第五章:龍太のいちばん長い一日(その1)
これと、あと2回の掲載で終わりです。
オレと真夜は四人目の新しい妹、基水素子を連れて家に帰った。
素子は寡黙で無表情な女の子で、必要最低限の言葉しか発してくれなかった。長い帰り道までの間に喋ってくれたことは、
「家出してここまで歩いてきて、疲れたからダンボールで寝泊まりしてたの。龍太お兄様ならきっと見つけてくれると願って」
「私は中学一年生。明日から県立北桜ケ丘学園中等部に通うよう、もう手続きは済んでる」
この二言だけ。
とにかくオレが中心になって話題を振ろうとしても、「うん」と首肯する程度か、無反応かのどちらか。
途中からその一方的な言葉のキャッチボールにオレは疲れてきたので、オレは言葉を投げかけるのを辞めた。そのため、家に着くまで真夜との会話もなくなってしまった。
上手く噛み合わない会話に、灰色ツインテールの髪。そしてダンボールにすっぽりとはまるほど小さくそして細い体つきのおかげで、見た目以上に素子は幼いように見えた。
これからどう接していけばいいのかわからない新しい妹に、今後接し方を変えていかなければならない妹が二人。
今後、オレにどういった日常がもたらされるか皆目見当がつかないまま、オレは家の扉を開けて玄関へと入っていった。
「「ただいま」」
「……お邪魔します」
オレと真夜の声のあとに、室内の環境音にかき消されてしまうかのような素子の声が続く。
ドタドタと階段を下りてくる足音が聞こえる。
茜と明だ。オレは少しだけ後ずさりしそうになるが、今はこらえる。
「あなたが基水素子さんなんですね」
「おー! 一歳違いって聞いてたけど、全然身長違うなあ。あたしの方が全然高いや」
階段を下りてきた茜と明は、さっそく素子を見てそう言った。
……ん、待てよ?
「茜も明も、新しい妹が来るって話だけじゃなくて、名前まで知ってるのか?」
「そりゃ当然だよ兄貴。なんてったって、さっきこんなファックスが届いたからね」
そう一枚の紙をひらひらとさせる明。その紙をオレに手渡す。
そこにはこう書かれていた。
「新しく来る妹の名前は基水素子と言う名前です。もしかしたら家の近くで迷っているかもしれないから、見かけたらよろしくね 母より」
「迷っていたのか……素子?」
「うん」
まさに迷っている所を真夜とオレが偶然見つけたという訳だ。
しかしこうもまた都合良くファックスが送られてくるとは思わなかった。
それと、恐れていた茜と明の態度がいつも通りすぎる。何だか違和感を覚える。
「茜と明、普通だけど私は不気味に感じる。一応、注意しておいた方がいいぞ」
耳元でそう囁く真夜。オレもそう思う。
ただ、今はいつも通りだから、現状は維持。
でも油断は禁物だ。
「ねえ、お兄ちゃん。素子さんの部屋を用意した方がいいんじゃないかな?」
そう言ってきたのは茜だった。
確か校舎屋上で弁当を食べている時もそんな話をしていた。さっさと準備しないといけない。
ただ、空き部屋は一つしか残っていない。しかも元々三つの空き部屋にあった使わない家具を集めた空き部屋だ。
色々と大変そうだし、家具を廊下に置くしかないかなあとオレが考えている時、素子が口を開いた。
「私は龍太お兄様の部屋で寝ればいいと思うのです」
驚くべき所なんだと思うけど、恐ろしいことに慣れてしまった自分がここにいた。
まるでゲームの攻略法のような手順だが、次に考えられるのはこれがアプローチで、オレのことを恋人にしたいとか何とか、素子もそういうことになるのだろうか。
それは歯車が狂っていればの話だけど、これじゃまるでSFかホラーにおける洗脳みたいなノリじゃないか。……もしかしたら本当にそうなのか?
