どうでも良い
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「白瀬がオカンにポエムノートを読まれたのっていつだ?」
「思い出させんな、ストレスが溜まるだろ」
「でも、『ウチの息子にはスッゴイ才能があるんですよ』って三者面談でそりゃもう大げさに語られたんだろ?」
「ウザいウザいウザい」
「んでも、その噂――じゃなくて事実だけど、それを聞いて演劇部から脚本を書いてくれって頼まれるなんて運が良いじゃないか」
「良くねぇだろ。帰宅部がなんで放課後まで残ってノートに妄想垂れ流さなきゃならないんだよ」
帰ってベッドで寝転がっていたい。ゲームがしたい。そう、他の誰かは違うのかも知れないけど、高校なんて授業を受け終えたらさっさと帰りたい場所第一位なんだ。
なのになんで、どうして、なんで?
こんな、ノートに線を引いて、上に役名と役者名を書いて、下にその台詞を書いて、そのあとに軽い描写を書かなきゃならない?
演劇部の脚本担当なんて受けたくて受けたわけじゃない。半ば強引に……話す余地も無く、身勝手に、ワガママに、押し付けられた。それも、卒業生の脚本と共に。
『実際の脚本っぽく作らなくても良いからさ。去年の先輩たちのを参考にしてくれるだけで良いから』と言われて開いてみたノートは、想像していた以上に手が込んでいて、こんなものを読ませられたら俺も手を抜けないじゃないかと腹が立った。要するにあいつらは、分かった上で俺に『同じように脚本を書けよ』と遠回しに言っていたのだ。
気分屋や不真面目な奴らなら、テキトーに書けば良いだろ。でも、俺は変なところで真面目と言うか、どうでも良いところに力を入れると言うか、無駄なのに知識を溜め込んでしまうというか、とにかく真面目に、先輩の脚本と同じ仕様で書き始めた。ただ、これがどうにも今後の俺の人生で役に立つスキルとは到底思えなくて、話が実に進まない。
考えてみれば当然だ。俺は黒歴史なポエムを書いてはいたが、心が踊り出すような物語なんて書いたことが無いのだ。オチってどうやってつけるんだ? エンディングから考えて行くのが普通なのか? 取り敢えず、プロローグは大事なのか? 世界観設定ってどういう風に表現するんだ? っつーか、演劇なんだからそんなのナレーションで最初の一分くらいで済ますもんなんだろ? 出来んの、俺? 出来ない気がするなぁ、無理だと思う。ぜってぇに無理。
「人に書いたこと喋らせて、リアクションやら喋り方についての注釈も入れて……なんで先輩の脚本はこんな完璧なんだ」
「あーそういや三年間はガチで脚本家目指していた先輩が担当していたとかなんとか演劇部の友達から聞いたな」
「今更なこと言うなよな、マジで。俺のポエムで笑っている暇があったなら、安請け合いしている俺の横でその情報をすぐに寄越せよ」
「面白そうだったから」
「最悪だな、お前」
心の底から最悪だとは思ってはいない。これはいわゆる、友達同士の間でのみ通る悪口。初対面の相手に同じように接したら、まず間違い無くキレられるし、ついでにこれから築かれるはずだった関係が消え去る。
「っつーかさ、脚本と台本の違いってなんなんだ?」
「細かい描写やら――まぁ俺もスマホで検索しただけだけど、いわゆるスタッフや舞台装置の担当者向けのシナリオらしい。台本はそこからスタッフ向けの細かな描写を省いて、台詞やリアクションをちょっと付け足した物みたいな……? 読んでもよくは分からんかった」
まぁつまり脚本が無ければ台本も生まれようがないということで、脚本を作れば自然と台本となる部分も抽出出来るということ。
「それ、白瀬は二つも仕事を押し付けられていないか?」
「へ?」
「いや、脚本も台本も仕上げろってことだろ」
「……うーわ、マジかー」
脚本を書いているノートを眺め、絶望に叩き落とされた。なんで今まで気付かなかったんだろうな。嫌々、物語を書いていたせいでそこまで頭が回らなかったせいか? なんにしたって俺はハメられた。終わっている。
「母さんを恨むしかないな」
「オカンを恨むなよ」
「だって、母さんが進路指導でポエムのことを話さなかったら、こんなことは押し付けられていない」
こんなこと。
こんな、やりたくもないこと。
つまらない。下らない。やっていても、なんの得にもならない。書くのが苦痛で、投げ出したいこと。
大体、ポエムやら物語っていうのは頼まれて書くことを得意としている人と、現実に妄想を垂れ流し過ぎないように文字にしておく人の二通りがあるだろ。俺は完全に後者なんだよ。世界観の一つも、プロットの一つも、アイディアの一つも出してくれないで『書け』と言われて書けるかよ。
