第39話 失われた恋 <虎太郎side-7>
終業式の帰り、有沢とららぽーとに買い物に行った。学校帰りに友達とどこかに寄るなんて滅多にすることじゃなくて、特になにかを買いたかった訳じゃないけど、有沢に誘われて行くと即答した。
体育祭後に流れた噂は、夏休みを目前にほとんど聞くことがなくなっていた。
芽依と距離を置いて接するようにした一ヵ月半――離れれば、少しは芽依に対する気持ちがなかったことになるかと思ったけど、動き出した気持ちは減速することを知らなくて。
“叶わない恋だから、諦めよう”
そう思えば思うほど、好きだという気持ちが強くなってくる。例え、この気持ちを伝えることが出来なくても、今の関係のまま手の届くところにいてくれればいいんだ。
辛い訳がない――
芽依の瞳には小坂しか映ってなくて、俺の方に振り向いてくれることは一生ないだろう――だけど、傷つかない恋なんてないから。気持ちを失くすよりも、この切ない想いを胸に抱いて側にいられるだけでいいんだ。
久しぶりに来たららぽーとは改装されたのか以前来た時と雰囲気が変わっていて、知っている店の場所も変わっていた。ただでさえ広くて迷いそうなんだ。どの店を回るか目星をつけて歩かないと、あっという間に疲れてしまう。
まあ、有沢は俺と違ってららぽーとにはよく来るらしいから、ついていけば間違いはないだろう。
服の店をいくつか回って十二時過ぎ、腹が減ってマックで昼飯を食べる。終業式の昼ということで、店内は学生で溢れている。
俺は照り焼きバーガーのLLセットを頼む。最近また少し背が伸び始めて、食っても食っても腹が減るくらいだ。
向かいに座った有沢のトレーに目を向けると、有沢はエビカツバーガーのMMセットとハンバーガーが一つ。量的には同じくらいだろう。
「田中は夏休み、どーするんだ?」
聞かれて、俺は素っ気なく答える。
「ほとんど部活」
「あはは、大変だな」
「そういう有沢はどうなんだ?」
「俺はバイト三昧かな~。まっ、休みの日は遊ぼうぜ。俺、プールと海行きてぇ」
食べ終わったバーガーの包み紙を丸めて、ポテトを出した箱の中に入れる。
ずずーっとドリンクを口に含んでから、苦笑する。
「有沢、去年も同じこと言ってただろ」
疑問形じゃなくて、呆れ気味に言って笑う。
「去年はプールしか行けなかったから、今年は海も必ず行くっ!」
意気込んでいる有沢に、俺は思いつきで言う。
「海行くなら、海の家でバイトしたらいいんじゃね」
有沢はポテトを口に入れようとして、大きな口を開けて俺を見つめる。
「それ……いいな。水着の天国、真夏の楽園! 海の家に来た女の子と仲良くなる!」
だらしないくらい口元を緩ませて、瞳を輝かせて海の家の良さを熱弁する有沢に、俺は興味なさそうにあしらう。
「まっ、頑張れよ。そろそろ帰ろうぜ」
言って、ゴミを詰めたポテトの箱とドリンクの乗ったトレーと鞄を持て立ち上がった時。
ドンと、背中に誰かがぶつかる。
「あっ、すみません」
振り返ると、女子が通路にばらまいたゴミをしゃがんで拾っている。
「いえ、私が前を見てなかったんです」
俯いたままゴミを拾っている女子が言う。短めの髪を後ろで一本に結わいた毛先が元気よく跳ねていて、着ている制服はこのあたりでは見かけないものだった。
散らばったゴミをすべて拾い終わった女子が立ち上がって、俺は瞠目する。
「おっ――」
「まりか、何やってんだ?」
俺の声に被さって、女子と同じ制服を着ている男が駆けよってくる。俺の鼓動は一気に早くなる。
「ちょっと……人にぶつかっちゃって……」
「ちゃんと前見て気をつけろよな。行こうぜ」
俺の目の前に立っているのは――大庭で、彼女に声をかけてきたのは先輩――大庭の元彼、いや今は今彼、か……こんなところに一緒にいるぐらいだから。
「えっと、室君、彼、中学の同級生なの」
大庭は少し困った顔をしながら、先輩に言う。先輩は大庭から俺に視線を向け、興味がなさそうにすぐに大庭に向き直る。
