本心を語ることはなく
別に強がったわけじゃない。別に馬鹿をしているわけじゃない。真剣に、真面目に、俺はどういうわけか黒井を家に送ることになってしまった。
張り合ったのがマズかったのだろうか。いや、違う。絶対に違うね。俺はなんにも悪くない。
「白瀬君、中学の時は部活に入っていたのに高校はどうして帰宅部なの?」
「家でゲームがしたいから」
取り繕ったとしても、追及されれば俺はどうせ痛い目を見る。だから白状するべきことは白状する。
「嘘、だと思うな」
「嘘じゃない。本当にゲームがやりたくなったんだ」
「それは嘘」
「……嘘だけど」
「ほら、嘘だ」
だからって本当のことを話す流れにはしたくない。
難しいことを考えないでおこう。楽しいことを考えよう。そう、楽しいこと。今、この状況から現実逃避するのに丁度良い想い出にでも浸っておくのが最善策だ。
なんで俺が黒井を家に送っているのか。そして彼女が隣に居るというその確かな熱に、やられそうになっているのか。そういうことは考えない。
考えたら覆る。俺を構成している全てのこと。或いは、俺が位置する全ての世界が引っ繰り返る。だから、考えない。
「中学の部活、大活躍だったように見えていたけど」
「見えていたってなんだ? 見えるタイミングなんてあったか?」
「あったよ。卓球部だったでしょ?」
「余計に見掛けるタイミングは無かっただろ」
「基礎練習でグラウンドを走っているのは見えたし」
彼女は中学でも吹奏楽部だったから、教室の窓辺でグラウンドを眺めるくらいはよくやっていたことだろう。けれど、そこから俺を見つけるというのはどうにも眉唾物だ。そんなに視力が良いんだろうか、彼女は。
「中学生の部で、地区大会優勝だったんでしょ?」
「地区大会程度の奴は幾らでも居るんだよ。県大会以上で勝てなきゃ意味が無い」
「だったら、高校でそれを目指せば良かったんじゃ?」
そういう訊ね方をされても困る。なにかこう、当たり障りのない言葉で誤魔化せないだろうか。
そんな風に思案していても、横から黒井の視線を強く感じて、どうにもこうにも嘘をつけないなという結論へと達して行く。本当に、彼女の視線に弱い。なんでこんな風になってしまったんだろうな。
「我流だったから。腰の入れ方、腕の振り方とか、そういうの全部、自分でやりたいようにやっていたんだよ」
「形式とか、型に囚われない、みたいな?」
「中二で地区大会で優勝したあとに、部活顧問の先生とコーチにイジられたんだよ。腰はこうやって入れろ、腕はこうやって振れ、足運びはもっと負担が掛からないようにって。ガッチガチに固められた気分になって、それから全部が駄目になった。で、中二の冬休み前から幽霊部員になって、そのまま卒業」
体を痛めたわけでもなく、精神的に縛り付けられたから、以前に出来ていたことも出来なくなった。こうしなければいけない、ああしなければならない。でないともっと上には勝てない。そんな風に押し付けられて、駄目になった。俺がただそういうタイプだったってだけで、馬鹿強い連中はそういうのを全部吸収するものだ。俺はそれが出来なかったって時点で、将来性の無さを実感した。
「部活に出るのが、虚しくなったな。頭の中でずっとリフレインするんだよ。ああしろこうしろって言う、指示が。自分で自分が分からなくなって、放り出した。ま、体育の授業で雨の時に卓球をすることになった時ぐらいは、気楽だったもんだけど」
玉村とは卓球部で知り合った。でもあいつも高校じゃ卓球部に入らずに、コンピュータ部の幽霊部員に成り果てたな。あいつは別に俺みたいに縛られたわけじゃなかったはずだし、卓球部も見学していた。それでも入らなかった理由は「レベルが低そうだった」とかなんとか。
実際、入学して一ヶ月後ぐらいに卓球部の部室で煙草の吸い殻が発見されて、結構な騒動になっていたから玉村は危機回避能力を見事に発揮したということだ。俺も俺で、中学で投げ出していなかったらひょっとしたらそんな卓球部の餌食になっていたかも知れないから、この選択に後悔はしていない。