ただ、ここの返答も今まで通りにいくべきだ。
「いや、素子。お前は女の子なんだから、別の部屋で寝ろ。部屋の手配ぐらいはオレがしてやるから」
実際、両親がいない今は、両親の寝室を使えばいい。
しかし素子は首を横に振る。
「いいえ、部屋があるとかないとか、そういう意味ではないのです。私は兄さんとただ寝たい。そして寝取ろうと思っているだけですが……そこに問題はありませんよね?」
ただでさえ静かな玄関から、サーッと音が消え去ったように思えた。
茜や明は驚いていないようだけど、少なくとも真夜とオレは驚いていた。
正直、そこには問題しかない。
「ダメだダメだダメだ。そんな女の子が寝取るなんてはしたないこと言ったらダメだ。とりあえず玄関でずっと立ってるのもアレだし、居間の方に行こうか」
オレは平常心を装いつつ、話題をそらすかのように素子に話しかけた。
居間の方へ素子を連れていくため、素子の背中を押す。
オレはその時になってようやく、素子の服が汚れていたことに気付いた。
そういえばダンボールの中で寝泊まりしていたんだったよな……。風呂に入れてあげる必要が素子にはある。
ただ流れに任せたら、また混浴状態になるという勘が働いた。
「真夜、素子を風呂に入れてあげてくれ。あと、茜でも明でもいいから、素子に合う服を持ってきてやってくれないか」
「ああ、うん。わかったよ兄貴」
「私の服はロリータファッションだけど、とりあえず合いそうなの持ってくるね」
そう言って茜と明は自分の部屋へと上がっていった。
「さ、素子ちゃん。お風呂に入ろうか」
真夜は素子の手をとり、浴室へと連れて行こうとした。
でも、その手を素子は払いのける。
「……私は風呂ぐらい、一人で入れます。……いえ、私は龍太お兄様と一緒にお風呂に入りたいと思っている」
そう言って、オレの腕に素子はぎゅっと抱きついてきた。
オレは少し素子の腕を振りほどこうとしたけれど、ガッチリと抱きつかれていて、なかなか離れない。
「龍太お兄様を寝とることが出来ないのなら、お風呂で事に及ぶしかないと私は思っているのです」
「だから、なんでそういう所ばかりにこだわるんだよ!?」
「それが、私達の計画だから」
「……計画?」
何だか聞き慣れない言葉が出たぞと思った。
その瞬間、オレに抱きついていた素子を、真夜はオレから無理矢理引き離し、さらに素子の腕をつかみ引っ張った。
真夜の引っ張る力が強いのか、素子は少しよろける。
「素子ちゃんはちょっと電波が入っている上に、駄々っ子な所があるな。兄さん、私が責任を持ってこいつを風呂にいれて綺麗にしてくる」
「真夜お姉様でしたか。あなたがそこまでする必要はありません。ですから先ほども言っているように私は一人もしくは龍太お兄様と……」
「いいから、入る!」
もう有無を言わさない勢いで真夜は素子を浴室へと連れて行った。
オレ以外にいなくなった玄関は途端に静寂を取り戻した。
玄関にいても仕方がないと思ったオレは居間に入って、ソファに座りくつろぐ。
ドタドタと階段から降りてくる足音が二人分聞こえてくる。
茜と明の二人だった。それぞれ、素子のための服を手に持っていた。
明はTシャツにショートパンツ。
茜は茜自身が来ているロリータファッションよりも少し着やすそうな……ただそれでもロリータファッションであることには変わらなさそうな服。
どちらも似合いそうではある。少し前なら興味本位で茜の服を選んでいたとは思うけど、今はそういうことをしている場合ではないから、ここは素子の自主性に任せようと思う。
「じゃあ、服はテーブルの上にでも置いといてよ。今さっき風呂に入ったばっかりだから、まだ出てこないと思う」
そうオレが言うと、茜と明はテーブルに服を置いたあと、何故か無表情のままこちらに近づいてきた。
虫の知らせというやつだろうか。その二人は先ほど玄関で喋っていた時と雰囲気がまるで違って、オレは一瞥しただなのに悪い予感がした。
「ん、どうかしたか?」
平静を装うつもりで、冷や汗をかきながら二人に語りかけるオレ。
この気持ちはもう表情に表れてるんだろうなあと、理解はしてても抑えられない。
「あのね、兄貴。さっきの素子ちゃんのことなんだけどね」
「私達で少し話あってみたんです。あの発言に対して」
明が喋り茜がその次に喋る。姉妹関係らしい見事なシンクロだなと思いつつ、話の内容に関してはうんうんと、とりあえず頷いて平静を装う。
