第44話 太陽の果実、恋の行方
突然病室に現れた小坂君にびっくりして、助けを求めるように虎太郎ちゃんに情けない視線を向ける。
まだ小坂君と普通に接する覚悟ができていなくて、不安に胸が押しつぶされそうになる。
そんな私の気持ちを、言葉にしなくても汲み取ってくれた虎太郎ちゃんが上手く小坂君を帰してくれた。
二人して小坂君が消えた扉を眺める。虎太郎ちゃんがふぅーっとため息をついて、ベッドに座って少し高い位置にいる私を上目使いに見てくる。
「よかったのか? 追い返して」
虎太郎ちゃんがばつが悪そうに言って首を傾げる。私は曲げた膝の上にぱふっと顔を乗せて、シーツでくぐもった声を出す。
「うん……」
昨日、目覚めたら病院のベッドの中で、お母さんとお父さんが心配そうな顔で私の横に立っていた。部活中に倒れたと聞いて、そうだったのか――とか、どこか他人事のように考える。
夏休みになってから、夜はろくに眠れず食欲もあまりなかった。だから倒れても仕方がなかったのかもしれない……
一人になるのが怖くて、夜はなかなか寝むる事が出来なかったけど、朝になると虎太郎ちゃんが迎えに来てくれるから、笑って部活に行くことが出来た。
シーツからちらっと顔を上げると、虎太郎ちゃんがあまりに優しげな顔で私を見ているからドキンッと胸が跳ねる。
愛おしい――そんな瞳で見られて、私の心は切なく締め付けられる。
この二週間、虎太郎ちゃんがずっと側にいてくれたから私はどうにか笑う事が出来た。虎太郎ちゃんの側にいると胸がほかほかして温かくて、とっても安心するの。この気持ちは、なんなんだろう……
じぃーっと見ていたからだろうか、虎太郎ちゃんが私の頭をわさわさって撫でてくれる。
「辛かったら辛いって言えばいい。寂しければ俺が側にいてやる。だから無理するなよ……」
虎太郎ちゃんの優しさが沁みわたって、泣きたい気持ちになる。
「うん……」
私はまた顔を伏せて、小さな声で頷いた。
※
次の日も、その次の日も小坂君は病室にお見舞いに来てくれたけど、私は小坂君と向き合う覚悟が出来てなくて、話すことは出来なかった。
入院中、毎日来てくれた小坂君を私は追い返し、ギクシャクしたまま夏休みは終わってしまった。
九月になったといっても日中はまだ汗ばむような暑さで、太陽の日差しが眩しかった。少しずつ風が秋の匂いを連れてくることに気が付いていたけど、私達の関係は、あの夏の日から止まったままだった――
小坂君とは、部活で顔を合わせるけど、ほとんど会話を交わすことはなくなった。
虎太郎ちゃんとは、一緒に登下校するようになり、放課後や休みの日も一緒に過ごすことが多くなった。虎太郎ちゃんの優しさに甘えて、私はずるい子だと思っていた。虎太郎ちゃんには他校の彼女がいるんだから、こんな風に虎太郎ちゃんを独占するのはよくないと思ったけど、虎太郎ちゃんに彼女とはだいぶ前に別れているって言われて、安心――というか納得した。
虎太郎ちゃんが時々寂しげな顔をするのは、好きな彼女のことを想って――?
