでもやっぱり起こさなきゃなって考えて、肩を叩いた。白瀬君の肩を叩いたのは、私。どこの誰でもない、ここに居る……私、です」
やっぱりだ。でなきゃ俺は、唐突に、無意識の内に黒井の瞳を追ったりなんかしなかったはずだ。そして、昔の彼女へ抱いた好きという感情に起こる妙な感覚にも陥ることなんてなかった。
好きになった女の子と黒井が同一人物だというそもそもの情報が無かったから、俺はずっと彼女に向けていた感情の答えが見出せないでいたんだ。
「なんで嘘ついたんだよ」
「だって私、白瀬君が思っているほど、遠くを見ているわけでもないし……それに、白瀬君と私が初めて目を合わせたあの瞬間に感じた……途方も無く、彼方を見ているような輝いた瞳になんて……敵わないし」
「遠くを見ているつもりなんてないんだけどな。俺も黒井が遠くを見ていると思っていたし」
「なんでだろうね」
「さぁ?」
ただ、脚本に描いたようなラブコメのような、それでいて運命的な物語なんてことは一切無いってことだけは確か。
俺は勝手に期待して、勝手に思い込んで、勝手に自分を見下していた。だから、相手と視線を合わせたってそれをなにかの合図とは思わないし、疑い、そうじゃないと決め付けて、考えないように努めていた。
黒井だって一人の人間なのだ。俺と同様に、人並みの人生を送っているに決まっている。人並み以上の人生を送っていたのなら、もう俺の近くに彼女は居ないはずだ。
それにさえ気付かないで、見ているようで見ようとしなかった。
「俺の口の悪さはいつ知った?」
「中一の時。玉村君と喋っているところを盗み聞きした」
「それで幻滅はしなかったわけか」
「むしろ、その猫を被っているところを引っぺがしたいって思った」
怖いな。
「白瀬君は、どうして私が高嶺の花みたいに思っていたの?」
「俺の気分の問題で、どうしても話し掛け辛かった。話し掛けるのは、違うんじゃないかと思った。口が悪いし、変なことを言って嫌われるのは、無関心よりも辛いから」
無関心でも、一応は視覚の外に俺を入れることはあるはずだ。でも嫌われたら、その視界の外へと俺を追い出すようになる。それが、嫌だった。
「……白瀬君、さっき私のことを好きだって言ったよね?」
「昔、俺を起こしてくれた女の子が好きだって言ったんだ」
「でもそれは私なんだけど」
「どうやらそうらしい」
「……もしかして、幻滅したとかなにか?」
「いや単純に、改めてそういうことを言うのが嫌なんだよ」
「なにそれ」
「言うなら黒井の方から言えよな」
「なんで私が言わなきゃならないの。こういうのって絶対、男の子の方から言うことだし」
「そんなの誰が決めた?」
「私が決めた」
「黒井に決定権があるなんて思っちゃいないし」
「ゴチャゴチャ誤魔化していないで、言え」
黒井のどこのなにに惹かれたとか、それは多分、表現しようと思ったって出来ない。だって俺は、小学生のあの時、目と目を合わせたその瞬間に、言葉では言い表せないなにかに魅入られてしまったのだから。
「黒井って、今まで言わなかったけど、性格悪いところあるよな」
「これは我が強いって言うの」
「違うだろ」
「違わない」
けれど、これこそが俺の求めていた黒井の本性でもある。俺が勝手にベールで包み込んで、彼女自身も猫を被ったことで曖昧になってしまった素の表情、そして感情を見ることが出来ている。
だから、別に性格に難があるだとか、悪いだとか言いつつも実のところ俺はそんなものはちっとも気にはしていないのだ。
「好き……に限りなく近い感情を抱いているけど、面と向かって言い直すのは無理だ」
「なんでそこで逃げる?」
「大体なー、男らしさとか言って男に色々と期待し過ぎなんだよ」
