第6話 闇商人ベルナルドの賭け
【ベルナルド視点】
「……クソッ。神も仏もあったもんじゃねえな」
商業都市ローデンブルク、その裏路地にある古びた倉庫で、俺は頭を抱えていた。
俺の名はベルナルド。『金鷹商会』の会頭だ。
といっても、かつては羽振りが良かったが、今や借金まみれの弱小商会に成り下がっている。
目の前には、天井まで積み上げられた麻袋の山。
中身はすべて、最高級の『白小麦』だ。
「まさか、こんなに豊作になるとはな……」
今年は異常気象で、小麦が取れすぎた。市場には小麦が溢れ返り、価格は大暴落。
高値で仕入れた俺の在庫は、ただのゴミ同然になった。
倉庫代ばかりがかさみ、あと数日で手形が落ちなければ、俺は破産だ。首を吊るしかない。
「誰か……買ってくれよ。半値でもいい。いや、三分の一でも……」
薄暗い倉庫で独りごちた、その時だった。
「――ならば、全量買い取ろう。言い値でな」
不意に背後から、冷ややかな声が響いた。
ビクリと振り返ると、いつの間にか倉庫の入り口に人影が立っていた。
深々とフードを被り、顔は見えない。だが、その佇まいには只者ではない気配が漂っている。
「……冷やかしかい、お客さん。こちとら、冗談に付き合ってる余裕はねえんだ」
俺は商人の顔を作り、愛想笑いを浮かべながら相手を見据えた。
「冗談ではない。欲しいのは、そこにある白小麦すべてだ。そして今後も、定期的に納入してほしい」
「すべて、だと? おいおい、ここには五十トンはあるぞ。個人の客が買える量じゃ……」
客がフードに手をかけた。
さらり、と銀色の髪が流れ落ちる。
そして露わになったのは、透き通るような美女の顔と――頭の両側から生えた、黒い羊のような角だった。
「ひっ、ひぃぃぃぃッ!?」
俺は腰を抜かし、小麦の袋に尻餅をついた。
魔族。
人類の敵。
まさか、こんな街のど真ん中に現れるなんて!
「い、命だけは! 俺の肉は不味いぞ! 脂ばっかりで食えたもんじゃねえ!」
「安心しろ。貴様の脂身になど興味はない。……私が欲しいのは、その小麦だ」
魔族の女――イリスと名乗った彼女は、懐から革袋を取り出し、放り投げてきた。
ズシリ、と重い音が床に響く。
恐る恐る袋を開けた俺は、息を呑んだ。
中に入っていたのは、金貨だ。
それも、人間界ではお目にかかれない、魔力を帯びて赤く輝く『魔界金』。純度はほぼ一〇〇パーセント。
「こ、これは……」
「手付金だ。倉庫の在庫、すべて言い値で買い取る。ただし条件がある。……魔王軍への『輸送ルート』を確立せよ」
俺の背筋に冷たいものが走った。
魔族との密貿易。
それがバレれば、国家反逆罪で即刻処刑だ。ギロチン台への直行便である。
だが。
俺は手の中の、ずっしりと重い金貨を見つめた。
破産して首を吊るか。
それとも、悪魔に魂を売って、巨万の富を得るか。
(……商売人なら、答えは決まってらあな)
俺は震える足で立ち上がり、ニヤリと笑ってみせた。
「……へい。金払いのいい方が、俺にとっての『神様』です。商談成立とさせていただきましょう」
「話が早くて助かる。では、詳細を詰める」
イリスは満足げに頷くと、俺の襟首をガシッと掴んだ。
「へっ?」
「契約の最終確認だ。我が軍の『補給総監』に会ってもらう」
「ほ、補給総監……!? そ、それはさぞかし恐ろしい怪物なのでしょうな……」
魔王軍の幹部。血も涙もない殺戮マシーンに違いない。
俺の顔色などお構いなしに、イリスは俺を引きずって倉庫の外へ出た。
「飛ぶぞ。舌を噛むなよ」
「は? 飛ぶ? 何を言って――う、うわああああああああッ!!」
次の瞬間、俺の体は遥か上空へと打ち上げられていた。
◇◆◇
「おえぇぇ……」
魔界、黒鉄城。
極寒の風と、死ぬほどの恐怖に晒された空の旅を終え、俺は地面に這いつくばって胃の中身をぶちまけていた。
「情けない男だ。ほら、着いたぞ」
イリスに蹴飛ばされ、俺は涙目で顔を上げる。
そこは巨大な厨房だった。
灼熱のオーブンが並び、屈強な魔族たちが忙しなく動き回っている。
その中心に、一人の男が立っていた。
(あいつが、補給総監……!)
どんな化け物だ。
角が五本くらいあるのか? それとも全身から毒霧を噴いているのか?
「あ、イリスさん! おかえりなさい!」
振り返ったのは、粉まみれのエプロンをつけた、優しそうな人間の青年だった。
どこからどう見ても、街のパン屋の兄ちゃんだ。
「……は?」
俺は思わず間の抜けた声を出した。
「連れてきましたよ、タータ殿。これが『金鷹商会』のベルナルドです」
「初めまして! 補給総監のタータです。いやぁ、来てくれて助かりました!」
青年――タータ総監は、人懐っこい笑顔で俺の手を握り、ブンブンと振った。
拍子抜けだ。こいつが、あの魔王軍の幹部?
騙されたんじゃないか?
「ベルナルドさん、小麦を持ってきてくれたんですよね? ちょっとパンを作りますね。食べてみてください!」
彼が作って差し出したのは、真っ白な湯気を立てる、丸いパンだった。
俺が持ち込んだ白小麦を、さっそく使ってくれていた。
「若いのに何十年もやっている職人さんみたいな手つきですね。パンですか。まあ、いただきやすが……」
俺は半信半疑で、そのパンを手に取った。
驚くほど軽い。
そして、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。
一口、かじってみた。
――え?
歯がいらない。
口に入れた瞬間、雪のように解けた。
そして広がる、小麦本来の濃厚な甘みと、酵母の芳醇な香り。
「な、なんだこれは……!?」
俺は呆然とした。
俺が倉庫で腐らせていた、あの厄介者の小麦が、こんな……こんな『魔法』に変わるのか?
「どうですか? これなら、魔王様も満足してくれると思うんですが」
タータ総監が心配そうに覗き込んでくる。
俺は震える手で、パンをもう一口かじった。
美味い。
文句なしに美味い。
これが人間の街で売られれば、貴族たちが列をなして買い求めるだろう。
それを、魔王軍が独占する?
(……こいつは、とんでもねえ『商材』だ)
俺の商売人としての血が、ドクドクと音を立てて騒ぎ出した。
これは単なる在庫処分じゃない。
新しい文化の創造だ。
この男――タータ総監となら、俺は世界を相手に商売ができるかもしれない。
俺は食べかけのパンを飲み込み、居住まいを正した。
目の前の、粉まみれの青年に向かって、深く頭を下げる。
「……恐れ入りました、総監殿」
「え?」
「あんたの腕と、この小麦があれば、地獄の鬼でも笑顔にできまさぁ。……契約成立だ」
俺はニヤリと笑った。
「任せてくだせえ。このベルナルド、たとえ火の中水の中、地獄の底まで最高級の小麦を運んでみせましょう」
こうして俺は、魔王軍専属の『闇商人』として、新たな一歩を踏み出すことになった。
破産寸前の倉庫番から、魔界一の豪商へ。
俺の大博打は、どうやら吉と出たらしい。
練兵場では、香りを嗅ぎつけた悪魔たちが、ギャーギャーと騒いでいるようだった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




