第40話 叶わない恋 <虎太郎side-8>
よく、初恋は実らないって言うけど、本当だな――
そんなことを思って苦笑する。
一年ぶりに会った大庭――失われた恋だけど……もう終わった恋だけど、会うと心がざわめき立った。
やっぱり先輩とよりを戻したのかという少しの落胆と、本気で好きだったんだという切なさ。
俺はすでに大庭への気持ちを断ち切って前に進んでいると思っていたけど、それは錯覚だったのだろうか。今、胸に抱える気持ちは幻覚なのだろうか――
心が揺さぶられて、自分の気持ちが分からなくて情緒不安定だった。
大庭には、未練も何もないようにさよならを告げたけど、心の中はボロボロだった。
揺れている自分の感情に苛立ちながら家路に着くと、玄関前に誰かが座っているのが見える。
玄関前にいるのが芽依だと気づいて、心が大きく揺さぶられる。今は気持ちがもやもやしていて、この場を早くやり過ごそうと平静を装う。
「芽依……? なにやってんだ、こんなとこで」
芽依は膝を抱えるようにして地面を見つめている。ゆっくりと顔を上げた芽依は、ポケットから何かを取り出して俺に差し出す。
俺は無言で受け取り、手のひらのメモ書きをさっと読む。そこには、うちの親と芽依の両親が旅行に行くから俺の家で留守番するようにと書かれていた。
「そういう訳だから、家に入れて」
芽依はあまり元気がない声で言って、また俯く。
「あー、そういえば言ってたか? 旅行に行くって……」
昨晩、えらく母さんがはしゃいでたのを思い出して言うと、芽依がくすりと笑って顔を上げて視線が合う。
いきなり芽依が目の前に現れて戸惑っていたが、芽依の様子がおかしい事――目が赤く腫れている事に気づいた。
「うん。しばらくお世話になります」
「じーちゃん達に挨拶する?」
メモにじーちゃん達に挨拶するようにって書いてあったから聞いてみる。
「う、うん」
「入って」
芽依の返事を聞いて、鞄から鍵を出して玄関を開ける。芽依が家に来ることに抵抗がない訳ではないが、いつまでも外にいるわけにもいかないから、とりあえず家に入るように促す。
じーちゃん達は一緒に住んでいても、一階と二階で完全に生活空間が別れているから、ほとんど会うことがない。まあ、俺の帰りが遅いからっていうのも理由の一つだけど。
捕まると話が長くてなかなか部屋に戻れなくなるから、廊下から声をかけて素早く部屋に向かう。
芽依は黙って俺の後ろを付いてきて――約一ヵ月ぶりに俺の部屋に来た。
俺は脱いだブレザーをハンガーにかけて壁に掛けて、どさりとベッドに腰掛ける。芽依は部屋の中央、扉を背にローテーブルの前に座っている。
「しかし、俺達の親は何考えてんだろうな……」
言いながらため息をついて、前髪をかきあげて天井を仰ぐ。
「いちおう年頃の息子と娘を置いて旅行に行くなんて」
玄関に芽依がいた時はどうしようかと動揺したけど、こうして芽依と二人っきりになっても、案外冷静でいられる自分に苦笑する。
なんだ、俺、結構冷静じゃね――
ついさっきまでは、大庭に偶然再会してやりきれない気持ちで胸が押しつぶされそうで、自分の気持ちすら見失いそうだっあけど、芽依を目の前にしたら、こんなに余裕たっぷりでいられるんだ。
たぶんそれは――俺がこの恋を、叶えるつもりがないから。一生、秘めるつもりの恋だから。
そんなことを考えて――はっとする。
いままで、ずっと芽依のことを見守っていた。それは大切な幼馴染だから――そう自分に言い聞かせていた。だけど本当は、出会った時からずっと惹かれていたんだ。幼馴染とかそんなんじゃなくて、一人の人間として――
この時になって俺は、初めて自分の気持ちを自覚した。
俺は芽依のことが好きなんだ――
「まあ、おじいちゃん達がいるから二人っきりじゃないし。うちはお父さんもお母さんも滅多に旅行とか行けないから楽しんできてほしいな。それに、私と虎太郎ちゃんの間に何かあるとも思ってないんじゃない? 幼馴染ってより兄妹みたいに育った小さい頃のイメージのままなんだよ」
芽依は一生懸命フォロー? している。そんな芽依を、自分の気持ちを自覚してしまった俺は、一瞬、真剣な光を宿して芽依を見る。
「その逆かも――」
意味深に言って、甘い瞳で芽依を見つめる。芽依は意味が分からないというように首をかしげるから、にやっと頬を緩めて意地悪な笑みを浮かべる。
「俺と芽依が付き合えばいい――とか?」
「えっ!?」
芽依が驚いて大きな声を出す。あたふたと視線をそらして、芽依が動揺して喋る。
「だって、虎太郎ちゃんには彼女がいるし、私にも……」
顔を赤くしてくれるとか、そんなリアクションを求めていた訳じゃい。ちょっとからかっただけなんだ。
それなのに、芽依が言った言葉が胸に鋭く突き刺さる。
芽依に彼氏がいること――芽依が好きなのは小坂だと言う事実が、俺の胸を切なく痛める。
それに……
めいは俺に彼女がいる――って噂を知っているのか!?
