第19話 必然的な恋 1 <虎太郎side-4>
中学一年の秋、父さんの突然の転勤で横浜に引っ越すことになる。
どうせ引越しになるのなら中学に上がるタイミングだったら、すでに仲良くなっているクラスの中に溶け込もうと必死になる必要もないし、五ヵ月間仲良くした友達と別れる必要もなかったのに……
そんなことを心の中で愚痴ってみるけど、転勤は父さんのせいじゃないし、引越しにも、“転校生”扱いされることにも慣れているから、仕方ない事だとどこかで諦めていた。
「転校生の田中君だ。皆、仲良くするんだぞ」
担任がお決まりの言葉を、席に座ってこっちを見ている生徒に言う。そして俺も、いつも通りの挨拶をする。
「長野から引っ越して来ました。田中 虎太郎です、よろしく」
笑顔も作らず、ただそう言って頭を下げる。
俺は父さんに似て顔はそれなりに良いらしくて、転校の挨拶の時笑顔を作ると、女子に好感を与える代わりに男子に反感を買う――ということを、三回の転校で覚えた。
「じゃあ田中君は、窓際の一番後ろの席――大庭さん」
そう言われて、窓際の隣の列の一番後ろに座っていた女の子が立ち上がった。
「はい」
「大庭さんの隣の席に座って」
俺は言われるまま、窓側の列とその隣の列の間を歩いて一番後ろに向かう。
席に座ると、隣の席――の大庭さんがにっと白い歯を見せて元気な笑顔を俺に向けた。
「大庭まりかです。よろしく」
そう言って話しかけてきた大庭の第一印象はさっぱりした元気少女。
「よろしく」
俺はそっけなく言って、軽く頭を下げると。
「あはっ、田中君ってクールだねぇ」
こんな態度を取ればだいたいが無愛想って言うのに、気分を害した様子もなく笑顔で“クール”だなんて言われて面食らう。
その後も大庭は席が隣というだけでしょっちゅう話しかけてくるし、校内や通学路でも俺の姿を見つけると声をかけてくる。
お気楽というか前向きすぎる性格が少し鬱陶しく思う反面、大庭が俺に普通に話しかけてくるから、他のクラスメイトに“転校生”という目で見られる事もすぐになくなって、俺の中で大庭の存在は大きくなっていた。
季節は廻り、中学二年。大庭とクラスが別れ少しガッカリしていた六月――
俺は部室への近道に渡り廊下から体育館裏を通っていた時、体育館裏の草むらの中に背中を丸くしてしゃがみこんでる大庭を見つけて、ドキリとする。
「大庭……」
なんでこんなとこに――そう言おうとして、俺に気づいて仰ぎ見た大庭が泣いているのに気がついて、俺は言葉を飲み込む。
いつも元気で明るい大庭が泣いている――
そのことが普段の大庭から想像できなくて、だけど本当に強い人間がいるわけがなくて、強がってこうやって隠れて泣いていたことに身につまされる。
そういえば、一つ、大庭の悪い噂を聞いたことがある。
大庭には一つ年上の兄貴がいて、その友達と付き合っているらしいが――二股をしているという噂を聞いたことがある。
もしかして、そのことで何か言われて泣いているのか……?
「大庭、大丈夫か……?」
それなのに、そんなことしか言えない自分が情けなくなる。
大庭は俺を見てもともと大きな黒目をさらに大きく開いて、それから手の甲で慌てて涙をぬぐう。
「あはっ、恥ずかしいところ見られちゃったな……。ちょっと、部活で思うようにいかなくて……」
そう言って強がって笑う姿が痛々しくて、俺は思わず、大庭を抱きしめていた。
「笑うなよ……無理して笑うことないんだっ! 辛い時は泣けよ、人に見られたくないなら、大庭の涙は俺が隠してやる……だから、無理しないでくれっ」
俺は胸が苦しくて顔を歪める。
大庭には彼氏がいて、こんなことしたら悪い噂を広めるようでいけないとか、ここは体育館裏でほとんど人が来ないから平気とか頭でぐちゃぐちゃ考えるのをやめて、俺はただ、大庭を抱きしめた。
腕の中の大庭は最初体を強張らせていたが、すぐに俺に体重を預けるようにして、次第に声を出して泣き出した。
俺は優しく大庭の頭をなでて、泣き止むのを待った。
しばらくして大庭が俺の胸に両手をついて力を入れるから、俺は大庭を抱きしめていた腕の力を緩めて大庭を離す。
ちらっと俺を見上げた大庭の瞳はまだ濡れてて、その表情がなんとも色っぽくて、俺は見ていられずに視線をそらす。
大庭も同じように視線をそらし、沈黙が落ちる……
「……じゃあ、俺、部活に行くから……」
ぎこちなく言って、俺はゆっくりと歩き出す。数歩進んでから振り返ると、大庭が俺を見ていたから、なんだか心がくすぐったくてふわりと笑って手を振って、部室に向かって駆け出した。
※
それからというもの、時々、俺と大庭は体育館裏で会った――というか、部活にいく途中の俺を大庭が待ってて、少し話すだけだったが。
大庭は言う。
「何でも物事はいい方向に考えた方が楽でしょ? だからいつもそうしてるの。でも時々、やるせなくなって……この間、部活のことで落ち込んでたっていうのは嘘。田中君も私の噂、聞いたことあるでしょ? あれ、半分は本当なの」
そう言われて、俺はあいまいな顔で頷くことしかできなかった。
「二股してるってのは本当……でも、私じゃなくて、彼氏がね」
大庭はそう言って苦笑する。
「えっ……」
「でも、私は彼のことを嫌いにはなれないから、今のままでもいいの。噂なんかで傷つくのは嫌だから平気な振りしてるけど……やっぱり陰口や中傷は傷つく。本当は違うんだって言えないし、言ったとしても噂を信じる人達が私の言うことを信じてくれるとは思えないし」
そう言って、ふぅーっと大庭は大きなため息をつく。
「あはっ、私、誰かにこんな弱音吐いたの初めて。家族にも言ったことないのに、なんでだろう……田中君って、私の中で特別みたい」
体育館の壁に寄りかかる俺の横にしゃがんでた大庭が頬を染めてそんなことを言うから、胸がざわつく。
「好きだ……」
思わず言っていた。恥ずかしくてその場にしゃがみこみ、顔を隠すように下を向く。もちろん、振られることを覚悟で。
だけど――
大庭が俺の手をそっと握るから、言葉なんかなくても大庭の気持ちが伝わってきた。
『彼のことを嫌いにはなれないから』
大庭はそう言った。好きだからではなく、嫌いになれないと。
少しは俺のことを好きになってくれているんだ――俺はそう感じて。