「で、あたしたちが出した結論なんだけど、兄貴には受け取って欲しいと思うの」
「話にもよるけど……なんだ明、聞こうじゃないか?」
本当はここから先は聞きたくない。
だけど茜も明もオレに近寄りすぎて、正直ソファから立ち上がれない。
耳を塞ぎたいが、そんなのは余計に出来ない。
せーのという掛け声が、二人から同時に発せられた。
「「素子より先に、私・あたしたちを寝取って!」」
そう言った次の瞬間、茜がオレにのしかかる勢いで手や足の自由を奪いにいく。
突然の茜の行動に焦ったオレは、それを避けようとするが横には明がいて、無理だった。
そしてオレは茜によってソファに磔状態とされてしまった。
身動きが取れねえ。
てか、茜にもこんな力があったのかよ。軽い荷物しか持てないっていうのもアプローチの一環でしかなかったのか。
「な……なんのつもりだよ、茜、明ッ!」
「『なんのつもり』って兄貴……一番理解しているくせにぃー。今日、あたしが学校でやりかけたことの続きだよ」
そう言って明はシャツを脱ぎ始めた。まだ未発達な胸を隠すブラジャーが丸見えになる。そしてショートパンツのボタンをはずしてチャックを降ろし、ショートパンツも床に脱ぎ捨てる。
白の下着だけの姿となった明。次に取ったのは、オレのズボンのチャックを降ろしはじめることだった。
「明、やめろ! オレはそんなこと、一つも望んでない!」
「今まで兄貴はそういう目で見てきたくせに……?」
「ぐっ……違う、違うんだ。それは、つまるところ兄妹の絆で、結局の所、妹を家族として愛してるってだけなんだ! 辞めろ!」
ジタジタとオレは暴れてその場から脱出しようとするが、茜の力はすごく全く動くことが出来ない。
「辞めたくても兄貴が結局今までノロノロやってきたおかげで、こういうことになっちゃったんだから責任は取らないと」
「な……何を言ってるんだ!?」
「いや、兄貴の気にすることじゃないから、とりあえずあたしは兄貴のモノをもらうことにするね」
訳が分からないまま、妹によって最悪なことが起きてしまう。
最早、ここには愛なんて存在しない。
――万事休すか。
そう思った瞬間、浴室からものすごい勢いで居間に入ってくる人影が見えた。
急いで走ってきたことで、さらっとしたロングヘアーが激しく揺れる。そしてバスタオルを巻いた長身の女の子――真夜はその姿のまま片手で茜、片手で明の首根っこをつかみ、オレから二人をひきはがした。
「茜と明は何やってるんだ! そして兄さんも……」
真夜は「注意してくれと頼んだのに」と言おうとしていたのだろう。しかし当人たちの前で言う訳にはいかない……そんな言葉を押し殺した表情が見え隠れしていた。
「あ……ああ、そうだな。すまん。そしてありがとう。本当に助かったよ」
そう言いながらオレはソファから立ちあがって、ズボンのチャックを閉じた。
真夜をにらむ茜と明。
そしてにらみ返す真夜。
その様子を居間の手前にある廊下から覗くバスタオル姿の素子。
「……居間まで素子を連れてきてしまったし、テーブルの上のは素子の服か? ……とりあえずここで試着させようと思うから、男は退場してもらわないと」
そう言って真夜はオレにチラッと目配せをする。
なるほど、これは真夜の助け船だ。
この修羅場にオレがいては、もっと混沌としていくだけだから、とにかくここから離れた方がいいという、そういうメッセージだ。
「わかった……そりゃ着替え覗く趣味とか持ってないから、さっさと上にあがるよ」
オレはそう言って、ゆっくりとみんなの剣幕を見つめながら、居間から出て自室へと向かおうとした。
居間の入口にさしかかった時、オレの耳元で真夜が一瞬だが小さな声で囁いた。
「居間の声が聞こえる限界ギリギリの所までのぼって、居間から聞こえる声に集中しろ。それからの判断は任せる」
一瞬立ち止まって聞き返そうかと考えた。
しかしこれも真夜なりのフォローで、何か作戦を思いついたのだなと考えた。
オレはわずかに頷いたあと、居間を出て、階段を何段かのぼろうとした。
すると、ドンと大きな音が居間の方から聞こえた。
なんだという風にオレは考えながらニ階にさしかかる手前、居間の声がギリギリ聞こえる所で足を止めた。
居間には妹たち四人がいる。女が四人。
女達の戦いが始まる――そんなことが身内の中から出てくるとは想像だにしなかった。血で血を洗う骨肉の争いが起きそうだが、真夜は大丈夫なのか?
