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忘れ物

 人生が虚しいとか、生きるのが辛いとか、そういうのを思ったことが無いのは色んな意味で大きなアドだと思う。高校生らしい悩みみたいな、そういうのとは無縁に生きて来た。反抗期と言えば反抗期だけど、それ以上に両親に生かされているというか愛されているということをヒシヒシと感じる物だから、無理をしてまで非行に走ろうという気持ちにはなれない。こういうところが堅苦しいというか、真面目過ぎるのだ。でも、今更、不真面目になろうとしたって自分で自分をこういう風に作り上げたのだから、崩すことは難しい。

 なので、投げ出そうとしていたはずの脚本の執筆作業を俺は家に帰ってから始め、ずっと部屋に籠もりながらウンウンと唸りながら文章を搾り出す。ゲームがしたい。スマホゲーは禁止されている。やり始めることについては禁止されてはいないが、ガチャでお小遣いや貯金を溶かしたらその日を最後にお金の工面を一切してやらないと言われている。俺の両親は有言実行するタイプなので、それはヤバい。大学入学は愚か、そもそもの受験すらも出来なくなってしまう。ある意味で強い強いストッパーだ。おかげで沼だ青天井だと騒ぎ立てるクラスメイトの連中とは話をせずに済んでいるので、ここでもありがたさを感じる。だってヤバいだろ。高校生の頃から数%の確率しかないガチャで当たりを引く感覚を味わったらきっと大人になっても戻れない。制御が出来るのなら俺もなんとも思わないが、新年早々の三学期に「ガチャでお年玉全額溶かしたわ」と言っている連中とは絶対に卒業後は関わりたくないのだ。そして引き当てたガチャキャラをこれ見よがしに見せ付けられても、どういった感想を持てば良いのかすらも分からない。逆にそいつらはお年玉を据え置きゲームの新作に費やす俺の気持ちも理解することは出来ないだろう。

「ガチャねぇ……コントみたいにして、物語に取り入れるのも良いけど」

 プロット無しでやれと言われている以上は過去の脚本を見て、大体を把握した方が良い。卒業生が残した脚本は主に現代コメディ、そして二作がファンタジー路線。驚くことにラブコメが入っていない。一番作りやすそうなんだが……あれか? 妄想の恋愛描写を書くのは恥ずかしかったとかそんなんか?

「その割に、よく出来ているんだよなぁ……クッソ腹が立つ」


 これレベルを求められても、絶対にこれ以下になる将来しか俺には見えない。


 今、なんとなくで書き始めているのはファンタジーっぽい物。けれどこれだと、世界観に凝り過ぎていて説明口調になり過ぎる。

「……そもそも世界観なんて考えるから駄目なのかもな。こういうのは当たり障りなく現代にして、ラブコメとかロマンス辺りに落ち着かせた方が良いんじゃないか?」

 そう、喋らせる労力というのを減らすのなら世界観描写をほぼ必要としない現代物が良い。素人が作ったとしても判別不可能だろうし。最悪、酷い展開にしてしまっても演劇部が叩かれるわけではなく、脚本を書いた俺が叩かれるだけで済む。


 なんだその自己犠牲精神は、くっだらねぇこと考えてんな、俺は。


 ペン回しをしつつ、妄想に耽って、脚本用のノートとはまた別のところにキャラ設定を書き込んで行く。ファンタジー路線を捨てるなら、あんまり深く考えなくて良い。思い付いたことを思い付いたままに創作して、キャラクターを作り上げてしまえば良い。変なところは演劇部の役者側が修正してくれるだろ。他力本願だけど、そもそも演劇部が他力本願をして来たのだから、こっちだって同じように持ちつ持たれつにしてしまえ。

 筆が乗るという言葉は作家が遣うらしいが、俺の頭の中のプロットも乗って来た。やっぱり高校に居るよりも、家に居た方が落ち着いくことが出来て妄想も空想も捗る。中二病が若干入ってしまっているポエマーに脚本を任せたらどうなるか、思い知ってもらおうじゃないか。