「そんなことがあったんだ……」
「聞いても面白くもなんともない話だろ?」
「でも、白瀬君がなんで卓球部に入らなかったのかとか、色々分かったから」
分かってなんになるって言うんだ。そういう耳心地の良い言葉を並べ立てるのはやめろよ。
黒井の言うことは表面上は、とても心地が良い。けれど、その実、なにを思っているのかが全く分からない。それは目と目が合うことがあっても知ることの出来ない心の深奥にある感情に違いなく、なにを隠しているんだか不明だから触れることさえ忌避してしまう。
「変に物事を深く考えるようになったのも、そのせい?」
「そんな風に思ったことはないけどな」
「本当に?」
「本当だ」
変に、と言うよりもなんかこう、俺たち生徒ってのは学校の先生たちにとってさほど大切には思われていないんじゃないかと穿った見方をするようになってしまった。けれど、中には本物も居る。その本物の先生たちにとって俺みたいな考えを持っている生徒は面倒臭いに違いない。だったら、あんまり手を煩わせないようにしようと自然となった。
「白瀬君、いっつもどこか遠くを見ている感じがして、」
「それは黒井の方だろ。ずっと遠くを見ている」
「え?」
「……いや、少し待て」
なんで黒井の言葉を切って、俺は素の自分の言葉を口にしてしまったんだ。これじゃ、また心を探られる。さっきから攻め込まれてばかりだ。防衛出来ているか出来ていないか定かじゃないが、守りに徹するというのはなんとも、不安になるもんだ。
「黒井は話している最中、たまに別のことを考えているように見える。視線が定まらないというか、なんと言うか」
「それは……まぁ、私にも色々あって」
「色々?」
「それを言うなら、白瀬君も私のことをちゃんと見ていないことがある」
「女子をマジマジと見ていたらそれは失礼だろ」
嫌だね。変態だのなんだのとそしられるのは。
「でも、たまに目が合うよ?」
「誰にだってあるだろ。そういうことは」
「そんなことは無いと思うな」
「なんで?」
「こう、廊下で擦れ違ってさ。振り返って視線が合うことが、よくあるような」
「それのどこがおかしいんだ?」
「擦れ違い様に視線が合うなら、そんなに変じゃないけど、なんで私たち、互いに振り返って目を合わせているんだろうなって」
その違和感には気付いていないと思ったら、気付かれていた。確かに俺もおかしいとは思っていた。擦れ違い様に視線が重なることも度々あるけど、意図して逸らすようにしたあと、やっぱりなにか気になって振り返ったら、彼女もこっちを見ているという場面が記憶の中では何度かある。
俺をただ単に気持ち悪いと思って、擦れ違ったあとにどこに行くのかと目で追っているだけなんだろうと決め付けていたのだが、どうやら黒井の言い方だとそうじゃなかったらしい。
「なんで私のことを目で追うの?」
「それは俺が言いたいことなんだが」
「白瀬君から言わないと私も言わないよ」
「じゃぁ、言わないで良いじゃないか」
追及を避ける。身構えていた分、あっさりと避けることが出来た気がする。
ただ同時に、とても大事な瞬間を逃したような。そんな物凄い後悔が押し寄せてきているのだが……なんで後悔する? ホッとするべきところだろ。気付かない方が、良いことなのだから。
「でも、同じ高校を受験して、入学するなんて私、思ってなかったなぁ」
「そういうものか?」
「それで、こうやって一緒に歩いているのも、考えられなかった」
……おかしいな。今のは、素の感情が出ていた。猫を被っていない、嘘偽りの無い言葉に……聞こえた気がする。
「黒井はたまによく分からないことを言うよな」
「私、そんなに白瀬君と話してない」
「ああ、そういやそうだったっけ」
