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嘘はたったヒトツだけ  作者: 野良にゃお
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第六話)依存の代償

第六話 依存の代償



 例えば、誰かの事を好きになったとする。すると、その誰かの事が徐々に気になりだし、気になって気になって仕方がなくなり、好きというバロメータがどんどん上昇していく。そしてそれは、いつしか頂点を迎えるに至るまで上り詰めていき、そこで漸く平行線へと変わる。


 しかし、そこは間違いなく頂点である筈なのに、平行に変わってしまったが為にその地点に慣れてしまい、そこが普通であるという錯覚にも似た思考が芽生えてしまうと、好きという想いが下降してしまったのではないかと感情を刺激してしまい、そのとおりそう思い込んでしまう事がある。そしてその思い込みは、時に残酷なまでに現実となる危険性を内包してはいるのだが、それは本人でも気づかない事だったりもする。残念ながら思考と感情はそのようにしてお互いを意識しあっているのだ。


 つまり恋愛とは、あやふやな思考とあやふやな感情の起伏の物語あり、破局してしまうか成熟するのかは実は相手ではなく自分自身の問題だったりもするという事なのかもしれない。


 では、奈美の場合はどうなのかというと、優矢への想いが頂点に到達したようにみえても、そこはまだ少しも頂点などではなく、そこを越えて尚も上昇していた。見えない頂上へと上昇を続けていく程に酸素は薄くなり、視野は狭くなり、幻覚じみた恍惚感と鏡合わせの不安感に支配され、しかしまるで桃源郷のような美しい世界に生きているかのような、登山やマラソンのそれにも通じるような感覚を、優矢を想う度に強く、深く、大きく感じてしまうといった状態だった。そしてその胸の高鳴りは、時間を待たずして激しさを増し、想いを上手く言葉にして伝えられなくて息苦しく、優矢の他には何も記憶に残らない程に優矢を見つめ続ける毎日。


 優矢と共に生きる毎日は、誰にとっても同じ筈の見慣れた景色すら劇的に変えてしまう程で、更にはそれだけでなく音も匂いも感触も、優矢が発する何もかもまでが、優矢の傍に居るというだけで目や鼻や耳などから脳へと心へと入り込む何もかもが、優矢が居ると居ないではあからさまに違っていた。


 それはつまり、奈美にとってはすぐ傍に優矢が居てくれさえすれば良く、すぐ傍で優矢を体感する事が出来れば良く、それはもう紛れもなく至福そのものなのであった。


 それ程に奈美は狂おしく、もはやそれは病的な程に、優矢のみを欲していた。もう優矢しか見えず、優矢しか考えられず、優矢に依存していると断言しても間違いではないであろうまでに、優矢の理想になろうとしていた。そうすれば、優矢は永遠に自分の傍に居てくれると思い込んでいたから。


 優矢と結ばれる事が叶ってからの奈美は、隠す事も抑える事も出来なくなっていた優矢への想いをそのままに、優矢のみを意識する時間を生きてきたのだが、優矢はそんな奈美を決して自分の言いなりにしようとはしなかった。しかしそれは、良い方へは転がらなかった。


 そうなると、奈美は何をすれば優矢が喜んでくれるのかが判らず、次第に不安が大きくなり、優矢からの愛情を知るにはどうすれば良いのかという考えに固執していった。永遠に独占したい。でも、束縛する勇気はない。自信もない。だから、傍に居て知ろうとまるでストーカーのように追い求め、いつしか優矢の優しさを利用して心を満たすようになってしまった。その結果、優矢が愛情で接してくれているのか優しさで関わってくれているのかが更に判らなくなり、不安が如実に膨らんでいってもはやそれは恐怖と呼べるまでに成り変わり、精神がグラグラと崩れゆくようになっていった。


 そんな心持ちは、ある一点までは途端にといった速さで膨らみ、そこから先は徐々に徐々にであったのだが、否応なく苛まれ、当たり前のように蝕まれていった。


 それによって奈美は、優矢に永遠に愛され続ける為のアイテムを渇望し始め、その過程で奈美にとっては精神が完全に崩壊しても不思議ではない程の事態を経験し、ただただ精神がある意味においては何の問題もなく崩壊していくだけという時間が流れていき、再び優矢に愛されるには何をすれば良いのかという難問の答えを見つけた頃には、その精神は自己満足と自己犠牲の違いすら判らないまでになっており、見境さえもつかなくなっていた。陥っていた。