 にしても。


「なんであんな風になっちまったかね……」

 シャーペンを動かす手を止めて、椅子の背もたれに身を委ねる。軽く天井を見つめて、それから小さく息を吐いた。首を戻し、机に乗っているデジタル時計が刻む時間をただボーッと眺める。

「そして、なんでこんな風になっちまったかな」

 黒井と初めて顔を合わせたのは、俺が憶えている限りだと中学一年生の時だ。クラスが一緒だった。座席は入った当初は、そこまで近くはなかったけど、言うほど遠くもなかったという感じ。ただ、苗字に俺の方は『白』、彼女の方には『黒』ということでやたら周りが騒ぎ立てた時期があった。まぁ、あの時は楽しかった。白黒コンビだかなんだか言われたりもしていたけど、夏休み前には、俺は男子のグループと、彼女は当たり前だが女子のグループと一緒に居ることが多くなったから自然と静まって落ち着いた。


 クラスメイトも気付いたんだろう。『この二人、別に特別仲が良いわけでもないんだな』って。当然だろ、中学で初対面だぞ? そこから男女の壁を打ち破って一気に打ち解けるなんて、俺にゃ出来なかったね。


 それでも、なんだろうな。ちょっとだけ話をするぐらいの仲ではあった。ホント、些細な話だ。「次、理科室だぞー」と教室でずっとなにか話し込んでいる黒井を含めた女子のグループに声を掛けたり、昼休みに校庭で玉村と時間を潰していたら飛んで来たボールを拾ったら、「こっちに投げて」と言われたから受け止めやすいように柔らかく投げるみたいな。そもそも会話なのか分からないレベルのやり取りだ。

 でも、男も男でボール遊びをしている連中は多かった。派閥があったんだよな。バスケ派とドッジ派と、砂場で走り幅跳び派と鉄棒派みたいな。あとは鬼ごっこをしていた。五人ぐらいで、鬼ごっこをしていた。

 そう、十数人でやるようなことを五人ぐらいでやっていた。思えば、すっげぇ下らないことをしていたな。


「……普通、高校生活を思い返すもんなのにどうして中学生活を思い出してんだろうな」


 馬鹿をやれたのが中学生までだから。先生に怒られても、授業中に騒いでも、なんかテキトーに問題を解いても間違えても、なんかどうにかなるだろう的な感覚があった。さすがに高校受験は真剣にやらなきゃならないみたいな空気になって、俺もその空気に呑まれて、結果的に高校に入学したわけだが。

 高校生活は青春だ……なんて言う輩はすべからく、クラスの中心で騒ぐことが出来た奴らだろう。そういう空気、ノリ、雰囲気に入り込めなかった俺たちにしてみたら、一年生の頃から進路指導、希望調査、将来の夢が三連続コンボで打ち出されて、極め付けが二年になったら文系と理系で分かれるようにしろという入学した高校の方針。

 人生に初めて期限が設けられたような気分になった。ついでに勉強も真面目にやらなきゃ引き離されるし、問題を解くのだってテキトーにやれば周りが逆にシラけるし、先生からの評価は落ちる。ギチギチに縛られて、縛り付けられて、「こうあるべきなんだ」とか「こうするべきだ」と説かれて、頭ん中がおかしくなりそうになる。


 高校生が高校生活をぶった切ってもなんにも面白くねぇな……。


 気合いを入れ直して、脚本の続きでも書くかと思ったその俺の意気込みを邪魔するかのようにドアホンが鳴った。

「母さーん?」

 部屋を出て、廊下から母さんを呼んでみる。返事が無かったが、どうやらリビングに設置されているドアホンのモニター越しに話をしているらしい。しばらく廊下で待って、通話が終わったらしく「伊鶴(いづる)にお客さん」と声が掛かる。

