☆
私は無意識に両手を心也の頬に当てていた。小さいころに風邪を引いた時、おばあちゃんがよくこうしてくれた。
「本当に大丈夫? 寮まで送ろうか? なんなら無理にでも担いで保健室に行こう? きっとまだ保険医の先生いると思うんだけど」
「……うるせぇ」
その声音にぞくりとする。
いつもの優しい声じゃない、もっと刺々しくて低い声。
心也は舌打ちをしながら私の手を振り払い、壁に押し付けた。いつもより爪が少し長い気がする。それが手首に刺さって、チクリと痛みが走る。
え、これって、私結構ヤバい?
「し、心也……」
「俺、心也じゃねぇんだけど」
「どういうこと? だって、あなた心也じゃない」
そう言うと、彼はイライラしたように視線を向ける相手を私から床へと変えた。
「俺は名前なんて付いてない。アイツは勝手にツキヨって呼んでるがな」
アイツというのは、心也のことだろう。
じゃあやっぱり、
「あなたが、心也に取り憑いてるっていう狼男?」
「ああ、そうだよ。それよりも」
心也……いや、ツキヨは私の首の当たりに顔を寄せた。
「お前、うまそうな匂いがする。何か憑いてるだろ。しかもとびきりなの」
憑いてる? 私に?
それってもしかして怪異のこと……?
「なあ、ちょっと食わせろよ」
ツキヨの言葉に耳を疑う。
食わせろ? なんだそれは。
「少しだけ齧らせて貰うだけだし。お前ならすぐ治るだろ?」
どういう意味なの、普通の人間は食べられなんたりしないし、すぐなんて治らない。
私の同意も聞かずにぱかりとツキヨは口を開ける。鋭い犬歯が見えた。
掴まれている手は動かない。ツキヨに押さえつけられてるから、身じろぎもできない。
「いっ……!」
鎖骨の辺りに歯が刺さる。血が出た。
でも気を遣ってくれたんだろう、傷はそんなに深くない。
「偉いじゃねぇか。叫ばなかったのは褒めてやる」
「……当たり前でしょ、こんなの他の人に見られたら心也の人格を疑うもの」
これはツキヨが勝手にやっていることで、心也の意志ではないのだろう。
心也は大事な仲間だから、あんまり変な誤解をされたくない。ということは、誰かに見つからないことが最優先だ。
「それにしても、うまいな。もうちょっと食わせろ」
「は?」
「結構深く齧ったつもりだったのに、全然食えねぇんだもん。なんなの、お前」
なんなのって言われても……。加減してくれたんじゃないの?
「とりあえず動くなよ。動いたら死ぬかもしれないし」
それって首の急所ギリギリにかぶりつかれるってこと?
ツキヨの口がまた開けられる。とっさに止めた。
「やめてってば! 心也は? いないの? 話がしたいんだけど」
「アイツは今寝てるよ。新月と満月の夜は俺が出てくる約束だし」
「今日だけ特別に。駄目?」
「駄目」
ツキヨが私の首に口を寄せる。今度はさっきよりも数倍痛いだろう。
噛まれる……!
そう思って目をぎゅっとつぶったが、何も起きない。恐る恐る目を開けると、ツキヨは自分の手を噛んでいた。
「痛って……っ」
予想外のことに驚いたのか、私の手をパッと離す。
その隙に私は全力で玄関へ。
「あ、おい!」
声だけ聞けば心也なのに、心也じゃない。
もう、わけわかんない。
私はそのまま大急ぎで靴を履き、寮まで走った。
「どうしたの、そんなに急いで」
二一七号室のドアを開けると、結が驚いて迎えてくれた。
私の傷を見ると、さっと血相を変える。
「早く入って。とにかく手当てしなきゃ」
制服から私服に着替え結の前に座ると、彼女は早速消毒液を傷口に吹きかけた。
「痛ったい! もうちょっと優しく!」
「これでも優しくやってるのよ!」
付けすぎた液をティッシュで拭い取り、絆創膏を貼られる。
「まぁあんまり傷は深くなかったみたいだし、二、三日もしたら治るでしょう。……何かあったの?」
結の目が真剣になった。
私はさっき体験したことをそのまま話した。
どうやら心也は満月の夜と新月の夜はツキヨに体を貸しているらしいということ。そしてその時心也は出てこられなく、完全に体の支配権はツキヨにあること。
私の話を聞き終わると、結は難しそうな顔をした。
「……噂で聞いたことがあるわ。狼男は物凄い身体能力があって、人間それの数百倍まであるって。そして、」
そこで結は言葉を切り、私を見つめる。
「憑衣した人の精神を少しずつ喰らう……」
思わず息を呑んだ。
それって……ツキヨが心也の心を食べてるってこと?
「あくまでも噂よ、本当はそんなことないかもしれない」
「あ……うん、そう、噂だもんね!」
でも、頭の中に一つのことわざが浮かぶ。火のないところに煙は立たず。
もしそれが本当なら、心也はいつかツキヨに食べられちゃうってこと?
それはいやだ。
「とにかく明日心也に会ったらちゃんと訊くのよ、その……ツキヨのこと」
言われなくとも。