そして居間からは、彼女達の罵声が飛び交い、オレの耳にまでしっかりと届いた。
「茜も明もどうかしている! 計画の変更が伝えられたとはいえ、やっていい事と悪い事がある。これは人道的な問題に抵触している、もはや犯罪だ。」
「真夜姉さん、それは残念ながら矛盾した意見だとあたしは考えてるよ。確かに人道的に近づけというのは当初の計画案だったけど、予定が変更して『これ以上の計画を延ばすのは予算等に影響を及ぼすから、早急に終了させよ』だから、人道的な配慮は少し緩和されたとみていいんじゃないかなって、茜と考えたんだよ」
「そうです、真夜さん。それに例えば予算が尽きて計画がとん挫してしまえば、私たちの計画はなかったことになるのですよ? 何も成果を生み出さないより、私は明と一緒にS3計画を若干強引でも完遂させるべきだと思うのですよ」
「……茜ちゃんが自分の計画に『若干強引』と感じている時点で私は兄さんを巻き込むことをするべきではないと思う。そしてその部分と『早急に終了』は理屈としてイコールとして結ばれないからな」
「あーもう、真夜姉さんはさっきから屁理屈ばかり! 真夜姉さんもヤリたいって考えてた同志のクセに!」
「ち……違う! 私はお前たちみたいなハレンチな恋人宣言なんてしてないし、今後一切するつもりはない」
「では、真夜お姉様。私から質問するけど、あなたはこの計画……通称S3計画をどうするつもりですか? 真夜お姉様自身の意志では辞退することは出来ないはずですが」
「それは……追々考える。そして素子ちゃんも素子ちゃんで、もうハレンチな言い方はやめろ。兄さんがこれ以上怖がったら、それこそ計画なんて頓挫だろう」
「だから、頓挫の隙を与える前に私はさっさとやってしまおうと考えているのです。それに、これ以上は第三者にもバレる恐れもあり、それも危険。それと、私のことを今後一切『素子ちゃん』と呼ぶのを禁止します。確かに年齢は下ですが、計画の同志という点では同じはずです」
「わかった。じゃあ『素子』と呼ばせてもらう。」
「……それにしても、この計画を考えたのはそもそも誰だよ! あたし達はおかげで何ヶ月も遠回りしちゃって、増員までされちゃったじゃんかー」
「それは龍太お兄ちゃんの読みを完全に誤っていたってことだよね、明。研究者たちがこぞって……ただ、その辺は暮らしてみてすぐ納得出来た。でも私たちはそれでも、アレ以外の『龍太お兄ちゃんサンプル』を集めて部屋に保存することが出来た訳だから、そう考えるともう一息って感じだよね」
「そうだね、茜。もう一息……あ、良いこと思いついた。茜、ちょっとこっち来て」
「……おい、二人とも。また何か企むつもりか? ……って、やめろ、おい! 私を離せ、茜! 明は素子を連れてどこへ行く!? もしかして兄さんの所か!?」
「あたしと素子で一緒に採取しにいくね。真夜お姉ちゃん」
計画という単語は確か素子が言っていたか。
しかし、みんなもその言葉を知っているのか。知らないのはオレだけ?