「玉村か? メールでも寄越せば済むようなことをわざわざ家に来るか? もう八時半だぞ?」

 八時半と言っても午前ではなく午後である。要は、家に遊びに来るには遅いし用事があるんなら電話やメールで良い時間帯。っつうか、迷惑。玄関口で話すのも面倒だし。

「時間ぐらい考えろよたまむ……ら?」


「今日は変なこと言って御免、今日は変なこと言って御免、今日は変なこと言って御免」


 俺の家――正確には両親の家なんだが、玄関からドアホンまでは少し距離がある。家の前に父さんの車を停めるための駐車スペースがあって、ドアホンはその先の門扉にある。この奥ばった家というのは逆にキャッチセールスに引っ掛かり難く、門扉から玄関まで距離がある分、ドアホンのモニターを見ずに扉を開けても、身の安全が九割くらいは保障されるという利点もある。

 まぁ、そんな風に自宅の構造について考えて現実逃避をしていたんだけど、門扉のところで黒井がなにやら呪文を唱えていた。早口と言えば早口だけど、一言一言を大事にしつつ、決して噛まないようにという強い意志を感じる。それだけでなく、“言うんだぞ”という気概をヒシヒシと感じて……猫を被っている時の彼女の仕草や言葉に比べたら、物凄く魅力的に見える。

 そう、そういう表情がたまらなく、胸を打つ。脈拍が早くなる。立ち眩みを覚えてしまうくらいに、呼吸も穏やかではなくなる。

 だから、そしてだけど、ずっとこうして見ているわけには行かないだろう。どうやら呪文を唱え続けていたせいで俺が出て来たことにさえ気付いていないのだ。そんなところをずっと眺めていたと知られたら、そりゃもう高校でどんな噂が立つか……もう既に、黒歴史認定したい噂が立っている点については目を瞑るとして。

「黒井」

 俺がそう呼び掛けると、声にならない驚き方をして黒井はなにやら急に髪をイジり出す。いや、整えるのなら呪文を唱えながらとか、呪文を唱える前にしておけよとも思ったのだが、そんな言葉がスッと出るのなら俺は現在、テンパってなどいない。

「白瀬君」

「なに?」

 素っ気なく返事をしているが、内心では穏やかじゃない。

 悲しいことに、それとも卑しいことになのか、俺はこの場面において黒井に良く見られようとしている。素っ気なく対応することで、“女子が家を訪ねて来ても動揺していないよ”アピールをしている。それも、黒井に対してじゃない。自分自身に対してだ。別に黒井はそんなことを気になんかしちゃいないだろう。なのに、俺は俺自身が気にするからという理由だけで、良く見られたがっている。

「忘れ物」

「忘れ物……?」

「ほら、筆記用具を落とした時に」

「ああ……」

 差し出されたのは三色ボールペンだった。俺の机にあるペン立てにはあと三本ぐらい同じ会社の製品が並んでいるのでさして気にも留めていなかったんだけど、こうやって実物を見せられると、そういや筆記用具の中に入っていなかったなと思わされる。

「これのために?」

「ほら、家が割と近いし……中学時代からの特権かなって」

 特権? なんだその言い方。普通に言えば良いだろ。

 黒井は早くも、そして俺と同じく猫を被った。奥の奥に本心も、なにもかもを押し込んで、自分らしさなんて消し去って、放課後に見た誰にも可愛いと言われそうな、誰にでも愛されそうな表情を作る。

 感情が冷めて行く。熱が引いて行く。心臓は落ち着きを取り戻し始める。


 俺はあまりにもワガママなのだ。自分は猫を被っているクセに、黒井には素の表情や素の感情を見せて欲しいと。そんな風に願っている。それはあまりにも、気持ちが悪い。こんなことを話せば、彼女もきっと俺を忌避するだろう。

 だから俺も本心は語れない。本心は隠す。隠さなきゃならない。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「でも、別にこれが無くなってもあんまり困らないけどな」

「まぁ見つけてしまったものは、渡さないと気になっちゃって」

 あの時、床に転がった筆記用具を拾い集めてくれたのは玉村だ。だから、こんな疑いは持ちたくはないし、言いたくもないから心の中で問う事しか出来ないが。


 ノートを拾う時に、一緒にこれを拾って、黒井は家に寄る口実を作りたかっただけじゃないのか?