「やーめた」
「良いのか?」
「どーせ俺が一生懸命に書いたって、つまんねー話になるだけだっつーの。なんで高三で、受験も控えているのに文化祭の、しかも所属していない演劇部の手伝いをしなきゃなんねぇんだ。しかも文化祭って十月だぞ十月? 今、何月か分かるか?」
「五月だな」
「なんで五ヶ月前からやんなきゃならないんだか意味が分かんねぇ」
「そりゃ、準備や台詞を覚えるのに時間が必要だからだろ」
「ただの高校生がなに文化祭の演劇にマジになって、それでなんか意味あんの? なんにも無くねぇか?」
すっげぇ罵詈雑言を口に出しているが、実際の演劇部の部長を前にしたら俺は一言もそんなことを口から零すことは出来ないだろう。だから今の内に、零せる愚痴は友達に零しておく。
「全ての部活動をやっている奴らを敵に回すぞ、その言い方は」
「良いんだよ、敵で。どーせあと一年だろ。一年ちょっとで卒業だ。どこの大学に行くかも知らない連中を敵に回そうが関係無い。ついでに敵に回した連中が同じ大学だとしても、俺はそいつらと関わらなきゃ良いだけだろ」
それなりの大学にはそれなりの入学希望者が集まり、そして色んな都道府県から受験するわけだ。俺もその内の一人であって、そして敵に回した連中にしてみても同じこと。一人の敵をずっと見ている暇なんて無いもんだ、絶対に。
「じゃぁお前、なんのために高校来てんだ?」
「さぁ? 大学受験のためじゃね?」
自分のことなのに自分のことを一番よく分かっていない。大体、高校に入った理由だって曖昧だ。周りのみんなが受験しているから。中卒だと両親への風当たりが悪くなるから。ついでに俺自身もなんか中卒は嫌だから。
目指している夢だとか、目指している目標だとか、理想の職業なんてなんにもない。
だってそうだろ? 高校の先生なんてどいつもこいつも、『希望の学部はどこだ?』とか『成績については問題無いから』としか言わない。結局、自分の高校からどれだけの人数をその地域で有名な、或いは全国でも有名な大学に入学させられるか、ぐらいしか考えてないんだろって疑ってしまう。塾だって高々と掲げるもんな。大学への入学実績ってやつ。
『~になりたい』って言ったところで応援してくれる先生が居たとしても、その先生はネットで浅く身に着けた知識しか語らない。そういう、『~になりたい』って奴らは高校に入る前から、とっくの昔に検索して知っているんだよ。応援してくれない先生は『無難な職業を目指しなさい』と口にする割に、どういう職業が良いか教えてくれないじゃないか。
筋道立てて、この目標をクリアして、次にこういうことを学んで行って、この試験に挑戦して、って事細かに教えてくれる先生の話なんてクラスメイトの誰からも聞いたことが無いからな。まぁそんなことしたら、妙に肩入れし過ぎているってことになってモンペの的になるだけなのかも知れないけど。
「つまんねぇんだよ。なにやったって止められる。面白いこと思い付いても、周りに倣えばっかりだ」
「ま、言いたいことは分かんなくもないけど……白瀬は昔っから口が悪い」
「それは友達の前だけだっての」
「普段は猫を被っているってことか?」
「そうかもな。ただその表現って女子に遣うんじゃねぇの?」
男の場合はもっとなんかあるんじゃね? 知らんけど。
「ねー、この教室ってまだ使う感じかなー?」
女子の声がして、思わず体が勝手に動き、椅子がガタッと動き、ついでに机に膝を軽くぶつけてガタンッと音を立てる。ほぼ同時に二つの音を立てた恥ずかしさで、俺は無言を貫く。
「ん、なに? もう閉めんの?」
そんな俺を見兼ねた友達が「やれやれ」と言わんばかりに女子に訊ねる。
「閉めるんじゃなくって吹奏楽の練習」
「あー」
「空いている教室探すの結構、大変なんだよ」
嘘つけ。俺たちもう高三だろうが。先輩に気を遣って、どこの教室でも空けるだろ……女子なら女子で威圧する感じで追い払えるし、高校生男子なんて全学年問わず、みんな女子に話し掛けられるだけで浮かれてちょっとでも印象良くしようとしてさっさと退くもんだ。そこで退かない奴ってのは、相当根性が据わっているか、ヤンキー入っていて女慣れしているかだろ。
「どうする、白瀬?」
「帰る」
「帰んの?」
マジで? みたいな口調で言うなよな。
「そうじゃないなら図書室を使う」
立ち上がろうとしてまた膝をぶつける。今度はなかなかに勢い良くぶつけてしまって、筆記用具と合わせてノートが床に落ちた。幸い、卒業生の脚本だけは落ちなかった。これをちょっとでも汚したら、演劇部から白い目で見られそうだからな。ともかく一安心だ。
「あーあーあー」
