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その日の体育の時間だった。
ジャージに着替えていると、結が私の鎖骨の辺りを指差した。
「それ、まだ痛むの?」
私は何気なく貼ってある絆創膏の上から手を当てる。
そして、異変に気付いた。
「……いや、もうほとんど痛くないよ。ちょっと触ったら痛いかな、くらい」
気付かれないように細心の注意を払って表情を作る。結はきっと気付いていないだろう、
「そう、ならいいのよ」
と言うと、自分も着替えを始める。
でも私は、絆創膏の上の手をどかせずにいた。
その次の休み時間、トイレに入って絆創膏を剥がしてみた。
「……やっぱり」
口だけ動かして空気が震えた。壁にもたれかかった。
傷が、治っている。
あれは、一日や二日で完全に治るような傷じゃなかった筈だ。狼に甘噛みされて少しだけ血が出た程度の怪我だとしても、完治に一週間はかかるだろう。実際、結もそう言っていた。
なのに今は綺麗さっぱり、噛まれる前と全く同じ状態だなんて。
指先が冷たくなったのは、きっと血の気が引いたから。
ぞっとした。
自分の体に、今何が起きているかがわからない。自分のことを自分でわかれていない。
こんなに不安な気持ちになるのは、あの悪魔事件以来だ。
もし。もしもの話だけれど。
無意識のうちに誰かを傷つけていたなら。
思考のその先に蓋をするようにして私は絆創膏を貼り直した。
このことは、皆に……。
絶対言った方がいいに決まってる。でもそれで変に壁を作られるなら、いやだ。
……とりあえず、様子見ってことで。
変なことしないでよ、という意味をこめて絆創膏を軽く叩いた。
「遅い!」
放課後、選択教室へ行くと一角さんの怒号が飛んだ。
奥の方にはもう三人が座っている。……表情が何も言うな、彼に黙って従え、と言っている。
まあ、口答えすると色々面倒くさいからね、この人。
私も目でわかったと返す。
「何故俺が来た時、全員が揃っていないんだ」
だって来る予定だった日は昨日だったでしょう。急に今日来られてそんなこと言われても、困る。
言いたい気持ちをぐっと堪えて、心也の隣に座った。
そっと心也がよく頑張った、と小さく言ってくれた。
「昨日は悪かったな、どうしてもと言われたものだから」
一角さんは少し嫌そうな顔をして言った。誰か苦手な人にでも呼ばれていたんだろう。
「さぁ、調査報告を聞こうか」
そう言いながらどっかりと机に足を組んで座る。本当に態度が大きい人だ。
夜人がメモ帳片手に立ち上がる。ちらりと見えたそれには、特徴的な癖字が整列していた。
「結論から言うと、何が原因なのか見当はつきました」
「え、そうなの!?」
早くない!? しかも私、何も参加してないよっ!?
「あんたがあれだけのことを覚えるのにあんなに時間をかけてるからでしょ。もう終わっちゃったわよ」
えー……ちょっとついて行きたかったのに。
イライラしたように一角さんが口を開いた。
「ああもう、うるさいぞ。睦立、続けろ」
「はい。原因はコウモリだと思われます。一角さん、本部から何か連絡が来ていませんか?」
「……そういえば、一ヶ月くらい前に混血のヴァンパイアのコウモリが逃げ出したから探してくれ、という依頼が来ていたような気がするな。まだ捕獲されてなかった筈だ」
それを聞いて心也は軽く頷いた。
「きっとそれですー。彷徨ってここまで来て、どこかに隠れているんだと思います」
「ヴァンパイアの眷属だとしたら魔力も強いでしょうし……眷属になってもコウモリを手懐けるのは苦労します。それだけ凶悪な生き物なんです」
「イソップ童話のコウモリの話、御存知でしょう。『卑怯なコウモリ』。どっち付かずのことばかり言ってはぐらかし続ける話です。あやふやなものは、非常に怪異と近い関係にあります」
皆は淀みなく、すらすらと説明をしていく。私はそれを聞いているだけだ。
「いや、わかってる。俺よりも天羽に説明してやった方がいいぞ」
一角さんの目がこっちを向く。いや、うん、はい、わかんないですけど……。
私の心の声を読み取ったのか、結が説明してくれた。
「さっきも言ったように、コウモリってあやふやなのよ。怪異っていうのは、そういうグレーなところに現れやすいの。だから、あたしたちにとってコウモリはすごく危険な生き物だってこと。わかった?」
随分ざっくりした説明だったけど、まぁ、大体は。
「そのコウモリが、春咲市で悪さをしてるってことだよね?」
「まぁ、それくらいの理解でいいわ」
私がおおまかに内容を理解したところで、夜人が報告を続ける。
「位置は……心也と僕でこれから探します」
そう言って自分の鼻を指差す。そういえば人よりも鼻が利くんだっけ。心也もツキヨの力を借りたり……するのかな?
「見つけ次第駆除すればいいんですよね?」
「そうだ」
「一角さんは、もしもの時のためにいつでも連絡を取れるようにしておいてもらえると助かります」
「ああ」
「じゃあ、そういうことで」
え、ちょっと待って。
携帯番号お互い知ってますよっていうこと前提に話を進めているような気が……。
って、私まだ皆の連絡先、一つも知らない!
「あのう……」
恐る恐る手を挙げると、全員の目が私に向く。ちょっとしたホラー映画みたいだ。
「私、皆の携帯番号知りません」
そういうと、皆はっとしたように目を見開いた。やっぱり、みんな気付いてなかったのね……。
私は泣く泣く携帯を取り出したのだった。