 少なくとも。


 奈美本人ではもう、

 どうする事も出来ない程に。


「こういうマッタリとした感じってさ、凄い久しぶりだよぉー」

 つい先程、遅い朝食を終えた奈美と優矢は、再び部屋へと戻ってそのまま、二人きりの時間をすごしていた。

「なんか、眠くなってきちゃった」

 優矢に腕枕をしてもらいながら、ベッドの上でとりとめのない事を話していた奈美であったが、電話で話している時とは違い、今この時はすぐ傍に優矢が居るのだ。

「えへへ………」

 優矢が傍に居り、触れる事が出来るというこの状況は、奈美にとって電話のそれよりも幸せである事は間違いない。


「それなら、眠ってもイイよ」

 一方で優矢は、今朝おもいがけず見てしまったモノの答えを探している途中にあり、奈美の意図を思案している途中でもあったので、それによる多大な緊張を奈美に気づかれないようにすごしているところだった。


「でも、でもさ、寝てるところを見られるの恥ずかしいもん」

 優矢がそんな心持ちでいるとは知る由もない奈美は、自らが意図するままにそう言って甘えた。


「ならさ、目隠しとかしよっか? それなら、あっ、いやその………」

 それに対して何気なく返した優矢だったのだが、その途中で不自然に言葉を止めた。


「ん? ユウヤ、どうしたの?」

 この幸せな状況にどっぷり浸っている奈美は、さしたる疑問も抱かずにそのまま訊いた。


「え、あ、そ、それなら眠れるかなって」

 言いながら優矢は、自ら視界を遮るなんてと後悔していた。しかしそれでも、その流れに戻った。


「じゃあ、じゃあ、ユウヤに気づかれないようにコッソリ起きて、イタズラとかしちゃおっかな。昔みたいにさ」

 そう言いながら、奈美は顔を上げて優矢を窺う。

「なんかさ、ホントに昔に戻ったみたい」

 そして、そう続けて更に優矢の反応を窺った。


「う、うん。そう、だね」

 奈美が言う昔、つまり二人で暮らしていた頃の数々の記憶が、パラパラとページを捲り読みするかのように、断片的に脳の奥から浮かび上がってきていた優矢は、それ等の一つ一つに感情を激しく揺さぶられながら頭の下に敷いていたタオルを抜き取ると、揺さぶられ続けながら自身の顔を覆って視界を遮断した。明らかに動揺していた。

「こ、これで、後はイヤホンして音楽とか聴けばさ、昔みたいに、寝息も聴こえないし」

 視界を遮り、更に音までも遮断するという事がどういう事態に繋がるのか、優矢はそんな想像を交えながら思案を続けた。すると、浮かんでいた奈美の笑顔は悲しみを帯び始め、やがて怨みの表情へと歪んでいく。

「っ………」

 それがあまりにも現実的だったので、不安よりも恐怖が勝って跳び起きそうになったが、あくまでもそれは自分の勝手な想像だと言い聞かせてなんとか落ち着こうとした。


「うん。ユウヤはホントに優しいね」

 優矢のそんな心の動きにも気づかないままだった奈美は、柔らかな表情で優矢を見つめ直した。どうやら、優矢が昔を覚えてくれていた事に満足しているようだ。


「えっ、と、ううん。アネキの方が優しいよ」

 奈美のその言葉と声色でなんとなく落ち着きを取り戻した優矢は、努めて優しい声でそう返した。しかし、それは本心でもあった。


「ねぇ、ユウヤぁー」体調が良くなかったり、心細かったりして眠れないでいると、ユウヤはいつだってこうして傍に居てくれた。こうしていると、アタシはいつだって安心して眠る事ができた。