俺のこと、分からないのか……ははっ。安心感と罪悪感が一緒に渦巻く。その時の俺の顔は緊張で固まっていただろう。
「ふーん、じゃ、俺、先に行って待ってるから。すぐ来いよ」
「うん……」
先輩はそう言って、大場のトレーを受け取りゴミを捨ててマックを出て行った。
俺の後ろに立っていた有沢も、俺と大庭の微妙な雰囲気に気づいて気を利かせてくれた。
「田中、外で待ってるぞ」
「ああ……」
有沢も店を出て行く。談笑でざわつく店内に、俺と大庭の周りだけ静かな空気が流れる。通路に立ったままでは人が通るのに邪魔になりそうだったから、今まで俺達が座っていた席にとりあえず座ることにした。
少しの沈黙を挟んで。
「虎太郎君、元気だった?」
大庭が首を傾げて明るい笑顔を見せる。真っ正面から見る大庭は、中学の頃よりも大人びて、最後に会った日よりも少しやつれた感じがする。
「ああ……、大庭は……元気だったか?」
「うん……」
頷いて、俺も大庭も黙り込む。
最後に会ったのは高一の夏――約一年前か。それからはなんだかんだと理由をつけて会うことがなくなり、メールや電話のやり取りだけ。それも次第になくなって、高二の春、大庭から電話がかかってきた――
話すのはそれ以来だ。
中三の春、あいまいに始まった俺達の恋――
俺は大庭に二度目の告白をして、大庭も俺のことを好きだと言ってくれて、それだけで幸せだった。卒業した先輩とは学校が離れ、別れたんだと思った。だけど――思い返してみれば、大庭はそんなこと一言も言っていなかった。
俺には、大庭と先輩が一度別れたのかどうか、その真相を知るすべはない。ただ、学校が中学と高校で別になったところで、先輩は大庭の兄貴の親友で家にはしょっちゅう遊びに来ていたらしいから、家で会うことは多かっただろう。逆に俺は、一度も大庭の家に遊びに行ったことはない。
それで納得する。先輩が俺の顔を覚えていないことに。
「先輩……俺の顔は覚えてないみたいだな」
長い沈黙を破って、ぽつりと小さな声で呟く。怒りとか、そういうのではなくて、俺はこんなに覚えているのに先輩は記憶の片隅にも俺の存在がないんだ。
大庭は首を傾げて苦笑して、視線を横に向ける。
「こんなとこで虎太郎君に会うなんてビックリしたけど、よく考えたら引っ越したのこの辺りだったね。あっ私はね、バスケの試合の抽選会があって近くに来て……」
電話で――大庭は俺と付き合っている間も先輩のことが忘れられなかったと言った。家で会ってしまうんだから、気持ちを切り替えられなかったのは仕方がないと思う。先輩もきっとそうだったんだろう。
その時になって、大庭は先輩の気持ちが分かったらしい――同時に同じ人を好きになってしまう気持ちを。
俺にはその気持ちは分からない――分かってあげられないから、大庭に安らぎを与えることが出来なかったのかもしれない……
「虎太郎君は……また一段と格好よくなったね。学校でもモテるんじゃない?」
大庭が必死に間を繋ごうと話しかけてくるけど、俺はどこか上の空だった。
好きだった――ずっと好きで、大切にしたいと思っていた。だけど心のどこかで、俺では大庭を幸せに出来ないと思っていたのかもしれない。
先輩と俺の間で不安に揺れる大庭のすべてを、俺は許して受け入れることが出来なかった。好きだから、大庭には俺だけを見ていてほしくて。
側にいるだけで幸せで、心から大切にしていた――初恋だったんだ。
いまでも大庭に会っただけで、胸がこんなに締め付けられて苦しくて――だけど。
この恋はもう――失われた恋だから。
「そろそろ、行くな」
俺は机に視線を向けたまま立ち上がり、座っている大庭をまっすぐに見据える。大庭は突然立ちあがった俺を困惑気味に見上げている。
「えっ、虎太郎君……」
「大庭――先輩とよりが戻って良かったな」
最高の笑顔で言って、背を向けて店を出た。振り返らずに。
さようなら、大庭――