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猛虎四匹相食めば  作者: 木倉兵馬
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1. ヨハン

 時に振り返り、時に見回しながら、強い警戒心を持って進む一団がある。人数は十一。いずれも男で、剣を帯びている。時刻は夕暮れ。あと二時間ほど経つと外出禁止の時刻となる。橙の太陽が沈んでゆく。


「急げ。奴に気づかれる前に、これを開けてしまおう」


 一団の中、ある男が言った。鉄の箱を両手で抱えた彼は、男たちの長である。前方に目的の場所を示す、フンツ・ウント・クンツ錠前店の看板を認めた時、彼は安堵の息をついた。そして、前を早足でゆく者の背中に「もっと急げ」と声をかける。一団はドアへと辿り着き、彼らの長が一人に命じてノックを三回響かせた。店の中から返事はなかったが、ドアへと向かってくる足音が聞こえる。一団の長が再び安堵の息を長々と吐いたのと、戸が開いたのはほぼ同時で、間髪を置かず緊張の波が彼らを襲った。


「ヴィルヘルミナ……!」


 錠前屋から現れた女に、集団は驚愕すると共に柄を握りしめる。上手く剣を抜けた者もいれば、鞘から出せずにガチャガチャ音を鳴らすばかりの者もいた。一団の長、ヨハンは箱を投げ捨て――すみません、と師に心内で謝った――剣を素早く抜いたが動揺は隠せず、辛うじて口を開く。


「お前、どうしてここが」


 ヴィルヘルミナは剣を抜きつつ答える。


「鍵を手に入れられなかったならば、貴様のことだ、箱の作り主を探しだして開けさせるだろう。――そのくらい私には察しがつく。どれだけ同門にいたと思っている?」


 ヨハンは唸った。計画が狂っている。以前の計画も上手くいかなかったというのに。今回こそは出しぬいたと感じたのに。だが今は目の前の敵に対処すべきだ。ヨハンは十人の弟子に、散らばれ、と手振りで命じると剣先をヴィルヘルミナに向けて言葉を放つ。口の中は乾ききっていた。


「いかにお前の腕が立とうと、お前は一人、こちらは俺と十人。この前とは違う」


「左様か――。貴様も変わらんな、量はあるが質が悪い。弱卒が倍になろうと、私の剣の前には何ら変わりない」


 十一倍の差がありながら、ヴィルヘルミナは平然としていた。その様がヨハンには妬ましく映る。フリードリヒという同じ剣の師を持ちながら、この違いは何なのだろう。ヨハンは数を揃えることを覚え、ヴィルヘルミナは師の剣法と精神を受け継いだ。彼女はつまらなさそうに言う。


「数だけは揃えたようだが、腰が引けているようだな。ならば此方から動くとしよう――」


「……かかれ!」


 ヨハンはやっとのことでヴィルへルミナが動く前に命ずることが出来た。しかし、同じ師を持つ彼は気付いていた。もはや敗北しかありえないのだと。無理矢理その考えを追い払う。


「やーっ」

 弟子の一人が「王冠」――剣を頭上高くに持ち上げる状態――に構えて突進した。続く弟子はない。皆気が引けている。突進した者もそうだった。故にその先は死しかない。


「――」


「風車」――「王冠」より低く、肩に担ぐようにして剣を持つ――に構えたヴィルヘルミナは、さっと振り下ろし、ヨハンの弟子を左肩から右腰にかけて斬り裂く。その剣は雷鳴のごとき速さで元の「風車」の構えへと戻された。彼女は無言のまま、一歩前へ進む。ヨハンと弟子たちは下がる。ある者は一歩。ある者は二歩。それ以上下がったものもいる。ヨハンは五歩下がっていた。


「……か……かかれ!」


 猛烈な喉の渇きを覚えつつ、ヨハンは命じた。弟子のうち二人が意を決して「王冠」に構え直し、声を震わせながら突撃する。それに続いて「雄牛」――剣を中段にもつ、如何なる方向へも対処できる構え――に剣を持った弟子が一人。その後に続く者はない。


