第11話(最終話)パンと魔界の伝統
【タータ視点】
「……というわけで、タータよ。何とかせよ」
魔王グラトニア陛下の執務室。
呼び出された僕は、またしても理不尽な命令を受けていた。
「何とかせよ、と言われましても……」
「ザガンたちが不穏なのだ。先の宴以来、どこぞでコソコソと徒党を組み、殺気を漂わせておる。このままでは、せっかくの食事が不味くなる」
魔王様は頬杖をつき、心底面倒くさそうに溜め息をついた。
反乱の心配よりも、食事の味を気にするあたりがこの方らしい。
「奴らの言い分はこうだ。『パンなぞ軟弱だ。我らは伝統ある魔族の誇り、血と肉を欲する』……とな」
僕は、先日睨みつけられたザガン将軍の顔を思い出した。
彼は決して、悪人ではない。ただ、魔王軍の強さを誰よりも誇りに思っているだけなのだ。
その誇りを、僕のパンが傷つけてしまったのかもしれない。
「分かりました。……僕に任せてください」
「ほう? 自信があるのか」
「はい。パンは、何かを排除する食べ物じゃありません。……何かを『包み込む』ものですから」
◇◆◇
決戦の場は、三たび開かれた『魔王主催晩餐会』。
広間の空気は、前回よりもさらに険悪だった。
末席に陣取ったザガン将軍と、その同志たち――ゴズ将軍、ベリアル公、ヴィラ将軍。彼らは無言で腕組みをし、まるで処刑台に向かうような顔をしている。
「……フン。またあの白い粉菓子か」
ザガン将軍が、運ばれてきた皿を見て鼻を鳴らした。
だが、その目はすぐに大きく見開かれた。
「……む? これは……」
皿の上に載っていたのは、いつものフワフワな白パンではなかった。
表面をこんがりとキツネ色に焼いた、少しハードなコッペパン。
そしてその中央には、切れ込みから溢れんばかりに挟まれた、極太の『ソーセージ』が鎮座していた。
赤黒く、どす黒い色。
そこからは、強烈な鉄の匂いと、獣の香りが漂っている。
「『魔界特産・ブラッディソーセージサンド』です」
給仕として控えていた僕が説明すると、ザガン将軍がギロリとこちらを見た。
「ブラッディ……だと? まさか、これは……」
「はい。魔界の森に住む『紅の猪』の血と肉を、余すところなく腸に詰め込みました。スパイスは控えめに、血の風味を最大限に活かしてあります」
ザガン将軍がごくりと喉を鳴らす。
それは、彼らが愛してやまない「血と肉」の塊だ。
将軍は震える手で、その豪快なサンドイッチを鷲掴みにした。
「……パンごときが、我らの伝統を受け止めきれるものか」
彼は敵を食い殺すような勢いで、サンドイッチにかぶりついた。
パリッ! ジュワァ……!
静まり返った広間に、小気味よい音と、肉汁が弾ける音が響く。
ソーセージの皮が弾け、中から熱い血のソースが溢れ出す。
本来なら、手や皿を汚すはずのその奔流を――パンが、受け止めた。
こんがり焼かれたパンは、溢れる肉汁を逃さず吸い込み、その身を染め上げていく。
肉の強烈な旨味と、小麦の素朴な香り。
野蛮な「血」と、文明の「パン」。
相反するはずの二つが、口の中で完璧な調和を奏でていた。
「……っ!」
ザガン将軍の動きが止まる。
二口、三口。
無心で食べ進める。
そして、最後の一欠片を飲み込んだ時、その強面から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……将軍?」
「……あたたかい」
ザガン将軍は、涙を拭おうともせず、空になった自分の手をじっと見つめた。
「血の味だ。懐かしい、我ら魔族の故郷の味だ。……だが、以前のようにただ啜るだけではない。パンが……この軟弱に見えたパンが、血の激しさを優しく受け止め、支えている」
彼はゆっくりと僕の方を向き、深く頭を垂れた。
「……間違っていたのは、こちらだったようだ」
「えっ、そ、そんな頭を上げてください!」
「私は、新しいものを恐れていただけだ。伝統が奪われると怯えていただけだ。だが……貴殿は証明した。新しきものは、古き伝統を排除するのではなく、共に歩めるのだと」
広間から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
魔王グラトニア陛下が、満足げに玉座から頷く。
「うむ。見事だ、ザガン。その気づきこそが、将の器よ」
陛下は指を鳴らした。
「ザガンよ。席を戻せ。……貴様にはやはり、余の右腕として、一番近くで肉を食らってもらわねばならん」
「は、ははっ……! ありがたき幸せ!」
ザガン将軍は男泣きしながら、元の筆頭席へと戻っていった。
それを見ていたゴズ将軍たちも、嬉しそうにサンドイッチを頬張り始めている。
イリスさんが、僕の隣で小さく息を吐いた。
「……やりましたね、タータ殿。これで魔王軍は、以前よりも強固になりました」
「うん。……みんなが美味しく食べてくれて、よかったよ」
僕は厨房の入り口で、賑わう宴を眺めた。
そこには、種族も、思想の違いも関係ない。
ただ「美味しい」という笑顔だけがあった。
◇◆◇
宴が終わり、静けさを取り戻した黒鉄城。
僕は一人、バルコニーで夜風に当たっていた。
空には、相変わらず二つの月が輝いている。
ここに来たばかりの頃は、不気味で怖かったその光も、今ではどこか優しく感じる。
(不思議だなぁ)
死んで、転生して、魔王軍に入って。
軍師にスカウトされ、商人と手を組み、将軍と対立し、そして和解した。
僕は、勇者じゃない。
魔法使いでもないし、賢者でもない。
僕はタータ。
ただのパン屋だ。
でも、パンで救える何かがある。
焼きたての香りで、誰かの明日を作ることができる。
「……さて、仕込みの時間だ」
東の空が、ほんのりと白み始めている。
魔王様は、明日の朝食もきっとお腹を空かせて待っているはずだ。
エプロンの紐を締め直し、僕は厨房へと戻る。
今日もタータは、パンを焼くのだった。
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