文化祭
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「文化祭ってもっとブラックなイメージがあったわ」
「どういうことだか全く分かんねぇぞ」
「つまり、俺にとって授業が無くなってお金を稼ぐわけでもないのにこき使われる酷いイベントってこと」
ボランティアも同然な感じでどうしてこう、クラスごとに出し物を出すのか。俺にはちっとも理解できなかった。
「その言い方だと、ちょっとは分かった感じなのか?」
「分かったっつーか、関わっているならちょっとは文化祭当日に仕事をする意義が生まれる」
「そいや、演劇部は何時からだ?」
「午後の部が一応は二時からある。午前中の客を捌いたら、午後は演劇部を見に行って、そして終わりまでは中庭でさして盛り上がっているのか盛り上がってないのか分かんないステージを眺める感じかな」
「白瀬はマジで思ったことをすぐ口にするよな。ステージに全力を注いでいる軽音楽部やらの情熱に対してなんでそんな冷めた意見が出せるんだ?」
「俺と関わってないから」
「メリットが無いからって言っているのとあんまり変わらないトーンで言うなよ」
玉村はいつものように呆れつつ、調理係が回して来た焼きそばの皿をお盆に載せて、客のところへと運んで行く。まぁ、あいつは顔が良いからウェイターとしての仕事の大半は任せてしまいたいところだな。俺は紙の皿を片付ける仕事だけに注力したい。だって、そっちの方があんまり他人と関わらないで済むから。口の悪さが災いして、高校にクレームが入るようなことがあったら、折角の推薦入試での合格も無駄に終わってしまう。
「そいや、黒井は合格したんかな」
同じ大学を受ける感じだったし、確か同じ試験会場でも顔を合わせた。受験する教室が違ったから、休憩時間に話をするってこともなかったけど。
「ま、俺が黒井の受験の合否を気にしても、なんのメリットも……」
目が合った。
「いらっしゃいませー」
「そういうこと言っておきながら、よく切り替えることが出来るよね、白瀬君は」
「聞こえていたのかはともかくとして、空いている席へとお座り下さい」
「聞こえていたから言っているんだけど?」
なんだ? やけに突っ掛かって来るな。
「玉村からは『頼むから客に不遜な対応を取って、面倒を起こさないでくれ』と言われているんだ。あんまり俺に突っ掛からないで席に着いて、注文をして、食べる物を食べて出て行ってくれ」
黒井の連れだろう女友達がクスクスと笑っている。なんで笑われているかは分からないけど、まぁ、なんか陰湿な感じじゃないからスルーしよう。こいつらとの関わりだって、あと数ヶ月で終わりなんだ。多少なりの噂や陰口が飛び交おうと今更、思うこともない。
「なら私にはもっと店員として接するべきだと思う」
「あ? お客様は神様じゃねぇんだ。なんでもかんでも無理が通ると思ったら大間違いだぞ」
「私が踏ん反り返ったクレーマーみたいって言いたいわけ?」
「そうじゃなかったら、なんなんだ?」
クレーマーは神様じゃないからな。“人として当たり前の常識”を持った“お客様”と呼べる人を神様とまでは言わないまでも相応に扱えって意味だと俺は思っている。
黒井はなにやら言いたげな雰囲気を醸し出しつつも、俺の発言に呆れてしまったのか、空いたテーブルの方へと歩を進めて行く。
「綾香が男子にああいうこと言うの、やっぱり珍しいよね」
「でしょー? 白瀬君の前だと気を抜けるみたいでさー。だから今日も連れて来ないとって思ってたんだよねー」
「人の前で話してないでさっさと黒井のところへ行け」
わざとイラッとするようなことを言って退散してもらいたかったのだが、何故かこの黒井の女友達はちっとも文句を言って来ることはなく、トトトトッと黒井と同じテーブルへと向かって行った。
まったくもって、面倒臭い。
