第38話 切望も絶望も君だけに <秀斗side-6>
芹沢さんを責めるような事を言ってしまって、後悔していた。だから、出来る事なら謝って元通りになりたかった。
ただ、月曜日の朝に芹沢さんはいつもの電車に乗ってこなくて、試験期間中も顔を合わせることがなくて話すきっかけを失くしてしまう。
試験最終日、週末の大会に向けて約一週間ぶりの部活があった。部活があるということは芹沢さんと会うと言うことで、日曜日のわだかまりが残っていたけど、皆のまえで出来る話ではないし、だからと言って無視することでもなくて――怒っていると言うよりは謝りたかったから。
考えた結果、普段通りに接するのが一番いいと感じた。
柴田さんと遅れて部活にやってきた芹沢さんに、俺は平静を心掛けて笑顔で話しかけた。
七月に入ると、芹沢さんから家の用事で土日にあまり会えないと言われる。キスのことが原因で、避けられてたのかとも考えたけど、表面上はいままで通り仲良くしているから、疑り深く考えるのをやめる。
もちろん、本当に何もなかったように接することは出来ていない――
あの出来ごとにお互い触れないように気を使って、どこかぎこちなかった。
それでも、この先もずっと芹沢さんといる為に、気にしないようにすることにしたんだ。
※
七月十一日、部活帰りに駅まで歩いていると、後ろを歩く芹沢さんと柴田さんの会話が聞こえていて後ろを振り返る。
「なに? 柴田さん、バイトするの?」
福田が興味津々に聞くと、柴田さんが困ったように眉尻を下げて、隣の芹沢さんに視線を向ける。
「えっと私じゃなくて……」
「あー、柴田じゃなくて芽依だよ、バイトしてんの」
柴田さんの言葉に被さって、田中が言った。
えっ、芹沢さんがバイトしてる? 初めて聞くことに、それよりも俺が知らないことを、また田中は知っていて、焦燥に駆られる。
歩く速度を緩めて、後ろを歩く芹沢さんに近づき、芹沢さんに聞かずにはいられなかった。
「芹沢さん、ほんと?」
「うん、先週から始めて……」
俺は芹沢さんの方を見れずに、静かな声で尋ねる。
「なんのバイト?」
「えっと、喫茶店で……」
「喫茶店――行ってみたいな。芹沢さんのバイト姿、見てみたい。ダメ?」
田中に負けてる気がして、芹沢さんのことはなんでも知っていたくて。だけど。
「えっと、まだ慣れなくて恥ずかしいから」
そう言われては、引き下がるしかなくて。
でも苛立ちが収まらなくて、芹沢さんが困った顔で俺を見上げたけど視線をすっとそらして福田の傍まで早足で移動した。
七月三週目は美術部の顧問の都合で活動日が火曜日に変更になって、いつも参加していない水曜日に陸上部に出ていた。
「水曜って、バイトの人が多くて人数少ないよな」
福田が準備体操しながらぼやく。
一年が五人、二年は俺と福田と田中と柴田の四人、三年生は部長の武先輩と女子部長の相川先輩の二人だけ。バイト以外の理由で休みの人もいるだろうけど、三十五人いる部員のうち十一人しかいないのだから、すごい少なく感じるのは当たり前だった。
「馬渡は家の用事っていってたけど、後の三人はバイトだろ? やー、俺はまさか芹沢さんがバイト始めるとは思わなかったな」
福田が言って、柴田さんが苦笑する。
「社会勉強だって言ってたよ」
「社会勉強ねぇ……。俺らの中で一番部活命だったのって芹沢さんだと思うのに、なんでバイトなんだろ? 不思議だなぁ~」
その言葉に、確かにと思う。芹沢さんは誰よりも部活が好きで、熱心に練習をしている。一日でも休むのが嫌だって言うのが口癖なのに。
なにか理由があってバイトをしているのだろうか――
「芹沢さんのバイト、喫茶店って言ってたよな? どんな店?」
「んー、私は行ったことないから分からない」
「なんだ、柴田さんが分からないんじゃ、誰も分からないか……あっじゃあ帰りにみんなで行ってみない?」
思いがけない福田の提案にドキンとする。
俺も芹沢さんのバイト先に行ってみたい――そう思ったけど。
「俺行ったよ。店員がメイド服着てるアンティークな店」
田中の言葉に瞠目する。
えっ、今、なんて言った――
自分の耳を疑って、田中を見る。
「うそっ……田中君行ったの!?」
なぜか柴田さんも驚いた声を上げる。
「メイド服っ! ……で、アンティーク?」
福田のテンションが上がって、首をかしげる。
確かにメイド服とアンティークって単語は不釣り合いで、どんなお店なのか想像できない。
「アキバにいるメイドじゃなくて、十九世紀のメイド服」
「えー、なんだ、つまんないな」
田中がクールに説明を付けたして、福田が渋い声を出す。
周りの声が遠くに聞こえて、鼓動が速くなっていく。