「――」


 ヴィルヘルミナが得意とするのは「風車」の構えではなく、「王冠」と「愚者」――剣を下ろし、左右いずれかの後方へ剣先を持っていく構えで、剣の長さを目測しにくくする効果がある――であった。ヨハンは思う。弟子たちは彼女の「風車」の構えすら破ることができないだろう。特に今のような、彼女の思う壺に嵌っている状態では。事実、そうであった。


「「がっ」」


 きらめく剣。「王冠」に構えた二人の弟子は、短い断末魔を同時に上げて斃れる。「雄牛」に構えた男は思わず立ち止まる。だがそれは悪手。「風車」の構えから、再び夕日を照り返して振り下ろされる剣。結果を語るまでもない。


「ううむ……」


 ただ唸るばかりの己を、ヨハンはこれほど呪わしく思ったことはなかった。残るは己を合わせて七人。一気にかかればあるいは、とも思う。蚊の睫毛ほどの可能性であっても、勝ちを捨てたくはなかった。


「……お前たち、俺に続け!」


 ヨハンは叫ぶ。大博打である。当たりくじは一万本に一つ。外れれば死。引かずとも死。いずれも死へと繋がるのなら、当たりを狙って逝くべきだ。


 一人の弟子が(はや)った。「鋤」――「雄牛」より低く構え、剣を跳ね上げたり腹より下への突きを狙ったりするのに向く――に剣を持って敵の「風車」を崩そうとする。きらめく「風車」。「鋤」が跳ね上がり後の先――後手に回りながらも、最終的に主導権を握るという戦術――を狙う。悪くない手だった。そう、悪くない手だった(、、、)。「風車」から繰り出されるのは斬撃に限らない。ヴィルヘルミナの巧妙な突きが、弟子の喉を串刺しにしていた。


「……!」


 ここで大抵の者は気が萎えてしまい、逃散を図るだろう。だがヨハンと彼の弟子たちは違った。逃してはならない、最後の機会。唯一の勝機。


「「「「「「やーっ」」」」」」


 ヨハンと残る五人の弟子たちはそれぞれに構えて突進する。


「――これが最後、か」


 ヴィルヘルミナが呟く。「風車」から「雄牛」に構え直した彼女が進み出る。最も近いのは、「王冠」の構えの弟子。彼の剣先が空を切る。突きが来た。一人減る。間髪置かずに女剣士を狙うのは「鋤」の構えと「雄牛」の構え。二つの突きが夕日にきらめく。妙手である。鋼の音が響いて一人斃れた。ヨハンは唸る。敵のほうが上手であるのは明らかだ。鋭い突きが弟子の腹に刺さっている。「雄牛」に構えた弟子は空を切って二、三歩よろめいて進んだ。その隙が見逃されるはずがない。斬撃。これで残るは四人。しかし。


「攻め続けろ、仲間のために勝て!」


 ヨハンは最後まで粘ることを選ぶ。確かに敗北しかありえないと分かっていた。だが今はこうするしか無いのだ。


「「「やあーっ」」」


 三人がかかる。「雄牛」、「風車」、「王冠」。仲間との距離を保ちつつ突撃。教えた通りである。思えば彼の弟子は皆基本に忠実だった。物覚えも良かった。己を慕い、ここまで付いて来てくれた。ならば、ならば何故己の足は動かない。何故根が生えたように立っている。何故弟子の仇を討てない。いっそ見捨ててしまうのも手だろう。それも出来ないのは何故だ。

 ヴィルヘルミナがこちらを見た。血まみれだ。彼女が口を開く。


「続け、と言ったようだが」


「……そうだ」


「今残っているのは貴様だけだな」


「……そのようだ」


 情けない、とヨハンは思う。ここで心を決めねば、無益に死ぬだけだ。


「……逝くぞ。俺は、逝くぞ」


「――来るがいい」


 敵が「王冠」に構える。では己は。己はどうする。師はこう言っていた。「王冠」には「鋤」で対処するのが良い、と。ならば。

 そう思ったときだった。己の足が無意識に動いたのは。構えは「雄牛」。剣先を下げねば。焦りを感じたそのとき、きらめく剣が己の脳天を打った。

 間抜けめ。自嘲しつつヨハンは暗闇の中へと落ちていった。

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