 ただ、この問いには当然ながら綻びがある。単純な話、俺の家に寄ったところで黒井にメリットが無い。面倒事が増えるだけだ。中学時代のよしみであったとしても、高校生男子の家にわざわざ寄りたがる女子は居ない。それもさして――高校生になってからさして話すことが無くなった男子の家にだ。

 なので、結局、これは俺の願望なのだ。ただの気持ちの悪い思い込み。そうなのではないかと思うことで、感情を昂ぶらせようとしている馬鹿の極みだ。

 そして直接、訊ねれば済むことを自問自答して、それを解答として決め込んだ。黒井のことは疑うのに、俺は俺自身の解答についてはちっとも疑わない。

「白瀬君?」

「……いや、悪い。なんでもない。部活、こんな時間までやっているのか?」

「そう……って言いたいところだけど、塾の帰り。塾がある日は早めに帰るの」

「それで部活動に力を入れることって出来るのか?」

「まぁ……高二の時に地区大会メンバーには入れてもらえたし、高三は受験で一杯一杯だから……ほら、私はそこまで頭が良くないから」

 自虐的な言葉、そしていつも通りの上辺だけの表情。同情してもらいたいという気持ちを無理やり押し付けて来る。

「そうか」

 乗ったところで、なんになるかも分からない。だからスルーする。

「あのさ」

「なに?」

「白瀬君って、“どこを見ているの”?」


 どこ? どこだろうな。目を見て話せていないのは確かだけど、多分、そういうことが言いたいんじゃない。

 だって俺は、その言葉に明らかに動揺しているからだ。


「え、どういう意味?」

「なんにもないところを見ているような時が、あるって言うか」

「それは、ヤバいな。気を付けないと」

 そんなに俺のことを見ていないクセに、と言い返せる度胸は無い。そして、同時に彼女にそれを言ったところで通用しないのだ。


 だって俺たちは、色んなところで目を合わせている。視線を重ねている。言葉を交わさず、目だけが合って、一秒にも満たない瞬間的な互いの状態を観察している。だからって、互いに十割、相手のことを把握出来ているわけではないんだけど。

 俺だって思う時がある。黒井は一体、どこを見ているのだろうかと。どれだけ遠くを見ているのだろうか、と。要するに彼女も似たような疑問を抱いただけに過ぎない。


「高校、楽しくなかったり?」

「いや、楽しいけど」

 猫を被って嘘をつく。

「それなら良いけど。もう三年なのに、突然、辞めたりしないかなって」

「さすがにそれは無い」

 けれどここには本心を覗かせる。だって、高三になって大学受験を控えるようになったこの時期に辞めるのはおかしい。家庭の事情でない限りは、辞める理由が見当たらないだろ。

「良かった」


 本当に良かったと思っているのか?


「帰り道、もう九時前だし暗いし、送って行こうか?」

「……え?」

 俺が彼女の言葉に動揺したように、黒井もまさか俺がこんなことを言い出すとは思っていなかったらしく、素が出ていた。ただこれは、そういった表情を見たいと思った俺のとんでもない賭けだ。ありがたいと思われるのか、気持ち悪いと思われるのか。正直、後者だったならそれなりに凹みそうな――凹んだところで次の日にはケロッとしているんだが、とにかく今晩の寝るまでの間の思考に大きな影響をもたらす賭けであることには違いがなかった。

「ありがとう」

「言ってみただけだから」

「それじゃ、お言葉に甘えて」

「は?」

 やられたらやり返すみたいなことを俺は望んじゃいないのだが、これは確実に仕返しをされた。なんで猫を被り合いながら心理戦みたいなことをやっているのか、多分だけど彼女も疑問符を付けて考え込んでいるに違いない。

 それぐらいは分かる。だって、見て来ているから。見てしまっているから。見つめ合うことだって、あったのだから。

「昔からよく言うよね、男に二言は無いって」

「そうだな」

「白瀬君はどうするの?」

「どうするもこうするも」

 ハッキリ言って、このやり取りは不毛だ。でも、俺が言い出しっぺなのだから、俺が下がるという選択肢は無い。


 腹の内を探るようにして話した結果、黒井を家まで送ることになった。


 ただそれだけのことだ。


 ……吐きそう。数分前の威勢の良いことを言っていた自分をぶっ飛ばしたい。

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