実際は大庭とは別れてるし、芽依と俺の噂を消すためのデマなんだが、芽依に知られていたことに動揺を隠せない。
「どうしたの――?」
眉根を寄せて芽依を凝視する俺に、体育座りで腕で足を抱えている芽依が訝しげに尋ねる。
「なにかあったの?」
困惑から心配げに揺れる芽依の瞳は赤いから、俺は探る様な声でそっくりそのまま聞き返す。
「芽依は――なんかあった?」
「えっ、私!?」
まさか聞き返されるとは思わなかったのか、驚いた声をあげる芽依。
「目が赤い。泣いたのか?」
「なっ、何もないよ……」
俺の言葉に、ぱっと俯いた芽依の声は震えている。
芽依がなんで泣いたのかなんて、一秒も考えなくたってすぐに想像が出来る。
芽依が小坂のことを想って泣くのなら、俺の役目は芽依を慰めることか――
気持ちを伝えるつもりはなくても、こんな役はなんだか損でため息が漏れる。こんなことを続けてて、俺の心はいつまでこの苦しみに耐えられるだろうか……
さっきのことを必死で考えないようにして、弱々しい声で否定する。
ベッドから立ち上がり、俯く芽依のすぐ側しゃがむ。
「どうせ小坂のことだろ? 言ってみろよ。なに? また喧嘩したのか?」
まっ、仕方ないか――と思って芽依の頭を優しくなでる。
しばらくの沈黙を挟んで、芽依が震える声で何か言ったんだが、あまりに小さな声で聞き取れなくて聞き返す。
「……別れようって……言われたの」
そう言って顔を上げた芽依は、瞳にいっぱいの涙を浮かべ、頬がぐしょぐよに濡れている。
「私は本当は虎太郎ちゃんの事が好きで、小坂君は私の側にいるのが辛いからって言うの。一緒にいても傷付け合うだけだから別れようって……」
な、んだ、それは――
芽依の言っていることが信じられなくて、呆然とする。
「私が好きなのは小坂君なのに……どうして側にいられないのぉ――」
悲痛に叫んだ芽依は、息がつまるほど大きく泣き叫ぶ。
俺は芽依の口から出た言葉が信じられなくて大きく目を見開く。
「芽依が俺を――? 小坂がそう言ったのか?」
分からない――どうやったら小坂はそんな勘違いをするんだ。
今だって、小坂の言葉に傷ついて泣いているのは小坂が好きだからで――
どうして、小坂は芽依の気持ちが分からないんだ――?
こんなに単純でまっすぐで、小坂のことしか見えていないのに。
別れた? 側にいられない?
芽依は泣きすぎで喋れないのか、俺の問いかけに首で頷いて見せる。
はっ、何だそれ……
むせび泣く芽依があまりに痛々しくて、胸が苦しくなる。
こんな芽依を見たら、どんなに小坂を想っているのか明確なのに――何も出来ない自分が歯がゆくて、苛立ちの矛先がすべて小坂に向かう。
くだらない事言って、芽依を泣かせてんじゃねえよ……
芽依の気持ちを信じないで、その手を離すって言うのなら――
俺は芽依の肩を強く掴んで引き寄せると、胸の中に抱きしめる。
激情に気持ちが抑えられなくて、芽依の頭に頬を寄せる。
突然抱きしめたから、芽依が俺の腕の中で身じろぐ。
「虎太郎ちゃん……?」
不安げに俺の名前を呼ぶから、少しだけ腕の力を緩める。芽依は俺の胸から顔を離してそっと振り仰ぐ。
至近距離で、切なく揺れる芽依の瞳を見下ろす。俺の瞳も悲痛の色を浮かべているかもしれない。
涙でぬれた頬は桃色に染まっている。唇は艶やかな――
芽依、泣くな……
心の中でそっと囁いて顔を近づける。芽依は瞬きもしないで、潤んだ瞳で俺をじぃーっと見つめていた。
芽依――恋しくて愛おしくて、切なくて、胸が苦しい。
こんなに側にいるのに、俺の想いは一生叶わないんだ。だけど……
また少し、距離を縮める。一センチ、一センチと俺と芽依の顔が近づいていく。
だけど……小坂が芽依の隣から降りるって言うのなら、俺は俺のポジションで芽依の側にいるだけだ。
悲しいと泣いている。寂しいと泣いている。そんな芽依を見ているのが辛くて、ただ一瞬でいい――今だけでいいから、芽依を一番近くに感じていたかった。
息がかかりそうなほど顔が近づいて――唇が触れる瞬間、どちらからともなく瞳を閉じる。
唇と唇が触れ合い、深く重ね合う――
俺が口づけると、芽依が遠慮がちに俺の背中に腕を回してしがみついてくる。そんな動作すら愛おしくて、背中にまわしていた手をゆっくりと頭に移動させ、芽依の長くてサラサラの髪をすく。
「芽依――」
好きだ――その言葉は、胸の中でそっと囁く。口に出して言うことはない想い。ただ名前を呼ぶだけで、俺の気持ちが伝わっていてくれればいいと願って、大事に抱きしめる。
永遠に感じたキス――唇を離すと、芽依が涙で濡れた瞳でうっとりとして俺を見つめているから、衝動のまま芽依を押し倒す。
突然のことに、芽依が大きく目を見開いた。
「――――っ」
今だけは君を愛す事を、許して――