そう、俺たちはそんなに話をするような間柄じゃない。だったら、彼女の言うこともおかしくない。こうやって一緒に歩いているのは、なんとも不思議に違いないのだから。
その後も面白いことを話すでもなく、楽しかった想い出を話すでもなく、溢れそうになる言葉にちょっとばかりの上辺だけの表情を加えて、お互いに相手の心の深奥を探る。俺が訊ねれば、彼女が防ぎ、彼女が攻めれば俺は避ける。なんでこんなことをしているんだろうと思うくらいには幼稚な心理戦を繰り広げつつ、十数分後、彼女の家の前に辿り着いた。
「ここ、私の家って知っていたの?」
「え、いや、全然」
「でもなにも言わずに足を止めたでしょ?」
「……なんだろうな。こう……家に帰る時に寄り道すると、自然と、この道に入る」
別に彼女の家の前を通りたくて通っているわけじゃないという弁明をする。半分真実で半分が嘘。だって、吹奏楽部で高校に残っていることを知っているのにわざわざ家の前を通ったって、黒井とたまたま出会うことなんて無いじゃないか。
それでも、家の前を通ることがあるのは、思ってみれば黒井にしてみれば相当に気色の悪い案件だ。ストーカーと思われているかも知れない。
「悪い。これからは通らないようにする」
「私、嫌な思いはしていないから」
「咎めているわけじゃないのか?」
「別に? それだったら、目が合う時に言っているよ」
まぁ、そりゃ気色の悪い男に何度も何度も目線を送られたら黒井も身の危険を感じて、俺に自制を求めるか、或いは先生に告げ口をしている。彼女が両親に語っていたなら、俺はストーカーということで今後の身の振り方について家族会議が開かれている可能性だってあったわけだ。
「それに、私も白瀬君の家を知っていたわけだし」
「担任の先生に聞いたからだろ」
「三色ボールペンだけで、先生が生徒の個人情報は話してくれないよ」
「え、じゃぁなんで知って、」
「それは秘密」
「意味が分かんねぇ」
「だって、目で追うことについて教えてくれなかったし」
彼女はドアホンを鳴らす。
「送ってくれてありがとう。明日からも頑張ってね、脚本作り」
「押し付けられたことだからそこまで頑張る気は無い」
「白瀬君はそう言う割には真面目だから、ちゃんと取り組むと思う」
「俺のことをそんなに知らないクセに」
「私のついて把握しているくらいには、白瀬君のことを私も把握しているから。それじゃ」
さようなら、と言われたので俺は彼女の家から遠ざかる。かなり強引な別れ方だったけど、あれだろう。異性に家まで送られたことを両親には知られたくないとかそんなところだろう。俺だって異性を家に送ったことなんて、口が裂けても話せない。
来た道を引き返しつつ、夜空を斜め上に眺めつつ、複数回、深呼吸を行う。
「マジで、なにしてんだろうな……俺」
今のを楽しかったこと、と認識しているんだろうか。心が浮かれている。意味も無く、浮かれている。
「魔性の女だったらどうすんだよ」
男をとっかえひっかえしていたら? その疑念を、何故かすぐに俺の心が否定する。
黒井はそういう女子じゃない、と。こんなのはただの願望だ。だって俺は、黒井の素顔をちゃんと見ることは出来ていないのだ。素の感情を剥き出しにして、話し合ってなんていないのだ。
「だったらなんだ? 俺だって、ひた隠しにしていたじゃねぇか。やっぱり、ワガママじゃねぇか」
俺自身が素直じゃないんだから、相手だって素直にはならないだろ。相手だけが素直に全てを明かしてくれるような世の中なら、俺は今後も玉村と話す時の口の悪い自分を隠し続けることが出来るけど、そういうわけじゃないだろ。
少なくとも、俺は素を出すべきだったし、黒井にも本当の言葉を出すように頼むべきだった。
だから俺は家に帰るまでの間、ずっとモヤモヤすることになった。
俺は、黒井をどういう位置に置きたいのか、そして俺は黒井にとってどういう位置に置かれているのか。それが、あれだけ話したのにちっとも見えなかったからだ。