芹沢さんは、俺にはバイト先に来ないでと言ったのに、田中はバイト先に行ったことがある。その事実に打ちのめされて目の前が真っ暗になった。
※
終業式、久しぶりに芹沢さんと二人きりで下校していた。電車に乗ると、芹沢さんが八幡のケーキ屋に寄りたいというから、寄り道して帰ることになったんだが――
甘い物が大丈夫かって聞かれて頷くと、芹沢さんがふわりと花が綻ぶような笑顔を見せるから、ドキンとする。
「ん、どうしたの?」
「あのね、虎太郎ちゃんは甘い物苦手なんだって。それなのに、ファンの子から貰うお菓子はちゃんと食べるんだって。笑っちゃうけど、えらいよね」
その言葉に、芹沢さんが田中のことを考えていて笑ったんだと分かって、どうしようもなく焦燥が募る。
俺がもう一度バイト先に行きたいと言うと、芹沢さんは困った顔で黙り込んでしまった。
国府台から三駅目の八幡に着いたが、俺は微動だにせず、扉が閉まり電車は動き出す。芹沢さんの視線を感じて、芹沢さんを見ずに手を握りしめた。沈黙が続き、芹沢さんの最寄りの海神駅で俺は芹沢さんの手を引いて降り、無言でしばらく歩いた。
体育祭が終わってからずっと感じていた不安や苛立ち、すべての負の感情が渦巻いて、ぎゅうぎゅうと胸を締め付けてきて苦しい。
芹沢さんはもしかして――
そんな考えをしてしまって、泣きそうになって必死に涙を堪える。立ち止まり、後ろをついてくる芹沢さんを振り向かずに言う。
苛立ちのまま言葉を発してしまいそうで、開いた口を閉じてぎゅっと唇をかみしめる。
「田中がバイト先に行くのはよくて、俺はダメなの……? 田中は芹沢さんのバイト先に行ったって言ってた。制服が可愛いって」
そこまで言って、芹沢さんの顔を見ているのが苦しくて、眉根を寄せて横を向き、低い声で言葉を吐き出す。
「芹沢さんは何かっていうと田中の話ばかりだ。俺はそのたびに比べられてる様な気がして劣等感を感じるっ」
「違っ、私、小坂君と虎太郎ちゃんを比べたりなんか……」
芹沢さんが悲痛な声で否定するけど、俺の胸のわだかまりは大きくなっていて、芹沢さんの言葉さえ、素直に聞けなかった。
田中と幼馴染だと分かった時も、芹沢さんの口からすぐに聞いていれば納得できたんだ。
下の名前で呼び合って仲がよさそうに感じて、羨ましかった。
時々二人にしか分からない話をしたり、芹沢さんと田中がお互いの事をなんでも分かっているようなのも苛立つ。
ずっと心の内に秘めていた想いを打ち明ければ、後から後から気持ちがこぼれてしまう。こんな風に苛立ちを露わに、芹沢さんを責めるように言いたくはないのに、自分で自分の感情がコントロールできなかった。
「分かってる……二人が幼馴染だから、だれよりもお互いの事を理解し合っているのは仕方がない事だって、こんなの嫉妬だって……だけどっ」
それが、すべて俺の本心だったから。
荒げてしまった声を落ち着かせるように、振り返って芹沢さんの肩を両手で掴む。
「俺が芹沢さんにとって一番なんだって信じてた。でも、それは違うの……?」
これが最後の賭けだった。芹沢さんの口から「違う」って聞ければ、俺はその言葉を信じようって。だけど。
「ちがっ……私は小坂君が、好きだよ……」
そう言った芹沢さんの瞳は悲しそうに揺らいでいる。否定の言葉を俺が言わせているようで、胸が押しつぶさそうで苦しくて切なくて――
「じゃあどうして……っ」
感情のまま叫んで、芹沢さんを強く抱きしめた。
違うと言った――その言葉を信じたかった。だけど、俺にはそれだけの勇気がなくて。
芹沢さんが好きで、いつの間にかこんなに独占欲が強くなって、幼馴染の田中の存在さえ許せなくなっていた。そんな汚い俺は、芹沢さんの側にいる資格がない――
じゃあどうして――それは俺自身に問いかけた言葉かもしれない。
溢れてくる涙を必死にこらえて体が震える。ゆっくりと芹沢さんの背中にまわした腕の力を解き、一歩の距離を置く。
もう側にいる自信がない。だから。
「別れよう――」
芹沢さんが俺を好きだって言う言葉は信じるよ。だけど、その気持ちと同時に、田中に惹かれていることに、芹沢さん自身は気づいていないんだ。
出会う時期が違ったら、芹沢さんは田中への気持ちを自覚していたら――そう考えて胸がつぶれるほど切ない。
田中を好きになり始めている芹沢さんの隣で、笑っていられる自信がない。一緒にいても傷付け合うだけならば、別れた方がいいんだ。距離を置いて、芹沢さんは自分の気持ちを見つめ直すべきなんだ。そうして田中と――
どうか、俺を許さないで――
君の一番になりたい。そう切望するほど絶望していく、俺は弱くて。
この恋を自分からは手放さないと誓ったのに、君の言葉を信じるだけの勇気がなくて逃げた俺を。
第34話の秀斗視点です。