いや、それより人道的とかサンプルとか同志とか何だよ。真夜はもしかして、オレにこれを聞かせたかったのか。
S3計画なんて、どこのゲームの専門用語だよ。
そうオレは聞き入りながら情報を整理していたが、そんなこと今してる場合じゃない。
明と素子がこっちへ向かっているんだ。
やばいやばいやばい。
もしかしてこれは、生命の危機ってやつじゃないのか。冗談抜きでさ。
居間の扉がまるで蹴破られたかのような音を立てて乱暴に開く。
その音が聞こえる直前ぐらいに、オレはニ階へ猛ダッシュ。学校から帰ったばかりでオレはまだ手に学生鞄を持ってて邪魔ではあったけど、置いたら何か色々探られそうだし、肌身離さず持っておこう。
妹達がニ階へ走ってくる足音が聞こえてくる。
しかしオレは居間の声が聞こえるギリギリの所にいたおかげで、何とか妹たちに気付かれずに部屋に入ることが出来た。
二階に来た妹達は、もちろん部屋を物色し始めるだろう。
「兄貴、部屋入るよ」
ガタンと扉が開く音がする。
「龍太お兄様、どこですか? もしかしてかくれんぼですか?」
「兄貴、何でこんな時にかくれんぼなんてやってるのさ? 出てきてよー」
そしてオレは妹たちの声が別の部屋から聞こえてくるのがわかった。
たぶんそこはオレの部屋だろう。
でもそこにオレはいない。
そう……オレはこの時、素子のために使おうとしていた空き部屋にいたのだ。
我が家唯一の空き部屋にして、隠れるには絶好のスペース。各部屋から集められた家具を壁に、内側に入ればこの部屋の入口からもオレは視認出来ない。
……妹をここまで恐れるのは正直情けないし、悔しい思いはするけど、色々と危ないんだ。なら、自室にこもるなんて安直な真似はしないさ。
空き部屋に隠れているという発想に至るまで、妹達は時間をかなり使うと思う。しかし、ここには長時間いる訳にはいかない。
いずれはどこかへは逃げなければいけない。どこへかなんて考えている暇はないが、とりあえず外だ。
外へ通じる道は二つ。玄関とこの部屋の窓。
窓から飛び降りればすぐ逃げられる。これは今からでも出来るが、正直やりたくはない。単純に二階から一階へ飛び降りること自体が怖い。ただ、庭があるので出来なくはないがケガをするかもしれない。
それに真夜を助けられないというのが、一番オレは辛い。今、どうなっているのかさえ、気になるのだ。
もう一つは玄関から出て行くこと。でも、二人に見つかったら……こんなこと、実の妹に対して考えたくないが、終わってしまうだろう。
しかしそのチャンスはいずれ訪れるはずだ。
そしてベストなのは、別の部屋に明と素子が入った隙をついて、オレがこの空き部屋から脱出し、廊下から階段、そのまま居間の方へと向かうこと。そして居間にいる真夜を助け出す。
きっとそれは出来るはずだ。
きっと。
そして扉が閉まる音がした。
「兄貴いないな。もしかして逃げたりとか?」
「さっきの会話や大きな音を聞いた。或いは明お姉様が押し倒したことがトラウマになって逃げているのかも」
「……素子ちゃんはあたしが原因って言いたい訳?」
「いえ、別にそういう訳では。あと明お姉様も『素子ちゃん』と呼ぶのは辞めて下さい」
素子と明の声が部屋に入ったと思われる時よりも鮮明に聞こえてきた。
つまり、いま彼女たちは廊下にいるということになる。
ここで二人が違う部屋へと入ってくれれば、助かるが、あえて空き部屋に入ろうものなら窓からすぐ飛び出す必要性が出てくる。
頼む……違う部屋っ!
