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虫騒動

 黒井との謎の意地の張り合いをしてから約一ヶ月。演劇部から押し付けられた脚本は半ば完成していて、その一部を部長に読んでもらい、少しばかりの手直しを言い渡されたものの概ねでは問題無い感じだった。と言うか、部員でもない俺に一番大変そうな仕事を押し付けておいて、よくもまぁ手直しまで要求できるなとも思ったりもしたが、そうやって俺の不平不満を自分自身に集めることで、部員へ向かないようにしているのではとちょっとばかり妄想してみたが、どうにもそこまでの器を持っているようには容姿及び仕草や態度、そして発言その他諸々からは感じ取れなかったため、単に面の皮が厚いだけのようだった。

「よくもまぁ、ポエマーで口の悪い白瀬がこんな話を書けたもんだ」

「悪いか?」

「いいや、高校生で出来る範囲での演劇って感じがして良いだろ」

「なんか周りが全員、イエスマンに思えるから率直な感想を言えよ」

「大学生には笑われるだろうな」

「だろうと思ったよ」

 所詮は付け焼き刃。書いていることなんて自分の感性で面白いと思ったことをそのまま形にしているだけに過ぎなく、大衆向けからは程遠い。

「言って、『じゃぁお前が書いてみろ』と言われても、俺じゃここまで仕上げることも出来ていなそうだから、ちょっとは自信を持てば良い」

「こんな押し付けられたことに自信を持ったって、無駄だね」

「経験は無駄じゃないだろ」

「確かに経験人数は無駄にはならないだろうな」

「童貞捨てたかったんなら、もっと女子に愛想良くすりゃ良かっただろ」

「媚び(へつら)って童貞捨ててもなんも嬉しくない」

「だったら僻むなよ。女子と仲良くしないで童貞捨てたいとか、頭悪すぎだ」

 玉村に言われるほど童貞という部分にコンプレックスを抱いているわけではないし、そのためだけに女子と仲良くしたいわけでもない。ただ、なんとなく話が下ネタに向かったからそれに合わせただけ。割とこれだけでも心の中ではドキドキしている。

「単に童貞を捨てたいだけなら、それも有りだとは思ったけどな」

「あーはいはい、白瀬は黒井一筋だから、他の子と仲良くするのは嫌なんだろ」

「別に黒井ともそこまで仲良くねぇからな」

「そういやそうだったな。お前ら、ホント面倒臭いわ」

 確かになにがどうしてああなったかは今では曖昧になってしまっているが、黒井を家に送った。けれどそのあとで彼女の態度が一気に軟化するとか、俺が彼女に率先して話し掛けに行くということもなく、いつも通りである。


 いつも通り、目が合うし、目で追ってしまう。その回数も増加したわけじゃない。


「意地張ってないで、素直になれよな」

「素直ってなんだ?」

「まずその口の悪さを黒井に容認してもらえるようにならなきゃ、絶対に仲良くなれねぇわ」

「そんなの無理に決まってんじゃねぇか」

 詰んでるだろ。俺の口の悪さなんかを表面に押し出してしまったら、ドン引きされるのは目に見えている。

「ついでに、それをやったところで俺たちがなにか変わるってわけでもない」

 ひょっとしたら目と目が合わなくなるような変化が起こるかも知れないが、それで俺はなにか思うだろうか。


 ちょっとばかり、落ち込むかも知れない。けれどどこかでホッとするかも知れない。気持ちの整理が付くかも知れない。変に納得して、世界は覆らないまま平穏になるかも知れない。


 メリットしかないように思えても、大概が心の問題であって、こんなものを背負って全部処理出来るわけがない。なので、やっぱり黒井の前で口の悪さを見せるのはやめておいた方が良いだろう。


「黒井ってそこそこに可愛いから、俺も狙ったことはあるんだけどな……おい、話は最後まで聞け。なんでそんな睨まれなきゃならないんだよ」

 そんなに睨んでいただろうか?

「ありゃ押しても引いても駄目なタイプだったな。要は男嫌いじゃないが、好きな男が居るからそれ以外の男とはあんまり仲良くしません、ってやつだ。話だって上辺だけ、表情だって素が出ない。最初に卓球部で見掛けたお前みたいな奴だった。ありゃ相当ガードが堅いから、誰も突破出来てないだろうな」

「どうでも良い情報をどうもありがとう」

「とか言いつつ、内心では嬉しがっているんだろ?」

「そう見えるなら眼科に行け」

 なんでそんな情報で俺が一喜一憂しなきゃならないんだ。いや、でもなんだ? どういうわけかペン回しが今日は一段と綺麗に決まっている。またなにか、心が浮かれているような気配も感じられる。