お互いただ寂しさを埋めるように側にいたけど、それはとても居心地がよくて――初めて虎太郎ちゃんと幼馴染と知った時の不思議な感覚に似ていた。
覚えていないけど、心の奥の見えない絆で結ばれている様な――
私は虎太郎ちゃんのことが好き――第一印象は掴みどころがなくて不思議な人、あまり笑わないし口数も少なくて無愛想。だけど本当はとっても優しい人だという事を、今は知っているから。時々からかわれたりもするけど、虎太郎ちゃんが私を見る目はいつも優しい。
穏やかで温かい――こんな好きの形もあるんだと思った。男とか女とかじゃなくて、一人の人間として尊敬し、とても信頼している。この関係がいつまでも続いたらいいと思った。
ただ、虎太郎ちゃんと一緒にいる時間が増えてファンクラブの女子達から今まで以上に鋭い視線で睨まれることが多くなったのは確かで……虎太郎ちゃんのことを好きな子達にとって私は目障りだったんだろう。だけど、その子達のために虎太郎ちゃんの傍から離れようとは思わなかった。
※
「芽依、本当に小坂君とは別れたの……?」
退院してしばらくして、夏凛が心配そうに眉根を寄せて聞いてきた。
夏凛にはいつも小坂君とのことを応援してもらっていたのに、ずっと別れた事を話せていなかったから、申し訳なくなる。
「うん……ごめんね、ずっと言わなくて……」
「それは……辛かったからでしょ。でも本当に別れていいの?」
昼休みはほとんど人が通らない中庭の渡り廊下の裏側で、二人並んで話している。私は足元の草に視線を向けたまま、ゆっくりと頷いた。
「まだ……小坂君のことは好きだよ。だけど、好きなだけじゃダメなんだよ。私じゃ小坂君のこと全部を理解してあげられなくて、いつも怒らせてばかり……」
「そんなの、当たり前のことだよ! 友達同士だって全部を分かり合っている訳じゃないでしょ!? 分からないからこそ……分かり合いたいって思うからこそ惹かれるんでしょ――?」
夏凛が膝の上に乗せていた私の手を握って、喋る声が感情的にだんだん大きくなってくる。
分かり合いたいって思うからこそ惹かれる――
そうなのかな? ざわりと鳥肌が立つ。
でも、どんなに頑張っても分かり合えなかったら――同じ未来を見つめられなかったら、意味がないんじゃないかな?
黙り込んだ私に、夏凛が顔を俯かせ消えそうな小さな声で尋ねる。
「――田中君と、付き合うの?」
「えっ……?」
「芽依は知らなかったかもしれないけど、体育祭が終わった後から噂が流れていたのよ。芽依が小坂君と田中君と二股かけてるって――。もちろん私は芽依がそんな子じゃないって知ってるから、そんな噂は信じなかったけど……」
夏凛から聞かされた噂に、片眉を上げる。
「なに、その噂……私、そんな噂が流れていたこと、知らない」
「田中君がそれとなく否定していたし、ファンクラブが圧力かけて噂させないようにしたらしいよ」
体育祭の後――その言葉に思い当たることがあった。
虎太郎ちゃんが私に対してよそよそしい態度になったのが、ちょうど――体育祭の後だった!
橋本さんは憎しみをこめて射抜くような視線で私を睨んでいたっけ……
女子が私と虎太郎ちゃんを見て何か囁いているのには気づいていたけど――私の噂だったのか……
私が二股――? 小坂君と虎太郎ちゃんを――?
そんなのありえない事だけど、噂にされる原因にもいくつか思い当ることがある。
「なにそれ……」
誰かに言った訳ではなく、ぽつりと呟く。
じゃあ、虎太郎ちゃんが私を避けてたのは、噂が広がらないようにするため? わざと私との距離を置いていたの? 私のため――
その時になって、ずっと前から虎太郎ちゃんに守られていた事に気づいて、胸がきゅーっと締め付けられる。
なにそれ――虎太郎ちゃんの優しさが切なくて愛おしくて、涙が溢れてくる。
私は夏凛に気づかれないように手の甲でさっと目元を拭う。
「田中君と付き合うの……?」
夏凛が私をまっすぐに見て、もう一度尋ねる。夏凛の表情が曇っている事に気づいて、私は言葉を選ぶように口を開く。
「虎太郎ちゃんと私は……幼馴染だよ」
「本当に? だって最近ずっと一緒にいるし。付き合いはじめたんじゃないの? 私には……言えない?」
夏凛の瞳が切なく揺れて、私は苦笑する。
「ほんとにそんなんじゃないよ。確かに私は虎太郎ちゃんの事好きだけど、それは幼馴染としてだし……」
そう言った自分の言葉に、ツキンっと痛んだ胸に気づかないふりをする。
「虎太郎ちゃんからも、好きとか付き合おうなんて言われていないんだよ? 虎太郎ちゃんはね、いまでも前の彼女を忘れられないんだ――って、そう聞いたことがあるよ」
愛おしそうに好きな人の話をしてた虎太郎ちゃんを思い出す。
「そっか――」
ふっと笑って言った夏凛は、立ち上がって空に向かって大きく伸びをする。
「ねえ、夏凛ってもしかして――」
そう言った私の言葉を遮るように、振り返った夏凛は笑顔を見せて唇に人差し指を当てる。
“秘密だよ――”
その顔は切なくて、今まで見た夏凛の笑顔の中で一番綺麗だった。
どこまでも広がる空は澄みわたるスカイブルー。深いブルーの背景に、夏凛の笑顔が眩しかった。