「ん?」


「え、あ、ううん。なんでもない」

 今もまた優矢の優しさに触れるに至った奈美は、そこに優矢の愛情を感じる事ができたような気がした。

「あうう………やっぱり、なんでもなくないかも」

 すると。次の欲望が顔を擡げ、更なる至福を得ようと主張を始める。


「えっ?!」

 その欲望に簡単に支配された奈美は、タオルを除けて奈美の様子を確認しようとしていた優矢を制するように抱きついた。


「アネキ? って急にそんな」

「………抱いてほしい、かも」


 そして、

 その欲望を声に乗せて告げた。


「えっ、と………」

「抱いてください」


「アネキ………」

 こういう展開になるとは想像していなかった優矢は、奈美の要求に戸惑ってしまい、それが声になってでてしまった。


「沢山シテください………」

 言いながら、奈美はどんどん恥ずかしくなっていった。そして少しだけ遅れて不安も感じていった。優矢の反応が曖昧だったので、沈黙の時間がとても長く感じられたからだ。しかし欲望は収まる気配を見せず、抑える術を考えはせず、優矢の胸に顔を埋めて表情のみを隠し、優矢の言葉を待つ事にした。


「………」

 その一方で優矢は、戸惑いを深めていた。特に今朝、おもいがけず目にしてしまったモノがあったので、奈美の意図というよりも真意が読めず、先程までの動揺も手伝ってどうしたら良いのか判らなくなっていた。


「あうう………またかよ。とか、思ってるの?」

 優矢が何も言わないので、拒否されたらどうしようという不安が確信を帯びて悲しみと苦しみのみになっていった奈美は、優矢の胸から顔を離して優矢を見つめた。その表情は、懇願に満ちていた。

「だって、だってさ、ユウヤが会ってくれないから! やっと会えたんだもん!」

 奈美の表情が、声が、悲しみと苦しみを帯びていく。


「いや、あの」

 それを感じとった優矢は、早く優しい言葉を奈美にかけなくてはと思った。

「その、それは」

 が、しかし。焦るばかりで浮かんでこない。


「あう、う」

 奈美も焦っていた。

「だから、ユウヤのせいだもん! んぐ」

 なので、強引に進めようと優矢の唇を自身の唇で塞いだ。優矢から拒否の言葉が出ないようにする為に。


「んぐっ………」

「んん………ん」


 途端に、優矢の脳内で今朝の事が小さく畳まれていき、奈美の真意を探る旅もその足を止めた。


「んっ、ん、んく」

 勿論それは、奈美への消せない想いからかもしれないし、想像していた事と真逆に違うという安堵感からかもしれないが、少なくとも戸惑いはその影を潜めていた。


「んはっ………んく」

 優矢の唇から名残惜しそうに唇を離した奈美は、もう既に意識が一点に集中しており、ウルウルした瞳で欲望の達成を求め見つめた。


「今度はユウヤから、だよ?」

「アネキ………」


「お願い、アナタぁ………」

「………ん」

 優矢はその願いを受け入れた。


「んっ………」

 昔、たしかにあった幸せを思い出しながら、奈美は今の悦びに溺れていった………。


 ………、


 ………、



 そして。



「………」

 ベッドの上、幸せそうに眠る奈美に腕枕をしながら、優矢は漸くといった感じで冷静になり、この後に起こりえる事を考え始めた。

 アネキと再会してから今の今に至るまで、不意に昔の事を思い浮かべるだけでなく、意識的に思い出させるような事が何度もあった。まるで、アネキにとってはこの家に泊まる事さえ既定路線であるかのように。思えば、何か次の段階に進むような事が起こった場合、そのアクションを起こすのはいつだってアネキで、いつだってオレはアネキが望む方を選択してきたつもりだったけど、その殆んどがオレ自身も願う方だったけれど、でも。二人にとってそれ等は良かった方だったのだろうか。アネキにとって拒否でしかない事で、オレにとっても拒否でしかない事だったとしても、二人にとってはその方が良いと思わざるをえない事だってあったのだ。例えば、アネキとオレが結ばれないままでいる事。そうしていれば、アネキは消えない傷を負うなんて事はなかっただろう。アネキは、オレのせいで深く傷ついてしまった。オレが傷つけてしまった。怨まれても仕方ない程に。憎まれても当然なまでに。それなのに、アネキは変わらず優しい。でも、オレは見てしまった。言うならばそれはきっと、今日この時はアネキからの最後の晩餐。ならば、次に控えているのは多分、最期の審判。アネキがオレに与えてくれるチケット、それにスタンプされてるであろう行き先は………。