「でもさ、実際問題、お前以外と積極的に話をしに行こうとするところなんて見たことないぞ」

「積極的に話されてはいないぞ。嫌々、話されている」

「それこそ見解の相違ってやつだな。一時期、狙っていたって言っただろ。もう狙ってねぇけど、その辺が分かって来たからやること全部、無駄だなって思ったからだ」

 そうやって女子にアタックしに行けるその勇気に俺は脱帽だよ。

「俺と話しているのも仕方無くだろ。上辺だけだ」

「上辺だけだとしても、わざわざボールペン一本ぐらいを忘れ物と言って、家に届けに行くか?」

「一月前に話したことを今更、ここで引き合いに出して来るな」

 脚本っていうのは、最終的なオチを作らないと完成しない。起承転結は読書感想文と国語の小論文ぐらいでしか意識したことがないだけに、これが物凄く難しい。どこで区切りを付ければ良いのか、どういう形で終わらせれば良いのか。

 逆算すれば、或いは簡単なのだろうか。プロットと呼ばれる段階で、もう終わりを想像しておくとか? でも、この役者が演じているキャラクターに愛着が湧いてしまったら、その結末も変化しそうじゃないか。

「家に送り届ける間に幼稚な腹の探り合いをするってのも俺は信じられないんだが。お前にとって黒井は敵かなんかなのか?」

「或いはそれに近しいなにか」

「よくもまぁ、送った相手のことをそんな風に言えるもんだ」

 シャーペンを置いて、首を回す。

「もし、俺にそういう感情があって、なにかしら黒井にアプローチするようなことがあったとしても……釣り合わないだろ。それに、似合わない」

「いや、案外似ているところがあるからあんま気にならん」

「気にしろよ」

 やっぱ玉村にこういう話をしても、絶対に恋愛へと結び付けようとするから駄目だな。無理やりくっ付けようとする。俺は別に、そんなことは思っちゃいないっていうのに。

「ただ百歩譲って、ちょっとでも俺か黒井にそんな気があるんだとしたら――」


 隣の教室がドタバタとなにやら騒がしくなった。なんだろうな、机や椅子が倒れるような音がした気がする。


「あるんだとしたら?」

「こんなうるさいのに話を続けようとすんな」

 放課後の空き教室で騒ぐとしたら、大体は吹奏楽部。そんな偏見を持ってしまっているのだが、ほとんどの文化部は部室か特別教室での活動で、人数や楽器の関係から空き教室を利用するのなんて、ほんと限られているっていうか……。

 俺と玉村は隣の教室へと顔を出す。


 女子同士で戯れているのではなく、教室の蛍光灯にぶつかりに行っている羽音の主に対してワーキャーワーキャーと騒いでいる。


「どうかしたん?」

 玉村がフランクに女子へと声を掛ける。

「虫が教室に入って来て!」

 吹奏楽部員の一人が即座に状況を説明した。と言うか、教室に入る前から事態については把握していたけども。

「あー、そりゃ大変だな」

「退治してくれない?」

「あー……えーっと」

 知っている。玉村は虫が嫌いだ。中学の時に蜂に刺されたことがトラウマになっているから、それくらいの大きさになるとまず触れることさえ出来ない。なので、自ずと俺に視線が向く。

「なんで俺がわざわざ隣の教室の蛍光灯に突撃しているカナブンを退治しなきゃならないんだ」

「え、カナブンなの?」

「ゴキブリだと思ってた」

「どっちにしたって嫌だし」

 ゴキブリは飛ぶより這うだろ。それに大きさだって違う。

「気にせず練習していたら気付いたら居なくなっているだろ」

 吹奏楽部員の女子から非難を浴びる。「男らしくない」、「頼りない」、「信じられない」、「困っているんだから助けてよ」等々。なんで虫退治を拒否したら、非人道的みたいな扱いを受けなきゃならないんだ。