「男の子は私たちに女らしさを求めるクセに、それ言っちゃおしまいだと思う」
見事に返されてしまったような気分になってしまう。きっと、その言葉には沢山の穴があって、指摘することも出来たはずなのに受け止めてしまった。
「あーもう、面倒臭いな」
頭を掻き毟る。
「好きだから、付き合ってくれ」
「……なんで急に潔く、言えるようになるの」
どっちなんだよ。
「言えって言ったのはそっちだろ」
「もう少し溜めが入ると思った」
「面倒なことってのは、さっさと言ってしまうのが良いんだよ」
言って、今現在、心臓が破裂しそうなほどに高鳴っていて、どうにも頭が回っていないんだけどな。
「私、多分物凄く面倒臭いよ?」
「そんなの目と目が合うようになった頃からなんとなく分かっていたっつーの」
「私と付き合っている間、他の女の子と話をしたら、嫉妬すると思う」
「へーじゃぁ積極的に他の女と関わって行くようにするか」
「……白瀬君は口が悪いのと、性格も悪いんじゃないの?」
「冗談に決まっているだろ。俺があんまり深く考えずに喋ることが出来るのなんて黒井だけだぞ。それに、他の女に同じように悪態をついたら、それこそ爪弾き者になるに決まっているだろ」
馬鹿馬鹿しいと思っているのに言わなくても良いことも言っている。
「それもそっか」
「逆に黒井は他の男と仲良くしそうだよな。俺へのアテツケで」
「そんなのするわけないでしょ。そこまで性格は悪くないよ」
「性格が悪いって部分は否定しないんだな」
「そりゃ、白瀬君のことを調べるために色々と根回しを、」
言っては行けないことも言ってしまった黒井が両手で口を塞ぐ。
「それマジで言っているのか?」
「……住所とか、受験する高校とか、あと色々と、調べました。好きな女の子の仕草、とかも」
その“女の子の仕草”については玉村に訊かれた時に答えたことがあったな。って言うか、あいつ以外とそんなこと話したことねぇから、情報源はどう考えても玉村じゃねぇか。
で、その情報を頼りにして、黒井は俺に猫を被った表情と仕草を見せていたわけか。それらにときめきつつも、あざといと感じたり、裏があるように感じたのは黒井らしくない仕草だったせいだな。
「あんまり人のこと言えないけど、取り繕った仕草よりも素の仕草の方で頼む」
「まぁ、結果的に白瀬君をオトせたからもうやらなくて良いかも」
だから怖いんだよ。
「そういや体育館でやっているイベント、まだスケジュール的には全て終わってないよな」
「見に行く?」
「あんまりメリットが無いよな」
「暗がりだから、私と一緒に居てもバレないかも」
「だからって手を繋いだりしねぇからな。なんか顔が期待しているみたいだから先に言っておくけど」
「付き合うんでしょ? それぐらいは良いと思うけど」
「付き合った当日に手を繋げるほど俺の肝は据わってねぇ」
「ピュア過ぎて、呆れる」
多分、煽られた。黒井らしいといえば黒井らしい言い方なんだけど、普段から遣ってないはずだからな『ピュア』って言葉。
「呆れられたって繋がねぇからな」
「ちぇ」
「今、『ちぇ』って言わなかったか?」
「言ってませーん、耳遠くなったんじゃない?」
「耳が遠くなってもこの距離で聞き間違いはしねぇよ」
「白瀬君はピュアなんじゃなくて、ヘタレなんだって思っただけだから」
「あ? それは喧嘩売ってんのか?」
「売っているんだとしたらどうするの?」
「繋いでやるよ、手ぐらい」
「ホントに繋げるの?」
「なんだその言い方。手の繋ぎ方ぐらい知っているからな」
「そんなこと言って、どうせ繋げないんでしょ」
「だーかーら、なんか一々、ムカつくこと言うんじゃねぇ。手を繋いだあと、謝ってもらうからな」
「繋げたらね」
「後悔しろよ」
「後悔はしないよ」