そんなに慌てるなよ、と後に付け足しながら友達が床に散らばった筆記用具を掻き集めてくれる。
「悪い」
言いつつ俺はすぐ傍に落ちているノートに手を伸ばした――が、俺の手より先にそれは先に拾われてしまう。
「それ、返してくれる?」
俺はなるべく視線を合わせないようにしつつ呟き、次に意思表明をしっかりとしなければと思い、顔を向ける。
目と目が合う。それは瞬間的で、時間にして一秒にも満たず、なのに俺の胸の中にある心臓は激しく脈動し、勝手に手から汗が染み出す。
「これ、白瀬君が書いているの?」
「え……あ……」
「そうそう。こいつが演劇部に頼まれてなー」
「演劇部? 帰宅部じゃなかったっけ? 白瀬君」
「あーそれは」
言ったら殺す、という視線を友達に向ける。
「白瀬にも色々あるんだよ。本人から直接、訊いてやれ」
「ねぇ、なんで?」
これはこれで拷問だ。
「……別に、なんだって良いだろ。早く返して欲しいんだけど」
「……理由を言わなきゃ返さない」
「は?」
「って言ったら、どうする?」
俺をからかうように、小さく笑みを浮かべながら、彼女は問い掛けて来る。
どこから表現すれば良いのだろうか。いや、表現の仕方を俺は頭の中にあるはずの様々な言葉から選べずにいた。要するに、吹っ飛んでいた。紡ぎ出すべき言葉すらまともに紡ぎ出せないのに、思考すれば必ず描写できるであろう言の葉の数々を失っていたのだ。
それくらい俺は痺れていて、感覚が狂いそうになっていて、どうしようもなく、熱を感じていた。彼女の瞳は澄み渡り、笑顔はどこの誰にも負けないくらいに愛らしく見え、容姿の全てが誰に喩えることも出来ないほどに、眩しく、そして美しく、さながら全学年一の、超絶的な美少女に見えてしまっていた。
それはきっと、俺の主観的な感想だ。客観的に見て、どうなのかを俺は知らない。だって、俺は俺であるから、客観的に彼女を捉えることなんて出来やしないのだから。
「困る」
「……冗談だって」
彼女はそう言って、俺にノートを差し出す。それを受け取り、鞄に卒業生の脚本と合わせて詰め込む。友達が集めてくれた筆記用具も入れて、ファスナーを閉じた。
「でも、なにも無いところからなにかを書くのって難しくない?」
「そりゃ、誰だって難しいだろ」
「それをやろうとしているんだから、白瀬君は凄いな、って」
……なんだそれは? イヤミか? それとも褒めているのか? 褒められている気がしない。そういう風に言えば可愛く見えるんだろっていう押し付けがましさしか感じられない。
違う。俺が見たいのはそういうのじゃない。俺が聞きたいのはそういう言葉じゃない。
なのに、彼女は俺と話す時は最終的にこういう態度に落ち着く。誰からも好かれそうな、誰からも可愛いと言ってもらえそうな、そんな態度を取る。
「それ、本心で言っているのか?」
俺が見たいのは、さっきみたいにノートを拾って、そこに書かれていることに驚くような、そんな素の表情だと言うのに。
「白瀬ー、帰るか図書室行くかするんだろ」
「ああ」
言われてようやく、教室を出るという一番大事なことを思い出して、鞄を肩に掛けて歩き出す。
廊下に出て、一息ついたところで真っ先に友達が俺の頭を平手で叩く。
「なんだよ?」
「お前マジで好かれようとしてんの? 全然、そうは見えないぞ」
「うるさいな」
「あれだろ? 放課後、教室に残ってやりたくもない演劇部の脚本のことで頭を悩ませているのって、吹奏楽部があの教室を使うのを知っていて、」
「あー聞こえない聞こえない聞こえないなー」
耳を塞いで、なにもかもをシャットアウトしようとする。
「それじゃ、高校を卒業する前に誰かに取られるぞ」
「……なんだそれ? なに? 俺がショックを受けると思ってんの? 焦ると思ってんの?」
「俺も経験豊富なワケじゃねぇけど、お前、絶対に告白できずに卒業して落ち込むタイプだな」
中学で三度告白され、高校で二人と付き合い、現在はフリーなお前以上が居るのなら、俺は自分自身がいかに矮小な生き方をしているかを思い知って、生きられそうにないぞ。
「だからって無理やり話をさせようとするな」
「無理やりっつーか、あれは黒井がノートを拾ったから必然的だろ」
「なんかどこか思惑が隠れているように思うんだよな、玉村は」
「友達も疑い出したらキリが無いだろ。俺、知っているぞ。中学で卒業した時に落ち込んで、高校入学した時に黒井を見つけて浮かれ切って、」
「あーやっぱなんにも聞こえない聞こえない聞こえないなー!」
騒ぎながら、図書室へと向かう。周囲の視線なんて気になんかするものか。どうでも良いんだよ、そういうのは。
俺が気にするのは、彼女の視線だけなのだから。