「カナブンだって生きている」

「じゃぁ退治しないで外に逃がせばいいでしょ」

「だから、なんで俺がそんな面倒臭いことをしなきゃならないんだ」

「暇でしょ」

「暇じゃない」

「暇だからここに来たんじゃないの?」

「うるさいから来たんだよ。虫如きで一々騒ぐな」

「そう言って、実は虫が怖かったり?」

「は? そんなことねぇし。俺がなんでカナブン程度にビビらなきゃならないんだよ」

 家でゴキブリに遭遇したらアレだが、外でなら大抵の虫と遭遇してもなんとも思わない。蜂みたいに毒を持っていたら、さすがに喧嘩を売りには行かないけども。

「だったら証明してみてよ」

「うっせぇ、やりたくないものはやりたく……は?」

「え?」


 凄い突っ掛かって来るものだから、俺も反発して攻撃的になっていたが、今になって目と目が合う。向こうもカナブンで混乱していたらしく、どうやらここで気付いたらしい。


 チラッと玉村を見る。なにやら面白い物を見たといった具合に、今にも腹を抱えて笑い出しそうになっている。

「っ、あーもう! とにかく、俺にメリットが一つも無い。メリットが無いことはやりたくない」

「やれ」

「なんで命令されなきゃならないんだ」

「良いから、やれ」

「……クッソ、意味分かんねぇ」

 黒井がこんな命令口調で、俺に面倒事を押し付けて来るとは思わなかった……いや、そうか。俺が押し付けられたら断れないことを知っているからか。

 それ以外にも、互いに素を出し切っていたという事実が彼女を突き動かしている。これに逆らったらどうなるか。

 しかしながら、俺は微妙に嬉しさを感じていた。命令されることに興奮したとかそんなのではなく、「ああ、黒井もそういう一面があるんだ」という安心感だ。

 俺からしてみれば、黒井は何事においても完璧で、なにがあっても動じなくて、違う世界の住人みたいな印象が強かったから、それがまやかしであったと知れたことが嬉しかったのだ。

「玉村、カーテン閉めろ」

「なんで?」

「蛍光灯の電気を消す。家にカナブンが入って来た時によくやるけど、明るいところが急に暗くなったらカナブンは大抵、どこかに止まるか、明るい方に飛んで行く。コイツはさっきから蛍光灯にぶつかってばっかりだし、飛んでばかりだからどこかで休みたいだろうから多分、どこかに止まる。そっちの方が捕まえやすい」

 玉村に説明しつつ、俺もカーテンを全て閉め切り、倒れている椅子を元の位置に戻しながら淡々と照明のスイッチのところまで歩く。

「体のどこかに止まられたくないなら廊下に出ていろ。それでまた騒がられたら、うるさい」

 ぞろぞろと吹奏楽部員が教室から一時退散し、ついでに玉村も出て行く。薄情だな、こいつら。マジで一人も虫に耐性無いのかよ。それとも“虫を怖がる自分可愛い”を演じているのか? だとしたら、黒井の方がヤバかったな。怖いから意味不明なキレ方をするって、割と感情の根幹に近い気がするから、演技している以上に“虫が怖い”という主張が伝わって来た。

 蛍光灯の消して、程なくして羽音が静まる。カーテンを閉めたとは言え、教室には廊下からの光が差し込んで来ているので、カナブンが休憩に入った場所は目で追えたのでさっさとその机の傍まで行って、片手を覆い被せるようにして掴み取る。そのままカーテンの向こうの窓の外へと放り出しても良かったのだが、とんぼ返りよろしく戻って来られたらまたうるさくなるので、廊下に出て、そっちにある窓からカナブンを逃がす。

「しゅーりょー、終わり終わり」

 蛍光灯を点け、カーテンを戻し、軽すぎるお礼の言葉を受け取りつつ、俺は教室を出る。

「あの」

「なに?」

「さっきは、命令みたいな言い方して御免」

「今更謝ったって遅い。黒井にもあんな一面があるとは知らなかった知らなかった」

 茶化すように言うと黒井は頬を膨らませて、抗議の意思を見せる。

「そう言う白瀬君は随分と口が悪かったけど」

「はっ、そんなのは昔からだ。こっちは今、知った。こりゃ、他の男子には教えなきゃなぁ」

「白瀬君はそういうことしない」

「どうだろうな。明日には噂になって、」

「白瀬君はそういうことしないよ」


 ……張り合うのが馬鹿らしくなった。


「次に虫が来ても、助けてやらねぇからな」

 そう言い残して、玉村と元の教室へと戻る。

「ほらな、信用されてる」

「なにがほらな、だ。見ているだけだったクセに。まぁでも、虫が嫌いな玉村には無茶だったんだから、仕方ねぇけど」

「ああいう視線は苦手なんだろ?」

「卓球の試合相手の場合だって前に言っただろ。敵意の向こう側で見つめて来るんだよ。期待を裏切らないで欲しい、本気で掛かって来て欲しい、でもあわよくば勝ちを譲って欲しい、みたいな」

 俺は押しに弱い。そうやって押し付けがましく視線で送り続けられると、戦いにくくて仕方が無かった。それもきっと、地区大会後に伸び悩んだ原因でもあるんだろう。

 彼女の視線には言葉通りの「信頼」が込められていて、黒井が嫌がりそうな言葉を浴びせている自分が、随分と矮小な存在に思えてしまった。

「あれは信頼されているんじゃなくて、分かられているんだよ」

「分かられている?」

「俺がどういう人物像かを把握されている。怖い怖い」

「そう言いながら、顔はニヤけているけどな」

「は? ニヤけてねぇし」

 虫を教室から追い出した程度で、黒井が俺を見るなにかが変わるわけじゃない。

「もう認めちまったら良いのに」

「なにを?」

「分かってんだろ、それくらい」

「は? 知らねぇし、知りたくもねぇな」

 それは、まるで強がりのような。

 それでいて、自分への強い暗示のような。


「好きになることのなにが怖いんだ?」


 けれど、玉村にはなにもかもがお見通しで、遂にその言葉が俺の胸に突き刺さるのだった。

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