「じゃあ、あたしの部屋に入ろうか。この部屋に侵入されると厄介だし」
明の声。つまり、茜と明の二人部屋に入るということだ。
何か厄介なもの……まあ女の子だし色々あるのだろう。それは考えないでおこう。そういや、あれだけベッタリと良かった時期でもオレから部屋に入ることはなかったな。
しかしこれで、オレはこの空き部屋から出て、真夜を助けにいけそうだ。
そのチャンスは今、巡ってきた。
そう思った矢先、次は素子の静かな声が聞こえてきた。
「いや、私は私の部屋に入る。龍太お兄様が会話を聞いてどこかの部屋に隠れているのなら、分散した方がいい。あの奥にある空き部屋が私の部屋?」
分散して探す……普通なら「賢い妹だなーよしよし」と褒めたくなるけど、この時ばかりはアホであって欲しかったな。
窓から出るしかないのか。
いや、まだ可能性は捨てきれない。
素子は二階に上がってきたのは今回が初めてなはずだ。なら、どこが空き部屋かなんて検討がつかないに決まっている。
コツコツと廊下を歩く音が二人分聞こえ、扉の開く音が遠くから聞こえた。たぶん、明が自分の部屋に入ったのだろう。
もう一人の足音がこちらに近づいてくる。
頼む。この部屋を選ぶな。
しかし、
「この部屋の扉が汚い。ということは、ここが空き部屋か」
掃除に夢中になる性格が仇になったということなのか、汚さでバレてしまうとは。
家具で隠れているとはいえ、探されたら見つかってしまう。
見つかってしまってからでは遅いのだ。
とにかく、オレは窓から庭へと飛び降りる選択肢以外残されてないようだ。
なら、さっさと飛び降りよう。
そう思ったオレは窓を、音が立たないようそっと開けて、鞄をまず庭へと投げて身を軽くし、飛び降りる準備をし始めた。
そして窓のフチに足を乗せて、フチを手でつかむ。その時、
「いた、明お姉様! 空き部屋に龍太お兄様がいる!」
素子の声からそんな大きな声が出るとは……とそこに驚いている場合ではない。
オレを捕まえるため、素子はオレを目から離さず、またタックルの構えになっていた。
逃げろとオレの本能が告げる。
「――っあ!」
窓のフチから手を離し足を宙に浮かせたオレは、重力に従って庭の方へと下降する。
こんな事は一生に一度も経験がなかったオレは、「死にそう」とマジメに考えてしまう。走馬灯が頭をよぎって、滞空時間が長く感じられる。
しかし、高い所から降りた猫のように、オレは綺麗に足から着地し、何事もなかったかのような体勢をすぐさまとる。
少し足に痺れを感じたが、骨折している訳ではなさそうだ。
自分の状態を確認した後、すぐさま傍に落ちてたバッグを拾う。
「明お姉様、龍太お兄様が窓から飛び降りた」
「なんだって!?」
空き部屋の窓から庭を見下ろす二人の妹が見える。しかし気にしている場合じゃない。さっさと玄関の方へと行こう。
すぐ行けば、真夜を助け出すことが出来るかもしれない。
しかしいざ玄関の方へ行くと、外からでも廊下か階段を走っている音が聞こえてきた。
今、家の中に入れば、少なくとも明と素子には、鉢合わせしてしまうだろう。
そうなると、真夜を助けるなんてことは出来そうにない。
「すまん、真夜! でも、すぐ助けに行くからなー!」
そうオレは居間にいる真夜に聞こえるよう叫んで、唇を噛みしめる思いでその場から立ち去った。
今のオレじゃ、どうすることも出来ない。
窓から飛び降りたオレは靴下のままで、夏の日差しに熱せられていたコンクリートの熱さを足の裏で感じることが出来た。
足の裏はヤケドしそうに熱かった。でも、そんなこと気にしてる場合じゃない。
走らなければ追いつかれる。そして何をされるかわからない。
真夜の助けは、今度はない。
そういう恐怖心からオレは走りに走りまくったが、何も意識せずアテもなく走っていたため、靴下に穴が開いて、さらにコンクリートの熱さを感じたことで、我に返って落ち着き、ようやく立ち止まることを考えた。
気付けばここは、普段は通らない川沿いの道だ。
足はもう限界なぐらい痛いし、汗で服が肌にはりつくし、鼓動も早く息をすることすら苦しかったので、とりあえずその道の傍にある草むらに寝転ぶ。
そして呼吸のタイミングを整えるために、深呼吸。
ここまで来れば、今は大丈夫だとは思う。
ただ、まだ追いかけていれば、いずれ見つかってしまう恐れがあるから、いつかは移動しよう。
目の前には学校のグランド並みに大きく広い川がゆったりとした感じに流れている。
その川のせせらぎや風の音が耳に入ってくる。
ガタンガタンと遠くの方から、陸橋を渡る電車の音が聞こえてくる。
その音は人によって心地よいリズムを奏でてくれるのかもしれない。
でも今のオレには心の虚しさを奏でているかのように聞こえてきた。
妹たちの前でオレは無力で、逃げるしかなかった。
真夜には助けてもらってばかり。
オレには本当に何も出来ないのか?