「店員さーん……と言うか、白瀬君」
「あぁ? 玉村とか玉村とか玉村とか居るだろ。なんで俺を指名して呼ぶんだよ」
「俺はそんなに居ないからな」
ワケの分からんツッコミを入れていないで、このカオスな状況をちょっとは解決しようとはしてくれんのか。
「なんだ?」
「白瀬君は大学合格したの?」
「店員にプライベートなことを訊くのはウチではNGなんですよ」
「ここでバイトみたいな対応されてもムカつくだけなんだけど」
「バイト代が出れば良いんだが、無給で働かされている奴隷みたいなものなんだよ」
「なら奴隷みたいにちゃんと言ったことに返事をするだけで良くない?」
「一理あるが、どういうわけか従いたくないという気持ちの方が強い」
「あーそっか、白瀬君、落ちちゃったんだ。だからそんなに話したがらないってことか」
「人のプライドを刺激して来るなよ。受かったに決まってんだろ」
ギリギリだったかも知れないが受かったもんは受かったんだよ。
「で、そこに決めたの?」
「決めるもなにも第一志望だった方が受かったんだから、もうあとは記念受験だし。場合によっては記念受験なんてするもんじゃねぇって言われるけど、補欠合格がある大学だし、まぁ良いかと思ってな。それもそれで、なんか悪いって言われることもあるけど、ならそもそも滑り止め受験ってなんだよって感じでもあるし」
にへらっと一瞬、黒井は表情を緩ませた。なにか物凄く嬉しいことがあったみたいな感じだ。
「私も受かった」
「それを俺に言ってなにか意味があるか?」
「私もその大学に行こうと思っているんだけど」
……へーそれは、えーっと…………? なんだ? なんか、勝手に舞い上がってしまいそうになっている。
「そうですか。ではそれは措いておくとして、早くご注文を決めて下さい」
「そんなに混んでないでしょ」
「これからも混むかも知れねぇ」
さっきから言い合いというより、張り合ってばっかりだな。なんで俺は黒井と言い争っているんだ。しかもこれは物凄く不毛だ。
「まーまー、白瀬君も落ち着いて。こう見えて、綾香は今、テンションが爆上がり中だから」
「そうは見えないが」
「見えないように装っているだけだから、焼きそば一つだけ、紅茶は三人分。三人で分け合うから」
ははーん、体重を意識しているんだな。
そう言ったら、黒井のみならずクラスの女子連中に袋叩きに合いそうだから口に出掛かったところを必死に止めた。
「かしこまりました。少々、お待ち下さい」
五番テーブルに焼きそば一つと紅茶を三杯。そうメモを取って、調理係の注文票を集めているところに置く。言うほど混んではいないので、三分ぐらいだろうか。焼きそばは少し前に炒め始めていたから、もう出来上がりそうだし。
「午後はなにか予定入っているの?」
「店員にプライベートなことを訊くのはウチではNGなんすよ」
「ほんっと、頑固」
「それ訊いて黒井になんのメリットがあって、それを言って俺になんのメリットがある? 足し算引き算でしか物事を測れないっつーことをよく言われるけどな、世の中、引き算だけでの生き方は出来ねぇんだよ」
プラスのことが無けりゃ、マイナスばっかりでいつか命すら削るようになってしまう。身を粉にして働く? 粉骨砕身? 努力ってのは、身を削ってどうこうするもんじゃねぇんだよ、絶対に。
「私、午後二時前から空いているの。今は午前の休憩時間をちょっと利用して、ここに来たんだけど。みんなに言われるがままにだけど」
「へー」
「白瀬君が脚本の演劇を見に行きたいんだけど、ストーリーの深みを知るならやっぱり脚本を書いた人が傍に居た方が色々と知ることが出来る感じがしない?」
「つまり金を払わずに脚本の裏側について聞きたいと。なるほど、俺に全くメリットがねぇ」
何故か、黒井はともかくとして残りの二人もガクンッとさながら俺が大ボケをかましたかの如く、項垂れた。