「………」

 夢心地の中、優矢の腕枕で幸せな表情を浮かべながら、奈美は眠って………いなかった。脳内でこの先の事を冷静に反復していた。

 ユウヤはいつだって優しい。だから、その優しさから愛情の深さを知るには、抱いてもらうのが何よりも判りやすい。決しておざなりではなく、優しさだけでもないその時間と、その後の腕枕で、アタシはいつだってユウヤの心の中を感じようとしてきた。誰も交わる事のない、二人だけの時間と記憶。二人だけしか知らない時間と記憶。その量こそがアタシにとって最大の安心だった。たぶをきっとアタシは、いつだって限界ギリギリの所に立ってたんだと思う。崩壊はもう目と鼻の先、そう。


 残り僅か数センチ、ううん。

 たぶん、数ミリの所。かな。


 スタート地点が既にそんな状況で、けれど幸運にもユウヤと結ばれる事が出来て、アタシの精神は完全なる崩壊を免れた筈だった。それなのにすぐに新たな問題が襲ってきて、そのどれもが凄い厄介な問題ばかりで、精神を安定させる方法は唯一つ、結局はユウヤが愛してくれるという事。ユウヤから愛情を感じる事が出来なければ、アタシは生きてく事が出来ない。生きてく意味を、その理由を、その答えを、自分自身に提示する事が出来ない。だから、アタシはどんな事だってするの。ユウヤが望む事なら、何だって喜んで受け入れるよ。


 えっ、依存?


「………」うん。たしかにそうかも。そうだと思うよ。判ってるよそんな事。けれど、それがどうかしたの? 愛してるから愛されたい。だから、何でも言うとおりにする。愛してもらう為に。愛され続ける為に。それの何がイケナイの?


 ユウヤがアタシを選ばなかったら、

 どうするかですって?


 その時は選ばれない事を、

 素直に受け入れるのかですって?


 そうすればまたいつか、

 愛してもらえる。


 ………と、でも。


 思ってたのかって?


「………っ」そ、それは………思ってたわよ。だからあの時、受け入れたフリをしたんだもん! もう既に味わってしまったユウヤが与えてくれる幸せの数々を、アタシ以外の誰かが味わうなんて絶対にヤダ! 


 アタシは何だってするわよ!


「………」アタシは何だってするの。だから言ったでしょ? アタシ、限界なのよ。ヒトツ間違えただけでも、何が欲しいのか、何が目的なのか、何の為になのか、何もかもが判んなくなるくらいに、何を間違えてるのかさえも判んないくらいにね。


 でも、今はまだ大丈夫。

 たぶんきっと大丈夫よ。


 けれど。


 この先どうなるかは判んない。何が大丈夫なのか判んないもん。今は大丈夫って言えてるから、大丈夫だと思ってるだけなの。根拠なんてないの。だって、そんな事を考えても意味がないもん。アタシはユウヤに愛されたいの。その上で誰にも渡したくないの。


 誰かに盗られるくらいなら、

 死んだ方がマシかですって?


「………」そんなワケないでしょ! 死ねば誰かのモノになっちゃうもん。そんなのイヤに決まってるでしょ。ねぇ、アタシ言ったでしょ? アタシが独り占めするんだって!


 アタシね、

 独り占めする方法を見つけたの。


「………」ついこの間、やっと見つけ、ううん。違う。やっと、やっとやっとやっと与えられたのよ。そうよ、許されたのよ。アタシが独り占めする事を。


 だから、そうしてもイイの。

 だから、そうするつもりよ。

 だから、アタシのモノなの。


「………うふ」アタシだけのモノ。

「………?」えっ、と。アネ、キ?


 ………、


 ………。


 時間はそのまま音もなく流れていき、外はすっかり夕暮れと呼ばれる頃。一見すると仲の良い姉弟でしかない二人は、それぞれに思惑を内包させながら、それぞれに笑顔を絶やさないように努めながら、寄り添いながらもそれぞれに、時間を費やしていくのであった………。



      第六話 依存の代償  完

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