妹たちの会話から何かつかめるかもしれないと少しだけ考えてみるけど、具体的な名称はS3計画のみで、これだけじゃ何が何やらだ。
あとは、サンプルだとか計画の変更だとか同志だとか。そして態度をじょじょに急変させ、強引になってきたことも何だか意図的なものを感じる。
狂った歯車の原因が何なのか、もう少しでわかりそうな感じはする。
でも、まだ揃ってないパズルのピースでパズルを完成しようとする、そんな感覚になる。
強引な態度の先に見える行為。
それは、妹と超えてはいけない一線だと思う。
これは世間のモラル以前に、妹好きのオレのバカな願望でもある。
そういうことをやっちゃうのは、野蛮な獣と変わらないはずなんだ。それでは兄妹の絆も、愛でるということも、おかしなものとなる。
でも今からオレはどうすればいい?
このまま戻っても仕方ないぞ。
そう考えにふけっていたとき、突然、鞄の中の携帯が鳴りだした。
もしかしたら妹たちの誰かかもしれない。そう思って表示を見ると「杜若花音」の名前が携帯の液晶画面に表示されていた。
杜若から電話なんて珍しい。
そう思いながら、ピッと通話ボタンを押した。
「もしもし、改発?」
「ああ、オレだよ」
「今、忙しかったりする?」
「ああ、それなりに忙しいけど、電話で喋られないって程じゃないかな。どうしたんだ杜若? そっちから電話なんて珍しいじゃないか」
「うん……ちょっと訳があってね。実は学校で話そうと思ってたこと、決心がついたから喋ろうって思って電話したの」
「それはもしかして……理想の妹のモノマネのこと?」
「うっ……言われるとやっぱり恥ずかしいけど、そう、それ。私の黒歴史って感じのやつ。でもああやって唐突にやったのには理由があったのよ。で、その理由を詳しく話したいから、私の家へ来ないかっていうことを伝えたかったんだけど、忙しいなら無理かな」
「あ、でもさ……」
そう言ってオレは周辺を見渡し、とある一軒家を見つめる。
「今、お前の家が見える所にいるんだ。丁度、川辺の所だからさ」
「ホント!? ……じゃあすぐ来れるじゃん!」
しかしオレはすぐ返事をしなかった。
このまま会話を続けていけば、たぶんオレは杜若の家に行くことになると思う。
だけど、真夜が捕えられている今、そういうことをするのは無神経にも程があるんじゃないのか?
だからと言って、今のオレには何が出来るのか……。
「そっちはどうだー、素子」
「龍太お兄様は見つかりません」
えっ、もうここまで来たのか!?
これじゃあ、くよくよと迷ってる場合じゃない。
巻き込む形になっちゃうけど、杜若の家にかくまってもらうしかなさそうだ。
「あ、でも忙しくなくなったかも。でもオレ、靴はかないまま家から出ちゃってるんだ。だから足汚いけど、別にいいよな?」
「いや、よくない……って靴はかないままそんな所まで来て、それでいて忙しいの? 変なの。家に一度取りに戻ってついでに足洗ってくればいいじゃん」
「今、家で妹たちがケンカしはじめちゃって、家に入れそうにないんだ。それを止めるため色々と考えてて、忙しい。」
その時、オレの後方には茜と素子がいた。まだ気付かれてないが、ギリギリのラインだ。
「……あの妹さんたちもケンカするのね。まあ、いいわ。はだしでも良いよ。その代わり、家に入る前に足洗ってもらうね。別に時間そこまで取るつもりもないから、じゃあ待ってるね」
そう言って、杜若は電話を切った。
とりあえず妹達には見つからないように、オレは杜若の家を目指した。