「白瀬君、ヤバない?」
「いや、白瀬君がヤバいんじゃなくて綾香がヤバいんかも知んない」
「人をヤバいヤバい言うんじゃねぇ」
客は店員に無礼を働いて良いなんて常識はこの世には存在しないぞ。
「五番テーブル」と調理係から呼ばれたので、出来上がった焼きそばの紙皿と紅茶の入った紙コップを盆に載せて、三人のテーブルへと運ぶ。
「お待たせしましたー」
盆に載せたままだとバランスを崩すこともあり得るのでさっさとテーブルへと並べ終える。
「私は白瀬君と見に行きたいって言ったんだけど?」
「知っているから、それぐらい」
「なら諦めて、」
「ふーん、私と見に行くのが恥ずかしくて無理なんだ?」
「んだと?」
「だってそういうことでしょ。女子に免疫が無いから、一緒に歩くのも緊張するし、隣同士の席に座るのも恥ずかしいとかそういう感じでしょ」
「は? 別に恥ずかしくねーし、なんだその言い方」
「だったら証明してみてよ」
「言ったな? あとで後悔しても知らねぇからな」
「後悔するわけないでしょ」
「どうだか。言っておくが、俺に期待すんなよ?」
「期待出来るほどの男じゃないじゃん、白瀬君。知っているけど」
「そう言う黒井は相当に偏屈だよな。知っているけど」
売り言葉に買い言葉みたいになってしまった。
「玉村、あれ喧嘩してないん?」
「あーあいつらは夏休み明けからあんな調子だから気にしなくて良い」
「いやでも」
「あれでコミュニケーション取れているってある意味奇跡だからな。貴重な物を見ていると思えば良いんだ」
「お前マジでそういうことは聞こえないところで言えよ」
運ぶ物は運んだし、黒井との話も終わったので玉村に近付き、文句を言う。
「聞こえるように言った方が、お前は自覚するんじゃないかと思ってな」
「その上から目線が気に喰わねぇ」
「前からそうだろ」
「ああ、前からだったな。ま、お前だから許すけど」
「俺もその口と態度の悪さは白瀬だから許してやってんだからな」
友達だからなんでも言って良いって間柄はかなり稀有なんだろうが、俺と玉村はその稀有な例そのものだ。お互いにちょっと口調、或いは性格に難があると分かっており、それを理解した上で中学からの腐れ縁だ。
まぁ? 多少、上から目線であってもこいつは恋愛経験が豊富だから、そこのところは上手くやれているらしい。逆に俺はそういうところが下手くそだから、なんかこう上手く行っていないんだろう。
だが、目と目を合わせるだけという謎の関係に比べれば、進歩はしているんじゃないだろうか。進歩? いや違うな。丁度良い言葉が見当たらない。
「でもお前、高校で女子と一緒に歩いたことあんの?」
「ねぇけど?」
「周りから付き合っているって思われるからな。文化祭で男女が一緒に歩いているなんて」
「へー」
「暢気で合わせて平気そうに流して聞いているように見えて、実は内心、焦っているだろ」
「言葉にしなくて良くね?」
「言葉にした方が実感湧くだろ」
基本的に、俺と黒井のやり取りは攻守があって、互いに攻めて攻めて攻め続けると当人たちも結果が出てしまってから後悔するという状況が生じる。現在、まさに後悔しそうである。そこまでは考えていなかったんだよな、マジで。
「別になー、他人にどうこう思われるのは良いんだけどな」
「黒井にどう思われるかは問題なんだな」
「先読みして先に言うのやめろよ」
なんで俺の思考をこうも易々と読んでしまうのか。
「ま、でも今日で終わらせろよ」
「なにを?」
「その不思議な関係。お前はなにかと面倒臭いけど、そこに現状の黒井も足すと更に面倒臭い。わけ分かんないこと言ってねぇで、白黒はさっさと付けろ。白瀬と黒井だけに」
「最後のは余計だ」
だが、玉村の言うように白黒付けるには絶好の機会かも知れない。
問題は、俺たちがその絶好の機会を有効に利用できるかどうかであるが。